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NHK経営委員:新聞社拳銃自殺事件を礼賛 (毎日新聞) [Ethics]

NHK経営委員:新聞社拳銃自殺事件を礼賛
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 毎日新聞 2014年02月05日 02時30分(最終更新 02月05日 03時35分)

 1993年に抗議先の朝日新聞社で拳銃自殺した右翼団体元幹部について、NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授(67)が昨年10月、この自殺を礼賛する追悼文を発表していたことが分かった。メディアへの暴力による圧力には全く触れず、刑事事件の当事者を擁護したと読める内容で、NHK経営委員の資質を問う声が出ている。...

 自殺した元幹部は新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長(当時58歳)。警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で同氏の自宅などを家宅捜索した。長谷川氏は元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛。野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。

 また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と不信感をつづっている。

 追悼文は昨年10月18日に東京都内の会合で参列者に配布された。政府は同25日、衆参両院に長谷川氏ら4人をNHK経営委員会委員とする同意人事案を提示、11月8日に正式同意されている。

 長谷川氏は毎日新聞の取材に「非常勤のNHK経営委員には自らの思想信条を表現する自由が認められている。自らの仕事として精神思想史の研究を行ったり、民族主義者の追悼文を書いたりすることは、経営委員としての資格とはまったく無関係のこと。経営委員には番組作りに関与する権限はなく、追悼文を書いたからといって意図的な特集番組を放送することはありえない。経営委員は常にルールに従って行動している」としている。

 NHK経営委員の政治的な発言を禁じる規則はない。しかし放送法31条は、同委員の資格として「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めており、議論になりそうだ。

 ◇資質疑う声も

 経営委員会は事業計画や毎年の予算の議決、会長の任命・罷免などを行うNHKの最高意思決定機関。委員12人(任期3年)は衆参両院の同意を得て首相が任命する。委員には政党役員や同一政党に所属する者が5人以上いてはならない。
長谷川氏は昨年11月、作家の百田尚樹氏らとともに選ばれ「安倍カラー人事」と言われた。百田氏は3日、東京都知事選で田母神俊雄候補(無所属)の応援演説に立ち、南京大虐殺はなかったなどと歴史認識に関する持論を展開、波紋を広げた。

 放送法では個別番組の編集などに関与することはできないとされている。ただし経営委員会事務局によると、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられないとしている。

 服部孝章・立教大教授(メディア法)は「長谷川氏は言論機関に拳銃を持ち込み、発射したというテロ行為とみなされる刑事事件を何ら批判せず、むしろ礼賛している。このような人物をNHK経営委員に任命した責任を政府は問われなければならないし、国会は同意した責任を問われなければならない」と指摘した。

 作家の柳田邦男さんは「品格と見識を疑われるような言説だ。経営委員は、不偏不党が求められるNHKのあり方を左右する立場だ。その職に、こうした人物が選ばれることに時代の危機を感じる」と語った。

 ◇長谷川三千子(はせがわ・みちこ)

 1946年生まれ。埼玉大名誉教授、哲学者。「2012年安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の代表幹事。少子化対策として、女性が家庭で育児に専念し、男性が外で働くのが合理的という趣旨のコラムを1月に発表、議論になった。

 ◇野村秋介氏拳銃自殺事件

 右翼団体「大悲会」の野村秋介元会長が、自身の政治団体「風の会」を週刊朝日のイラストで「虱(しらみ)の党」とやゆされたとして抗議。1993年10月20日、朝日新聞東京本社15階応接室で拳銃自殺を図り、死亡した。以後、同年の文芸春秋社長宅発砲事件など言論テロが続いた。

http://mainichi.jp/select/news/20140205k0000m040180000c.html

反・朝日新聞講演。 http://www.youtube.com/watch?v=fWuXKg7CI_8


NHKを公共放送と呼ぶなかれ。 政府広報、と呼べ。 [Ethics]

美奈っち。 キミも一線越えなくては。
 公共放送などNHKの独占物では無い。NHKに
公共放送を名乗る資格はない、政府機関にしかすぎない、と視聴者が判断すればNHKとの契約を解除する自由を与えよ。受信料強制徴収は憲法違反である、と言って美奈。国策放送化を防ぐにはそれしかない(本音のコラム@東京新聞)

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NHK、脱原発論に難色 「都知事選中はやめて」

 中北教授の予定原稿はNHK側に二十九日午後に提出。原稿では「安全確保の対策や保険の費用など、原発再稼働コストの世界的上昇や損害が巨額になること、事前に積み上げるべき廃炉費用が、電力会社の貸借対照表に計上されていないこと」を指摘。「廃炉費用が将来の国民が負担する、見えない大きな費用になる可能性がある」として、「即時脱原発か穏やかに原発依存を減らしていくのか」との費用の選択になると総括している。

 中北教授によると、NHKの担当ディレクターは「絶対にやめてほしい」と言い、中北教授は「趣旨を変えることはできない」などと拒否したという。

 中北教授は外務省を経て研究者となり、第一次安倍政権で「アジア・ゲートウェイ戦略会議」の座長代理を務めた。NHKでは「ビジネス展望」だけでなく、二〇一二年三月二十一日の「視点・論点」(総合テレビ)で「電力料金 引き上げの前に改革を」と論じたこともある。

 中北教授は「特定の立場に立っていない内容だ。NHKの対応が誠実でなく、問題意識が感じられない」として、約二十年間出演してきた「ビジネス展望」をこの日から降板することを明らかにした。

◆詳細は答え控える

<NHK広報局の話> 中北さんに番組に出演していただけなかったのは事実です。詳細は番組制作の過程に関わることなのでお答えを控えます。

<解説>公平公正 裏切る行為

 中北徹東洋大教授のNHK降板問題で、中北教授はNHK側に「都知事選期間中は原発の話はやめてほしい」と迫られたという。再稼働を進める安倍晋三政権の意向をくんで放送内容を変えようとした可能性は否定できない。

 選挙期間中であっても、報道の自由は保障されている。中北教授は予定原稿で「現状では原発稼働がゼロでもアベノミクスが成果を上げている。原発ゼロでも経済成長が実現できることを実証した」「経済学の観点から、巨大事故が起きた際の損害額のリスクをゼロにできるのは、原発を止めることだ」と指摘した。

 NHK側が問題視した中北教授の原稿は、都知事選で特定の候補者を支援する内容でもないし、特定の立場を擁護してもいない。

 NHKの籾井(もみい)勝人新会長は就任会見で「国際放送で日本政府の意向を伝える」としている。原発再稼働を強く打ち出している安倍政権の意向を忖度(そんたく)し、中北教授のコメントは不適切だと判断したとも推測できる。

 原発政策の是非にかかわらず受信料を払って、政府広報ではない公平公正な報道や番組を期待している国民・視聴者の信頼を裏切る行為と言えるのではないか。


敵前逃亡する田母神、細川・小泉、舛添。 [Ethics]

敵前逃亡ってのは 死刑じゃナイのかえ? 田母神!
キンタマついてる?股くらに。よく見てみぃ。

東京都知事選挙公開討論会

本日1/18に予定されておりました公開討論会は、諸般の事情により中止になりました。


 >昨日の時点で4名の方と出演交渉を行っており、田母神 俊雄氏、宇都宮 健児氏の2名からは参加のご承諾を頂いており、細川 護熙氏は欠席、舛添 要一氏とは引き続き交渉を行っておりました。
ところが、参加予定であった田母神 俊雄氏より昨日深夜、急遽不参加のご連絡を受け、交渉中であった舛添 要一氏からも正式に不参加との回答を頂くに至り、参加者が宇都宮氏1名となったため、やむなく本日の開催について中止の判断に至りました。
http://www.tokyo-jc.or.jp/2014/index.php/koukaitouronkai/

知事(というより首相)の貫禄とリーダーシップと見識を備えているのは宇都宮のみである。単に反原発だけでは無い、都民の生活全般を視野に収めた政策を単独で立案し、都民に語りかける能力のある男である。

細川と一本化しろという雑音に対し、正体不明、討論会も逃げまくるような怪しい男に一本化しととは失礼だろう?と断固拒否する宇都宮。http://www.youtube.com/watch?v=qg0E0pvHSus


沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明 [Ethics]

本土の住民もメディアも沖縄の反基地運動を支援していないにもかかわらず、海外の識者が米政府の沖縄政策に反対している。 日本人として恥ずかしいことだ。

大新聞やNHKはこの情報を一行も流さない。恥の上塗りというより、犯罪的行為である。

このプレスリリースはひとえに沖縄市民の闘争心が引き出したものである。多少とも正義感覚が存在する人間ならば、黙っておれないはずなのだ。

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プレス・リリース

世界の識者と文化人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明

私たちは沖縄県内の新基地建設に反対し、平和と尊厳、人権と環境保護のためにたたかう沖縄の人々を支持します。

 私たち署名者一同は、2013年末に安倍晋三首相と仲井真弘多沖縄県知事の間でかわされた、人間と環境を犠牲にして沖縄の軍事植民地状態を深化し拡大させるための取り決めに反対します。安倍首相は経済振興をエサに、軍港をともなう大型の海兵隊航空基地を作るために沖縄北東部の辺野古沿岸を埋め立てる承認を仲井真知事から引き出しました。

 辺野古に基地を作る計画は1960年代からありました。それが1996年に掘り起こされ、前年に起こった少女暴行事件もあり当時沖縄で最高潮に達していた反米軍基地感情を鎮めるために、日米政府は、宜野湾市の真ん中にある普天間基地を閉鎖して、辺野古の新基地にその機能を移転させようと計画しました。辺野古は稀に見る生物多様性を抱え、絶滅の危機にある海洋哺乳動物、ジュゴンが棲息する地域です。

 仲井真知事の埋め立て承認は沖縄県民の民意を反映したものではありません。知事は2010年の知事選直前に、それまでの新基地容認姿勢を変更し、「普天間基地移設は県外に求める」と言って、新基地反対で一貫していた候補を破って当選しました。近年の世論調査では県民の辺野古新基地への反対は7割から9割に上っていました。今回の仲井真知事埋め立て承認直後の世論調査では、沖縄県民の72.4%が知事の決定を「公約違反」と言っています。埋め立て承認は沖縄県民に対する裏切りだったのです。

 在日米軍専用基地面積の73.8%は日本国全体の面積の0.6%しかない沖縄県に置かれ、沖縄本島の18.3%は米軍に占拠されています。普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさ中、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って作りました。終戦後返還されるべきであったのに、戦後70年近く経っても米軍は保持したままです。したがって、返還に条件がつくことは本来的に許されないことなのです。

 今回の合意は長年の沖縄の人々の苦しみを恒久化させることにもつながります。沖縄は、日本による17世紀初の侵略に始まり、19世紀末の日本国への強制併合を経て、1944年には、米軍の襲撃を控え、天皇制を守るための時間稼ぎの要塞とされました。沖縄戦では10万人以上、住民の4分の1にあたる人々が殺されました。戦後、米軍政下において基地はさらに増えました。沖縄は1972年に日本に「返還」されたものの、基地がなくなるとの沖縄住民の希望は打ち砕かれました。そして今日も、沖縄県民は基地の存在によってひき起こされる犯罪、事件、デシベル数の高い航空機の騒音や、環境汚染による被害を受け続けています。戦後ずっと、沖縄の人々は米国独立宣言が糾弾する「権力の濫用や強奪」に苦しめられ続けています。その例として同宣言が指摘する「われわれの議会による同意なしの常備軍の駐留」もあてはまります。

 沖縄の人々は、米国の20世紀における公民権運動に見られたように、軍事植民地状態を終わらせるために非暴力のたたかいを続けてきました。生活を脅かす実弾砲撃訓練に対し演習場に突入して阻止したり、米軍基地のまわりに人間の鎖を作って抵抗を表現したりしました。大規模なデモが時折持たれ、約10万人-人口の10分の1にもあたる人々が参加してきています。80代の人たちが辺野古基地建設を阻止するために立ち上がり、座り込みは何年も続いています。県議会は辺野古基地反対の決議を通し、2013年1月には全41市町村首長が、オスプレイ配備撤回と県内移設基地の建設を断念するよう政府に求める建白書に署名しました。

 私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。

2014年1月

ノーマン・バーンボームジョージタウン大学名誉教授
ハーバート・ビクスニューヨーク州立大ビンガムトン校歴史学・社会学名誉教授
ライナー・ブラウン国際平和ビューロー(IPB)共同代表、国際反核兵器法律家協会(IALANA)事
務局長
ノーム・チョムスキーマサチューセッツ工科大学言語学名誉教授
ジョン・W・ダワーマサチューセッツ工科大学歴史学名誉教授
アレクシス・ダデンコネチカット大学歴史学教授
ダニエル・エルズバーグ核時代平和財団(Nuclear Age Peace Foundation)上級研究員、
元国防総省・国務省職員
ジョン・フェファー政策研究所(IPS)「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」(fpif.org) 共同代表
ブルース・ギャグノン「宇宙への兵器と核エネルギーの配備に反対する地球ネット
コーディネーター
ジョセフ・ガーソン「アメリカン・フレンズ・サービス委員会」平和と経済の安全保障プログラム
部長、政治学・国際安全保障学博士
リチャード・フォークプリンストン大学国際法名誉教授
ノーマ・フィールドシカゴ大学東アジア言語文明学部名誉教授
ケイト・ハドソン核軍縮キャンペーン事務局長
キャサリン・ルッツブラウン大学人類学・国際問題学教授
ナオミ・クライン著述家、ジャーナリスト
ジョイ・コガワ作家、『オバサン』(和訳『失われた祖国』)著者
ピーター・カズニックアメリカン大学歴史学教授
マイレッド・マグワイアノーベル平和賞受賞者
ケビン・マーティン「ピース・アクション」事務局長
ガバン・マコーマックオーストラリア国立大学名誉教授
キョー・マクレア作家、児童文学者
スティーブ・ラブソンブラウン大学名誉教授・米陸軍退役軍人(沖縄・辺野古にて1967-68年駐留)
マーク・セルダンコーネル大学東アジアプログラム上級研究員
オリバー・ストーン映画監督
デイビッド・バインアメリカン大学人類学部准教授
ロイス・ウィルソン世界教会協議会前総会議長
ローレンス・ウィットナーニューヨーク州立大学アルバニー校歴史学名誉教授
アン・ライト元米陸軍大佐、元米国外交官
(苗字のアルファベット順、2014年1月7日現在)


天皇に政府資料をプレゼントしようぜ。 [Ethics]

山本太郎議員。「ベトナムへの原発輸出の件で(政府に)資料を請求したら(ご覧のように)黒塗り。もう秘密保全できている」。海外メディアのフラッシュが光った。 http://tanakaryusaku.jp/2013/11/0008206

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海外で日本の売った原発が事故を起こした場合、その費用はすべて日本国民の税金から支払う約束になっているhttp://matome.naver.jp/odai/2138866162867156301

なに、驚くことは無い。国内の仕組みを海外にそのまま適用しただけである。儲けは俺(企業、議員へのキックバック)のもの、損は国民につけ回し。





原子炉の運転等により生じた原子力損害については、(中略)製造物責任法の規定は、適用しない 。出典原子力損害の賠償に関する法律 第4条3項


日本の法律は、最初から原発の製造物責任を回避できるように作られていた。


国策標語 抜粋 [Ethics]

