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検察による捏造事件 『いったい誰を幸せにする捜査なのですか』草薙厚子   [Book_review]

前の記事、『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会が問いかけたこと を書いた後、順序としては逆だが、近所にある図書館に草薙厚子著『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社、2007/5/21)が所蔵されているのを知り、借り出した。


080518_1504~01.JPG 図書館で借りた


さらに、草薙厚子の新刊『いったい誰を幸せにする捜査なのですか - 検察との50日間闘争』が4月に発行されているのを知り購入した。光文社 2008年4月30日刊。

080519_2347~01.JPG 買った@1700円+税。高すぎ。


『僕はパパを殺すことに決めた』(以後、『僕パパ』と省略する)で驚くのは、供述調書(少年と父親の供述がほとんどを占め、少年の実母や学校教師の供述が加わる)の引用の多さ、である。その内容はほとんど、父親の少年に対する暴力と威嚇的発言、さらに、父親と母(少年の実母と、継母)の供述調書をそのまま引用している。

注:この少年は幼いとき父母が離婚しており、弟妹は継母の子供である。

父は継母にも暴力を振るっている。結婚した当日から暴力を振るうというのだから、通常ではない。いまならドメスティックバイオレンス、で訴えられてもヨイほどのものだろう。この父親は医者であり家系が医学薬学を生業としており、息子も医者になることを期待されていた。小学校低学年の頃から父が厳しく勉強を教えており、サボったり点数が悪いと折檻に近いお仕置きを受けている。殴る蹴る、頭にシャープペンの芯でこづく、など。日常的に父親を恐れておりそれは物理的暴力だけではなく、言語による暴力にも及んだ。「嘘をつくと殺すぞ!」と脅かされていたがこの少年はこれを真に受けていたようである。これが、高校一年のときの事件(自宅への放火、結果兄弟と継母の焼死)につながった。英語の点数が悪かったのだがそのまま伝えると叱られるため嘘をついたのである。嘘がバレルと殺される、その前に殺してしまおう、と父が寝ている自宅の放火を計画した。ところが、当日、父親は病院に泊まっており自宅にはいなかったのだ。少年はこれを知りながら放火に及んだ。。 

16歳の少年が、『殺すぞ』と父親に恫喝された場合それを、本当に殺される、とおもうのか?父親がいないとわかっていながら、何の恨みもない(むしろ庇ってくれている)継母それに弟妹の寝ていることを知っている自宅に、なぜ放火したのか。 これがこの事件の核心である。

わたしはこの書物を読みながら、この少年に感情移入するようつとめた。父親からこれほどの暴力を10年にわたって受け続ければ、通常の感覚で生活できるわけが無かろう。判断力も思考力も通常の少年と、かけ離れてもおかしくないのではないか? 殺すぞ、と父親から脅されれば文字どおり殺されなくても手ひどい暴行を受けるということは予想できる。また、一旦計画して放火を途中でやめられなくても仕方がないのではないか?そもそも放火を計画すること自体、せっぱ詰まっており通常の判断力は失われているのである。

このように考えて私は少年の行動を理解しようとした。ところが、草薙厚子は『僕パ』の終章近くになって、唐突に、 <広汎性発達障害>をこの少年はかかえていた、と言い出す。この症状に掛かっているものは、次のような行動を取る、という。

・言葉を文字どおり受け取る。たとえば、<殺すぞ>といわれればそれを真に受け、殺されるもの、と考える。
・一旦計画すれば、途中で変更できない。上記の例で言えば、父親がいないという予想外の展開になっても追随できず、書記の計画を一本道に遂行するより他の行動が取れない。

