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大相撲八百長   本気で禁止する気があるのか [Sports]

●○ 
NHKスペシャル「八百長はなぜ起きたのか~揺れる“国技”大相撲~」
放送日 :2011年 2月 9日(水)
放送時間 :午後10:00~午後10:50

番組HP:
http://www.nhk.or.jp/special/
力士の携帯電話のメールから発覚した大相撲の八百長問題。日本相撲協会の存立を揺るがす事態に発展している。有識者の提言を交え“国技”大相撲はどうあるべきか考える。
##
野球賭博事件に際して警察が押収した力士の携帯電話のメールから発覚した14人の力士による"八百長疑惑"。既に3人が八百長を認めるなど"国技"・大相撲の存立をも揺るがす事態に発展している。若手力士の暴行死事件、幕内力士の大麻所持による解雇問題、野球賭博事件・・・。不祥事が繰り返されるたびに"再生"を誓っていたはずの日本相撲協会は、この問題とどのように向き合おうとしているのか。そして、私たちは大相撲に何を求めていくのか。
番組では「八百長」問題の最新動向とともに、八百長が引き起こされる構造的な課題を歴史的経緯にまでさかのぼって丁寧に検証していく。そして有識者の提言を交えながら、大相撲はどうあるべきなのか考えていく。
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以前、女子競艇選手の日常生活を記録した民間番組を観た記憶があったので検索した。この番組で知ったのだが、競技の開始一週間前から選手と外部、選手同士の接触が厳しく監視されていた。競技当日まで競艇場宿舎にて隔離状態に置かれるのである。

2チャンネルからこういう情報がヒット。2009年の話だ。http://unkar.org/r/mnewsplus/1232758865
携帯電話持ち込んだ郷原に出場停止6カ月

日本モーターボート競走会は22日、褒賞懲戒審議会を行い、郷原章平(27=福岡)を
6カ月の出場停止(23日から7月22日まで)にすると発表。これは昨年12月28日、
郷原が芦屋競艇場の宿舎内に携帯電話を持ち込み選手管理規程に違反。その事象に
関して重い処分が下された。そのため、3月17日から出場が予定されていた。。


この事件とその処分に関しては、
「郷原の携帯電話持ち込み処分、次の事件を誘発する可能性が高い」
http://domdom.cocolog-nifty.com/kyotei/2009/02/post-b477.html
という意見もあるが、それは、次の段階の話だろう。(大相撲の現状とはレベルが違う)


競艇の場合、券を買った客の払戻金に直結するのでファンの監視も厳しい。八百長は命取りになる。

大相撲は考え方が甘すぎるのである。星取、で給与がガラリ、と変わるがファンの実入りがどうこうなるわけでもない、という甘え。

八百長防止策として、以下を提案する。

●○ 競艇選手のようにケータイの使用禁止を少なくとも、取り組み発表後は、義務づけること(場所中は当然のこと)。しかも、薬物検査と同じように、予告無しに、ケータイ(および預金通帳)の提出を命じる。勝手に機種変更や廃棄は認めない。つまり、部屋=協会がケータイを管理し、力士に貸与するという方式にする。個人の所有を認めない。(パソも所有を認めない)。 場所中は部屋と競技場以外の外出を認めないこと(対戦がありうる他の部屋の力士との接触を禁じる。親方もこれに従う)。対戦がありうる力士同士の接触はもちろん、通話もメールも禁じる、ということである。当然のことじゃないか?

●○ さらに、取り組みの事前発表をおこなわない。当日の午前中、東西のいずれかのみを発表し、全員国技館控え室に入場したあとで取り組みを発表すること。

今回の場合、案の定、調査を行うと発表した後で、ケータイの廃棄、破壊、機種変更をおこなう力士が続出したようだ。なぜ、調査をする、という発表前に、強制的に没収しなかったのか。

廃棄、逸失、機種変更を行った力士は、それをいつ行ったかを聴取、同時に、ケータイ会社に調査要請し、結果を報道機関に公表すべきである。

調査に応じない力士と、部屋の親方は懲戒免職である。

ケータイやパソ(電子メール)で八百長連絡を禁じたり、他の部屋の力士との接触を禁じるのは、基本的人権の侵害である、などと抜かす力士には、即刻、解雇通告。




NHKスペシャル。
司会者(NHK職員)も、討論出席者も甘いことばっかりゆうている。アカンわ。

NHK番組への出席者。
コラムニスト…天野祐吉, 慶応義塾大学教授…中島隆信, 【司会】鎌田靖

天野:
八百長システムは、いま、今回初めてできたワケじゃないでしょ?昔からあったのを引き継いだだけでしょ?

