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福島原発行動隊、の 非行動について  被曝マシンの役割 [水俣&福島]

メーリングリスト、投稿。

行動隊にぞくするシニア(60歳以上)は何のために集合したのか?

http://svcf.jp/


被曝マシンとしてフクイチ作業を行うためだ。
なぜフクイチに行けないか?行く気が無いからだ。
そも、英語名称が間違っていないか? 
Skilled Veterans Corps for Fukushimaと謳っている。
 シニアのSkillなど何の足しにもならない、ことを知るべきである。
フクイチで役立つSkillをもっている、と思っている(老人の身の程知らぬ自惚れは見苦しい)のが大間違い。
収束のための知的貢献ならばシニアに限らず、海外を含めた現役の若い人から求めるべきである。

作業員を全国からかき集めても単独では(何十年も原発作業に従事しているリーダーの指示無く)フクイチに入り込めない、のは明白である。 かつ、己が保有している(はずの)スキルを使用して作業中トラブルを起こした場合、誰が補償するのか。

企業社員であったときに獲得した知識技術をフクイチで使いたい、という欲望は理解するが、それなら、「若い人の被曝を傍観しているわけにはいかぬ」などと言わない方がよい。東電配下の下請け企業に履歴書をつけて売り込めばよいのである。(使える技術であるかどうかは雇用する会社が審査するだろう)


行動隊HPには、現地ハローワークHPをリンクし(フクイチハローワークと交渉のうえ) シニア採用をするように東電下請け会社に求めるべきである。

議員会館で集会を行うときには、ハローワーク担当者、それに、下請け会社の採用担当を 呼んで採用条件、作業内容、管理内容(被曝放射線チェックや事前の訓練)を聴くべきである。 そのうえで、採用先を決め、フクイチに。

再度ゆうが、シニアは被曝マシーンとしてしか使えない。
それをよし、としている連中のみを隊員資格とすべきである。

被曝作業は事故が無くても原発運転があるところ、常時行われている。文字通り原発のコスト(=犠牲)なのだ。




行動隊からは脱退したいが、フクイチ作業公募をいずれ行うだろう、と期待しているので残っている。

一昨年の最初の集会以後、議員会館集会には参加もしていない。
最初の集会で、上記の趣旨と同じ論旨のペーパーを配ったが、
ある参加者はそれを読んで、こういう理解なら(技術的な寄与が出来ない、というのなら)直ちに参加をやめます、と述べた。
山田隊長自身がそういう考えなのだから現在の行動隊には救いはない。

シニアが作業に乗り出せば現在フクイチで働いている若い連中の職を奪うことになる。それは承知の上である。被曝を承知で働いている連中はいずれ少なくなるはずである。

フクイチだけではない。続々廃炉作業される原発でいったい誰が作業するのか。

被曝症状は老若男女を通じて現れます。
若い人と(あるいは児童)と、
老人と
どちらが被曝させるのがよいか、というだけです差は。

正確に線量を測って、医学データを取り、今後の治療に生かすのも被曝マシーンの立派な貢献である。

誰かがやらねばならない。
体力のあるシニア女性もフクイチで働くべきでしょう。

あるいは、懲役囚をはたらかせるとか、という手もアルのでしょうか?

海外の人間もボランティアでフクイチ収束作業に参加すべきである。。。といえば、抵抗を感じる人は多かろう。誰が収束作業に、なんのために、従事すべきなのか。 作業員の募集を労働市場の需給にまかせておけるのか。 エラい人の答えをまとう。 フクイチ施設は東京電力という民間会社(いま、国営?)の資産である。

行動隊と非・行動隊に分離すべきである。被曝マシーンとして働きたい男女(シニアが望ましいがとくに限定しない)は行動隊に。行動せず技術と口を売りたい(シニアである必要は無い。フレッシュな頭脳を持った若い人が良い)ひとは非・行動隊に。