しかし、この少年が起こした事件が<広汎性発達障害>に起因するのであればこの本の90%以上を占める父親のドメスチックバイオレンスにあたる行為の延々たる記述は何なのだ?読者にあらぬ<予断>を与える記述は不要ではないか。これでは著者が本書を書いた理由の一つに上げている祖母の「少年の継母が死なねばならぬ本当の理由を知りたい」という願いにも答えていないのではないか。すなわち、放火事件が<広汎性発達障害>であることを訴えたいのなら、前著の大部分は<広汎性発達障害>とは何かの説明に当て、この症状に該当する事件の事例を挙げ、その対策を述べるべきなのである。父親による長期間の家庭内バイオレンスの有無など、事件には関係ない、というのが、<広汎性発達障害>主因説の眼目なのだ。であるのに、『僕パ』で著者は、原因は父親である、と著者の判断を地の文章で何度もくりかえしている。草薙はどこまで広汎性発達障害を理解しているのか、私は疑問におもう(鑑定人である崎浜医師もこの疑念を持ったのだ)。この本が水準以下であるのは、警察の作文をそのまま多量に引用しているからではない。ライターの執筆意図がふらついており、草薙が強弁するに反して、<事件の原因が広汎性発達障害にある>と解釈できる内容になっていないからである(わたしも、それに惑わされた)。

この事件の起こった直後、新聞雑誌の報道は、この家庭と少年に何が起こっていたのか、真実を伝えていなかった、という思いが著者にはあった。しかも、実母と父からは取材を拒否され、継母は亡くなっている。この情況で草薙(および講談社)は、広汎性発達障害の専門家でもあり、偶然、本事件にかんして裁判所から精神鑑定を依頼された崎浜盛三医師にアクセスし、同医師が裁判所から預かっている各種資料のうち供述調書を見せてくれるように同医師に強く依頼した。(この経緯は本記事最後にた講談社が設立した社外調査委員会の報告書を見られたい。本記事の最後にアドレスを掲載)。

わたしは、講談社調査報告書をプリントアウトし精読し、その後、書店で『いったい誰を幸せにする捜査なのですか』を購入した。冒頭書いたように、例によって大げさなタイトルからまた、草薙の言いたい放題を書いているのだろう、と最初に考えた。この本の内容は、昨年9月14日、草薙の自宅、所属事務所、崎浜医師の自宅と勤務先に対し強制捜査が行われこと、およびそれに続く、著者に対して行われた合計19回、二ヶ月に渉る事情聴取で占められる(この間、出版社や医師に対しても事情聴取が並行して行われている)。

ところで。。。草薙厚子が自宅への家宅捜査と19回に及ぶ著者に対する事情聴取の様子を述べた総計270頁に続いて、この本の最後に掲載されている解説と参考資料の18頁:
・解説「なぜ検察は暴走したのか」(清水勉弁護士)と、
・参考資料「供述調書を見せたことは後悔していない」(崎浜医師へのインタビュー)、
を読んで私は一驚、これこそ事件の<真実>であるという感を深くした。これが真実であれば、誰を幸せにする捜査、でもない、そもそも捜査などヤル必要がない、というよりヤッテはならない、この事件は被害者が訴えてもいないのに検察がでっち上げたトンデモ事件なのである。この18頁さえあればこの本全体は不要、というくらいのもんである。

清水勉弁護士は、この書物の元になる原稿を草薙が執筆中、読み続け、助言を行っていたという(清水弁護士がそれ以上この事件にどう係わったのかは不明)。


清水勉弁護士の解説を引用する:

検察による事件の捏造
この本は、突然の家宅捜査に始まる奈良地検=大阪地検(大阪高検)による異常きわまりない捜査を、被疑者(「犯罪者」ではない。犯罪をしたと疑われているだけの人で、それなりに社会生活を営み、家族や仕事がある)として捜査され取り調べを受ける立場に立たされた著者(草薙)の闘いの記録だ。

鹿児島県志布志の選挙違反捜査では、鹿児島地検が鹿児島県警による事件の捏造(というよりは<捏罪>、と表現すべきだろう)に捜査段階から加担していたことが明らかになり、最高検も問題の根深さを認めざるを得なくなったという経緯があるが今回の捜査は奈良県警を最初から蚊帳の外に追いだした形での、大阪高検=大阪地検=奈良地検による<捏罪>である。検察独自の判断による暴走という意味では、志布志湾事件よりも遥かに問題の根は深い