中島:
<ガチンコ>、という言葉が存在すること自体、八百長が日常的に存在することを証明している。

これは、番組の中で聞いた、数少ないまともな発言である。

天野祐吉がめずらしくまともなことを述べている。現在の、まるで協会から注射されているんじゃないか、と疑いたくなるへなちょこ座長(伊藤某)を解任して、特別調査委員会・座長を天野にやってもらおうか?あるいは拘束中の元特捜検事=マエダ、に依頼するか(データ改竄、あり)。

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滴水

おおむね、いつも意見が同一方向の小生ですが、この八百長騒ぎについては、かなり違います。
携帯での連絡やら星の売り買い・・・今回明らかになったことは「八百長」そのままだと思います。
しかし、もともと相撲の世界には世間一般からは「八百長」と呼ばれそうな「慣習」があったのだと思います。
江戸時代興行化した相撲の世間的地位は必ずしも高くなかったし、力士たちの生活も一部の人気力士の贔屓筋からの援助無しには成り立たなかった。一種の河原もの。だから「一門」の仲間による相互扶助の気持ちは強かったのではないかと思います。
かつては一門別総当たり制で、同門の力士が取り組むことはなかったわけです。いまも部屋別総当たりで、個人別総当たりにすべきという声は出ても実現しません。たぶん、同じちゃんこの鍋をつつく仲間の意識が、いざ本割りでの対戦となると邪魔をしかねないという懸念があるからではないかと思います。
昨夜のNHKの番組でも「人情相撲」についての紹介がありましたが、良い悪いは別として、部屋制度(力士養成制度)の基本はそういうメンタリティーに支えられているのではないかなと思います。
それが、外部の我々は「八百長、やってるじゃないか」と言い、大相撲協会関係者は「八百長はない」と言う違いに現れる。あえて言えば、「まさか、携帯メールなどで打ち合わせて、カネをやったり取ったりしているとは思わなかった」、そんなところではないかと。
伊藤ナントカさんや、昨夜出演していた、天野さん、中島さんなどの歯切れがいまひとつ悪いのは、相撲通ならば、そのあたりのことは百も承知、「給金相撲、ありゃ、あわせたね。でも、なかなか見せた一番だったよ」と語り合う、それくらいの目を自慢してナンボなんだが・・・などという気持ちがどこかにあるせいではないかと想像します。
悲劇は二つあるのではないかと思います。
ひとつは「伝統芸」の要素と「格闘技というスポーツ」の要素、大相撲協会関係者がそこを「自覚的」に整理することができないこと。
もうひとつは人々の発想に「黒白」をつけずにはおれない、いささか異常な「潔癖さ」が蔓延していること。
同じようなことを2/6の日記に書きました。お暇があれば、読みに来てください。
by 滴水 (2011-02-10 16:30) 

古井戸

滴水さんへ。

現代が、公営の人情相撲を許さない時代になった。 それだけのことでしょう。もちろん八百長有り(プロレス方式)を認める観客が多数ならどうぞおやりなさい、というしかない。

わたしは、だから、プロレス方式、八百長有り、です、と公表して自主興行すればいいとおもいます。老若男女をとわずプロレスファンは多い。大相撲もそうでしょう。税金も国庫にシッカリし払う。さすれば、総理大臣からマコトの感謝状が何枚もいただける。

大相撲、を、『人情相撲』と改称したほうがよい。NHKも放映しない。

プロ野球も、人情野球にすれば、また別のタノシミも、記録も生まれましょう。年間、夢の200本塁打、打率7割。投手なら一年に60勝、とか、100セーブなど鉄腕が何人も誕生。

好みの問題ですね。

いずれにせよ、新聞一面のトップ記事とか、NHKの定時ニュースで報道するほどの大事じゃない、と思います。プロレスと同様に、スポーツではなく、娯楽興業としてニュースからも外すのがよい。(除:東スポ)
by 古井戸 (2011-02-10 19:28) 

古井戸

上記コメントを書いた後、滴水さんの日記を読みました。

> 相撲協会は「新公益法人」という鼻先のニンジンを目標として形を整えようとするだろうが、ツルンとしたスポーツ競技団体になるのか、伝統文化の枠組みの中で神事の残滓を尊重する興行団体になるのか、しっかり選択した方がいい。二兎を追う形では、また別の問題が噴出し、何も残せないままに消えてなくなることもあり得るのだから。

