SSブログ

なぜ広島に原爆が投下されたか、を問うことに意味があるか [戦争・原爆]

080806_1036~02きのこぐも.JPG

なぜ広島か、と問うのはあまり意味がない。どこかの都市には必ず投下される運命にあった。(キューマ防衛大臣が言った、原爆はショーがなかった、というのは一面の真理だ。キューマ発言を非難するひとはよく、オノレに非難の意味をつきつめたほうがよい。キューマのマチガイはソ連が進攻する前に投下するのはやむを得なかった。。という後知恵しかも、日本を現在も苦しめている米軍基地化、政治的属国化を<犯罪的>と認識できない売国的思考だからである。しかし、日本が米国の属国になろうと、アジアの人々にとってはどーでもいいことである)。

しかし、ニッポンジンが原爆投下を非難するのは的はずれだ。
韓国や中国東南アジアのひとびとにとってはまことに慶賀する事態でありました。戦争の相手にとっては、新兵器が非人道的かどうかなど二の次です(現在の視点でこれは非人道的だからよくない!と非難するのは後知恵)。

韓国や中国アジアの人々が長年(少なくとも20世紀前半)日本からウケタ苦痛の総量に比べれば原爆の苦痛などものの数にはいらないのだ。

さらに、広島の原爆に限って言えば、広島では当時5万人くらいの韓国、中国からの強制・自発による労働者が被曝した。しかし、広島市民は彼らを合同追悼しようとしなかった。原爆手帖も発行されていない。これだけでも、広島市民(もとより日本政府は非難してもいない)に原爆を非難する資格はないと私は断ずる。

原爆投下の後、10日に日本はポツダム宣言を受託する旨、中立国スイスを介して連合国に通知した。だから、10日の欧米の新聞には
            戦勝
の文字が第一面を飾り、平和ムードにわき返った。しかし、日本では国体(天皇)を以下に維持するかその条件交渉にこだわって、連合国の怒りを買い、無差別爆撃が継続された。小田実のいた大坂が爆撃されたのは14日のことだ。

原爆を非難するのは、現在、日本がアジアに対して行った全行為、さらに、広島で死んだアジア人を追悼したあとのことだ。

わたしの母は原爆の翌々日廣島市内を親戚を捜して歩き回ったが(というのはうそで、原爆ドーム近くに会社があったから探す、のが無駄とたちどころにわかった)、母から、誰彼(日本とか、天皇とか、米国とか。。)を非難するのを聴いたことがない。これは、筋の通った態度だろう。 広島の状況を母に尋ねたがひとこと『地獄じゃったいのぅ』といったきりだ。(しかし、地獄であるのはなにも広島や原爆に特有のことではもちろんない。戦時に特有でもない、平時にも地獄はある。想像力のない人が広島や長崎を語りすぎる)


広島は平和都市を自称している。原爆が落とされれば自動的にその都市は平和都市と呼ばれるのだろうか?平和都市、の呼称には値しないと私は考えている。

何が問題なのか?

非戦闘員たる市民に対する無差別攻撃である。米軍は第二次大戦後半日本に対して無差別攻撃を繰り返し数十万の市民の生命と財産を破壊した。しかしニッポン政府はこれを避難していない、どころか、焼夷弾による無差別爆撃、原爆、その後ベトナム攻撃を指揮した米国のルメイを表彰している。市民に対する無差別爆撃を世界で最初に行ったのは、重慶、上海を攻撃して日本海軍である。それ以後ドイツの各都市やニッポンの東京大阪名古屋をはじめとするほとんどの都市への無差別爆撃が繰り返された。市民に対する無差別攻撃を容認するのは、民族差別思想である。原爆が落とされた当時、広島や呉で働いていた朝鮮からの強制労働者を広島市民は不思議とも何とも思っていなかった。

広島市民は、おのれのアジアに対する差別思想と長年の差別と虐待に対する天罰として原爆を受けとめ、それを悟った人間として、民族差別をやめるよう世界に訴えるしかない。それが罪滅ぼしの道である。

本日の原爆記念日、小学生男女が述べた誓いの言葉や(総理大臣はもとより)秋葉市長にもこのような言葉は聞かれなかったのは残念である。原爆が落とされた都市に住んでいる、という資格だけで、原爆廃棄を世界に訴えても誰も聴く耳は持つまい。とりわけ、アジアの人々は。原爆投下はアジアの人々には解放の象徴であったという事実を伝えない限り、単なる自己憐憫としか受け取られまい。これを悟らないから彼らが放つメッセージは常に安っぽさを免れない。学校の教育者には猛省を促したい。


わたしは破壊された産業奨励館(通称、原爆ドーム)を保存することに意味を認めない。保存したいなら、その目的は、アジアを苦しめた富国強兵製作への反省の象徴として、その意味を若い人々に忘れさせないために、よりほかあるまい。


原爆慰霊碑に刻まれた言葉『安らかに眠って下さいこの過ちは二度と繰り返しませぬから』。この<過ち>は広島市民の過ちである。これを市民は自覚しているのだろうか。このことを小学生中学生に説明しているか? 別の記事で書いたが、インドのパール判事(東京裁判)は広島を訪れたとき、この碑文をみて怒ったという。原爆を投下した当事国(米国)を非難しないで、なんたる卑屈な文言か、と。 いかにも法学者らしい狭量、低レベルの思考である。
nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 3

真撃

>原爆慰霊碑に刻まれた言葉『安らかに眠って下さいこの過ちは二度と繰り返しませぬから』。この<過ち>は広島市民の過ちである。

本気で云うてんの

広島になぜ原爆が落とされたか
それはまだ空襲されてなっかたからだよ焼け野原の東京に落としても
原爆の効果がわからんやろ結局実験台にされたわけよ広島長崎は

米国の大罪わすれまじ!
by 真撃 (2008-09-27 17:06) 

佐藤

何にも理由がないのに何で広島に原爆を落としたのか、今でもあの戦争に苦しめられている人たちはいっぱいいるのに・・・・悔しい・・
by 佐藤 (2009-01-24 16:18) 

古井戸

>何にも理由がないのに..

理由はさまざまです。
・開発支援した財閥が何が何でも使いたかった。
・ソ連参入までに終戦にしたかった。
                    米国側

いずれにせよ、戦闘継続能力は45年の当初から日本にはなかった。あとは、命をいかに保証してもらうか、以外に天皇の関心がなかった、ということです。原爆と、天皇の命を、交換したのです。    
 
by 古井戸 (2009-02-08 20:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。