SSブログ

死刑制度 & 偽装請負 [Ethics]

今朝の朝日新聞、文化欄。森巣博(作家、豪州在住)が

        『市民参加の死刑執行を』

と題する記事を書いている。 モリスは死刑反対論者らしい。

先頃の鳩山法相発言(死刑執行が自動的に進方法はないのか、。。と述べた)に触れて つぎのように述べている:

『。。ならば鳩山氏は自動的に進める方法などを思案せず、法相が自らの手で死刑確定者を処刑すべきではなかろうか。冗談をいっているつもりはない。ここが死刑制度存廃の議論にかかわる結節点だ、と私は考えるからである』

 『現行の死刑制度により更なる不正義が派生する。拘置所の刑務官によって「死刑という名の殺人」が代行されている点である。 「8割の世論」の支持で死刑制度が存置しているのであれば、刑務官たちに殺人の代行をしてもらわずに、市民自らの手で処刑すべきだとわたしは考える。日本国民の義務とするのがよろしかろう。「自動的に進める」のではなく、選挙人名簿から3人ほど無作為抽出して、市民自らが死刑確定者を「殺人」する。これがフェアというものだ。  

 法律ある故に成立する「法廷犯罪」とは異なり、「殺人」とは法律で規制されていなくてもやってはいけない「自然犯罪」に属する事項だ。徴税などのような、公務員に負託できる業務ではなかろう。にもかかわらず現行の制度では、殺したい人を誰か他の者に殺させて、市民は涼しい顔をしていれば済む』

モリス(森巣博)の死刑反対論と私の反対論の理由は異なるが上記の、死刑執行を代行させて済ませるのには、わたしも反対する。 法務大臣は死刑に立ち会うべきであるし、すくなくとも、死刑を宣した裁判官は死刑に立ち会うのを義務とすべきである。裁判員制度が実施されるのであれば、国民から選ばれた裁判員は、その判決によって死刑を処せられる現場に立ち会うべきである。 フシギなのは『死刑廃止論』を書いて死刑に反対している元最高裁判所判事(刑法の専門家)団藤重光も、死刑はどういう具合になされるかを著書にかいているものの、死刑に立ち会ったことはないらしいことである。しかも、刑場の仕組み(死刑囚が絶命するまで経緯)は書いているもののこれは裁判官が必須として学ばねばならぬことでもないらしいことである。ということは、法曹は司法修習生として養成されている期間、一度も死刑執行場所を見学していないと言うことか?こういう人間が、検察なって死刑を要求したり、裁判官となって死刑を宣したり、あるいは死刑を求刑された者を弁護できるのだろうか? 国民に仕える公務員として、専門家たる法曹として、基礎訓練ができていない、というべきである。


                                        

 

なお、私も死刑反対であるが、その根拠は団藤が著書で(p145、死刑廃止論、第五版)言及している、科学哲学者カール・ポッパーの(死刑反対理由を述べた団藤宛の書簡で)述べた理由で尽きている。すなわち、ポッパー:『人間の可謬性(human fallibility)こそが死刑廃止論の決定的な理由だというのが自分の見解である』。

この記事の冒頭:

『2ヶ月ほど前の8月23日午前、竹沢一二三さん、岩本義雄さん(以上東京拘置所)、瀬川光三さん(名古屋拘置所)の死刑確定者3人がまとめて処刑された』

死刑確定者を「さん付け」で呼称する森巣博に、わたしは深く共感する。この記事を死刑確定者家族・親戚の人々がもし読んでいたら幾ばくか慰められたであろう。文章には書く人の人間観が現れる。

 

##

偽造請負問題。

朝日新聞社編集『偽装請負』(朝日新書)を図書館で借りた。今年7月刊行。

 キヤノンと松下電器の巧妙な偽装請負に関して調査した記事を編集したもの。

書評:

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070718/130096/

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/05/post_c49a.html

http://abe.jp-j.com/?eid=557743

キヤノン御手洗と松下電器社長(現会長)中村邦夫が対談した本を同じ朝日新書でちょうど去年の今頃出しているのだからお笑いである。 『強いニッポン』!

http://www.creage.ne.jp/app/BookDetail?isbn=4022731028

 