国策標語 抜粋

すべてを 戦争へ(大政翼賛会・毎日・朝日・読売、昭和17年)
国債は 愛国心の 証明書(日本カレンダー株式会社、昭和17年)
ラジオニュースに手をあはせ(名古屋市銃後奉公会、昭和15年)
... つぎはぎのモンペが留守の田を守り(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)
よい子強い子勇士の子(名古屋市銃後奉公会、昭和15年)

論より働け汗を出せ(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)
礼儀をあつく傷兵まもれ(名古屋市銃後奉公会、昭和15年)
不平言ふまい三度の食事(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年
笑顔で耐えよ 長期戦(日本工業新聞社、昭和15年)
恐れず消すぞ焼夷弾(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)

憎い米英倒すは今だ(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)
節米は毎日出来る御奉公(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年
一億一心皇軍感謝(名古屋市銃後奉公会、昭和15年)
毎朝かかさず神への祈り(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年
勇んで出征 進んで納税(大阪府泉北郡、昭和13年)

決戦だ しかと見直せ 衣食住(神戸市総務局、昭和18年)
新秩序 立つまで脱がず 鉄兜(大阪朝日新聞社、昭和14年)
屠れ米英 われらの敵だ(大政翼賛会、昭和16年)
次々に 牙城を抜いて 本土まで(献納標語・情報局、昭和17年・シンガポール陥落祝賀
撃ちてし 止まむ(陸軍省、昭和18年)

アジヤは一家 日本は柱(日本カレンダー株式会社、昭和17年)
沿へよ国策 殖やせよ家畜(広島県、昭和15年)
大東亜 正義の地図に 塗りかへよ(中央標語研究会、昭和17年)
何のこれしき戦地を思へ(名古屋市銃後奉公会、昭和15年)
遠くの敵より近くのスパイ(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)

翼賛は 身から家から心から(防長新聞社、昭和16年)
目覚めよ婦人も経済戦士(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年
米英を 消して明るい 世界地図(大政翼賛会神戸市支部、昭和18年)
嬉しいな僕の貯金が弾になる(大日本婦人会朝鮮慶北支部・昭和18年)
国が第一 私は第二(日本カレンダー株式会社、昭和16年)

敵は手負ひだ 捨身で来るぞ(大政翼賛会神戸市支部、昭和18年)

(以下略)

なんだか。。。。
自民党改憲案の精神に近いね。


  燃えてきた。


https://twitter.com/KokusakuHyogo

日本国憲法前文 [Ethics]

日本国憲法前文   朗読byカン・サンジュン
http://www.youtube.com/watch?v=OdDJvgxmQEU

前文のひとつひとつの文章が、史上かつて存在する憲法でもっとも優れた文章であろう。日本にまだ戦災の焼け野原が残っているなかで書かれた憲法と、この前文は起草したGHQの法律家やスタッフの意志を超えた世界市民の普遍的理想である。無知で傲慢な保守政権が改訂したいのもよく解ろうというもの。どの文章もかれらにとって理解しがたいだろう。 改訂するにしても、この昭和憲法は記録に残し、改訂に賛成した日本人たちの恥を永久に晒しておくことだ。 自民による改定案をみれば、保守派の頭脳は1945年当時からまった進歩していない、憲法などを日本人が起草するのは数百年早い、という気がする。


前文  

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

## 

小中高校および、役所、官邸、および天皇皇后に、毎朝朗読させよう。 いまこそ声を出して読みたい日本語。 むかしの教育勅語のように。    

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


君が代 [Ethics]

君が代の歌詞は天皇を祝すものだ。戦前戦中戦後の歴史を学んだものは、戦争に天皇有責と考えるものは多く(わたしもそのひとり)、君が代を素直に歌え、しかも強制、というのは無理がある。歌いたい人は歌え、だけで十分。よく、海外では国家とか国王とかを祝うのは自然にやっているではないか!という意見(下に引用するのはその一例)、があるが、まったく日本の歴史を知らぬ人の言うことだ(外国であっても民主革命の直後、国王女王を祝す歌を民衆が歌うか?1945年の日本は革命に類されるのだ)。
私見では、天皇は<米国、宮中派、保守派に押しつけられて>憲法(第一章)に入ってしまった。公式セレモニーで国歌斉唱などを強制される学校が現在、世界の先進国にあるのだろうか? 私のような意見をもつものが教師になると大いに苦しむとおもう。現在小学校~高校で異見をもち苦闘している人に私は同情し共感する。http://www5a.biglobe.ne.jp/~jisso/

そもそも、学校のセレモニ(入学式卒業式)で国歌などを唱う必要はさらさら無い。 天皇を祝すのではなく、日本というくにと人々を祝す歌なら自然に唱う人は多かろう。早急に作成すべきである(1945年に作るべきであった)。

唱いたくなかったらクチパク   イノセ知事
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-30/2013033004_04_1.html


小出裕章 『放射能汚染の現実を超えて』 [Ethics]

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小出裕章 『放射能汚染の現実を超えて』

 

この本は1992年発行された書籍の復刊である。復刊にあたって著者はまえがきをつけている。

 

短いまえがきの中で、福島第一原発の事故に言及した後、次のように言う。

 

「原子炉の心臓部である炉心が大規模に溶け落ちる「メルトダウン」を防いでいるのは、生身の人間たちの苦闘である。そして、この苦闘は今からまだ何ヶ月も続かざるをえない。運良く、その苦闘が実を結んで破局的な事故を防いでいたとしても、破壊された原子炉を始末するには、何十年もの苦闘が待っている」

 

続ける。

 

「本書は1992年に刊行された。主要な内容は旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所の事故と、そこから噴き出してきた放射能に人々がどう立ち向かうべきかを記したものである。今現在、福島原発から噴き出してくる放射能が土地を汚染し、海を汚染し、そして野菜などの食べ物を汚染している。私たちは否が応でもその汚染に向き合わざるを得ない。原子力を推進している国や電力会社は微量な被曝なら安全であるかのように言うが、被曝に安全量はない。誰だって放射能など食べたくない。しかし、消費者が汚染された農産物・海産物を拒否すれば、農業と漁業は崩壊する」

 

「日本には現在54基の原子力発電所がある。それらは「絶対安全」と言われながら、都会を避けて過疎地に立地されてきた。特に都会に住む消費者は原子力発電に向き合うこともないまま安穏な生活を送ってきた。そして、今回の事故である。このような事故は絶対に起こらないとして原子力を推進してきた国と電力会社、原子力産業などには無論大きな責任がある。正確な情報を与えられずにきた消費者は騙されてきたのだと言えないことはない。しかし、騙された者には、騙されたことに対する責任がある。子どもたちは放射線感受性が高いので、汚染された食料を与えてはならない。何よりも子どもたちに原子力を許した責任がない。しかし、私を含めた大人には、責任のない者は一人もいない。農業・漁業を崩壊から守るためには、私たち大人があえて汚染食品を食べるしかないというのが、20年前に本書で私が書いたことである」

 

わたしにとっては全く異論のない主張である。目次を見れば分かるように著者は歴史の現実に材料を探り、チェルノブイリ事故、反原発運動、放射能汚染と環境問題などを論じている。しかし、この本で最も重要なのは第4章である。章のタイトル「放射能汚染の中での反原発」p113~138、であると私は思う。この章で著者は、まえがきの主張をさらに詳細に論じている。この本の唯一章だけを読め、というならこの章である。

 

何点かをとりあげてみる。

 

1 国の規制値にはまったく根拠がない。さらに国が依存しているICRPの規制にも根拠がない

ICRP(国際放射線防護委員会)勧告は、放射線の危険度見積もりの何等の根拠も示していない。もともとICRPは単なる任意団体に過ぎないのに、原子力を推進する世界各国はそれをあたかも国際的な権威であるかのように宣伝し、原子力の推進に都合のよいようにICRPを利用してきたというのが真相である。ゴフマン博士(米国)はICRP勧告値は40倍も危険を過小評価しているといっている。いまこそ、許容量の大幅引き下げが必要なのである。

 

2-1 原発の恩恵を受け入れている国は汚染も受け入れよ

2-2 弱者にしわ寄せされる放射能汚染食料

2-3  国が恐れていることと、(反原発)運動に必要なこと

 

まえがきで著者が述べている「消費者が汚染された農産物・海産物を拒否すれば、農業と漁業は崩壊する」、という主張に対する厳しい批判(反原発運動からの)に対して著者は答えている。その詳細は、P117~126を読んでもらいたい。小出は反原発運動家、ではないし活動家でもない。あとがきで述べているように著書を出すのはわたし(小出)の仕事ではない、そんなヒマがあれば研究に時間を投じたい、という人である。しかし、活動家からの批判に丁寧に応じている。このような例は希である。小出自身の言葉を抜粋しておく。これから小出の発想が伝わるだろうか?

  「現在日本の国が輸入食品の規制という手段を借りて行っていることは、原子力開発がもたらした汚染の真実を隠すという作業である。それに対して反原発諸団体は、国に対して、より厳しい規制値をとって、日本に汚染食品がはいらないようにすることをすすめている。」 

      

「しかし、私にはそうした反原発諸団体の運動が理解できない。なぜなら、日本が輸入拒否して、汚染食料が日本国内に入ってこないことと、汚染食糧がこの世からなくなるということは、当然のことながら等しくないからである。(中略)日本の国に対して、汚染が国内に入らないように規制強化を求めることについては、私はどうしても同意できない。日本が拒否した食糧は、他の誰かが食べさせられるだけだからである。即ちこれまで原子力を利用してこなかった国々、それ故に汚染を検査することすらできない国々、貧しく食糧に事欠いている国々が汚染食糧を負わされるのである。」 

「原子力開発によるデメリットは、誰を措いても原子力を推進している国々こそが連帯して負うべきであって、間違っても原子力を選択していない国々に負わせるべきではない。従って、チェルノブイリ原発事故による汚染は、それが選択可能なものである限り、当のソ連は当然にしても、フランス、日本のような原理力開発に積極的な国々こそが引き受けるべきである」 

      

「放射能で汚れた食べ物を私は食べたくない。日本の子どもたちにも食べさせたくない。しかし、日本という国が少なくとも現在原子力を選択している限り、日本人は自らの目の前に汚染した食料を上らせて、原子力を選択することの意味を十分に考えてみる責任がある」

 

上記の主張に対して活動家からさまざまの批判が寄せられた。上の文章を読めば、「日本が拒否することと、飢餓に苦しむ国々に押しつけられることとは等しくない」等々の反論がよせられた(誰でも考えつくだろう、このような批判は)。しかし、小出の言うように「飢餓に苦しむ国々に押しつけられること」は現実に起こっていることであり、この現実を解決することはほとんど不可能に等しい、という<現実>を小出は知っている。知らないのは、適当に日和ってしまう活動家~一般人、のほうである。「食糧汚染問題を議論した国連化学委員会において、工業文明諸国からの代表が規制値問題を議論していたとき、アフリカ諸国からの代表は自分たちの国では汚染の検査すらもできないと訴えたという。工業文明国の基準が厳しくなればなるほど、逆に汚染をしわ寄せされる国が生じるという厳しい現実が存在している。」なにより、小出の主張しているように原発建設を都会から追放し、過疎地にのみ建設するという現実(ご丁寧に、法律によりその旨を規定)を放置している現実、軍事基地を沖縄のみに集中させておいて、しかも<安保は必要だ>と言う国民の意思が支配しているニッポンは、<活動家>にはどう映じているのだろうか。小出の主張を平たく言えば、東京都、大阪府に原発を建設しろ、本州の都会のそばに軍事基地を建設しろ、という主張である。こうする意外には、原発、と、軍事基地の非人間性を国民の大多数の骨身に沁みさせることはできない、と。反論できるひとがあるだろうか。

 

P126「。。この社会の現実はまさに矛盾だらけなのであって、その矛盾に初めから蓋をしてしまう運動よりは、矛盾を次々に掘り起こして行く運動の方がはるかに価値があると私は思うのである。なぜなら、仮に矛盾が視えないとしても、それは矛盾がないこととは異なるし、新しい矛盾が視えるようになるということは、運動自体の成長であり、次の矛盾を克服する力をも同時に獲得しつつあるだろうからである」

 

40年間も反原発の現実から数々の失望を直接体験した人による、人間理解の到達点である、と、わたしは理解し、小出に賛同する。

 

3-1 この現実を差別と呼ばずになんと呼ぶのか

ひとりあたりのエネルギ消費量を国別にみると、もっとも消費している国とそうでない国の間には千倍の開きがある。

 

3-2 「唯一の被爆国」と呼ぶ誤り

最初に原爆水爆が行われたのは米国であり、被爆者は米軍人。その後も、海洋や大陸での実験を英米仏、中国が行ってきており実験場となった各国住民が被曝し苦しんでいる。

 

3-3  朝鮮人被爆者をいまだに差別し続けている私たち

広島市で3万~5万人、長崎市では1万~2万人の朝鮮人が爆死した(数さえ明確でない)。しかも広島市は慰霊碑で追悼することさえ拒んでいる。今に至るまで、である。ヤンソギル(在日作家)のいうように「原爆に対して抗議する資格が広島にあるのか?」。当然の発言である。

  

      

    

小出裕章は、たまたま、原子力工学を専攻したために、反原発の道を歩むようになった。彼が原発研究以外の道をすすんだとしても、人間とは何かを追求し続け、反差別の道を歩いたろう。その地点から出発する以外に、原発を廃絶する目標にわれわれは到達することはできないだろう。これを予感させる本である。

      

    

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目次
まえがき『放射能汚染の現実を超えて』復刊にあたって

序 人命の尊厳と反原発運動
人類は自ら蒔いた種で、遠からず絶滅する/人類が滅亡しても、地球は新たな生命を育む/反原発の根拠/生き方の中にこそ生命の尊厳はある

I チェルノブイリの死の灰はどこに行ったのか
チェルノブイリ原発の大事故/野菜が汚染された/母乳にまで放射能が/今も続く食品汚染/放出された死の灰/ヨーロッパ・ソ連の汚染の深刻さ/チェルノブイリ周辺の汚染の恐怖/もし九州で事故が起こったら/100万~200万の人がガンに/子供たちに集中する犠牲/有機農業に集中する汚染/工業化で潰されてきた農業/エネルギー浪費社会の末路/人間差別の上にしか成り立たない原発/汚染食品とどう向き合うのか/第三世界の現実/私たち自身が加害者に

II 弱い人たちを踏台にした「幸せ」
放射能で汚れた食べ物/日本が拒否しても汚染は消えない/過酷な現実といわれなき差別/私たち自身が加害者になっている/子供たちの澄んだ瞳

III 放射能汚染の現実を超えて
チェルノブイリ原発事故/ソ連、ヨーロッパの汚染の深刻さ/日本の状況/本当に必要なこと

IV 放射能汚染の中での反原発
はじめに/国の規制値にはまったく根拠がない/安全な被曝量など存在しない/原発の恩恵を受けている国は汚染も受け入れよ/弱者にしわ寄せされる放射能汚染食糧/誰が立証すべきなのか/運動はどういう波及効果を持つか/国が恐れていることと、運動に必要なこと/多元的な運動と根源的な運動/運動の形成と目標/根源的な運動の具体像/この現実を差別と呼ばずに何と呼ぶのか/「唯一の被爆国」と呼ぶ誤り/朝鮮人被爆者をいまだに差別し続けている私たち/排外主義から国際連帯へ/国際連帯に至る日本人としての条件/反原発運動の飛躍のために/どういう人たちの立場に立つのか

V 多様な運動の根源における連帯
存在する無数の課題と連帯の地平/汚染測定の醜さと活路

VI 有機農法玄米のセシウム汚染が教えるもの
はじめに/汚染の強さを決める要因/チェルノブイリ原発事故による日本国内の汚染/玄米のセシウム汚染の主犯は過去の核実験にある/それぞれの玄米からの被曝量/汚染への向き合い方

VII 原子力開発と地球環境問題
原子力開発の看板の変遷/温暖化問題と化石燃料の浪費/日本による略奪的な森林伐採/温暖化問題の本質はエネルギー浪費/エネルギーを浪費しない社会への道/原子力はクリーンでも安全でもない/原発は石油がなければ動かない/おわりにいわれなき犠牲をさけること


偽計業務妨害、とか。  みっともない大学、学長 [Ethics]

夕方のニュース:

京都府警は3日、仙台市の予備校生(19)を京大の入試業務に対する偽計業務妨害容疑で逮捕した。

NHK TVのニュースを見て驚いた。最近のケータイは日本語の文章(画像)を読んで認識し、数秒で画像=>テキスト変換してしまうのだ(私のパソコンの変換機能より進んでいる)。写真撮影ではないから、バシャッ!という撮影音も発生させない。数学で使うプレフィックスやサフィックスその他の記号以外はほぼ正確に文字を認識する。

掲示板に投稿する、ってのはトンマ、というかカワイイ、というか。。(私がカンニングをたくらむのであれば、数人の仲間をあらかじめ見つけておいて、メールで回答を求める。頭のいい奴が仲間にいなければ誤答を掴まされる危険も覚悟しなければならない)。消したメールを復元した、という大相撲八百長の捜査事例を知らなかったのか?