著者はジャーナリストとして自分の体験としての検察捜査の異常ぶりを書いているが、それより遥かに異常な、告訴の異常ぶりについてはあまり説明していない。と言うより、この点は、少年事件や犯罪捜査の実務経験がないとわからないところである。
日本の捜査実務は、刑事裁判官の安易な令状(強制捜査、逮捕・拘留状)交付(警察・検察が申請すれば、ほとんど100%認められているのではないか)によって、日々、被疑者やその家族、仕事、生活に壊滅的打撃を与えている。
だが、これから説明する異常さはこれとは異質の、特別な異常さだ。
私は特別の能力があって、いま、この解説を書いているわけではない。一般的な弁護士よりはいくらか多くの少年事件を手がけてきたという程度の弁護士だ。その程度の弁護士でも今回の捜査の異常ぶりはよくわかることで、この解説を引き受けた。

捜査の異常ぶりは告訴の異常ぶりに端を発している。告訴の異常ぶりとは、具体的に言えば、少年と父親が、崎浜盛三医師、著者(草薙)、「氏名不詳者」の三人を被告訴人として秘密漏示罪で告訴したという事実だ。これは捏造の疑いが強い。
以下説明していくことにする。 p293-294


以上長い引用を行ったが、これ以降、12頁に渉って詳細だが分かり易い捏造の内容が説明されている。全文引用するわけに行かないので箇条書きにする。詳細は、是非本書を手に取って頂きたい。以下は要約である。


1 告訴意志
秘密漏示罪(刑法134条)は親告罪である。つまり、被告者の告訴がなければ検察官は公訴を提起できない。本件の場合、父親と少年が告訴人になっている。しかし、諸事実から判断してこの二人が告訴するなどありえないことなのだ。告訴意志がないのに、告訴状を有効とすれば今回のようにヤメケンが被害者名義を借用した告訴が世の中に溢れ、強制捜査が日常的に行われる社会になる、と清水弁護士は警告を発している。そうならないような仕組みに現在の法律はなっているのだ

2 告訴内容
告訴内容は、崎浜医師が調書を漏洩したといっているが、そもそも、調書の所在がこの二人に解っているわけがないし、調書は同医師だけでなく、捜査機関、家裁、弁護士ももっている。少年と父親が、どうして、崎浜医師が著者・草薙に閲覧させたと解るのか。

3 本の内容を知らずに告訴?
少年院にいる少年と家族は会話内容が制限される。『僕パパ』の記述内容について父と少年がハナシをし(告訴に至る)ことは考えられない。

4 検察と元検察官の<談合>による告訴受理
上記諸々の疑問を解消できる答えが一つだけある。
それは、この告訴が少年と父親から弁護士に持ち込まれたものではなく、告訴代理人である元検察官の弁護士らと奈良地検・大阪地検・大阪高検側が事件にすることを最初から仕組み、便宜上、少年と父親の名義を利用した、という構図だ。


ここから、草薙の書いた文章を引用しよう。25章「ブラックメール」から

この本を書くために取材していると、さらに意外な事実が分かってきた。実はこの事件の刑事告訴の代理人は3人いるのだが、その3人ともヤメ検(検事を辞めた弁護士)だったのだ。「関西のドン」である元検事総長の土肥孝治氏と本田重夫氏、浜田剛志氏である。彼らは共に、大阪高裁から歩いて10分程のところに建つ、いわゆる「ヤメ検ビル」に事務所を構えているということが判明した。p289


検察捜査の引き金になったのは、ある、捏造されたブラックメールである。詳細は省略するが、清水弁護士が言うには。。p303

。。。ブラックメールは全くの捏造だった。。検察は強制捜査を開始して狙いがはずれたことにすぐに気がついたはずだ。検察はそこで捜査からさっさと撤退すべきだった。告訴代理人団を説得して告訴を取り消させるべきだった。それが真っ当な筋というものだ。しかし、法務省をバックに組織的に取り組んできて、すでにマスコミを使って大々的に報道させてしまっているだけに、捜査からの撤退は検察の軽率さと暴走ぶりを社会にアピールすることになってしまう。そんな恥さらしなことは絶対にできない。何としても<形を作る>必要がある。これに利用され犠牲にされたのが崎浜医師である。検察とはなんとも身勝手な組織だ。p303