風間直樹・著「雇用融解」が面白そうだ。図書館に予約した。 http://blog.livedoor.jp/zatsu_blog/archives/51494426.html

##引用:

 いわゆる「終身雇用」が幻想と化したこの日本で罷り通っている悲惨な労働現場の実情に「週刊東洋経済」の若手記者が地道な取材を通じて迫ったルポです。 特に製造業の国内回帰の象徴として絶賛され、橘木俊詔氏のような「格差」問題の研究者もその「雇用創出効果」を評価するシャープの亀山工場を取り上げた「序章」はおすすめです。 工場による地域住民の雇用を自治体側は期待し、税制などで優遇措置を計ってシャープの工場を誘致したものの、その実は亀山市に定住することの無い派遣・請負労働者が増えるだけ。彼らが住むマンションばかり矢鱈と林立し、街並みも一変。しかも、彼ら派遣・請負労働者の置かれている労働環境は「偽装請負」などの無法行為が日常茶飯事。

##引用終わり

 

 労働とはなにか。人間の労働とは何か?人間はなんのために働くのか?

働く者とその家族の一生のことを考えたこともない企業のトップや、ヤクザ派遣業がもてはやされるニッポンなどに精神的に帰属するつもりは、私は全くない。労働とは高貴な行為であるはずである。極道がマネージするようなものでもない。このような極道のいいなりになって、労働者を守ろうとしない政府は、政府と呼ばれる資格はない。現実に起こっていること、これは他国、よその国、のことである。

 

 『偽装請負』書評ブログから検索:

 http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-821.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_e152.html

 

去年の今頃はホワイトカラーエグゼンプションが話題になっていた、が、以後、この議論はストップしたね。アベとヤナギサワが職をエグゼンプトされたから、議論再開、かな?

 

去年のブログ記事から:

 キヤノン製品を買うな 御手洗経団連会長(キヤノン)が露骨な政治介入 ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代不払い法)

 http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-12-12

 国境越え 美しき國へ

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-12-12-1

『フリーター漂流』 あるいは エンゲルスのこと 

 http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-12


nice!(1)  コメント(12)  トラックバック(2) 

nice! 1

コメント 12

正義の悪漢

最初の写真は、ピントが合っていましたね。
でも、次の偽装請負の本の写真は相変わらずでした。(ごめんなさい。悪気はないんですよ)
森巣博氏は、シドニー在住の、自称職業賭博師ですが、「賭博は絶対に儲からない」という私の持論にかかわらず、賭博だけで二十年以上生計を立てているという不思議な人です。
森巣氏の書いた「無境界の人」(小学館刊)は面白いのでお勧めします。私は、博打は大嫌いなので、彼の書いていることの中で博打に関することは全くお手上げですが、彼の展開する日本人論が、突拍子もないところがあって、通常の学者先生の書く物とは趣が違い、血肉が通っている感じがして、私は、大いに共感を覚えました。
私も、オーストラリアに住んでいるせいでしょうか。
日本人が、日本の小さな飲屋の立ち並ぶ狭い路地を酔っぱらって千鳥足で歩き、声高に仲間内だけでしか通じない日本人論を振り回しているの聞かされて辟易している私などにとって、森巣氏の日本人論は、風通しがよくて面白いと思います。機会があったら、お読み下さい。
by 正義の悪漢 (2007-10-21 22:59) 

nagara

森巣博さんですかぁ。。
ホントなら「さん」じゃなくて、「氏」もしくは「先生」かもしれませんが、死刑確定者にさん付けされることに因みまして、そう呼ばせていただきました。
この方の人となりはよくわからないわけですが、正義の悪漢さんの論法を借りれば、"オーストラリア人が、シドニーの小さなパブの立ち並ぶ狭い路地を酔っぱらって千鳥足で歩き、声高に仲間内だけでしか通じないオージー論を振り回している"ような人なんでしょうねぇ。英語が苦手なボクとしては羨ましい限りです。
by nagara (2007-10-22 19:50) 