この結論に異議はありません。とすると、やはり滴水さんの意見自体が二股に分裂しているのではないでしょうか。どっちを支持するのか態度を決めなければ。

朝青龍に対するマスゴミの非難に滴水さんは納得していないようだが。。勝負には強いが、礼儀がなっていない!。。という非難はオカシイ!とお考えのようですが、勝負と、礼儀はリッパに両立します。朝青龍は関取として欠陥がある、というのはわたしはそのとおりと考えている。相撲道はタンに勝ち負けだけではない。剣道(フェンシングでなく)は世界的に流行していますが、剣道団体はオリンピック種目にすることには断固反対しています。オリンピック種目にすれば柔道と同じく、精神性の備わった型、としての側面が全く損なわれた奇形が生ずるだけ、という判断。

相撲を歌舞伎と同じように型の文化、といっても、二つは大きく違います。相撲は相手を倒す、格闘技の側面がおおきい。勝つことを放棄しては格闘技とは云えない。剣道、柔道、から将棋、囲碁においてもおなじ。伝統、という言葉を安易につかってはならない。雷電為右衛門が現在の大相撲の姿を見たら絶句するでしょう。

ところで、。。八百長相撲あり、と雑誌記事に何度も書かれ、協会とくだんの力士が出版社と著者を名誉毀損で訴え、裁判では勝利し、慰謝料をふんだくっていたようだが、この裁判はやり直すべきではないでしょうか。



表紙に載っていた、与謝野鉄幹のうた。あれは何なのでしょうか。 誠之助に対する揶揄? おのれの無力に対する嘲笑?
by 古井戸 (2011-02-10 21:23) 

滴水

まあ、大相撲ファンではないので、これから協会がどうしようと、小生に格別の「願い」はありません。

> わたしは、だから、プロレス方式、八百長有り、です、と公表して自主興行すればいいとおもいます。老若男女をとわずプロレスファンは多い。大相撲もそうでしょう。税金も国庫にシッカリし払う。

または、格闘技としての側面を強調して、おっしゃるような「国際柔道」の道を歩むか。
小生はどちらでもいいです。

ただ、相撲がどんな風になってゆくのかに「興味」はあります。ある意味では「この国の形」の変わりゆく姿の一つのパターンになりそうですから。どちらに落ち着くのかに意見はないけれど、どのような経緯を辿るのかには関心があります。

> いずれにせよ、新聞一面のトップ記事とか、NHKの定時ニュースで報道するほどの大事じゃない、と思います。

まったく同感です。携帯を提出したのしないの、預金通帳を出させるの出させないの、・・・、それを天下の一大事のように伝えるのは「床屋談義」をものごとの解決基準にするようなものです。もっとも、最近は「ニュース」が娯楽になっていますから、それもまたよしとすべきなのかもしれませんが。

それでも「床屋談義」を続けるならば、そもそも、相撲を「国技」と言い、「伝統」を伝えるものだからと「公益法人」として優遇をすることが「自覚的」に決められたことかどうか。優しい言葉を使えば人々の「合意」があるのか、猛々しい言葉を使えば「根性」が入っているのかどうか、そこを問い直さなければいけない。
「伝統」と言ったときに、その中にはみんなが「良いね」・「素晴しいね」というものだけではなく、「醜い」ものも、「汚い」ものも、・・・明るいものから暗いものまで全部入っているはずで、それを整序したら「七日目にして混沌死す」ということになりかねないのだということが理解されているのかな・・・と思うわけです。

蛇足。

今回の騒動で、ちょっと不思議なのは、三段目の力士が、関取衆の八百長に関与していること。「談合」の調整は、ふつう、あるていどの「権威」が必要なのではないか・・・とすると、彼はトカゲの尻尾なのではないか。もし、トカゲの頭が協会内にはいなくて、頭は外部。つまり、問題は八百長なのではなく、相撲賭博のようなものが絡んでいるのではないか。
根拠のない邪推ですが、騒動の発端は野球賭博関係で押収した携帯にあったメールについて警視庁が「通報」したのは、相撲賭博についていろいろ捜査をしたが警視庁としては手詰まりになり「瓢箪から駒」・「なにか出たら儲けもの」と考え、最後の策として文科相に垂れ込んだ・・・とか。そこまでゆけば、これはもう「伝統」の枠には入りませんが。