大学側は高い受験料をふんだくりながら、試験場でどのような監視をしていたのか?まずケータイを試験場に持ち込ませているのが驚き。最新のケータイは優秀なカンニングツールなのである。受験に際してはケータイをケータイしてはならない、と高校・予備校・受験生に周知徹底しておくべきなのだ。ケータイを持ち込んだ場合は不正受験としていかなる場合も不合格とする、とすべきなのだ。仮に今回の投稿事件が発生しなくても、大学は試験を実施する準備を怠っていた、として受験生に謝罪すべきなのである。おのれの不始末の責任を、予備校生に転嫁させてはならない(試験会場で試験開始前に、監督者がケータイを回収し、受験番号を付したタグを付けて置けばいいのだ。退出時に返却すればよい。バカ高い受験料を取っているんだからこのくらいの手間と人件費は出費しろ)

大学がまず調査すべきは受験の監督体制である。この受験者を監視していた担当者は眠っていなかったのか?もし真面目に監視していながら、最低10数回はケータイを操作したはずであるのに、見逃した、気がつかなかった、というのであれば、すべての試験会場で類似の行為を意図的(=監督者がカンニング行為に関与した)、非意図的に見逃してきた可能性がある、と、まず疑うべきではないのか(過去に遡って)。

業務妨害、を言う前に、大学ビジネス提供者ならば、「カスタマーサチスファクション 顧客(=受験生)満足度」を最優先すべきじゃないのか?高性能カンニングツールを携帯させて試験、はないだろう。


学内の試験でもカンニングは頻繁に起こっているのだろう?その場合もカンニング学生は大学の「業務妨害」をおこなっているのだ。その学生を偽計業務妨害の現行犯でケーサツに渡しているのか?身内だから恥ずかしい、ナイナイに処分しているのだろう?


学長は、記者会見で今回のカンニング行為をした受験生に対し「更正して欲しい」と述べた。あんたも更正&自立、しんさいね。 むしろ、「君は大学当局の危機管理対応の不備を、身を犠牲にして警告してくれた」、として感謝状を呈してもよいのだ。


己の不始末を恥じることなく、大学が受験生を告訴し、警察は19歳の予備校生を拘束する。これは警察の(ケータイ会社に対する)強制捜査~調査権を濫用した別件逮捕である。昔は殺人事件が学内で発生しようと容易に権力(警察)に頼ろうとはしなかったのが大学。弱体化したものである。オツムが。


判決:
カンニング生にはお説教+喝。学長と大学の試験事務担当部門職員は一年の減給処分と、大喝!とする。

 

3/1~3/3の毎日新聞朝刊一面のトップ見出しは、入試ケータイ投稿、大相撲八百長、入試ケータイ投稿。。である。3/1の朝刊第五面に「天下り規制 骨抜き 審議官級以上101人再就職」という記事が小さく掲載されている。なぜこの記事が一面トップに来ないのだ?そのくせ、当日の夕刊の第二面には、「特集ワイド デモしない若者たち エジプト、リビア、そして--日本は?」を掲載しているのである。

 

政治資金収支報告書:前原外相の後援会、記載内容に誤り

政治家のカンニングと、予備校生のカンニング。一方は連日新聞TVで大騒ぎ。片方は小さな扱い。どちらが重要なのか?

圧巻は、先週のパンダ騒ぎである。NHK夜9時のニュースの冒頭、中国から羽田に到着した貨物機を中継。機内にパンダのいるコンテナを積んでいるらしい。上野動物園に到着したコンテナトラックまで追っかけているのだ。お馬鹿なマスミ達ここに書くのも恥ずかしい

パンダや八百長、カンニングじゃデモでけへんよ。若者にデモさせたきゃ、デモネタを提供してよ、新聞たち。

いつの日か若者がデモを仕掛けるとき、そのターゲットのひとつは報道機関であること、自覚してる?


これは裁判員制度の問題ではない。日本の司法システムに正義はあるか、の問題である [Ethics]

ETV特集「“死刑裁判”の現場~ある検事と死刑囚の44年~
放送日 :2010年 5月30日(日)
放送時間 :午後10:00~午後11:30(90分)
番組HP: http://www.nhk.or.jp/etv21c/

裁判員制度が始まり司法への関心が高まる中、最高検察庁元検事土本武司氏は自ら現場で向き合ってきた「死刑」の現実を今話しておかなければならないと考えるに至った。

裁判員制度が始まり、司法への関心が高まっている。千葉法相は死刑について国民的議論をしたいと述べた。こうしたなか1人の人物が重い口を開こうとしている。最高検察庁元検事、土本武司(75歳)である。土本さんは「国民的議論」のために、これまで自分が司法の現場で向き合ってきた「死刑」の現実について今話しておかなければならないと考えるに至った。番組で土本さんの体験を再検証する。そして死刑に関する思索を深める。
【朗読】加瀬亮, 【語り】濱中博久

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http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

裁判員制度が始まり、司法への関心が高まっている。千葉法相は、死刑に関して国民的議論をしていきたいと述べた。こうした中で元裁判官など司法関係者も発言し始めている。しかし依然として厚いベールに覆われていたのが“検察”であった。その最高位にあった人物が重い口を開こうとしている。最高検察庁元検事、土本武司氏75歳である。
検察は、司法の中で唯一、捜査の初期段階から最終の判決確定まで一貫して現場に立ち、また死刑の執行を指揮する立場にもある。いわば死刑について最もよく知る立場である。土本氏は「国民的議論」のために、これまで自分が司法の現場で向き合ってきた「死刑」の現実について今話しておかなければならないと考えるようになった。
土本氏には、死刑をめぐって生涯忘れられない記憶がある。31歳の時、自ら取り調べた容疑者(犯行当時22歳・一人殺害)に死刑を求刑し、最高裁で確定させた事件である。死刑囚となったその青年と、土本は死刑が執行されるまで手紙を交わしていたのだ。手紙から、変わりゆく死刑囚の心情をくみ取った若き日の土本は、執行を止められないかと上司に恩赦をかけあうが死刑は執行された。「検事」と「人間」―ふたつの人格が心の中でせめぎあう。
土本氏が自らの体験を公にしようと決意した最大の理由は、裁判員制度の開始である。人を裁き、死刑を言い渡す義務を負わされる市民に、死刑の現実は全く知らされていない。これまで、死刑囚のプライバシーを理由に一切の情報が遮断されてきた。死刑についてはこれまで情報が無いために、正面から議論されることもほとんど皆無だった。また議論があっても、それは死刑を知らない机上の議論でったと土本氏は感じている。土本氏は、現場で考え続けてきた自らの思いや、死刑の現実を通して知ったその「重み」を伝えることで、開かれた議論のために一石を投じたいと決意している。
番組は、これまで日本の司法界でどのような議論が行われてきたのかを振り返りながら、その中枢で一人の検事が死刑とどう向き合ってきたかを再検証する。そして死刑に関する思索を深める。


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土本武司が検事なりたて(東京地検、八王子支部)のころに担当した事件を番組では取り上げている。いま、土本はこの死刑判決それに死刑の実施に疑念をもっている。

死刑囚の名前は長谷川武。事件当時22歳。長谷川の家は貧困であった。父は経師屋(襖などを修理する職業)だったが片足がなく、普段から酒を飲んでいた。昭和26年、酔っぱらって都電に轢かれて死んだ。血にまみれた死体を毛布でくるみ、母と武が引き取ったそうである。

武は小学校中学校と目立たない生徒であった。母が地下鉄駅前で新聞を売って子どもたち(二人)を育てた。

武は中学を卒業し(高校には行けなかった)、職を転々としたが、最後につとめたのは近所の小さな板金工場である。社長も仕事ぶりには驚いていた。番組では社長が登場した。優秀な板金工であったそうである。自動車の側面を釘で引っ掻かれたような傷ができても、完璧に新車と同じ状態に直したそうだ。だが事件の1ヶ月前、長谷川武は工場に突然出てこなくなった。事件後社長は裁判で証人として八王子裁判所に出廷。真面目な勤務ぶりを説明して、情状酌量を求めたが、殺人に使ったナイフは工場のものであったため、管理責任を逆に問われた。社長は思い出して涙ぐんだ。
 
事件は41年5月21日昼間、国分寺市で起こった。長谷川武(杉並区高円寺に住む元板金塗装工)が住居に押し入り、主婦(40歳)をナイフで殺害し、2000円とネックレス等を奪ったのである。

八王子地裁は死刑判決を言い渡した。当時の裁判長が番組に登場したが、死刑に反対する弁護側の主張の記憶がまったくない、という。半年の審理であっさり死刑判決が決まった。長谷川には前科はなかった。こういうことも審理過程で議論されたはずである、という。

問題はまともな弁護があったか?である。なかった。貧困のため私設の弁護人をやとえなかったから、国選弁護人をあてがわれたのである。その国選弁護人の娘さんが登場した。長谷川の母親はこの弁護人にとても大きなカステラを届けに現れた。どうぞ息子をよろしく、と。娘さんによると母親は真っ黒だったそうである。精一杯の化粧をしてきたようだ、パーマ屋さんから飛んできた風情であったと。ところが、父親(国選弁護人)は、おれは国選弁護人であってあなたからやとわれているわけではないから、こんなものを受け取れない、と高圧的に追い返した、という。

第一審判決(死刑)は裁判開始から半年で出た。いったいどういう弁護が為されたのだろうか?

最高裁に上告するときの上告趣意書を、被告自らが23枚も書いているが驚くべき内容である。被告に殺意はなかった。たんに脅しでナイフをもって主婦の前に立ったのであるが、抵抗されもみあっているうち、主婦にナイフを取り上げられた、そのあともみあっているうちに刺したのである。その瞬間「しまったあ」と被告はあわてた(と、上申書に書いた)。計画性もない。なぜ、こういう証言を第一審で聴き出さなかったのか?十分な弁護活動が行われなかった、と疑われるべきである。最高裁は憲法判断、手続判断しかおこなわず事実審理はやらないのだからこの上申書も無視されたのだろう(と、土本は言う)。しかしこういう手続、処理でいいのだろうか。事実審理に疑いが残っており、かつ、上級審で事実審理をやらないのであれば下級審に差し戻さなければならない、のである。貧困者に対し、懇切な指示を与える弁護人をつけないでいいのだろうか?ということである。よくはない。貧困者であることを理由に、まともな弁護を受けさせないのは差別であり、憲法に違反している。一審の判決理由がたったの二枚しかないのに驚いた、と土本はいう。(土本は捜査検事として本件を担当し、起訴後の公判は、公判担当検事に預け、裁判には関与しなかった)

八王子裁判所で判決文を書いた泉山裁判官元(現在弁護士)が登場。当時の判決文をいま距離を置いて読んで驚くのは被告に前科がないことである、という。合議では問題にしたはずだが(前科が無くても極刑とであると)という。責任転嫁ではないが、弁護の体制があまりに不備ではなかったか、と。

この国選弁護人(小林さん)は、被告の人柄と罪の内容を聴いて控訴をすすめ、国選弁護人から私設弁護人になり手弁当(報酬無し)で被告を弁護した。あとで、母親に冷たく対応したことを悔いた。小林弁護士への手紙に長谷川は500円札を同封した。独房で仕事をしてためた金である。小林弁護士は長谷川の母からのカステラを、国選弁護人は物品を受け取ることを禁じられている、と受け取らなかったのを悔いていることを、長谷川への手紙に書いた。なけなしの金から息子を思って買ったカステラをなぜ受け取らなかったのか。息子さんを一生懸命弁護しますよ、と声をかけてあげられなかったのか。そして、この500円札はありがたく受け取る、君の好意を無にしないために使うよ、ありがとう。

これは裁判員制度の問題ではなく、裁判システムの問題である。検察の問題でもある。検察とは市民に敵対する者ではもともとない。正義の前で被告の犯罪を明らかにし、法で定められた処分(罰)を裁判所に対して請求するものである。

事実としての罪の特定も不十分であるし、与えた罰も不適当であった。裁判員制度下ではますますその傾向は放置されようが、問題は現状の裁判システムにある。

長谷川武は42年の正月、年賀状を土本に出した。受け取った土本は一瞬、怨嗟をぶつけてきたのか、と思ったがそうではなかった。土本に対し世話を掛けた、という感謝の念を現した賀状であった。土本は半年後、簡単な返事を書いた。以後、死刑の前日まで、何十通も書状が土本に届く。番組で紹介していたが文字はきれいであり、文章も確かである。学校にまともに行っていない永山の初期の文字とは全然違う。


番組では、刑場の仕組みを説明していた。死刑になった事件では請求した検察官は刑場に立ち会うべし、と法律では定められているが現実は立ち会う例は少ない、という。つまり、どうやって国家が被告を殺害しているのか、という現実を眼で見ていないのである。土本はある事件の死刑に立ち会った。刑場の隣室では簡単に仏式の焼香がなされる。土本はこの部屋でまもなく刑死する被告のとなりに立って死刑囚と共に南無阿弥陀仏と称え、焼香した。並んで焼香している死刑囚の袖が、土本の袖に触れる。死刑の直前に隣の立会人席への移動を求められる。刑場とは、茶色のカーテンだけで隔てられている。教戒師の読経がはじまる。数人の看守に取り囲まれ、刑壇に死刑囚が連れてこられ、カーテンの奥に消える。読経の音が一段と大きくなる。空気が最高度に張りつめた、つぎの瞬間、その緊張を破るように凄まじい音が響いた。死刑囚は手錠がかけられており膝の当たりを縛られている。教戒師が死刑囚の胸に付けてやった花の花びらが散った。医務官が宙づりの刑死者の目隠しを取り外し、死の三兆候を確認する。脈拍心音瞳孔。絶息を確認する。

