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水俣と福島 (1) [水俣&福島]

昨年九月から今年1月8日まで、近所にある東京電機大学の公開講座に参加する機会を得た。外国留学生や社会人を対象にした英語による講座である。わたしは時事問題と国際関係論を受講した。時事問題は水俣病を、国際関係論は日本の国際関係をとりあげた。講師はシカゴ大学PhD(近代哲学~デカルトを専門)を取得した地元のO先生である。福島原発事故や尖閣問題が発生の折、時宜を得ていた。

水俣病のテキストはTimothy George著 Minamata ~ Pollution and the Struggle for Democracy in Postwar Japan (2001年発行)である。米国アマゾンには書評が一件もついていないからそれほど読まれていないようだが、この本は名著といえないまでも良書である。400ページの中にチッソの前史から2000年までの水俣病の歴史を網羅している。私は水俣病には以前から興味を持ち10冊以上の本を読んでいるが、著者は私の知らない事実と関係者をこの本で取り上げている。とくにこの本では川本輝夫(父親を水俣病で亡くし、自身も患者。自主交渉派のリーダー)を主役級の取り扱いにしている。他の本では見られない特徴である。チッソ労組が68年に発表したいわゆる『恥宣言』はいまネットで検索しても出てこないが、この本は全文を英訳して載せている。この本は著者の博士論文(ハーバード大学)を元にしている。著者は90年代に約半年家族を連れて日本に調査に来たようである。
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著者名で検索すれば、ネットで著者に対する1時間のインタビュー番組を見ることができる。タイトルは Fukushima & Minamata。311以後、著者は福島についても頻繁に発言している。いま改訂版を書いたなら当然、著者は水俣と福島原発事故の関連を扱う終章を設けるはずである。わたしは、水俣病と原発のあまりの近似性にいまさらながら驚いている。政府企業それに裁判所、国民は一体何を反省したのか。原発は水俣の拡大再生産である。



団塊以前の世代なら覚えているだろう。少なくとも60年代中頃以前、国鉄(JR)の車両はゴミ箱を備えていなかった。駅弁の折り箱や包装紙、新聞、雑誌など車内で発生したゴミを乗客は当たり前のように列車の窓から車外に捨てていたのである。ゴミだけではない、客車のトイレで大便小便をすればそれはそのままレールの上に落とされていた。駅に停車中にトイレを利用するのは控えていたものである。新幹線でさえそうである。沿線住民が飛び散る糞尿~黄害に対して賠償を求め裁判を起こしたのは60年代末のことだ。海も川も空気も誰のものでもない、汚してもだれも苦情を言わない、。。そういう時代に起こった事件である。

チッソ(日本窒素工業~日窒)の製品である肥料は戦後、日本の農業を支えた。窒素の市場占有率は5割に近かった。私の実家も農業をしていたが、農閑期、倉庫には大量の窒素肥料が積まれ、いまでもそのにおいを私は覚えている。母が田んぼに肥料を撒いた後、牛を使って掘り起こし肥料を土に混ぜ込むのだ。狭い農地で労働生産性を上げるには窒素の作る肥料は農家にとって必須であった。肥料を海外産に頼れば値段は倍以上に跳ね上がる。福島原発で発生する電力が関東住民・企業に使われていたと同じく、窒素肥料は日本中の農家を助けた。肥料の元になるアセトアルデヒドの生産に日窒が触媒として水銀を使用し始めたのは30年代のことである。戦後はプラスチックの原料を生産し日本の高度成長を支え、ひところの松下、ソニーに匹敵する優良企業となった。

1953年、不知火海で取れた魚を食べていた水俣市住民に異常な症状が発生した。運動障害~手足の麻痺、言語障害、視野狭窄、知能障害などの神経系異常が見つかったのである。

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Minamata & Fukushima: Compared  インタビューと論文

http://vimeo.com/41970534

http://www.japanfocus.org/-Timothy_S_-George/3715

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