それとも、これから相撲協会が「外部有識者」を招くとき、「警察関係者も入れろよ」という「謎かけ」だったりして。もちろん「根拠のない邪推」です。

§

与謝野鉄幹のあまりうまくもない詩。己の無力に対する嘲笑でしょう。世に言う「大逆事件」(大逆事件は他にもあります)が及ぼした影響はメガトン級だったようです。
別ページに書いたように、鉄幹はこの年パリへ旅立っています。

口をひらけば嫉みあり/筆を握れば譏りあり
友を諌めて泣かせても/猶ゆくべきや絞首台

「人を恋ふる歌」のこの一節が、事件前に既に書かれていたのか、それとも、後に付け加えられたのか、ご存じないですか?
by 滴水 (2011-02-11 10:46) 

古井戸

私は格闘技、としての大相撲は好きです。格闘技としては他のあらゆる種目より、厳しいし、(刃物や飛び道具を用いなければ)大相撲が最強でしょう。数秒で決着します。それに、あの様式美。

指導者が悪いのだと思いますよ。商業化=利権化しすぎている。

剣道や弓道がなぜ素晴らしいか、見るものを惹き付けるか、といえば競技者の精神性が要求されるからであり、指導者が要求しているから。これを教えようとしない、教える資格のないカネモーケ主義者が牛耳っている現在の大相撲は解散してもいい。プロ、としては成立しないのなら潰すべきです。アマチュアの相撲のほうがよほど面白い(わたしが通った小学校には戦時中の名残か、グランドの真ん中片に、屋根付きの相撲場がありました)。つぶれても、いつの日か、再建されますよ。 相撲道、は、現在の相撲協会の独占物では断じて、ないのだ。ましてや、文科省があれこれ説教垂れるのは噴飯物。



友を諌めて泣かせても/猶ゆくべきや絞首台

この歌は知らなかったです。大逆事件との係わりが飛び抜けて強いのは啄木でしょうね。啄木は友人の弁護士(大逆事件の)を介して、幸徳秋水の弁明書を借覧、筆写しています(全集に載っている)。何千枚もある判決文も読んだ。






by 古井戸 (2011-02-11 11:23) 

古井戸

>ちょっと不思議なのは、三段目の力士が、関取衆の八百長に関与していること。「談合」の調整は、ふつう、あるていどの「権威」が必要なのではないか・・・とすると、彼はトカゲの尻尾なのではないか。。

私の邪推によれば、三段目、であっても年齢は幕内力士クラスだったのじゃないでしょうか。十両以下、の幕下には、実力的に劣り、将来性のない力士がゴロゴロしている、といいます。そも、何で警察は一斉にケータイを押収しなかったのだろうか?怪しい、というウワサを聞きつけ、任意で、あるいは、協会の了承を取り付けて押収したのか?この経緯が不明。

序の口、序二段。。幕下、それに十両は、1~2年経っても昇進できないようならクビ、にすべきですね。将棋と同じように実力のないものはどんどん落とさないと。


ぁ、なんだか興奮してきた。
外で、雪の中、四股を踏んでこよう。
by 古井戸 (2011-02-11 13:03) 

滴水

もともとの「お題」からは外れますが・・・。
啄木に幸徳秋水獄中陳述書を貸し出したのは平出修。その平出に弁護を依頼したのが与謝野鉄幹です。
啄木は筆写した「陳弁書」を、勤める朝日新聞の上司杉村楚人冠に貸し、杉村は漱石の友人でもあったので、彼を介して漱石も幸徳陳弁書を読んでいた可能性があるのではないかとする説もあるようです。
事件の前に書かれた漱石の「それから」には杉村が幸徳につけられた警察の過剰警備ぶりを嗤った記事を借用したものがあり、両人にはそれなりの関心があったことからの説だったと記憶します。
まあ、余談もいいところですが・・・。
by 滴水 (2011-02-12 20:21) 

古井戸

弁護士平出は啄木の友人でもありますね。
幸徳秋水の担当弁護士は平出ではなく、花井卓蔵。幸徳が花井に送った陳弁書を平出を介して借用したのではないでしょうか。1911年1月4~5日にかけて啄木が筆写した、と年譜には書いてあります。