##

長谷川は刑が確定後も、面会に来る母親をなぐさめたりしていた。

長谷川は多くの書状を土本に出した。土本の人柄を文面から感じ取ったのかも知れない。土本が札幌に転勤してからも文通は続いた。

長谷川は拘置所で罪を自覚し、自覚すればするほど苦しくなると、訴える。しかし、自分はきっと立ち直って見せます、と言う。しかし、彼は、死刑が確定しているのだ。



刑務所は、死刑判決を受けた受刑者の心を安定させるため、希望すれば小鳥を飼うことを許していた。 長谷川も文鳥を独房で飼っていた。 文鳥に与太郎と名付け、与太、と呼んでいた。

45年1月、土本に行動を起こさせる(刑場の立ち会い)原因となった手紙が、刑務所にいる長谷川から届いた。刑務所の窓から長谷川は鳥を観察していた。あるとき、こんなことがあった。

「。。カラスが小雀をかみ殺した光景を偶然眼にしました。そのとき親雀があの小さな体でカラスに立ち向い、小雀を奪い返そうとしたが、結局はかなわず、悲愴な鳴き声を上げて逃げていったものの、木枝にとまってカラスを睨み付け鳴いていました。あのときほど、カラスが憎いと思ったことはございません。と、同時に、僕はあのカラスだったのか、と自分を呪いました。でも、よく考えればあのカラスだって自分の巣に帰れば餌を待っているひな鳥がいるのでしょう、ひな鳥に餌を運びたいために小雀を殺したのだろうな、ところが、この僕はどうであろう、と思いました。カラスとは全然違うではないか。あのカラスにも劣るではないか。同じ生命を奪い、奪った行為は同じでもカラスの生存のためとは違って、僕の場合自分の享楽が過ぎたものではないか。僕がいつカラスほどの生活苦に喘いだろうか。いつ、ひとの生命を奪うほど、ひもじいおもいをしただろうか。全然そんな経験はないではないか。欲望が人一倍で、キショクコウショクをもとめひとの財を嫉妬し、怠慢のはてが自分を苦しめ、それが現在の僕ではないか。カラスにも劣るのではないかと思いました。。。」

いま、この手紙を読みかえし、土本は言う。「このひとを、かりに、いま社会にもどしたら、もどせれば、重大な凶悪事件を犯すおそれは一点だにも無い。こういう人間を刑場にひきつれなければならないのか、。。と当時考えた」
 土本は学生時代の恩師、牧野英一の<教育刑論>(刑罰は受刑者を教育、更正させるためにある)に心から共感し(しかし、牧野は死刑については生涯、明確に語らなかった。なぜ死刑廃止を叫ばなかったのか、できれば恩師の墓を掘り返して尋ねたい、と土本は言う)、検事に任官する前は、死刑を廃止するにはどうしたらいいか、と真剣に考えた。が、検事職を続けるうちに多数の凶悪犯罪を目の当たりにし、やがて、牧野学説は理想論であると死刑への疑問を封印するに至った。
  
牧野英一@Wiki
   
    
上記の手紙の前に、長谷川受刑者はつぎのような手紙を土本に書いている。
  
「。。検事さん、僕がもし生まれ変わることができ、職業を選べといわれたら、僕は自分が今までやってきた仕事をもう一度やってみたいのです。僕が歩んできた道を振り返りたいのです。僕がどうしてどこで間違ったのか、納得のいくところまで自分自身で見極めたいのです。現在苦しんでいないかというと、そうではないのです。一個の人間として過去の事々が苦しい。かといって、僕はこの苦しみから逃げようとしない。なぜなら、これらの苦しみも含めて罪の償いの一部と考えるからです。いま一個の人間が目覚めようとしているのです。ところが、目覚めれば目覚めるほどその反面苦しさが増すのです。だがそれを乗り越えてこそ本物になるとおもうのです。僕は絶対立ち直ります。。。」
   
注:記事中、       部分の手紙の引用はTV放送からの聞き取りである。文面通りの保証はない。 
  
  
元検事=土本武司、は先週の死刑囚・永山則夫を扱ったこの番組(再放送)にも登場した。永山則夫に対する高裁判決(無期懲役)に異議を称えた検事である。死刑が当然である、と言っているのだ。昨晩放映されたこの番組では「死刑という判決があったのち、いつまでも拘置を続けるのはよくない、死刑を実施するのが法治国家として当然であり、その意味では死刑が行われたのは当然であって、制度全体としては死刑執行されてよかったとおもっている。死刑判決が確定しながら法的な特段の理由もないのに死刑をやめるのは自ら法治国家を破壊することになる。。。。」と、番組インタビュアに対して発言し、「本当にそうお考えなんでか?」と問われ、「いや、検事としてそうおもっていた。ただ、個人として彼と文通したいまとしては、別の見解もある」と言い訳をしている。

 
長谷川死刑囚から土本宛の最後の手紙は昭和46年11月8日。
 
「検事さん、逝くときが来ました。検事さんには長い間ご心配をおかけしました。残念ながら時間がありませんのでひと言のご挨拶だけに留めます。検事さんのあの暖かい眼差しは最後の最後まで忘れません。それではこれで失礼します。 46.11.8 減灯後」
   
翌九日午前、東京拘置所で処刑が執行された。逮捕から5年半。享年28歳。
処刑された後、母親が遺骨を引き取った。それから地下鉄駅前で新聞を売る母を見掛けなくなった。母は、直後、事件現場近くの駅のホームから電車に飛び込み自殺したのである。
 
長谷川死刑囚の骨は無縁仏として父の故郷伊勢崎市のある寺で供養されている。
 
長谷川武100531_1031~01.JPG
 
  
死刑から40年が経過しているのに裁判関係の全資料は、公開が法律で義務づけられているのに、プライバシーを理由に公開されていない。元検察官の土本武司の資料公開請求にも部分的に応じただけである(なぜ、国会は公開を命じないのか)。さらに、死刑を含む刑罰は<国民>の名で下されるのであるのに、刑場の仕組みなども公開されていない(番組では関係者から収集した情報をもとに、推測して現場映像を作成し放映していた)。国会は刑場を国民に公開するよう政府・法務省に命じるべきである。検察の大部分も、義務づけられているのに、刑場における死刑立ち会いを忌避しているということである。司法修習生時代から刑死現場の立ち会いを義務づけこれを忌避する者は司法職に付くことはできない、と定めるべきである。貧困は犯罪の母体である。貧困の極限にあった永山則夫や、長谷川武のような国選弁護人に弁護を依頼した場合、とくに重刑、極刑をくだされた事件については十分な弁護が行われたのか、第三者機関あるいは弁護士会などが調査を行うべきである。裁判において個人被告は圧倒的に不利な状況にあるからである。審理が終わり刑が確定するまでは被告もひとりの国民としての権利の享受を可能とすべきである。



 
関連記事:
 暗黒裁判の国、日本。 『公認会計士vs特捜検察』 細野祐二
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-12-09
検察による捏造事件 『いったい誰を幸せにする捜査なのですか』草薙厚子  
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-05-20

トヨタで何が起きているか [Ethics]

 
                         トヨタ100221_0803~01.JPG 
昨晩放映されたNHKのTV番組:

トヨタで何が起きているのか
2010年 2月20日 土曜 午後10時00分〜10時43分

##番組案内@NHK
世界トップの自動車メーカーにのぼりつめたトヨタ。しかし今回のリコール問題で品質への信頼が大きく揺らいでいる。日米で緊急取材を敢行し、トヨタ問題の本質に迫る。

【ゲスト】ノンフィクション作家…佐藤正明,危機管理専門家…田中慎一,自動車ジャーナリスト…ミシェリン・メイナード,【キャスター】鎌田靖,【語り】小谷公一郎
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/100220.html
今月9日、トヨタ自動車の豊田章男社長は記者会見で、国内で22万台、全世界で43万台のプリウスなどの車両について、リコールなどの対策を講じると発表した。高い品質を武器に、世界トップの自動車メーカーにのぼりつめたトヨタ自動車。しかし、今回のリコール問題で、トヨタが誇る品質への信頼が、大きく揺らいでいる。

なぜトヨタはこうした事態に追い込まれたのか。その背景にあると指摘されているのが、組織が巨大化する中で、現場で問題が起きても素早く情報を吸い上げて対策を講じる体制がとれていなかった点である。また、リコール問題への対応が後手に回り、トヨタに対する各国政府やユーザーの不信感が増大してしまったという点も指摘されている。

日本の製造業はいま、国内市場の縮小が進むなか、海外市場で生き残りを図ることが至上命題となっている。トヨタが直面する「危機」は、経済の「グローバル化」のなかで生き残りを賭ける日本のメーカーが直面する共通の課題でもある。

日本を代表するメーカー「トヨタ」で、いま何が起きているのか。なぜ事態はここまで深刻化したのか。日本とアメリカでの緊急取材を通じて、追跡する。
##



1 経営の分散化がなされていない。日本本社の一極支配。
  (アクセル、ブレーキなど米国で問題になっているのは、米国部品メーカが製造。部品はほとんど海外で製造されているはずだ。QAはどこでやっているのか?)

2 米国で発生したアクセルの構造。日本で販売されているのとは構造が異なる。寒冷地で使用すると機械接点部が、凍結により(水滴が付いた場合)離れなくなり、アクセルが効かなくなる。
 (ABSとは、寒冷地のスリップ対策である。寒冷地対策を考えるのであれば、水滴による誤動作を何故検討していないのかは疑問の残るところだ。クルマで重要な機械的可動部は車輪、ハンドル、アクセル、ブレーキペダルなど限定される)

3 危機管理体制=有事の経営力がない。グローバル対応になっていない。グローバルコミュニケーション能力の問題。

番組冒頭で放映された豊田社長の会見(いつ行われた会見か?)。
トヨタ社長はこういうことを述べた:

「急成長にともない、品質の作り込みに人を十分つぎ込めていなかった。。」

この番組をみていた企業人やメーカ担当者は肝を冷やしたのではないか?実際、人や時間を十分かけていないのかも知れないが、こういうことを記者会見でシャーシャーと社長が述べたことに、だ。経験ある社長なら口が裂けても言わない言葉だろう(トヨタ幹部連中はホントにこのような認識に達しているのか?おそらく、口先だけ、の発言だろう。品質とは、後述のように<物作り>だけの問題ではなく、グローバルなコミュニケーションを含めた<危機管理>概念でもある。こういう認識はトヨタにはない)。 トヨタ社長は、日本の記者会見発言は即刻、米国あるいは世界中に伝わり、関係者が知るところとなる。日本における記者会見であっても聴いているのは世界である、という意識を持っているのか?
番組ゲストは、この社長発言はメーカの自己否定ではないか、と述べた。

わたしが驚いたのは、上記社長発言は質疑のなかの咄嗟のアドリブ発言ではない、ということ(日本の記者会見で新聞記者がトヨタトップを品質問題で責め立てる、ということはおよそ想像できない。やれば、新聞社から追放されるだろう)。社長は原稿を棒読みしていたのである。ということは、これは経営陣の総意であると見ていいだろう。
番組ゲストも述べていたが、「品質」という場合、想定内の品質問題、と想定外の品質問題がある。想定内の場合、対応は十分できる。想定外の場合、つまりユーザが予想外の操作を行った場合、想定外の環境で使用した場合など、これをメーカの責任外と逃げることはモハヤできない(昨年までトヨタや日本のメーカが国交省の了解の下でやり続けたことである)。これを徹底的に理解していないから、第一対応として、<逃げ>の発言をやってしまう。

複雑なシステムの場合、バグはつきものである。(マイクロソフトを見ればいい。バグだらけの製品(半製品)を平気で市場に出し、アップデートファイルのダウンロードでバグ対応をくり返し、ようやくまともに使えるようになった頃、新製品でござい!旧製品のサポートはX年後に打ち切ります!と押し売りをやる)

想定外の問題は、世界中で発生する。これにどう対応するか、という危機管理システムが備わっていない、とみる。

4 NHKがトヨタの品質問題を追及する番組を作ること自体が異例のこと。この程度の品質問題がまるで突然発生したか、のようである。この認識自体が問題であり、こんなことがあるはずがない、問題は長年発生していたのであり(リコール自体は異常現象でもなんでもない)、隠されていただけなのである。その<隠し>にはNHKを含む報道も協力していたのだ。ゲストも述べていたがトヨタが対応を間違えば、ニッポンが沈む。国内の権力、権威にはへりくだり続け、外国で騒がれるまで問題を<隠し>続ける。

この体質がニッポンを滅ぼす。いい気分(温泉)

われわれ報道組織も、この際、シッカリ反省し、社内検閲原稿を棒読みするだけでなく、NHK職員としてでなく、個人の良心にしたがって、日本企業や政府官僚を、ことが発生する前に、平時よりシッカリ監視していきたい、と、NHKキャスターは決意を述べて番組を締めくくった。。。と、書いてみたかった。
NHKで何が起きているか?
なんにも。オリンピック特集を連日やっています。

公聴会は来週。

KYなTOYOTA  会社はトップで決まる [Ethics]

豊田社長が(というより取り巻きが)米国公聴会への出席を拒否しているようである。

大正解だ。

この社長では公聴会に出ろ、というのは無理。大恥をかくだけだろう。日本の国会参考人招致や証人喚問とはわけがちがう。先日の記者会見(東京)も用意した原稿を読むだけであった。

仮に公聴会に出席したしたとする。世界のユーザや株主から、「なぜ、こんなバカが社長やっているの?」と不思議がられ、呆れられたろう。(まあ、それも悪くはないが)。さすがにトヨタの幹部連も現社長の能力をよく知っているのだろう。人前に出せるシロモノではない、と。

かなり無理な想像ではあるが、本田宗一郎が社長をやっていたころ、米国議会から公聴会に出ろと要請されたら意気揚々と乗り込んだのではあるまいか。公聴会はネットで世界の誰もが見ることができる。絶好の宣伝の場所を与えてくれるのである。英語をしゃべる必要はない。社内の優秀な通訳を連れて行けばいいのである。宗一郎なら、言葉を越えて訴えるモノがある。人間力は万国共通である。なにより、宗一郎は商品(バイクやクルマ)を社内の誰にも引けを取らないくらいよく知っていた。彼は工場に出向いて新製品のプレゼンを担当者にさせ、議論した。当然のことではあるまいか?18才の若者から80歳の爺さん婆さんまで運転しなければならない商品を販売するのだから。薬や化粧品の会社ではない。誰もがユーザとなりうるクルマを売っているのである。公聴会に出席するのが怖いのか?いずれにしても、事実は曝露されるのである。パブリシティを知らない、ということはグローバル時代を生き抜けないということだ。いまごろになって議論することではないが。宗一郎が一生悔やんだのは社名に創業者の名前を冠したことであった。

今月初め、米国のPBS(Public Broadcast Station、日本のNHKのようなもの、ただし、クオリティは段違い。NHKのニュース番組は報道とは呼べない)がトヨタ問題を取り上げたとき、キャスターはトヨタにも出演を依頼したが拒否されました、と伝えた。さらに、トヨタはこの番組(PBSニュースアワー)のスポンサーです、とも伝えた。

創業者一族を社長や重役にするトヨタのKY体質をつくりあげたのは誰か?日本のマスゴミと官庁である。マスゴミはトヨタの広告代欲しさにトヨタ車の品質問題を一切報道しなかった。国交省は問題を把握しながらデータを公開しなかった(ただし、品質問題を隠したのはトヨタだけではない。全メーカに及ぶ。情報隠しは構造問題である)。『トヨタの闇』(2007)という本(あまり上出来とも思えないが、事実の一端は伝えてくれる)を読んだが、広告費を餌にした、官庁と一体になったマスゴミのリコール隠しは猛烈なものである。日経新聞=大企業の広報誌は、『トヨタの闇』の広告を紙面に掲載するのを拒否した。かりに米国で騒がれなかったら、トヨタは引き続いて、日本のマスゴミや、国交省を恫喝し、リコール隠しを継続したろう。外圧に弱いのは、マスゴミ+企業+官庁の伝統である。

会社の幹部連から検閲を受けた原稿を棒読みするしかない社長では、とうてい、グローバルな時代を乗り切れない。トヨタが生き残りたかったらすぐに社長を解任するしかあるまい。こんな社長でグローバル時代を乗り切ろうとしたのだろうか?理解を絶する。部長、課長以下の従業員から叛乱は起こらないのか?