崎浜医師は、本書の参考資料(インタビュー記事)「供述調書を見せたことは後悔していない」に、簡潔に事件の解釈(広汎性発達障害とはなにか)を示し、おのれの信条を明らかにしている。長めの引用を行うことを赦されたい。

p308
事件を起こした少年は、幼いころから父親に猛勉強を強いられ、成績が悪いときには暴力を振るわれていた。放火の引き金となったのは、テストの点数が悪くて父親に嘘をついたことだ。以前に嘘をついたとき、父親から「今度、嘘をついたら殺すぞ」と言われていた少年は、「殺される前に殺そう」と放火した。ただその日、父親は勤務先に宿泊し、家にはいなかった。
審判では、父親の不在を知りながら、なぜ少年は火を付けたかが争点になった。理由が見つからないからだ。そこで、精神鑑定を求められ、私は少年を特定不能の広汎性発達障害と診断した。

少年が広汎性発達障害であることを考えれば、父親が不在であるにもかかわらず放火した点は容易に理解できる。広汎性発達障害の子供は、一度決めた計画に固執する傾向にある。少年は、継母等を恨んで殺害しようとしたわけでも、継母らを殺すことで父への恨みを晴らそうとしたわけでもない。単に現実に合わせて計画を変更できなかったのだ。

また、周りのことに気が回らないのも、この障害の特徴だ。継母らの生命に危険が及ぶかもしれないことは、放火の際、少年の意識に上らなかった。火を付けて逃げることに集中するあまり、普通の子供なら考える点に思いが至らない。

供述調書を第三者に開示することが罪になるかもしれないとの認識はあったが、きちんと世間に伝えてくれて、それが少年への誤解を解くきっかけになるなら、私は見せるべきだと思った。調書の流出と、少年が誤解されたまま生きていくことを天秤に掛けたときに、少年の人生が良くなる方を選択したいとおもったのだ。

この気持ちは、どんなに説明しても検察には理解してもらえなかった。検察は、調書の流出に重きを置く。少年の人生を重く考えるのは、医師ならではかもしれない。私は、今回の事件を通して、「患者のことを考える」という職業的な意識が染みついていることを再認識させられた。

この一件を私が患者の個人情報を漏示したと勘違いしている人がいるが、そうではない。秘密漏示罪は、医師や弁護士などが職業上知り得た情報を正当な理由なく第三者に漏示することだが、私と少年は医師と患者の関係ではないからだ

また、個人が特定されるような情報の流出によって、少年の更生が妨げられると少年法の観点から私を非難する人もいるが、「殺意をもって三人もの人間を殺した」と思われ続ける方が、よほど少年の更生を妨げるのではないだろうか。

出版された書籍が少年の障害への理解を助ける内容になっていない点は、非常に残念だ。同書の誤った情報やそこから生じる誤解は、正していく必要があると感じている。しかし、私が逮捕されたことやこうして話していることも含め、情報を出したことが、皮肉にも少年の事件への理解を深めるきっかけになっている。少年のこれからの人生を思ってやったことなので、供述調書を見せたことを私は後悔していない


ネットでブログ記事を検索すると、崎浜医師に対する、漏示への誤解が非常に多いので敢えて、長文を引用した。これを読んでも、誤解があるならそれはもはや人間観、価値観の相違と言うしかない。書き写しながら、いったい、崎浜医師というひとはどういうひとなのだろうか、という気が何度もしてきた。著者や出版社に恨み言のひとこともいわず、少年の将来のことだけを心配しているのである。清水勉弁護士とともに、これぞプロフェッショナル、といいたい。検事らとは人間の品格が違う。私は感動した。