水俣と福島 (1) [水俣&福島]

昨年九月から今年1月8日まで、近所にある東京電機大学の公開講座に参加する機会を得た。外国留学生や社会人を対象にした英語による講座である。わたしは時事問題と国際関係論を受講した。時事問題は水俣病を、国際関係論は日本の国際関係をとりあげた。講師はシカゴ大学PhD(近代哲学~デカルトを専門)を取得した地元のO先生である。福島原発事故や尖閣問題が発生の折、時宜を得ていた。

水俣病のテキストはTimothy George著 Minamata ~ Pollution and the Struggle for Democracy in Postwar Japan (2001年発行)である。米国アマゾンには書評が一件もついていないからそれほど読まれていないようだが、この本は名著といえないまでも良書である。400ページの中にチッソの前史から2000年までの水俣病の歴史を網羅している。私は水俣病には以前から興味を持ち10冊以上の本を読んでいるが、著者は私の知らない事実と関係者をこの本で取り上げている。とくにこの本では川本輝夫(父親を水俣病で亡くし、自身も患者。自主交渉派のリーダー)を主役級の取り扱いにしている。他の本では見られない特徴である。チッソ労組が68年に発表したいわゆる『恥宣言』はいまネットで検索しても出てこないが、この本は全文を英訳して載せている。この本は著者の博士論文(ハーバード大学)を元にしている。著者は90年代に約半年家族を連れて日本に調査に来たようである。
...
著者名で検索すれば、ネットで著者に対する1時間のインタビュー番組を見ることができる。タイトルは Fukushima & Minamata。311以後、著者は福島についても頻繁に発言している。いま改訂版を書いたなら当然、著者は水俣と福島原発事故の関連を扱う終章を設けるはずである。わたしは、水俣病と原発のあまりの近似性にいまさらながら驚いている。政府企業それに裁判所、国民は一体何を反省したのか。原発は水俣の拡大再生産である。



団塊以前の世代なら覚えているだろう。少なくとも60年代中頃以前、国鉄(JR)の車両はゴミ箱を備えていなかった。駅弁の折り箱や包装紙、新聞、雑誌など車内で発生したゴミを乗客は当たり前のように列車の窓から車外に捨てていたのである。ゴミだけではない、客車のトイレで大便小便をすればそれはそのままレールの上に落とされていた。駅に停車中にトイレを利用するのは控えていたものである。新幹線でさえそうである。沿線住民が飛び散る糞尿~黄害に対して賠償を求め裁判を起こしたのは60年代末のことだ。海も川も空気も誰のものでもない、汚してもだれも苦情を言わない、。。そういう時代に起こった事件である。

チッソ(日本窒素工業~日窒)の製品である肥料は戦後、日本の農業を支えた。窒素の市場占有率は5割に近かった。私の実家も農業をしていたが、農閑期、倉庫には大量の窒素肥料が積まれ、いまでもそのにおいを私は覚えている。母が田んぼに肥料を撒いた後、牛を使って掘り起こし肥料を土に混ぜ込むのだ。狭い農地で労働生産性を上げるには窒素の作る肥料は農家にとって必須であった。肥料を海外産に頼れば値段は倍以上に跳ね上がる。福島原発で発生する電力が関東住民・企業に使われていたと同じく、窒素肥料は日本中の農家を助けた。肥料の元になるアセトアルデヒドの生産に日窒が触媒として水銀を使用し始めたのは30年代のことである。戦後はプラスチックの原料を生産し日本の高度成長を支え、ひところの松下、ソニーに匹敵する優良企業となった。

1953年、不知火海で取れた魚を食べていた水俣市住民に異常な症状が発生した。運動障害~手足の麻痺、言語障害、視野狭窄、知能障害などの神経系異常が見つかったのである。

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Minamata & Fukushima: Compared  インタビューと論文

http://vimeo.com/41970534

http://www.japanfocus.org/-Timothy_S_-George/3715

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