グローバル時代における企業トップの条件。そのひとつは、外国の議会(国民の代表だ)から公聴会出席を求められたら、すぐさま、単身乗り込んで、論理でもって相手を説得し倒す能力があること。この能力を身につけるにあたり、日本社会は最悪の条件を備えている。トップの条件、と書いたが別にトップだけじゃない、担当者であっても国際ビジネスシーンでは同じ能力(あるいはそれ以上)が要求されるのである。例外は競争のない(と思い込んでいる)現在のニッポンの独占マスゴミ。早晩来る崩壊に備えてクビを洗って待ってナサイね。こういう社長を選任した企業をチヤホヤし続けたニッポンのマスゴミ(や株主)に対しても世界から、NO!が突きつけられている、ということを悟り、恥じている業界人やマスゴミ関係者がいるとはおもいたくない。

トヨタ品質問題、トヨタ対マスゴミ問題はグローバル時代におけるニッポン問題の縮小再生産である。

##

『週刊東洋経済』2006年7月29日号がトヨタ品質問題に切り込んでいるのを最近知った。現在の事態を予知している。

ブログ記事を引用:

[特集]トヨタが疲れている!!-最強の現場は疲れている!-トヨタの異変 崩れた品質神話
http://toyota1.exblog.jp/9669419/


純益1兆円超えの好決算を連発し、日本中の企業が経営の手本と崇めるトヨタ自動車。その最強軍団で何かが狂い始めた。リコールの急増や現場の疲弊が伝えるのは、トヨタ最大の拠り所である品質の陰り。トヨタ自身、多くを語ろうとしないこの根幹の問題に、本誌は総力分析を試みた。あぶり出された姿とは……。
本誌:長谷川高宏、野村明弘、梅咲恵司
撮影:尾形文繁、吉野純治、今 祥雄
異変1 リコールが過去最悪のペースで急増
異変2 欠陥放置で品質保証部長など3人が書類送検
異変3 米国ではクライスラーを上回るリコール発生
異変4 下請け部品メーカーの従業員に「労災」で訴えられる
異変5 米国の品質ランキングで現代自動車に抜かれる
異変6 レクサスの国内販売は予想外の大苦戦
異変7 既存の労働組合とは別の第2労組が発足へ
 トヨタがおかしい。世間がそう感じ始めた矢先の出来事だった。
 7月11日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。欠陥車を放置し、人身事故を起こしたとして、トヨタの元品質保証部長など3人が書類送検されたのだ。事件を担当したのは、4年前に三菱自動車のリコール隠しを摘発した熊本県警。日本中がその経営手法を学ぼうとするトヨタの信じられない不祥事だ。
 トヨタは弱り目にたたり目である。米セクハラ訴訟、国内レクサス不振……。ただでさえバッドニュースが重なる。そしてあろうことか、ここに来て大規模リコールが頻発。金看板だったはずの品質までもが世間に広く問題視され始めた。5月の決算発表では、社長の渡辺捷昭自ら「品質はわれわれの命脈。社長として解決すべき重要なテーマ。新年度の方針でも第一に取り上げる」と改善を力説したばかり。そんなさなかに起きた刑事事件は、トヨタの高品質イメージを根底から揺さぶりかねない。
 長年、品質はトヨタの存立基盤として機能してきた。「トヨタ車は壊れにくい」。そんな共通認識がユーザーの間にあるからこそ、米GM(ゼネラル・モーターズ)を追い落とすほどの成長も成し遂げることができたはずだ。
 特にドル箱市場の北米は経済合理性を重んじる地域。壊れにくいトヨタ車は中古車市場で値崩れせず、下取り価格を高く維持できる。だから、リセールバリューを第一に考える米国人にトヨタ車は人気がある。下取り価格が高ければ新車を売るときの値引きも少なく、利益も増える。まさに高品質による好循環が成立している。
 しかも、これはトヨタ車に限ったことではない。高級車のレクサスも「壊れにくい」と考えられているからこそ、メルセデス・ベンツやBMWを従え、米高級車市場の販売トップに君臨することができた。品質がトヨタのレゾンデートルであることは紛れもない事実である。
 しかし、好循環が永遠に続くかといえば、そんな保証はどこにもない。品質イメージが少しでも落ちれば、正の循環は負のスパイラルへと一気に転げ落ちていく。近年、品質が向上した米ビッグスリーは過去の悪いイメージが払拭できず、今も販売不振から脱出できない。品質イメージの低下は業績の悪化に直結する。
 株式市場もトヨタの品質問題を注視している。事件を受けてゴールドマン・サックス証券が発表したリポートには、リスク要因としてこんな文言が盛り込まれた。
 「トヨタの勝ちパターンは高品質に裏付けされた消費者からの絶対的信頼にある。これが崩れると(販売)スケールは多大なコスト負担に変貌する」

(以下略)

##

日本の国債問題(格付け下落)もマスゴミが不思議なほどさわがない。日本の「夕張化」は経済学者の関心の外のようである。

 

追記:5:30pm 2/19

米議会からの公聴会招請レター(参考人として)を受け、豊田社長が喜んで出席する旨の表明を記者会見でやった@名古屋。あまりに鈍感な初期対応を反省したのか?これほど日本国内、米国、他の国々から注目を浴びる公聴会もめったになかろう。乾坤一擲、背水の陣。社内であらゆる想定問答を作成し、猛特訓した後、さすが、グローバル企業の社長は違う、と世界のユーザや企業人、株主、とくに米国のトヨタで働く16万人の従業員を唸らせる誠実さと、模範となるような回答、意見を 表明してほしいものである。売った物には最後まで責任を持つ。これを表明し、ユーザを安心させれば、ユーザは逃げまい。日本の国交省は、音無しの構えか?責任はないのか?

 

トヨタHPのFAQ。今回のリコールについて。

http://www.toyota.co.jp/jp/faq/toyota/recall.html

社内で試験をしたのか?なぜ、出荷前に発見できなかったのか?国交省には何を報告したのか、日本のユーザから苦情は受けていないのか、いつごろからどのような苦情が、どのくらいあったのか、それに対して貴社はどう対応したのか、のような質問は当然でてくるだろう。

 

PBSニュースアワー

http://www.pbs.org/

http://www.pbs.org/newshour/bb/transportation/jan-june10/toyota_02-09.html

 

 


トヨタの緊急記者会見について [Ethics]

きのうNHK夜9時のニュースでトヨタ(品質担当、横山常務)の記者会見を放映していた。

社長ではない。なぜ社長が出てこないのか?にまず引っかかる。社長は何にも知らないから?今どき技術的な説明をできない社長がクルマ会社を統率できるとは驚きである。(本田宗一郎なら出てきたか?宗一郎は現場担当者並みにクルマを知っていた。みずから工場に出向いて担当者のプレゼンを求めた)。

番組で記者会見に臨んだトヨタ重役の説明によれば、これ(プリウスのブレーキ問題)はリコールに値する問題と考えていない、と。

内外の担当記者の前で堂々とこうしゃべるのだから、トヨタ社内では異論反論が渦巻いているのだろう。謀略だ!とか。とんでもないハナシである。株主やユーザはこういうトヨタに満足か?

説明によれば、プリウスの場合、ブレーキを掛けて、低速になると、制動が電気系から機械系に切り替わる瞬間がある、その瞬間、ドライバは足裏から伝わるブレーキ感覚がなくなる、という。トヨタに寄ればそれでも押し続ければブレーキは掛かるのだから問題はない、という。しかもこれをトヨタが気付いたのは昨年末のこと。プログラムの手直しをして、以後の新車に搭載しているという。

この説明はどうなのか?足裏の感覚は敏感なものだ。コンマ何秒の無感覚時間は問題としないのか?(しかも手直しをした、というのだ)。ドライバにとっては人間工学がすべてではないのか?

米国政府の担当部局からトヨタ本社に直接電話を掛けたときにはトヨタの社長が応対したという。きのうの記者会見は海外記者もたくさん押しかけた。記者会見は国内外の政府や競合メーカそれに、世界のユーザや販売店、株主が注目をしているということがわかっているのか?

横山常務がリコールに値しない、と開き直るのではなく、社長が出てきて、技術的な説明をする、すなわち、ブレーキはきちんと掛かるが、ブレーキペタルへの伝達がユーザフレンドリでなかった、したがって、すでに販売したプリウスも新プログラムに置きかえる(リコールと言うことだ)、申し訳ない、と説明すればなんの問題もなく受け入れられるだろう(プログラム変更なら、基盤チェンジで修理店作業はあっという間に終わる)。

国交省と長年やってきたリコール隠し(トヨタだけじゃないが)の残滓は役員にものこっている。

米国で問題が発生した後でもこれである。海外メーカは大喜びだろう。

追記:

横山常務の説明がネットで読めるので引用する(上記の私の説明は放送の記憶から書いた。一部正確性を欠くが訂正しない。下記記事により補正願いたい)。

トヨタ プリウス、ブレーキに“空走感”を感じたら

2010年2月5日(金) 17時43分
##引用
トヨタ自動車は、新型『プリウス』が、ある条件のもとでブレーキを操作した場合、ユーザーに空走感を抱かせる現象があることを4日、明らかにした。この現象が、安全に関わる問題なのか、それとも佐々木副社長がいう“フィーリング”なのかは、同社と国土交通省で調査中だが、もし新型プリウスユーザーがこうした状況に遭遇した場合は調査中ではすまない。どうすればよいのか。

品質保証を担当する横山裕行常務役員は、新型プリウスで起きているブレーキの空走感は「一定の踏力で軽いブレーキングを続けた場合、路面の状況によっては、ブレーキの反応がわずかに遅れるという現象」と説明する。

この空走感が生じる恐れがあるのは、例えば、路面が濡れたり、凍結したりして片輪だけ回転数が変わるような場合に、ABS(アンチロックブレーキシステム)が作動した時だ。この瞬間、プリウスでは、回生ブレーキが油圧ブレーキに切り替わる。

横山氏は、「雪道などでガガガッと車輪が動く経験などでご存知だと思いますが、ABSは車輪のロックを防止するために、ブレーキを一時的に緩めるという機能を持っている。この時(新型プリウスは)回生ブレーキを油圧ブレーキに切り換わった時に時間差が生じる。そこでいろいろなお客様からご指摘をいただいているのが”空走感”。短時間ブレーキが利かなくなることがある」と説明した。

回生ブレーキとは、ハイブリッド車や電気自動車(HV/EV)特有の装置で、加速に用いる電気モーターを逆回転させることで減速させると同時に、発電をする仕組みだ。ガソリン車でいうエンジンブレーキとほぼ同じで、下り坂や、ごく緩いブレーキングのときに作動するものだ。ところが、そうした緩やかなブレーキングでわずかにスピードを制御している場合に、先のような条件でABSが作動すると、その車輪制御のためにメリハリのある大きな力を必要とするため油圧ブレーキに切り換えなければならない。このわずかな切替時間が空走感につながるというものだ。

しかし、ユーザーにとっては、いくら瞬間のことであっても、予測がはずれてスピードが落ちなければ運転中のパニックにつながる。誰もがこのくらいのブレーキングであればこのぐらいスピードが落ちるという予測のもとに運転しているからだ。

その対処法として横山氏が説明したのは「踏み増す」という行為だ。運転中に空走感を感じるということが起きても、ブレーキペダルをより多く踏み込めば、その踏力に比例してより大きな減速を見込むことができる。
##引用終わり
 
 
当然のことだが、車を替えれば、ハンドルやブレーキの重さ、利き具合は異なる。 ドライバは別のクルマに乗っても(たとえばレンタカーや知人の車など様々な車種に乗り換えても)最初のとまどいはすぐに吸収して問題なく運転できるようになる。苦情が多い、と言うことは、通常の運転感覚を越えた感覚(反応)をドライバに与えているということである。人間が手と足で加える操作に対して、クルマがどういう反応を示すか(移動方向や速度)を、感覚器官、とくに眼と手足でフィードバックとして感じながら瞬間的に微調整(ハンドルやアクセル、ブレーキの切り具合、踏み具合)をくり返すのが<運転>というものである。上記の記事で言っているとおり、予測がなければ運転などできない。前を子供が横切っても急ブレーキを踏まないのは、この程度の距離なら、この程度の踏み込みでゆっくり停まることができる、と予測するからである。
 
 
ユーザーにとっては、いくら瞬間のことであっても、予測がはずれてスピードが落ちなければ運転中のパニックにつながる。誰もがこのくらいのブレーキングであればこのぐらいスピードが落ちるという予測のもとに運転している

 

こういうことである。

ブレーキペタルとは何のためにあるのか?をトヨタは理解しているのか?ペダルは医者の聴診器と同じであり、しかも、運転行為と直結している。眼で確認したクルマの速度と位置情報をもとに、最適な強度(急ブレーキか、弱いブレーキか)が適切かを予測し、ブレーキペダルを踏み、速度位置の変化を観測してブレーキヲ再調整する、これを瞬時に時々刻々行う。このときブレーキペダルは制動を掛ける、以外に、押すときドライバの足に反作用を与えて、現在の押しの強さを自覚させる役割を負っているのだ。ブレーキペダルの機能を、手で回す目盛り付きのブレーキネジ、で代行できるか? できはしないのである。空走感覚を与える、ということは、ブレーキの機能の欠落ということだ。つまり、押している感覚が無いのに制動自体はクルマに掛かっているのだからよい、という問題ではない。どの程度の制動を掛けているかを、足に伝えるというフィードバック=伝達機能も同等に重要なのである。人間=ドライバに現在の運転情報を(目視、体感)集中し、ドライバはすべてを制御できる、という感覚を無意識にもてないとドライバがパニックになるのは当然のことだ。