清水弁護士は崎浜弁護士とは会ったことはないが、「崎浜医師は私と同じようなことを考えている」と述べ、p306

少年はモンスターではない。自分の行為(放火)で家族を死なせてしまったことに違いないが、殺人者(故意に人を殺したもの)ではない。危険な人物でもない。彼を断片的な情報で得体の知れない殺人鬼にしてはいけない。彼がふつうの社会生活ができるようになるために、彼も周りの人も彼の病気についてちゃんと知らなければならない。それには『僕パパ』では足りない。「正しくしていく必要がある」。崎浜医師の真意は著者は責任をもってちゃんと書け、書かないなら私がやる、ということだ。

崎浜医師は刑事被告人になりながら、ただひとりで少年(の人格と人生)に真正面から真剣に向き合っている。崎浜医師のこの言葉を検察は受けとめなかった。さて、裁判所、マスコミ、社会はどう受けとめるのだろうか。」

。。と問うている。


この二人の声を草薙厚子はどのように聞くのだろうか?草薙の「検察との50日間闘争」は終わったが、崎浜医師の公判はやっと4月に始まったばかりであり、この先どういう展開になるのか予断は許さない。NFとしての 『僕パパ』の出来に、草薙はまだ自信をもっているのだろうか?私見では、草薙が広汎性発達障害を事件の主因として読者に訴えようとするならば、この障害に関する説明を大幅に増やし、この事件だけでなくこの症例が該当する事件を多く取材により取り上げるべきであったのだ。専門家と討論すれば、警察の書いた供述調書を多量に引用せずとも、新聞の半ページのスペースがあれば、より分かり易く書ける内容であるはずだ。

しかし、おのれの事情聴取の経緯を描いた『いったい誰を幸せにする捜査なのですか』は面白かった。ある朝突然自宅に検察が現れて行われる証拠物件の押収とはどのように行われたか、事情聴取はどのように進行したのか、が臨場感をもって描かれている。さらに事情聴取における検事の態度や行動、言動(脅しや泣き落とし)。取り調べに当たった検事のレベルがあまりに低いこと、検察の作戦が稚拙であって、草薙も余裕で対応できたからだろうが、検事の生態をオモしろおかしく描いている。さらに、この本では、讀賣新聞や朝日、それにNHKが検察の誤ったリーク情報を平気で流し、虚報とわかったあとでも謝罪しない、という最悪の報道機関であることを曝露しているのはいまさらながら有用であった(読売に情報をリークし続けている検事の名前を草薙が調べて教えたときの、担当検事の慌てブリが可笑しい。結局、草薙厚子は当然ながら不起訴となったのだが、草薙があまりに担当検事をいじめたから、担当検事が人格破壊を起こしてしまった、と担当検事の上司から泣きが入った、というのはもっと可笑しい。人道に反することをやれば検事だって人格破壊する)。

不思議なのは、前記事で引用した講談社の社外調査委員会が作成した調査報告書である。調査委員会は草薙や出版社、弁護士からも事情聴取をしているはずであり法律専門家も調査委員に加わっているのに、漏示罪がそもそも成立していないのではないか、という疑いをまったく抱いていない。著者のマズイ執筆技術が公権力の介入を招いた、と、介入の責任を著者に押し付けている。清水弁護士が指摘するように、そもそも、漏示罪に公権力の介入余地はまったくないし、介入は違法なのだ。すなわち、調査委員会委員は法律を解する能力を欠いていた、ということである。この調査報告書で、アッと驚くのは、草薙らの取材過程を詳細に述べていることである(情報源秘匿、というのは常識であるのに、外部調査委員会がそれをバラしてどうするの?)。とくに、あきれ果てるのは、草薙が使用していたICレコーダの記録から、鑑定人との会食場面の会話をそっくりそのまま文字に起こして報告書の内容としていること。どのようなものかを報告書から再録しよう:


###
9月28日の夜、筆者、記者、鑑定人は、前回と同じ割烹料理屋で会った。
筆者はここで、少年の審判が出る時期に合わせて、週刊現代や月刊現代にレポートを書きたいと考えていること、少年の家庭環境や、通常ではなかなか理解しにくい思考・行動のありよう等から広汎性発達障害の問題に焦点を当てたいことなどを語り、鑑定人の手もとにある供述調書を見せてもらえないか、と話を切り出している。
筆者「ある程度、ちょっと見、あれなんですよね。だからそれを、みんなが持っているということで、先生にターゲットを絞られないためにも、私がある程度見たほう、見て、それをどこにも出さないので」
鑑定人「あっ、そう……うーん」
……
記者「先の話になりますけど、本当に原稿の最終チェックまで、先生にしていただいて、危険を回避する方向でやっていきたいんですけども」
……
鑑定人「コピーはダメ(笑)」
筆者「取りにいく、取りにいきます(笑)」
記者「もちろん、コピーはダメよ。その場で見るんやったら構へん、という形が、先生にとっては心理的に負担が少ないのかなと思いますけどね」
鑑定人「コピーしたら、絶対ダメだからね。よう裁判所の人も、電車とかに置き忘れるんですよね」
……
筆者「見せていただければ、私がこうメモして」
鑑定人「調書を見ても、たいして役に立つのかなあと思うけど。あれはもう、書き方も決まっているんでね」
……
(供述調書の信頼性などをめぐっての話のあとで)
筆者「警察って、ほんとにダメ。ダメダメダメ。私は警察なんて、信じてませんから。だから、調書ってのも、全然信用しない。少年犯罪のなんて、みんなそうよ。ろくでもない。うーん、まあ、いい方法で、だから先生のでもあれ、まあ、鑑定でも調書でもいいんですけども、鑑定のなかの調書を入れるのでもいいですけども、なるべく、あの、鑑定した先生のそういう匂いみたいなのを消したい。消したほうが、安全のためにいいと思って」
……
筆者「まあ、だから先生が、この日に来てくださいっていうなら、私、行きます。それでいいですか?」
記者「調書、見られる日ね」
筆者「調書。調書、どうですかね? 先生の家に行くっていう」
記者「どうなんですかね?」
鑑定人「別に全然構わないけど」 11
……
記者「たとえば、先生のご了解を得られるならば、先生がね、労働しているときに見せていただくことは可能でしょうか?」
鑑定人「……(約4秒間の沈黙のあと)ああ、いいよ」
(鑑定人のスケジュールの話がつづく。10月13日が鑑定書の提出日になっていること、その後はあまり長い間、調書を手もとに置いておくことはできないかもしれない、等々の話のあとで)
筆者「13日は、先生が鑑定書、持っていくんでしょ。その前までには、調書は全部見たほうがいい。返すかもしれないし」
###


まったく、再掲するのもアホらしくなるほどの内容だ。録音を公開することを前提としない、取材過程の会食場面のヤリトリとは誰であっても(若干、軽すぎ、という気はするが。。)こんな内容になる。ICレコーダの保持者である草薙が抵抗するのももっともであるし、これをそのまま報告書に掲載する神経がわからない。オドロキあきれ果てた、というほかない。いくら出版社が私的に設立した調査委員会とはいえ、遵守すべき常識というものはあるのではないか?(調査委員会は報告書をとりまとめるに当たり何度か会合を開き、会食も行ったはずである。その会合や会食における会話をICレコーダに記録していたとして、その記録を<笑い声>まで含めて、全て公開できるのか?尋ねてみたい)取材源や取材過程を公開してどうするのか。調査委員会の耄碌ブリがわかろうというものである。公的介入を招いた、と非難しているが、その介入の妥当性を疑いもしていない。調査委員会は検察の回し者なのか?しかし、検察であっても供述書には、こういう私的な会話を引用するのをはばかるのではないか。調査委員会報告書は、調査委員がいかに間抜けであるかを示した書き物を出ないシロモノであった(こんな報告書に異議を挟めない出版社も哀れである)。 