高橋源一郎『明治文学史』は、次のように推測。
<明治43年に書かれた石川啄木の評論「時代閉塞の状況」は未発表になったが、当時朝日新聞の社員だった啄木にこの評論を依頼したのは、当時の文芸欄の責任者の夏目漱石だったと推測される。ところがその年の8、9月に漱石が体調を崩し、その後啄木が結核に倒れ未発表のままうやむやになってしまった。大逆事件直後の状況で漱石はそんなものを新聞に載せられないと判断し内々に処理したのではないか>

啄木が匿名で書いた別の評論「所謂今度の事」は弓削田という編集主任がボツにした。。と年表にはあります。

軍人・森林太郎(鴎外)は大逆事件を批判していますね。
by 古井戸 (2011-02-12 22:04) 

古井戸

『啄木と秋瑾―啄木歌誕生の真実』 内田弘著 社会評論社 2010/11

マルクス経済学者内田弘による啄木論。啄木が秋瑾(中国の女性革命家。詩人。刑死した)を読んでいた、というのだ。
経済学者が書評をしている。文学研究者による書評が見あたらんよ。

『啄木と秋瑾―啄木歌誕生の真実』 内田弘著 社会評論社 2010/11
歌集『一握の砂』刊行100周年。石川啄木研究の画期を拓く。斬首された中国女性革命家・秋瑾の衝撃。啄木歌誕生の「知られざる真実」を究明。

《目次》
第一部
啄木と秋瑾

第一章
啄木歌に潜む秋瑾

第二章
啄木は秋瑾を知っていた

第三章
平出修も秋瑾を知っていた

第四章
啄木評論「空中書」の「剣花」とは誰か

第五章
啄木・平出修の秋瑾悼歌

第六章
韻字詠歌史を踏襲する啄木歌

第七章
啄木は秋瑾詩「有懐」の韻字を踏む

第二部
秋瑾詩を詠い次ぐ啄木

第八章
「秋瑾衝撃」と秋瑾詩「劍歌」

第九章
啄木「無題詩」と秋瑾詩「寶刀歌」

第一〇章
啄木歌と秋瑾詩「劍歌」・「寶刀歌」

第一一章
啄木歌に潜む秋瑾・陳天華

第一二章
秋瑾詩「泛東海歌」と啄木「東海歌」

第一三章
東海歌誕生の背景

第一四章
短歌革命に旋回する啄木

第三部
啄木の同時代像と文学

第一五章
啄木歌集「小春日」と秋瑾詩「男装」

第一六章
啄木「日記歌」と「赤旗事件」

第一七章
秋瑾の時代、清朝末期の中国

第一八章
産業革命の時論家・石川啄木

第一九章
産業革命から第二次市民革命へ

第二〇章
「石破集」から『一握の砂』へ 

第二一章
啄木の「資本時間」意識

第二二章
革命歌から生活歌へ



「啄木・秋瑾略年表」
「啄木歌索引」
「参考文献」


内田弘
1939年群馬県生まれ。専修大学名誉教授。横浜国立大学経済学部卒業。在学中、長洲(一二)ゼミナールおよび演劇研究部に所属。
[主要著作]『資本論と現代』(三一書房、1971年)、『経済学批判要綱の研究』(新評論、1983年)、『中期マルクスの経済学批判』(有斐閣、1985年)、Marx’s Grundrisse and Hegel’s Logic, Routledge, 1988、『自由時間』(有斐閣、1993年)、『三木清-個性者の構想力-』(御茶の水書房、2004年)。
[編著]『三木清エッセンス』(こぶし書房、2000年)、Marx for the 21st Century, Routledge, 2006,『三木清 東亜協同体論集』(こぶし書房、2007年)。



書評と著者からの応答:

http://chikyuza.net/n/archives/5868
書評:内田弘の快著『啄木と秋瑾』の印象的評
2011年 1月 17日評論・紹介・意見 岩田昌征
<岩田昌征(いわたまさゆき):千葉大学名誉教授>


http://chikyuza.net/n/archives/6078
エッセイ:見よ君を屠る日は来ぬ…… 内田弘『啄木と秋瑾』を元日に読了す
2011年 1月 27日評論・紹介・意見 書評津田道夫
<津田道夫(つだみちお):作家・評論家>
http://tomonikk.exblog.jp/m2011-02-01/


http://chikyuza.net/n/archives/6113
津田道夫さんの拙著『啄木と秋瑾』の書評を読んで
2011年 1月 30日評論・紹介・意見 内田弘津田道夫
<内田弘(うちだひろし):専修大学名誉教授>

##

秋瑾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%91%BE

by 古井戸 (2011-02-25 19:53) 

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