 

横山氏が説明したのは「踏み増す」という行為だ。運転中に空走感を感じるということが起きても、ブレーキペダルをより多く踏み込めば、その踏力に比例してより大きな減速を見込むこと。。。

 

プリウスの構造は従来型普通車とは異なるにしても、運転技術上は特殊なクルマではない(として販売されている)。たとえば普通車免許保持者が大型車をいきなり運転できないのは大型には独特な運転技術が要求されるからである。いくら新機能を搭載しても、普通車免許の持ち主ならば違和感なく操作できる仕組みを作りあげるのが技術者の仕事であり、オートメーカーの努めではないのか?とくにブレーキは安全運転にもっとも重要な操作であり、一瞬の遅れが事故につながるのは言うまでもないことである。製造した側は仕組みの裏表まで知っているのだから、効き方が普通車とは異なる、ということを知っていても、使う側は従来の運転技術で十分として乗るのだ。ドライバに過大な要求をしてはならない。技術的な欠陥ではない、というのであれば、せめてプリウスのブレーキ特性を組み込んだシミュレータを販売店は用意して買う前、乗る前に体験させること、これを国交省と警察はメーカに義務づけなければならないのではないか(新車種について、要求される運転特性基準というものはないのか?国家は製品検査をせずにメーカを信頼、型式認定しているのか?クルマの仕組みが大きく変わろうとしている現在気になることである。シートベルト、エアバッグの装備、車両の破壊試験などより遥かに安全にとって重大事である)

 

追記:2月7日

記事を読みなおして、記述の誤りや疑問点が生じてきたので追記する。

1 わたしは空走感、というのを誤解していた。ネットで調べると<ドライバのブレーキ操作にかかわらずクルマが停まらないでそのまま前進する>ことを言うらしい。わたしは、ペダルを踏んでも、足裏に反作用がない状態が生ずる、と解した(あたかも、遊び部分を踏んだときのように)。しかし、足裏に抵抗感はそのまま残るようである(つまり、ブレーキが回生式(電気式)から機械系に代わったところで、足裏に圧力が掛かる仕組みは機械式=バネ仕掛けであることには代わりはない)。足裏に抵抗感がなくなるーー> 操作しても速度が落ちない(ブレーキがロックされている)と読み替えれば私のいいたいことは同じである。

2  引用記事への追加コメント。

(1) ある条件のもとでブレーキを操作した場合、ユーザーに空走感を抱かせる現象があることを4日、明らかにした。この現象が、安全に関わる問題なのか、それとも佐々木副社長がいう“フィーリング”なのかは、同社と国土交通省で調査中だが。。

空走感、と言っているがこれは感覚の問題ではなく、常務が述べているように、<物理的事実>の問題である。ここを誤魔かしてはならない。空走感覚、ではなく、空走現象を、意図的に発生させているのであり、これを発生させるのがABSの機能=目的なのだ。ブレーキが利かない状態を(ある状況における安全のため)意図的に作っているということ。事実として速度が落ちないのだからドライバが<空走>していると感じるのは当たり前のことである。そして、ブレーキを踏んでいるのに速度が落ちないのだからドライバが焦る(=パニック)のも当然だ

この現象が、安全に関わる問題なのか、それとも佐々木副社長がいう“フィーリング”なのかは。。

安全に関わる問題であり、かつ、感覚(フィーリング)の問題である。しかし、フィーリング、という言葉で誤魔化してはならない。事実として制動しないのだからそれをそのままドライバが<感じる>のは正常なことである。空走は事実であり、<空想>ではない。

 

(2)(常務説明)「一定の踏力で軽いブレーキングを続けた場合、路面の状況によっては、ブレーキの反応がわずかに遅れるという現象」。。

NHKの説明では、路面の状況にかかわらず、低速時では回生系ー>機械系(油圧計)に切り替わる、との説明であったが。(つまり、通常の路面でも、低速時で制動を掛ける場合には発生する)

事実はどうなのだろうか?

 

(3)(常務説明) ABSは車輪のロックを防止するために、ブレーキを一時的に緩めるという機能を持っている。この時(新型プ リウスは)回生ブレーキを油圧ブレーキに切り換わった時に時間差が生じる。そこでいろいろなお客様からご指摘をいただいているのが”空走感”。短時間ブ レーキが利かなくなることがある

「 。。切り替わったときに時間差が生じる。」 これは日本語になっていない。切替は瞬時には起こらず、制動がまったくかからない(回生系も、油圧計も動作しない)状態が発生する(その物理的時間はxxミリ秒である、位の説明は欲しい)と言えばいいのだ。上記のように、空走を発生させるのがABSの目的なのだ。

 

そこでいろいろなお客様からご指摘をいただいているのが”空走感”。短時間ブ レーキが利かなくなることがある。

ブレーキが利かない(という物理的事実)を「空走感」とはいわない。「空走」という。空走という事実を意図的にトヨタや発生させている(これは安全を考えてのことだ)、速度が落ちないのだから「空走感」がドライバに発生するのは当然である。想定内のこと。

。。とトヨタ常務は突っ張ればいいのである。そして、運転マニュアルに、

低速では制動方式が、回生系(電気系)から機械系に切り替わります。この切替には(コンマ)xx秒係り、この間、ブレーキは働きませんが、これは何の問題もありません(なぜ?)。制動を掛けたければ、ブレーキを踏みましてください。

。。と追記すればいい。なにをオタオタしているのだろうか?(1秒以内の空走ならば保安基準に違反していない、とも言っている)。

忖度するに、おそらく、この程度の空走時間なら、ドライバは検知せず、パニックにはならないだろう、と設計段階で考えた。が、あにはからん、空走を体感してパニックになるドライバがいた。だからつぎの問題がのこる。

1 一般ユーザ視点でABS搭載によるブレーキ試験を徹底的にやったのかどうか。

2 ユーザが気付かない程度の時間長の空走により、ABSの目的とする凍路の安全に効果があるのか?(空走、という望ましくない現象を発生させてまで)。

よかれ、と思って付加したABS機能の仕様検討&検査不十分ではないか、ということだ。常務の説明では、ABS導入による空走の発生は仕様通り=想定内、ということだ。つまりソフトのバグではない(一部の報道ではソフトウエアのミス、と伝えられている。このふたつは大違いである)。では、なぜ昨年末以降販売する車両のソフトを替えたのか?ABS仕様を変更したのか?


赤木智弘  <格差問題解決へ一歩>  ベアより非正規雇用の処遇 [Ethics]

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赤木智弘が、1月9日、毎日新聞<2009年 日本への提言>で、私が主張してきたことを述べてくれている。

すなわち:

1 連合の09年春闘ベア要求は間違っている(ベアではなく、解雇された派遣労働者の雇用を護れ)

2 正社員(&既成組合)と派遣労働者の利害は対立している。これをまず知ることが重要。 すなわち労働側の内部に、格差と、意見対立が厳然として存在するのだ。


赤木は、次のように言っている:

連合の高木剛会長が昨年4月『主犯は経営者、従犯は労働組合』だったと、非正規労働問題に対し、内省的な態度を示した。それが昨年末、「派遣切り」が問題になり始めた重要な時期に、彼らはベアの要求を大きく掲げたのだ。

わずかばかりの物価の上昇と、職を失えば社会からはじき出される非正規労働者の問題とでは比較にならない。自分たちが非正規問題の「従犯」だと認めるのならば、現状でまっ先に課題とすべきは、ベアなどではなく、まず非正規の処遇だろう。

かつてバブルが崩壊したときに雇用確保のために就職氷河期世代を見殺しにしたのと同じことを、彼らが再びしているようにおもえてならない。

(略)

。。(世界を襲う不況の波。。そのような) 状況でのこの一年は、まさにそれぞれの立場の人々のエゴが、むき出しとなり、違った立場の人間を容易に傷つけ合う一年になると、私は予想している。」


ここからが、普通の論者と、赤木の違うところだ。


だが私はまったく悲観していない。それどころか、不況になってくれてよかったと思っている。それにより社会の大勢には、弱者に対する同情心などなかったということが、ハッキリ示されたのではないか。

病気の検査と同じことで、原因がハッキリしないまま、やみくもに治療方法をさぐるよりも、原因がわかっていた方が治療はやりやすい。

今回の連合によるベア要求は、格差問題がけっして「労働者vs経営者」という二元論に納まる問題ではないということを明らかにした。今後、現状の立ち位置をうやむやにしたまま「正規も非正規も関係なく、一緒に闘うべきだ」と共闘を訴えるだけの言論は説得力を失うだろう。

(略)

正規労働者と非正規労働者が対立している」という当たり前の前提が共有される流れが生まれれば、問題解決に向けた大きな進歩となる。

(略)

彼らを救うためには、不況をてこにした経済成長を絶対条件とする「戦後日本」の社会システムの膿を、この機会に徹底的に絞り出すしかない


文句なしの正論であるとおもえる。


<問題解決に向けた大きな進歩である>といっても、これは体勢のゼロリセットだから見かけ上は退歩であるし、<労働側の仲違いは、経営側に利するだけ>というワンパターンの組合側の批判にサラされる可能性は十分ある。しかし、同じ批判は労組の歴史に、ワンパターンのごとくくり返されその都度、組織に対する批判派は煮え湯を飲まされてきたのであり、全体の利益ではなく、経営と合体した一部社員のみが優遇されてきたのである。

派遣労働者やワーキングプア問題を見過ごしてきた責任を問われているのは、組合だけ、ではない。既成政党も、既成組合の票ほしさに、一部労働者の利益のみしか視野に入れず、労働者のうち弱者部分を見て見ぬふりをしてきた。そのスキを経団連に突かれ、結果は<派遣法>という天下の悪法を立法化するという大失態を演じた。しかも、与党はもとより、野党までおのれの犯した犯罪的立法化(派遣法)をまったく反省していない。 これから、既成政党と、政府・官僚がどの程度反省するのか。 余り期待できないが、これまで誤魔化され続けてきた社会的弱者の忍耐も臨界点にまもなく達するだろう(こころみに、数万の解雇がこの春までに追加されている中で、連合の要求する1%強のベアを経営側が認めた場合にどういう事態が生ずるか想像すればよい)。


赤木智弘のこの問題提起に、既成組合や、政党はどういう対応を示すのだろうか。あるいは、これまでどおり、黙視するのか?残された問題は、組織化がまだ不十分、あるいは、緒に就いたばかりの全国の非正規労働者の側は、今後、組織化をどのように勧めるか、である。たとえば、もやい、の湯浅誠などがリーダーシップをとれるのか。 昨年末のテレビ朝日<朝まで生テレビ(朝生)>に湯浅誠が登場していたが、彼は、連合のこのベアを批判していなかった。それどころか、正社員の賃上げは、非正規労働者の待遇改善につながる、と述べた。 勘違いしていると思わざるを得ない。




追記:
先日、TBSのバトルトークという番組で視聴者アンケートをとっていた。ワークシェアリングに賛成か、反対か?

賛成は、全体の49%、反対は30%。
賛成派は、現在の給与が30%下がってもワークシェアリングやむなし、と回答している。

連合は、組合員(正社員)全体のアンケートをとり、結果を公表したらどうか。


追記2:
昨日、NHK『首都圏特報』は、派遣切りがいかに行われたか、を報じていた(首都圏だけの関心事ではあるまいに)。
某自動車会社の期間工が、派遣社員に転籍することを会社から勧められた。応じれば10万円の一時金として支給する、と。そして一時金に目が眩んで(本人の語るところによる)、応じたのである。会社の用意した寮にはいることが条件であるが、その寮たるや、ガスも調理場もないシロモノ、寝るだけである。外食せざるを得ない。家族に仕送りするため1日500円の外食で済ませた。その後で、首切りにあうのである。 一種のダマし。これは現代の奴隷制度である。

夕方、TBSラジヲで社会学者・宮台真司、が彼らしい、冷静な解説を行っていた。派遣は絶対になくならない、もし、派遣を法律で禁止すれば、輸出に頼る大企業はすべて海外に移転します、と。国民を最低賃金、奴隷状態で働かせて、これが世界最先端をゆくエコカーでござい!!と、売りまくる。社会学者とはなんと、冷静な観察者であることか。<政治的価値判断を含む、あらゆる価値判断を学問的研究から分離しようとする「価値自由(Wertfreiheit)」の精神>に、完敗、もとい乾杯!

祝・開村    日比谷公園に派遣村    [Ethics]

22493591_2942554377開村式.jpg 12/31/2008


年越し派遣村、日比谷公園で開設 年末年始に失業者支援
共同ニュースhttp://www.47news.jp/CN/200812/CN2008123101000294.html

 派遣契約の打ち切りや解雇で企業から寮の退去を迫られ、年末年始に行き場がない人たちを支援しようと、生活相談に応じて食事を提供、宿泊場所を紹介する緊急避難所“年越し派遣村”が31日、東京・日比谷公園に開設された。

(略)

生活相談には30人が訪れ「浜松市にある工場の期間従業員だったが解雇され、3カ月前から公園暮らし」(40代の男性)、「東京の知人を頼り、山口県から出てきた。いつまでも世話になれない」(50代の男性元派遣社員)など深刻な声が多かった。

 実行委員会によると、所持金が数千円に満たない人が多く、年明けに集団で生活保護を申請する。相談は連日午後1時から同6時まで弁護士や労組関係者が対応。1月5日朝まで1日3食を提供し宿泊場所も紹介する。

081231_2237~01派遣村.JPG 共同ニュース





切符代渡して「名古屋に行きゃあ」 周辺自治体がホームレス「たらい回し」 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-31835/1.htm
いわゆる「トヨタ・ショック」と時期を同じくして、名古屋市周辺でのホームレスの数が増加傾向を見せているが、景気の悪化のほかに、意外な原因があった。市の周辺自治体でホームレスになった人たちが、自治体の窓口で「(ホームレスの受け入れ施設がある) 名古屋に行くように」などと指示されていたのだ。事実上の「たらい回し」で、それが問題化している。

2008年12月10日(水)19時42分配信 J-CASTニュース



これが人間の住む国か?
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-17

トヨタ赤字の意味するもの   トヨタ・キヤノンは市場から去れ [Ethics]

中日新聞12月23日から
トヨタ赤字へ 体質改善でけん引を
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008122302000067.html

 トヨタ自動車の本年度決算が赤字になる見通しとなった。過去最高益から一転、来年の販売台数すら予測できない苦境に追い込まれた。市場の大幅減に対応する迅速で思い切った体質改善が急務だ。

 トヨタは来年三月期連結決算の予想で、営業損益を千五百億円の赤字に下方修正した。十一月初旬の修正から一カ月半で、車づくりなど本業での稼ぎが七千五百億円も減った計算だ。今年三月期には、二兆二千億円もあったことを考えれば、天国と地獄を一年で味わうことになる。

(略)

 トヨタは来年、全工場の一斉休業日を増やし減産を強める。正社員の雇用は守ると明言したが、非正規従業員を三月末に三千人まで減らす計画は変わらない。非正規従業員の大量解雇には、政府や自治体を中心に救済へ動いている。

 しかし最終製品をつくる企業が縮小均衡を目指せば、離職者が増えるばかりだ。一人当たりの仕事量を減らし雇用をつくるなど、体力を生かした職の提供方法はある。それは地域に生きる企業市民の責務でもあろう。

 下請け企業を含めたグループ全体で大胆な改善を進め、小型車や低燃費・ハイブリッド車の積極投入で回復を図るというシナリオは、トヨタの体質や技術力から見て効果があるはずだ。これが製造業全体の再生をけん引することを期待したい。


<非正規社員をモノのように捨て去り、正社員の雇用を守ると明言>するような企業がはたして社会にとって必要なのか?

