入れものが無い両手で受ける 尾崎放哉 [Art]

足のうら洗へば白くなる
海が少し見える小さい窓一つもつ
とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
なん本もマッチの棒を消し海風に話す
山に登れば淋しい村がみんな見える
秋風の石が子を産む話
投げ出されたやうな西瓜が太つて行く
壁の新聞の女はいつも泣いて居る
鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た

切られる花を病人見てゐる
陽が出る前の濡れた烏とんでる
蜥蜴の切れた尾がはねてゐる太陽
迷つて来たまんまの犬で居る
都のはやりうたうたつて島のあめ売り
障子あけて置く海も暮れきる
あらしがすつかり青空にしてしまつた
月夜風ある一人咳して
爪切つたゆびが十本ある
入れものが無い両手で受ける
せきをしてもひとり

墓地からもどつて来ても一人
なんと丸い月が出たよ窓
墓のうらに廻る
窓あけた笑ひ顔だ
肉がやせて来る太い骨である
一つの湯呑を置いてむせてゐる
春の山のうしろから烟が出だした

尾崎放哉。
明治一八(一八八五)年一月二〇日、鳥取県邑美郡(現鳥取市)吉方町に父尾崎信三、母なかの次男として生まれた。本名秀雄。
大正一四(一九二五)年八月、小豆島、西光寺の奥の院南郷庵の庵主となった放哉は、酒と作句に明け暮れる。
翌大正一五(一九二六)年四月七日、病没。享年は四一。
選句とデータは下記、青空文庫サイトから得た。ここに掲載した作品はすべて小豆島時代のものである。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000195/files/974_318.html
尾崎放哉記念館@小豆島
http://www2.netwave.or.jp/~hosai/
2008-07-18 11:01
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コメント(2)
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久しぶりに覗いたら 放哉さんですね。
♪障子あけて置く海も暮れきる これが好きだなあ。
♪咳をしても一人 はお気に入りだが、「も」が好かん。
山頭火には ♪鴉啼いてわたしも一人 がある。放哉を師と仰いだかどうかは知らないけれど、この「も」は許せる。
この決意表明のような句から 次は
♪鴉啼いたとて誰も来てはくれない と軟弱に屈する。
この人間的な甘さが山頭火の魅力であり、放哉にはない。
師である井泉水の選句というか、眼力というかに かなり依存しているらしが、放哉には「墓の裏に回る」ような屈折が 地下水脈のように流れている。
しかし♪いれものがない両手で受ける とはまことに人間的。生きることに、句を作ることに 正直だったのかも。
山頭火の♪鉄鉢の中へも霰 のあるような緊張感は 放哉には不要なのだろう。。
by すずめ (2008-08-02 19:43)
人生末期の日々を迎えて、放哉のように、人生を生き終えたひとがいる、ということは励みになります。
by 古井戸 (2017-12-05 08:27)