したがって、この調査報告書に対して草薙厚子が提出している異議と、抗議は正当なのである。

「奈良県で起きた医師宅放火殺人事件の加害少年の供述調書を引用したノンフィクション「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)について、「取材源との約束に反した本作りを行ったことは、重大な出版倫理上の瑕疵(かし)がある」と断じた調査委員会(委員長・奥平康弘東大名誉教授)の報告書には「事実誤認がある」として、同書の筆者、草薙厚子さんが21日、東京都内で会見し、調査委に抗議する申し入れ書を送ったことを明らかにした。
 草薙さんは「(調書のコピーをしないなど取材源との)約束は事実でない。報告書は乱暴な作りだと思う」と指摘。申し入れ書では、事実認定に使われた草薙さんのICレコーダーの会話記録は無断使用であり、本人への事実確認もなかったとして、謝罪や訂正を求めている。」
調書引用本 筆者が調査委に抗議 http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20080422021.html

供述調書の引用にはケチを付け、検察介入の違法性は疑おうともしないが、私人のICレコーダの無断使用や内容曝露は平気で行う、調査委員会とは何なのか?検察の回し者、といわれてもしようがあるまい。


草薙が本書p215で述べているが、毎日新聞論説委員牧太郎氏の、「調書は社会的共有の情報ではないのか」という視点も重要である。多量の丸ごと引用はともかく、<漏示>を構成するには要件をヨリ高く設定すべきであろう。

もし、『僕パパ』が出版されず、崎浜医師(鑑定人)の意見が全く考慮されず、検察・警察の意見のみが採用されたらどうなるか。さらに、このような検察による捏造裁判がまかり通ったらどのような世の中になるか。というより、現在のシステムはドップリと検察のヤリホーダイシステムになっているのであり、そこに風穴を開けようとしたものは葬られてきた、と解釈すべきだろう。これは調査委員会が一顧だにしていないことである。

草薙厚子は清水弁護士の【解説】を読んだのであろうか?読んでいるにしては、この書名『いったい誰を幸せにする捜査なのですか』は、いかにも間が抜けている。事件の発端たる告訴自体が成立していない、と弁護士はいっているのだから、そもそも、捜査などあり得ないのだ(違法にきまっている)。いったいあなた達(検察)は人間ですか、と問うべきだろう。


ところで、今、父親(医者)はどうしているのだろうか?弁護士に相談し、捏造された告訴(傑作なことに少年と連名で。。)をサッサと取り下げるよう措置しないとあとで、検察とともに大恥をかくことになる。それよりまえに、裁判所は告訴を独自に調査した上、崎浜医師に対する公判を即刻中止すべきであろう。 検察とグルになっている、と思われたくなければ。


追記:
本書を読んでどうしても納得できないことがある。第17回の事情聴取で、草薙が供述調書を撮影したDVDを自主的に担当検事に提出したことだ。しかもこれは講談社側がつけた草薙への弁護士が、同意したのである。(出版社利益を代表する弁護士とは別にライターは独自の弁護士を用意する必要がある、と言うことだ)検察として今回の草薙に対する強制捜査の結果「金銭の授受や情が絡んでの事件性はない」という判断をせざるを得なくなった、しかし、検察として強制捜査の結果、重要な証拠物?、すなわち供述調書の入ったDVDは押収したということにしなければ格好が付かぬ、これが入手できれば、崎浜医師の拘留期間延長が阻止できる、という検察の取引に応じたのだ。 草薙は「私はどこか釈然としなかった。講談社は所有権を放棄するという考えだったため、私の所有物として、判断しなければならなかったのである。したがってこれは本当の強制押収ではない。こちらから自発的に渡したというのが真実だ」と書いているp246。このDVDは講談社が安全のため、別の保管場所に移していたものだ。これを易々と、あろうことか、こちらから自主的に検察に渡すとはどういうことか。これで「50日間闘争」といえるのか?しかも、崎浜医師の拘留期間延長阻止を理由にあげたのでは、崎浜医師こそいい迷惑である。どこまで迷惑を掛け続けたら気が済むのか。(講談社=弁護士と、検察の間に、草薙の知らないところで、別の取引があったのではないか、と疑わせる)