不要である。 トヨタの役員や、正社員、御用組合(=レンゴ~)は、<非正規従業員の大量解雇には、政府や自治体を中心に救済へ動いている> という事実を知っているのか? 恥ずかしくないのだろうか? 非正規従業員の解雇をするというニュースは聞くが、役員の賞与を返還したとか、社員の賞与を減額、給与も減額というハナシをきいたことがない、これはどういうわけか。

ニッポンを代表する経団連の中心メンバー企業が派遣切りをやれば他の企業が追随するのは眼に見えている。お墨付きを与えているようなモノだ。 

われわれは、派遣労働者を切った企業が <下請け企業を含めたグループ全体で大胆な改善を進め> ることを望んでいるか? 断じて否、である。 このような非倫理的企業は社会悪、であり 正社員・御用組合を除いては存在理由を持たない。 さっさと、市場から撤退してもらいたい(あるいは、ベーコクにでも移住してもらいたい)。 

幸いなことに、トヨタ・キヤノンをはじめとする大企業や、大銀行はすくなくともこの数年 法人税を全く支払っていない。 会計のカラクリには長けている企業ばかりである。 いなくなったからといってニッポンが困ることはない。 このような悪徳企業にぶら下がって利を得ていた下請け企業にはつらかろうが、早くから対策を立てていなかったオノレの不明・不決断をこの際恥じてもらいたい。

新聞によれば愛知県豊田市、田原市は、2009 年度の法人市民税が9割も落ち込むそうである。地元企業にやりたい放題をやらせていたツケである。


ロイターの配信によれば:

・・・・トヨタの名古屋オフィスでは今、トイレで洗った手を乾かす「ハンドドライヤー」の電源が切られている。機械の上には「緊急収益確保対策」と書かれた貼り紙。世界で最も利益率が高く、各国のメディアから賞賛されてきた自動車メーカーが直面している事態の深刻さを物語る。

・・・・・・2009年3月期の業績が連結営業赤字に転落する見通しになったことを受け、トヨタは「ハンドドライヤー」の電源を切るだけでなく、あらゆる事業を見直してコスト削減を徹底する。インドで計画している新工場の生産規模縮小を決めたほか、「プリウス」を生産する米ミシシッピ新工場の稼動時期も無期延期に先送りした。渡辺社長は「トヨタは創業以来、知恵と改善などのテーマを大切にし、実行してきた。環境の厳しい今こそ、この精神に立ち返る」と述べた。

 前出のトヨタ関係者は「今は社内にものすごい緊張感がある」と話す。「ようやく変わろうとしている」。


しかし。。

 <コスト削減を徹底する>。。の精神を国民が徹底すれば、クルマ会社など存在しエナイ、 。。ということを、トヨタは悟っているか? 

クルマ会社など潰れてもチットモ困らないが、経団連企業の利潤獲得のため、最低賃金で働かされたあげく首を切られた労働者のことを考えれば、だれも大企業に同情などしないし、製品を買おうとする国民も少なかろう。

銀行や大企業はおのれ一社の利潤のみしか眼中になく、国民や国家に対する(当然あってしかるべき)富の配分を怠ってきた。政府や議会はそれに手を貸してきた。 人間をモノとしてしか扱わない<派遣法>の改悪を、無知な国会議員を謀って、推し進めてきた。 不況はその天罰である。 資本主義とは、信用主義~気分主義、であることがこれでわかったろう。 信用のない政府、企業では 所詮、資本主義を維持できるわけがないのである。

国民を富ませることは眼中になく、海外輸出に血道を上げ、消費税を一銭も日本国に払わぬクセに、<(消費者に対して)消費税を上げろ>と政府に迫る経団連。

国民と共に歩もうとゼズ、わが企業のことだけしか考えぬ企業はニッポンから去れ。 悪徳企業の代表としてのトヨタ・キヤノンの滅亡を祈ってやまない。


まともなニッポンジンであれば トヨタやキヤノンのいない社会をいかに築くか、生きぬくか。 新たな脱企業=社会モデルの構想を開始しているはずである。 すでに光ネットと電波が地上を覆って久しい。 半世紀も続いたクルマ移動を愉しむ生活モデルは、先進国ではとっくの昔に去っているのだ。


トヨタ赤字、という見出しが踊っているがこの場合の赤字、とは見込みでありさらに、単年度の赤字、である。トヨタとキヤノンはこの10年、非正規社員を安い給与で使い、当然分配されていい収益を彼らに分配しなかった。2001年から利潤をキャッシュで内部留保としてためこんできた。キヤノンとトヨタの内部留保がこの10年でどれだけ増えているか。
            トヨタ    キヤノン
2001年     6兆円    9000億円
2008年     12兆円   2兆8000億円

累積のバランスシートでは過去最高の内部留保をためこんでいるのである。今年度、株主には過去最大の配当を与えるという。こういう企業が日本を代表している、言われているのである。一銭も消費税を払わず、非正規社員には預金もできないほどの薄給で働かせ、傷害保険失業保険も無しの状態にとどめ、解雇の後始末を派遣会社や地方政府、ボランティア団体に放り投げているのだ。軽蔑すべき組織である。経営者はおのれらの報酬はシッカリと受け取り、株主、御用組合、正社員だけを優遇し、必要なとき労働者を雇用し、瞬時的に不況になると排除する。こういう差別的、エゴむき出しの企業をニッポンに棲息させておいてよいのか?こういうヒトデナシ企業の存在を許す<派遣法=人間部品化法>を経団連のいいなりになって立法化した政府と、コッカイ議員の責任は重大である。マスゴミはなぜ企業と政府コッカイ、労組を追求するキャンペーンを張らないか。




トヨタ車をボイコットせよ 経団連は民主政治の敵である。
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-11-17
これが人間の住む国か
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-17

これが人間の住む国か? [Ethics]

神戸地震のあと、被災者を救出しようともしない国に対して小田実が怒りの言葉をぶつけていた。

    これが人間の住む国か!


神戸地震から10年が経過した。
いま、企業に解雇された多数の派遣労働者たちは、冬空の下で、どう寒さをしのいでいるのだろうか? 家族は気が気ではないだろう。

震災から10年経過して、また同じ言葉を発しなければならないのか。<これが人間の住む国か>
しかも、大量解雇は自然災害ではない。人災である。コッカと企業による。。。80年代末に、非正規社員の長期雇用を許容する派遣法が、企業側の要求により立法化されたとき、現在の道は敷かれたのだ。 


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名古屋市内の公園。自動車会社を解雇された派遣労働者が、夜を公園のベンチで明かしている。(NHKの番組から)


いつ解雇されるかわからない、傷害保険もない。。解雇されても故郷に帰る旅費さえ貯えられない薄給。
こういう待遇の労働者をこき使って、トヨタやキヤノンは莫大な利潤を挙げてきたのである。 
その利潤は、本来ならば、非正規労働者にもっと分配すべきカネだったのである。
ちょいと景気が傾くと、首切り。寮まで追い出して寒空の下を彷徨わせる。これは人間のすることか?

  これが人間の住む国か!


昨晩の、NHKニュースでは、解雇された若者が、商店街の通路で夜を過ごし、朝起きて、ゴミ袋を漁っている姿を映していた。
 「空腹になるとアタマが空っぽになって恥も外聞もなくなる。。」 これをカメラで撮影し続けるNHK職員もたいした、タマである。


昨日、夕方、ラジオからつぎのようなニュースが流れた。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20081216-567-OYT1T00072.html

### 大分キヤノン失業者を臨時雇用へ…地元の杵築市

 キヤノンの大分県内のカメラ製造子会社・大分キヤノン( 国東 ( くにさき ) 市)と関連会社の大分キヤノンマテリアル( 杵築 ( きつき ) 市)の非正規労働者約1200人が、雇用契約を段階的に解除されている問題で、両社従業員の多くが在住する杵築市は15日、失業者を臨時職員として雇用する方針を決めた。

 希望者を最長で1か月間、交代で来年3月まで雇う考えで、16日から申し込みを受け付け、面接を経て随時決める。失業者の支援策を打ち出す自治体が相次いでいるが、厚生労働省は「自治体が直接雇用するケースは聞いたことがない」としている。

 市緊急雇用等対策本部によると、同市内には再雇用を見込める企業が少ないことから直接雇用することを決めた。

 市役所にある全25課が1~2人ずつ確保することを目標に現在、人員を調整している。相談者の中には実家に帰る交通費さえないという人もおり、市は1か月間の雇用でも生活支援につながると考えている。

 市内在住であれば、住民票を移していなくても応募できる。

 臨時職員となった場合の住居は、市が民間のアパートを借り上げるか、市営の宿泊施設を提供する。家賃は未定だが、一部を市が負担する方針。
###


企業がマトモならば、自社の従業員はオノレでケアする。
やるべきことを企業がやらないから、見かねて市が、解雇された労働者に仕事と住処を提供する。。。

市がケアしなければどうなるのか? 凍死者や餓死者がでかねない。 企業人は恥ともおもっていない。このような企業人を生かしておくべきだろうか? かりに何年後になるかしらないが景気が回復してもトヨタやキヤノンを生かしておいてはならない。製品を買ってはならない。こういう、オノレのことしか考えない企業は、安楽死してもらおう。本来派遣社員に分配されるべき利潤を、役員や株主に分配してきたツケがいまやってきた。 非正規社員を解雇した企業の役員が過去に遡って賞与を全額返納した、という話をまだ聴いていない。これに手を貸した国会議員も同罪である。過去に遡って、賞与は全額国庫に返還すべきである。


わたしは、直ちに、杵築市総務課に感謝と激励のメールを出した。
杵築市HP
http://www.city.kitsuki.lg.jp/indexpc.php

しかし、逼迫する市の財政状態でいつまでも支援が継続できるわけもない。 ケーダンレンのいいなりになって 労働者の部品化に手を貸してきた政府と国会が全国レベルでの支援を肩代わりするより手がない。


政府や、コッカイ議員は、今、日本全国で起こっていることは、神戸地震以上の災害=人災、であることがわかっているのだろうか?

計画されている一時給付金などは、直ちに中止し、これも解雇者支援財源の一部とすべきである。 解雇者を抱えた市町村は、ただちに、駅前や公園に、緊急の簡易宿泊施設の建造、および食費に回して、行き先のない労働者を無料で収容しなければならない。 ただちに、である。 来春完成、では遅いのだ。 


昨日放映された、NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス2 非正規労働者を守れるか」 。 http://www.nhk.or.jp/special/
正社員と非正規社員の激しい格差を報じていた。 既成の組合や、正社員のモラルは、落ちるところまで落ちている。 非正規社員を同じ人間とおもっていない。 おどろいたことに、社員食堂のメニュー料金まで差が付けられているという。社員が400円のところ、非正規社員は600円、という具合に。 正社員が、非正規社員に対して暴言を吐き、横柄な態度を取る。半世紀前、米国では黒人と白人はトイレが別、バスの座席も別、賃金も別体系であった。この差別を非難できるか? この差別を目の前にして平然としておられる<正社員>や、この制度を放置している企業のトップの脳味噌がすでに溶解している。


いまごろになって、社員や労組が 雇用を護れ!、と叫んでもだれもホンキとは受け取らないだろう。 つぎに解雇されるのはキミラの番である。

不景気になり受容が落ち込んだのであれば、株主への配当を下げ、正社員の給与や賞与をカットしても、非正規社員の雇用を確保すべきである、という発想は組合や企業にはでてこないのであろうか? 不思議なことである。 人を助けることは、おのれを助けることである、ということがわかっていない。 よく、これで、ここまで生きてこられたものだ。

現状の派遣法は直ちに停止し、80年代の状態にもどすべきである。

NHK番組で、門脇英晴(日本総合研究所特別顧問) が、「これからは人間を大事にしなければならない。。」と、のたもうて、場を白けさせていた。


同じ国の中に、仕事がなく住むところもなく、喰うモノもない人間が放置されている状態で、どうして国民が金を使って消費しようという気になるか。 人間として生まれて、どうしてこのような酷い差別と、境遇に耐えなければならないのか。


とりあえず、この冬を乗り越えなければならない。餓死者凍死者を出してはならないのだ。 これは今日明日の問題である。 湯浅誠が言っているようにこれは 生存の問題なのだ。 派遣切りによるホームレスの増加は、年末がピーク。 今年の正月休みは、12/26~1/5の10日間続く。この間、役所は動かないのだ。。。

企業の社会的責任   苦しいときに真価が問われる [Ethics]

Sonyが8000人も人員削減、だという@毎日新聞

ひとは企業にとって宝であるはずだ。 職員削減、しかやることがないのか?
職員削減したら、どういう影響が国内国外に出るか、すこしは考えたことがあるか。経営も、労組も。

今、8000人従業員を解雇すれば、その直接間接の影響を被る人数は何万、何十万人に及ぶだろう。生活に事欠く人が出てこないか?だれがその面倒を見るのか。

従業員を解雇せず、かわりに、ソニー全従業員の給与を一割カットしたとき、その家族の生活のゆとりは減少するだろうが、住むところが無くなり、貧困に苦しむということは考えにくかろう。


解雇をやれば日本や世界で、ソニーのブランドはそれだけキヅ付き、不買が広まる。それを計算に入れているか?


苦しいときの共こそ真の友。

苦しいときにどう振る舞うか、で真の価値が決まるのだ。人も企業も政府も。

「Sonyは従業員を絶対に解雇しません。給与をカットして踏ん張る。経営陣の俸給は景気回復するまで9割カットする。株主配当もしばらく下げることを株主の皆さん、了承してください。
みなさん、我が社の製品を買ってくれ!」、と、社長が新聞でTVで、アナウンスできないのか? やれば、私は今日、ソニー製品を買いに電器店に走るだろう。

共存共栄、相互扶助。

企業とはなんであるか。企業自身(経営、労組)の自覚が足りないのではないか? 経営とは何であるか、わかっていない、ということだ。


##

最新ニュースによれば、広島県三次市長は現市長任期に限った特別措置として、退職金=1500万円を廃止すると条例改正し、議会に提出したという。前例のない提案にとまどい、選挙で政争の具となる、と議会が抵抗している、とか。器が小さいのぅ。


従業員の首切りを行った企業の、あるいは、首切りを行う予定の企業の役員が年末の賞与を受け取る、という破廉恥はまさか行わないだろう。 

豊田市では、来年度、税収が9割も減る、という。

ニュースの報じるところによれば、解雇した派遣労働者に対し、直ちに寮を退去するよう命じた企業があるという。これは、人間のやることか? こういう企業は速やかに地上から滅することを祈るのみである。 いま、解雇のうえ寮を追い出されホームレス状態になった派遣労働者が駅とかネットカフェに列を成している、という。 

トヨタ車をボイコットせよ  経団連は民主政治の敵である [Ethics]

                           081113_1126~01馬面トヨタ.JPG Who Are You?


