SSブログ

Long Good-Bye 浅川マキ [diary]

                              110225_0946~02.jpg
先週のNHK BS週間ブックレビューは面白かった。
http://www.nhk.or.jp/book/review/index.html
910号 【BS2】2011年02月19日(土)   
おすすめの一冊
ドストエフスキー 【山城むつみ】
話の終わり 【リディア・デイヴィス 著 岸本佐知子 訳】
ロング・グッドバイ 浅川マキの世界 【浅川マキ・他】
特 集 西村賢太 「苦役列車」を語る
 

レビュアは 辻原登, くぼたのぞみ, 巻上公一。
司会は、藤沢周, 守本奈実。

巻上公一(歌手。番組で彼が最近取り組んでいるホーメイを披露した)が勧めた、浅川マキを追悼するエッセイ集「ロンググッドバイ」。図書館にリクエストしておいた。

去年亡くなった浅川マキへの香典代わりに1月に発売された追悼版ベストcd二枚組、Long Good Bye を買った。2枚目の最後に収録されているInterrudeを聴いて一驚。この曲を収録した1998年発売のアルバム『闇のなかに置き去りにして』をアマゾンで試聴し、即座に注文(発売元ではすでに品切れ、マーケットプレースに)。翌朝届いた。水曜日から昨日まで繰り返し繰り返し聴いた。音の背後に一人の個性がたしかに存在する。このアルバムが浅川マキのラストアルバムのようである。自由で、過激で、一音一音が深いのだ。歌の解体=始まり、に立ち会ったような気分である。何度聴いても飽きることがない。停止するのではないか?とおもわれるような、メロディレス、詩の朗読に伴奏を付けただけといっていいトラックもある。このアルバムについてはどの曲も、他の誰もカバー出来ないだろう。曲はオリジナルだけではなく昔の曲(70年頃の)のセルフカバーも入っているようだ。 歌い手稼業を30年送った後の独白、とでもゆうべきこのアルバムを浴びるほど聴いた後、追悼アルバムLong Good-byeにたち戻れば、昔の曲に新たな光線が差し込むのを覚える。

 
収録された「別離」、「閉ざす」、「無題」。。アカペラによる語り。浅川マキは詩人である。天馬空を駆けるが如き、自由の境地に遊んでいる。instrumentalによるINTERRUDEで閉じられる構成は完ぺきである。アルバムを閉じるこの短い曲が今となっては弔鐘として聞こえる。

 

110225_0949~01.jpg

浅川マキにとって不幸なのはその誕生を、寺山修司がプロデュースしたことではないだろうか。

追悼アルバムのタイトル=Long Good byeは寺山がマキに歌わせようとした曲名であり、最初、マキは歌うことを拒否した。(が、一時的にステージで歌うことはあったらしい)。東芝EMIはこの曲のCD収録を拒否した。差別的言辞が寺山の歌詞にあるようだ。

追悼CDにプロデューサー・寺本幸司が文章を寄せている(Long Good-bye to MAKI):

「浅川マキのはじまりとおわりにつき合った。
 1968年12月13,14、15と三日間、新宿アンダーグラウンド・シアター「蠍(さそり)座」で、寺山修司構成演出で、浅川マキ公園をやった。毎夜10時開演というライブで、かなりの冒険で心配だった。でも、蓋を開けたら、ドアが閉まらないほどの連日満員で、成功した公演となった。初日の13日の後半、いわくつきの「ロンググッドバイ」をマキが歌い終わったとき、最後列の暗がりで立っている寺山修司と眼があって、ふたりして頷いた。いま「浅川マキ」という歌手が生まれた、と思った」


商売人たちはなにを見ているのか?音か?マーケットか?

才能ある歌謡曲歌詞&短歌、俳句の作者寺山修司は乞われれば一日何十曲でも、何句でもマーケットに向けてひり続けたろう。

ブックレビューに登場した大衆小説作家・辻原登は追悼文集『ロンググッドバイ』から印象に残った箇所として、浅川マキのエッセイを紹介した。つぎのような内容である。

「 。。寺山さんがいま言った。あの女の子(浅川)はぼく最初見たとき本も読んでいるし映画のことも知っている、と、そう思ったんだけど、ね。そんな風に見えるでしょ、でもホントは何にも知らないのよね。それから、この子はなんだろう、と、僕は不思議でね。もし男が女に捨てられて、仕事もうまくいかない、どこに行くところがなくなって、ポケットに10円玉ひとつ、そのとき、あの子のアパートに電話する、そうするとドアを開けてくれる、最後に思い出す女、そんな女のような気がだんだんしてきた。。」

(そして、寺山の死後)

「わたしにはその言葉が残った。いま彼の背後に広がっている薄闇の中からまたその声が聞こえてくる。

いやよ。
わたしはそんな女じゃない。」

さらに続く:


<『かもめ』の歌詞引用>

(注)かもめ、は私の感情をすべて捨てて歌った。そんなこと知りませんよ、と放り投げて歌うとき詩は生き物のように一人歩きする。寺山修司の言葉が勝手に客席に突き刺さっていく」



わたしが女であれば、寺山がそのように自分を表現したとすれば、「いやよ」、じゃなく、

バーカ、

と応じたろう。観客席にいたとしたら、寺山の歌詞を舞台に向かって投げ返したろう。浅川マキはおバカたちに鷹揚である。


ブックレビューに登場した詩人・翻訳家くぼたのぞみ(私と同じ団塊世代か)は70年前後、浅川マキのライブにもでかけたらしい。だがレコードは買わなかったし、すぐに浅川マキから遠ざかった、という。この本『ロンググッドバイ』を読んで、いま、その理由が分かった、と。「(当時の)浅川マキ(と、いうより正確には商売人達が、である)は、マーケットを向きすぎていた、それをわたし=くぼたのぞみ、は敬遠した。。」。

マーケッターたちによって誕生させられた歌手は幸福なんだろうか?



週間ブックレビューには、芥川賞作家西村賢太も登場した。愛すべき青年である。
文春3月号も買って(近藤誠、の癌記事を読むために買った)受賞作『苦役列車』を読んだ。父母は離散、日雇い労働に身をやつす青年のお話。このひとに社会はなく身の回りの周囲3メートル。。のことしか書いていない。
中卒だが苦労して文字を身につけた。文章はなめらか、知らない単語熟語も混じる。猛烈に本を読んだらしい。危険はない。安心して読める。その分、詰まらない。

この作品の最後は。。

「最早誰も相手にせず、また誰からも相手にされず、その頃知った私小説作家、藤澤清造の作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった」

読者をして脱力させる、不要の一文である(わたしはもともとバック責めが得意、この小説も最後を先に読んだ)。この小説は著者の二十歳前後の事実を書いているようだが、当時の著者の思考と、現在(40歳前後?)の著者の思考との区別が読者にはつかないのではないだろうか?仕事がなく、預金はゼロであっても、このひとがアキバ事件のような事件を起こす可能性はゼロ、である。 藤澤清造をコピーにとって読み続ける青年が一日中自慰行為にふけるのは悪いことではない。

西村賢太は芥川賞賞金(100万円)で、彼自身の単独企画による念願の藤澤清造全集を刊行出来そうだ、と喜んでいる。ご同慶のイタリだ。

朝吹真理子『きことわ』は詰まらなかった。『流跡』だけで満腹。20年後に、再会しマセウね、生きておれば。Long Good Bye.
110225_0946~01.jpg
(写真はいずれもジャケットから)

 

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。