参考:
講談社は社外委員会を設けて客観的な調査を行い、その成果物である調査報告(4月8日付)を、講談社の見解と共に同社HPに発表している。以下のページからダウンロードできる。
http://www.kodansha.co.jp/emergency2/index3.html

調査委員会の構成はつぎのとおり。
奥平康弘(委員長)     東京大学名誉教授
清水英夫(委員長代行)  法学博士 青山学院大学名誉教授
吉岡 忍            作家
升味佐江子         弁護士
山田健太           専修大学准教授




追記:5/18/2009
『講談社から皆様へ   崎濱盛三医師への判決にあたっての見解』
という一文を2009年4月15日付けで 講談社がHPに掲載したのを知った。
http://www.kodansha.co.jp/emergency2/index4.html

引用:
本日、奈良地裁から崎濱盛三医師に対して、きわめて不当な判決が下されました。
 まず、この判決は崎濱医師および弁護団の正当な論証をあえて退け、検察側の主張を単に追認しただけの理不尽なものであり、強く抗議します。あわせて、弊社刊『僕はパパを殺すことに決めた』(草薙厚子氏著)に関連して、いわれのない罪に問われた崎濱医師に心よりお詫び申し上げます。今後とも崎濱医師にはできうる限りの支援を続けてまいります。
 弊社は、本来あってはならない報道に対する公権力の介入を引き起こしてしまった社会的責任を重く受けとめています。その反省のもと、今後も萎縮することなく真摯に出版活動を行い、社会に貢献してゆく所存です。
(以下略)




関連記事:
暗黒裁判の国、日本。 『公認会計士vs特捜検察』 細野祐二著
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-12-09
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コメント 4

ダイバーD:5

こんばんは。初めまして
私のブログにトラックバックありがとうございます。
この記事の件は検察の暴走であることは間違いないのですがマスコミも弱腰でこれではこれからの警察への抑止になりません。
鹿児島の件もふくめて権力を持つ者がすべて悪とは言いませんが時に暴走をするものだとおもいます。
私も再度こちらにリンクはらせていただきました。より多くのかたに関心をもってもらうためとご理解いただければ幸いです。

by ダイバーD:5 (2008-05-20 21:24) 

古井戸

ペンクラブは抗議声明を出しましたね。
ペンクラブは強力な弁護団を常時抱えておくべきだと思います。
個別ライターはいつ、こういう目にあうかわからないから、常設の組織と契約を締結しておき、企画・原稿作成段階から助言を得る必要がありますね。。すでに存在するのかもわからないが。

出版社の法務部門にお任せはマズイ、ということがわかりますね。

リンク、どうぞどうぞ。



by 古井戸 (2008-05-21 10:14) 

tama

こんばんは。はじめまして。

コメントありがとうございます。

この事件は事件そのものもショッキングなものでしたが、この一連のゴタゴタでも注目をあびてしまいました。それが少年に悪影響を及ぼさないとよいのですが。

最近の大きなニュースになるような事件では、検察は「誰をたたくと効果的か?」ということのみで動いているように見えました。


こちらの本もぜひ読んでみます。
by tama (2008-05-31 21:37) 

古井戸

tamaさん
わたしは、講談社の『報告書』や草なぎ厚子『僕パパ』を読んで、著者のアセリのようなものを感じ、てっきり父親~真の原因、と考えていましたが。。この本を読んで、一驚しました。

草薙厚子は、自分の2ヶ月の事情聴取体験を書くのもよいが、最後に判明した検察の捏造部分を取材の上(清水弁護士の解説の内容を)、裏付けて、長ったらしいしかもミスリーディングなタイトルじゃなく、『検察の捏造事件』として出版すべきだったのです。
by 古井戸 (2008-06-01 06:32) 

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