正義の悪漢

nagaraさま
わ、面白い!
オーストラリアには、小さなパブが立ち並ぶような場所はないんですよ。大抵のパブは、街の角にある、昔からあるホテルの一階にあります。その理由は、アルコールを客に出すことの出来る卵センスです。ホテルなら、緩い条件で、アルコールを出せますが、普通の料理屋で、アルコールを出すためには、厳しい条件を満たすライセンスが必要です。手洗いが完備しているか、何かがあったときに、逃げ出せる非常口があるか、衛生的にしっかりしいるか、など、実にこまごまとした嫌がらせを満たさなければなりません。(日本のように、どんな小料理屋でもアルコール飲料出すことが出来ないんです。とても、不便です。そのライセンスを取るには、お金が掛かるんだそうで、オーストラリアでは、どんな高級レストランでも、(たとえ、アルコールのライセンスを持ってる店でも)自分で自分の分の酒類を持込むのは、BYO(Bring Your Own)で通ります。
自分の鮭を持込むのは、極めて日常的で、初めてこの国に来たときには、日本人としての私は、こんなことをして店に嫌われるんじゃいかと怯えましたが、これがオーストラリアでは普通のことなんです。私なんかも、最近はちょいといいワインで食事をしたいときには、自分のワインを持っていきます。
そう言うわけで、パブが並ぶ小道なんて、そんな粋な物はオーストラリアにはないんですよ。
私が、オーストラリアに住んでいて、一番、恋しいのは、日本のあの「飲屋横町」です。
それに、オーストラリア人はオージー論なんてする人間はいません。だって、みんな移民の子孫だもの。オージーが、一丸となるのは、先だっての、ラグビーワールドカップ、オリンピックの水泳競技、そう言うものには愛国心が燃え上がるようですが、その選手たちは、移民ですものね。日本のように、日本国の代表が伝統的な日本人なんて事は無いわけです。
でも、サッカーのワールドカップで日本に勝ったときのオーストラリアの新聞は凄かった。一面全部を使って、大騒ぎをした。
オージー論は成り立たないけれど、移民同士が作ったオーストラリアという国に対する愛情は深いようです。
by 正義の悪漢 (2007-10-22 20:26) 

正義の悪漢

上に書いた文章の中、卵センスとあるのは、ライセンスの間違いです。ああ、恥ずかしい。
by 正義の悪漢 (2007-10-22 20:28) 

正義の悪漢

鮭も酒です。
これから、送信する前に、きちんと点検します。ゴメンなさい。
by 正義の悪漢 (2007-10-22 20:30) 

nagara

先のカキコの論調はいささか度が過ぎました。すいません。
ただ、ボク、チケットのみの海外旅行好きなんですけど、オーストラリアにも行ったことありまして、シドニーはロックスというかつての港町にあるパブの2階に泊ったんです。
夜、その辺のバブ街ほっつき歩いてたら、別のパブでは、ギターに合わせて肩を組みながら、ニール・ダイアモンドの名曲"スウィート・キャロライン"の大合唱。「アイツ等、絶対シラフじゃない。」と思ったひとときを体験いたしました。
まぁ、千鳥足オヤジはさすがに見ませんでしたけど、どこの国だってやってる事は同じなんじゃないんですか?ボクにタダで素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた愛すべきオージー達が、どのような考え方を、付加価値として持ち得ているかは、もはや知る由もありませんが。。。
by nagara (2007-10-22 20:34) 

正義の悪漢

森巣博氏の、人となりは良く分かりませんが、「無境界の人」のあとがきに書かれた、経歴によれば、
「1948年日本生まれ。雑誌編集者・記者を経て、75年のロンドンよりカシノ賭博の常打ち賭人をめざす。現在、オーストラリアを本拠地として、世界中の賭場を攻めている。94年度全豪牌九選手権保持者。著書に「賭奕の人間学」(飛鳥新社)など」
だそうです。
氏の日本人論はとても面白いので、氏の激賞する「酒井直樹」氏の、「日本思想という問題」(岩波書店)を購入して読みましたが、私には、難しすぎました。
by 正義の悪漢 (2007-10-22 20:44) 

古井戸

森巣はドストエフスキー並みの賭博小説家だが。。姜尚中などと対論もやっている。

亡くなった歴史家、網野義彦が、『日本とは何か』(講談社、日本の歴史の第0巻)で言及している:

『最近たまたま「国賊作家」を自称する「国際的博打」森巣博氏の「無境界家族」(集英社、2000年)を一気に読みそこできわめて明快に主張されている同氏の「日本人論」批判に、同感するところ多大であった。

森巣氏は「日本国籍所有者という意味以外では、日本人なんてものは、ない」と主張する。(略) 私もまったくその通りと思う。(略)

「そしてもし、日本国籍所有者が日本人であるとするなら『日本人論』『日本文化論』『日本文明論』は成立し得ない」と、つづけて森巣氏は断ずる。
(このあと、江藤淳らの日本人論などを糾弾。。省略)』


わたしも、世が世ならモリスのように賭博作家をやっているところだが。。残念ながら真面目過ぎの性格が災いとなっているのを遺憾とす。



謹告:
なほ、モリス氏は、批評家テッサ・モリスの旦那、ということになっております(本人は了承していないらしいが。。。)。
by 古井戸 (2007-10-23 02:17) 

正義の悪漢

そうだったのか、「無境界の人」の著者名は、Morrisとなっているのに気がつきました。森巣はMorrisのことだったのか。
面白いですね。日本人としての苗字を書かないなんて。
ますます、森巣氏に興味を抱きました。
私が、酒井直樹氏の著書を難しすぎると感じたのは、日本の哲学者連中の使うジャーゴンに溢れていて、私の情感に少しも触れるところがなかったからです。「日本思想という問題」という章立てをしていながら、こちらが泣きたいほど知りたい、日本思想という問題について、ついに腑に落ちることを書いてくれなかったからです。この、岩波版は私の持っている物で第十刷です。
だれが、この本を読み、誰が、気持ち良く納得出来たのでしょうか。私は、哲学者や、いわゆる思想家の使う、翻訳語とその恣意的な組み合わせにより、「お前たち、意味を察せよ」という態度が気にいりません。本当の思想家は、中学生でも分かるような言葉遣いで、大衆を説得するところからはじめるべきだと思います。こんな、ジャーゴンを理解できる人間相手の物を書いても、社会には何の影響も与えません。自己満足だけのものだと思います。
森巣氏は、もっと、自由闊達な人だと思うのに、どうして、酒井直樹などを激賞するのかな。酒井直樹は英語で書いて、それを日本語に翻訳するということですが、英語で読めばもっとわかりやすのでしょうか。
古井戸さん、一度、酒井直樹を呼んで、評論してください。
お願いします。
by 正義の悪漢 (2007-10-23 22:33) 

古井戸

誰を<激賞>するかは個人の勝手、本は無理してまで読む必要はないと思います。わたしは酒井の『日本思想という問題』をもっていますが、パラパラと読んだきり積ん読(翻訳と主体、が副題の本)。恐らく一生読まないでしょう。他に読まなきゃならない本がヤマとあります。『死産される日本語』という本も書いているようですね。死産される。。なんてヘンなニホンゴ。
by 古井戸 (2007-10-24 07:46) 

盛鼠と書いてもモリスと読む

森巣さんのお考え、法相自らの手で死刑を執行する、なるほど。
はたまた、市民自らの手で死刑を執行する、なるほど。
地方都市でやってるような参加型マラソンみたいですね。
全コース走りきる前に、13歩でゴールみたいな・・・

この問題は、いかなる時でも取りただされる問題ですから、
なかなか決着つかないですね。
「本願寺信者だから、ハンコ押さない。」って言ったオヤジもいましたし。

この問題が、誰もが納得する真理を携えて解決される日が来るまでの
折衷案(いわゆる足して2で割った)として、こんなんどうでしょうか。

死刑判決が下った人を独房に入れる→飯抜き→餓死する

よって法相も市民も手を下さずに、死刑執行。
by 盛鼠と書いてもモリスと読む (2007-10-26 18:01) 

dr.stonefly

TBありがとうございました。
お忘れでしょうが、池田晶子の肉体の死、以来ですね。
最近同じテーマで記事を書いてますので、そちらをTB返しさせて頂きます。と、いってもワタシの方はヤケクソなエントリーですが……。
by dr.stonefly (2007-10-30 08:47) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 2

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。