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『語りおくこと いくつか』  加藤周一 [Book_review]

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昨日明け方、夢に加藤周一老師が出てきた。
老師の夢を見たのは初めてである。
前の晩に加藤の新刊講演集を読みながら、昨年末NHK TVで見た入院直前の老師の姿、鬼気迫る末期の相が頭に浮かんだ、それで夢にも出てきたんだろうか。にこりともせぬ暗い顔だった。実際にはこの眼で老師の姿を拝んだことは一度もない。夢では、車座になって(と言っても聴衆は一切いないんだが。。)加藤がしゃべっていた。わたくしはなんだか事務局みたいな役割で。。加藤センセ、どーぞイッパイ、と、ヘリクだってお酌したり。


昨日図書館で借りたのは次の新刊講演集二冊:

加藤周一『語りおくこといくつか』加藤周一講演集第4巻 2009/7
加藤周一『戦後を語る』 同、別巻 2009/6

(両方ともかもがわ出版)

80年後半から死ぬまでの講演を集めている。

『戦後を語る』
憲法と平和について。重い内容。疲れる。「憲法は押しつけられたか」を特にシッカリと読んだ。若干の異議がある(別に論じたい。加藤は米国が押し付けたのは、政府に対してであって国民に対してではない、と言っている。同じことだ。国民が総意で民主的に<明治憲法存続>を選択することが占領下でありえたか、を考えればわかる。米国の自己都合にしかすぎない。現在の北朝鮮のような体制もゆるさず、さりとて完全に民意で国を動かしてもらっても困る。。という底意があった。すなわち、現在の天皇制民主主義=植民地状況は必然であった。米軍のアジア人=People観念がいかなるものかは、日本各地への無差別攻撃、マニラ、戦後の朝鮮、ベトナム、アフガン、イラク。。への一般市民に対する無差別攻撃で露骨に示されたではないか)。

加藤は「東京裁判」についてどこかで発言しているんだろうか?

『語りおくこといくつか』
これはとくに戦争平和以外の芸術、文学の話題。丸山真男についての講演がおもしろかった。とくに丸山の『闇斎学と闇斎学派』について、など。この有名な丸山の論文は、丸山が東大をヤメテ70年代に書いたのだが、68年の全共闘闘争の影響が色こく残っている、と加藤は言う。左翼運動の正統性=連合赤軍などにも加藤は言及していないが絡んでくるだろう(内ゲバの論理。闇斎派内の闘争と処罰、破門はまさに内ゲバ、である)。思想の<正統性>と、血の正統性(中国の皇帝、日本の万世一系など)を丸山は分けて論じている。前者はオーソドクシ、O-正統性、後者は、レジティマシ、L-正統性。マクス・ウェーバー学派、丸山真男である。

この丸山論文は岩波の日本思想大系『山崎闇斎学派』の巻末解説、全70頁の力作である。わからないところも多々あるが今日昼、再読した。(岩波の思想大系本、いまアマゾンマーケットプレースから数百円~1000円前後で入手可能。タダ同然である)。

丸山が、<歴史の古層>=通時的、を改めて、音楽の<通奏低音>=共時的、と言い直した理由が明確にわかった。

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丸山論文の<むすび>を引用する。日本思想大系31、663~664頁。

「わが国における儒学移入の淵源の古さにもかかわらず、また日本近世の程朱学の複数的な源流にもかかわらず、程朱学を理論と実践にわたる世界観として一個一身に体認しようとした最初の学派は闇斎学派であった。それは崎門派が自認したことだけではなくて、同じ儒学内の正面からの敵手であった古文辞派からも 「(中略) ・・」 というフェアな評価も出されていた。稲葉黙斎は「吾党ノ学ハ、ハヅミガヌケルト役ニ立タヌ。ハヅミ斗リデ持テヲル。林家ナドハ、学者の事(ワザ)ガナル故、ハヅミガナクソテモ儒者モ通ラレルガ、吾党ノハ事ニモカマワズ故、惟ハヅミ斗リデ持テオル」といって、「吾党ノ学」をいみじくも「ハヅミ」という形容で特徴づけている。かしこにおいて崎門の「絶交」が林家の「阿世」と対比されたように、ここでも「ハヅミ」は林家の事(ワザ)、つまりタレント性と対比されているわけである。「ハヅミ」はたしかに崎門の俊傑たちを、それぞれの仕方で「行き過ぎ」させる動力でもあった。けれども、この行き過ぎによって闇斎学派は、日本において「異国の道」 --- 厳密にいえば海外に発生した全体的な世界観 -- に身を賭けるところに胎まれる思想的な諸問題を、はからずも先駆的に提示したのではなかったか。そこに闇斎学派の光栄と、そうして悲惨があった。」

加藤周一は、この論文は丸山における68年がなければ生まれなかったろう、という。68~69年の学派ならぬ<敗者たち>に一瞬でも<光栄>は訪れたか。


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2004年、萩市でおこなわれた対話でつぎのようなやりとりをしている。「宗教をめぐる対話」の冒頭近く。『語りおくこといくつか』p103から。


- ではキリスト教の<神>について

K: カトリックの場合、一つ教会ですから非常にはっきりしていますが、その<神>を信仰しているかと問われれば、私は信仰していません。

- では<神>という存在を概念として認められませんか。

K: ・・・つまり、存在は概念ではないのです。同じではない。<神>の存在を信ずるかといわれれば、カトリックの<神>の概念にしたがって、存在するとは思わない。

- <神>に対する<怖れ>も持っておられませんか。

K: 存在を信じていないのですから<怖れ>もない。もちろん。

(以下略。この対話は加藤の宗教観が明確に述べられていて面白い。全20頁)



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加藤周一著作集月報に、誰かが書いていた。
日頃からジーパンを愛用する加藤を外国の空港ロビーで見掛けた、と。
手に大きな紙袋をもって飄然と歩く壮年時代の加藤。


小熊英二 『1968 若者たちの叛乱とその背景』
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-09-10
加藤周一の洗礼と『日本人の死生観』
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-06-26

加藤周一 1968年を語る   “言葉と戦車”ふたたび
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-15
追悼 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-14
生と死 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-08-24

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