 「厚労省叩きは異常」とトヨタ奥田氏 報復でスポンサー降りる? 

 トヨタ自動車の奥田碩相談役は12日、首相官邸で開かれた政府の有識者会議「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、年金記録問題などで厚労省に対する批判的な報道が相次いでいることについて、「朝から晩まで厚労省を批判している。あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」とメディアへの不満をあらわにした。

 奥田氏は同懇談会の座長を務めているが、会合の最後になって突然「個人的な意見だが、本当に腹が立っている」と厚労省に関する報道への不満を切り出し、こうした番組などからのスポンサー離れが「現実に起こっている」と述べた。


世界広といえども、ここまでロコツにマスコミ操縦をやることを宣言する企業トップもいないだろう。
どこまでアホなのだろうか。

現在の厚労省を批判、非難しているのは国民なのである、マスコミが国民の声を代弁するのは至極真っ当なことにしかすぎない。
頻発する医療事故、社会保険庁の職務放棄ともいえる杜撰さによる年金破綻。
これを批判しないで何を批判するのか。奥田にはマスコミは見えるが背後の国民の生活がみえず、声が聞こえない。
トヨタを買ったのも、同じ国民なのである。


マスコミよ
そこのけそこのけ
ケーダンレンがとおる


まもなく、

 田母神と防衛省を批判する放送局、新聞社から スポンサーを引き揚げろ! 

と言い出すだろう。

こういう企業は国民の側から ノーをつきつけよう。 海外に出て行ってくれ。
もう、クルマ屋の時代は終わったのだよ。



マスゴミは、すでに、この恫喝にビビッて、<自粛>を始めたらしい。 
貧すれば鈍する。 経済が狂い出すと、途端に本音がモレ出す。誰かパンパースを当ててやらねば。


集団的自衛権の明記求める 経団連の憲法改正提言
日本経団連(奥田碩会長)が検討していた憲法改正問題の提言で、憲法九条二項を見直し、自衛隊の保持や集団的自衛権を明記するよう求めることが13日、明らかになった。18日の理事会で承認後に発表する。  経済界では経済同友会、日本商工会議所がすでに憲法改正の提言を公表済み。各団体とも自衛権の保持など方向性は一致しており、経団連の提言がまとまったことで経済界の主張が出そろい、政府の改憲論議を加速することになりそうだ。  提言では自衛権と自衛隊の保持に加え、集団的自衛権の行使についても規定を明確化することを盛り込む。また国際的に信頼・尊敬される国になることなどを国家目標として掲げ、自衛隊の国際貢献活動についても規定の整備を求めている。 2005/01/13 03:06


つぎは、集団的自衛権の承認、憲法九条の改正に賛同しない新聞、放送局からスポンサーを降りろ!か?


経団連は毎年50億円超の献金を、経団連の要望する政策を支持するかを判定基準として政党にばらまいている。政党は本来国民の要求を実現すべく結成されたのであり、献金=賄賂により企業団体の推す政策に支配される現在の<経団連方式>はニッポンの民主政治を破壊しているのである。ワーキングプアの増大、過労死~日本の貧困化、格差社会の根源は、経団連という賄賂供給団体に、金に弱い与党自民党が支配されたための政治汚染現象の帰結である。 


格差社会よ、さようなら。憲法社会よ、こんにちは。
http://walumono.typepad.jp/1/2008/10/post-2f15.html

経団連への政治献金に反対する要請書
http://homepage2.nifty.com/~matsuyama/0016.html

キヤノン製品を買うな 御手洗経団連会長(キヤノン)が露骨な政治介入
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-12-12

投函したら投獄よ    中央線沿線<公民教育>事情 [Ethics]

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7月3日毎日新聞(ネット版)に次のような記事が掲載された(現在削除されている)。

<議会報告>集合ポストに入れた国分寺市議、書類送検

##記事引用
 東京都国分寺市の幸野統(こうのおさむ)市議(27)が、所属する共産党市議団の「市議会報告」を集合ポストに投函(とうかん)するため市内のマンションに立ち入ったとして、警視庁小金井署が住居侵入容疑で東京地検八王子支部に書類送検していたことが分かった。集合ポストはオートロックの扉の外側だった。

 調べでは、幸野市議は5月18日午後5時ごろ、同市本多1のマンション1階玄関にある集合ポストに市議会報告を配布するため、無許可でマンション敷地に侵入した疑い。集合ポストそばには、関係者以外の立ち入りを禁じる張り紙があった。

 幸野市議は投函中に住民の一人から「無許可だ」などと注意を受け、一緒に近くの交番へ行った。マンションの管理組合が5月22日付で被害届を出したのを受け、6月9日に書類送検した。

 幸野市議は「オートロック外側の誰でも立ち入れる場所で、理解できない。市民の知る権利の侵害にもつながる」と、不起訴処分を求めている。

 ビラ配布をめぐっては、東京都立川市の防衛庁(当時)官舎で自衛隊イラク派遣反対のビラを各戸の玄関ドア新聞受けに投函した市民団体メンバーが住居侵入罪で逮捕・起訴され、4月に最高裁で有罪が確定している。しかし、オートロックの扉の外にある集合ポストに投函した場合の判断は明示していない ##


本日(7/21)、毎日新聞の26面<メディア>欄に、
議会報告ビラ投函で書類送検に波紋  - 住居侵入か表現の自由か-
という見出しで特集記事が掲載されている。

事件の発端は次のようなことらしい。やりとりを本日の毎日新聞から引用:

5月18日午後5時ごろ、JR国分寺駅近くにあるマンション入り口のオートロック扉の外側でトラブルは起きた。集合ポストにビラを投函中の幸野統(こうのおさむ)国分寺市議(共産)は帰宅した住民と鉢合わせした。
「何やってるんだ」
  「党の市議会報告をくばっています」
「ビラ配布禁止、関係者以外立ち入り禁止と張り紙があるだろう」
   「市議会議員として市民にお知らせする義務があります」
「必要ないと住民が明記しているのだから配る権利はない」
(注) <帰宅した住民と鉢合わせ>。。この住民とは誰であろうか。このヤリトリから推測すると、マンションが雇っていた用心棒と推測される。

被害届を出したのはこのマンションに暮らす大家の新海栄一市議である。毎日の特集記事に新海栄一議員と、書類送検された幸野統市議、双方の言い分が掲載されているので全文掲載する。

被害届を出した 新海栄一市議 <自由にも限度がある
  
  「表現の自由にも限度がある。幸野市議は「立ち入り禁止」の張り紙を認識しており、住居侵入に当たるだろう。被害届を出すことで、自身や同僚議員の活動を制限すると思ったが、住人の強い希望を受け、管理責任者としてやむなく提出した。
  同じ議員の立場からすると、立ち入り禁止とあっても、気にはしながら配ってしまうのは分かる。このマンションにも自民党の都議や国会議員のチラシは入っている。だが、捕まったらその人の責任だ。立ち入り禁止は住民の総意で決めたことで、市民が嫌がることを議員がするわけにはいかない。幸野市議は配るのは当然の権利だという姿勢を改めてほしい。
  さらに今回のビラの内容も議会報告というより、党の意見が多いような気がする。それでは住民の理解を得られないのではないか。今後、私の活動報告のビラ配りに対する市民の目は厳しくなるだろう。これまでもトラブルを考え集合住宅には配っていないが、その決まりを徹底する。」

新海市議のこの意見は12個の文章から成り立っている。その12の文章すべてが笑えるという、珍重すべきものである。とりわけ傑作な箇所を赤字にしておいた。 <だが捕まったらその人の責任だ> <今回のビラの内容も議会報告というより、党の意見が多いような気がする。それでは住民の理解を得られないのではないか> の箇所にはのけぞってしまった。

つぎに 書類送検された幸野統議員の発言<まさか犯罪扱いとは
 「新聞やテレビは通常、市議会の詳細な議論まで報道しないから、ビラは議論の経過を簡単に伝えられる手段の一つだ。住民税を払っている市民にとって、市議会は身近な国会に当たる。ビラは議題や各議員の主張を知るために必要不可欠な情報ではないか。
  管理組合が一律にビラ配布を禁止し、それが犯罪になるのなら、議員としての表現活動だけでなく、市民の知る権利も大きく制限されてしまう。しかも今回の配布場所はオートロックの外側でも立ち入れる集合ポストだった。「関係者以外立ち入り禁止」という張り紙は目に入っていた。しかし、市民に市議会での活動を報告する立場にあり、自分自身は「関係者」だと考えている。
  もちろん、住民はビラを受け取らない自由、読まない自由もある。だから住民に強くやめろと言われたら「はいやめます」と答え、そこで終わる話だ。警察に行ったときも事情を説明しているという認識で、まさか犯罪として扱われるとは思ってもみなかった」

公党の議員や党自身がおのれの見解や、党活動、党の政策を訴えるのは(非・支持者に対してもl、だ)、義務であり、権利である。マンション住民にこれを拒否する自由はない、のである。議員が広報活動のために自宅のポストや、まして、公的領域への立ち入るのは当然のことであり、これを禁じる張り紙や決定は一切無効と心得るべきである。<立ち入り禁止>の立て札やビラを貼り付けたものに対し、議員活動妨害罪で 被害届を出すべきなのである。

こういうオメデタイ住民やそれにノッカル議員がでてくるのは、小学区中学校でしっかり<公民>教育がなされていないためであろう。公民には、<議員活動、党活動を妨害する自由は>ないのである。不動産やサラ金、援助交際宣伝ビラ、と、市の広報や公党活動ビラの区別もできないようである。

幸野議員は、
住民はビラを受け取らない自由、読まない自由もある。だから住民に強くやめろと言われたら「はいやめます」と答え、そこで終わる話だ。。。 と言っているが、読まないのは自由であり、<手に>受け取らない自由(廃棄する自由)はあるが、
     ポストに投函するのを拒否する自由はない
のである。ポストは公的領域に属するのである。これが自由に拒否できるのなら、選挙演説でガアガア、スピーカからしゃべりまくったり、TVやラジオで行う個人演説、はどうなるのか。チャネルを変えて聴かない自由はある。これは、ビラを破いて捨てる自由があるのと同じこと。電波を飛ばすな!とはいえないんである。

幸野市議の送検後、弁護士らでつくる自由法曹団東京支部(文京区)は国分寺市議会に不起訴を求めるよう文書で要請し「今回のビラ配布が犯罪なら、議員活動に大変な障害となる。党派にかかわらず議員全体の問題だ」と、訴えた、と、毎日新聞は報じている。当たり前のことである。


ビラ配布を巡って、立川市の防衛庁(当時)官舎で04年1月に自衛隊イラク派遣反対のビラを各戸の玄関ドア新聞受けに投函した市民団体メンバ3人が後に住居侵入罪で逮捕・起訴された。一審の東京地裁八王子支部は無罪を言い渡したが、東京高裁では有罪。今年4月に最高裁で有罪が確定した。
  最高裁判決は「表現の自由も無制限ではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限を受ける」と指摘したうえで、「管理者の意志に反して官舎に立ち入るのは、住民の私生活の平穏を害する」と結論づけた。

 最高裁がパアプウな判決を連発しているのはすでに有名であるが、これもお笑い判決。

今回の国分寺の事例に即して言えば
「住民の私生活の平穏を守る自由は無制限ではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限を受ける」
「マンションの公的領域に立ち入りビラ配布を拒絶する行為は、公民の福祉と権利を侵害し、議員と公党の活動への妨害である」
と、結論すべきである。

国分寺のこの事件は立川事件よりもっとひどい、政治活動に対する妨害、言論表現にたいする妨害事件。訴訟になったら大恥をかくことがわかって、被害届を出した議員もコッソリと取り下げたのだろう。被害届の内容をみた警察が、あんたね、議員の広報ビラは民主主義国の住民ならシュクシュク、と、受け取る義務があるんだよ、被害をもたらしている張本人はあんたなのよ!と、コンコンと諭すべきなのである。脳が溶けている住民の多い中央線沿線では無理かな。

 マンション住民の被害届をハイハイ、と受理する警察にも公民教育が必要だろう。最高裁判事にも。外国には知られたくないニュースである。ニッポンの恥。

080721_1033~01.JPG パアプウ警告の見本

座談会「秋葉原事件・何が問われているか」 その1 [Ethics]

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雑誌『世界』8月号が緊急座談会「秋葉原事件・何が問われているか」を掲載している。
出席者は次のとおり。
鎌田慧  ジャーナリスト
池田一慶  ガテン系連帯共同代表
小林美希  労働経済ジャーナリスト
本田由紀  教育社会学専攻(東大准教授)

自身が派遣労働を経験した鎌田と池田の発言を中心にここに再録する。派遣業の実態を体験を交えて語っている。

<白日夢のような悪夢>
小林
。。。ここまで悲惨な事件が起きる前に、さまざまな形で同じような事件はすでに起きていたのではないかと思います。


池田
。。。僕自身は2005年から日野自動車に派遣社員として2年3ヶ月ほど働きました。加藤容疑者が私と同じ派遣会社で、やはり自動車工場で働いていたことを知り、ますます、これは他人事ではない、と思っています。
いま危惧しているのは、彼が「アキバ系のオタク」だったとか、事件の原因を彼個人の性格に還元したり、あるいは派遣労働という構造や派遣先企業の問題を無視して派遣会社だけを問題視したりする議論です。こうした議論が派遣社員を職場でさらに追いつめないかと心配です。
一方で派遣先の大企業は平然としている。

鎌田
。。。彼と同じく青森県出身で、期間工としての体験を「自動車絶望工場」に書いた私には、彼が身近に感じられたのです。
。。。6月14日の朝日新聞の天声人語が、「派遣工の弱い立場も背景の一つだったが、凶行を格差社会のみで語るのはどうか。あまり一般化すると、私的で特異な要素がかすんでしまう」と書いています。これは、今回の事件が個人の資質や性格の問題ではなく、あくまでも社会的な問題として考えなくてはならないと書いた私などへの反論だと考えられます。私が今回の事件の背景として、ますます非人間的になっている派遣労働の実態があると指摘しているのは、こうした議論への反論だったのですが再び巻き返しがなされているのです。



<派遣労働の実態>
池田
1999年に労働者派遣法が改正され、それまでは専門的業務に限って例外として認められていた派遣労働が原則的に自由化されました。そして03年の派遣法改正でついに製造業でも派遣労働が解禁されるにいたりました。工場の様子と派遣労働者の役割を、自分の経験から説明しましょう。私の働いていた日野自動車の工場にはおよそ6500人が働いていましたが、そのうちの約半数、3000人が正社員ではありません。そのうちの2000人は自動車メーカーが直接雇い、有期契約社員として働く「期間工」と言われる人たちで、残りの約1000人が派遣労働者です。。。

。。。派遣社員に求められているのは、必要なときに決まった労働をこなす工具のような役割というわけです。
私たちの雇用期間は1ヶ月から三ヶ月の細切れ雇用です。自動車会社はできる限り在庫を持たないよう細かく生産計画を立てます。僕の働いていた工場では1ヶ月に一回、生産工程会議を行い、派遣労働者や期間工の数を決めるのですが、それを決めるのは工務部といって部品を扱う部署です。人事部ではありません。
正社員であれば人事部で雇われ、教育をされて、働くことに喜びを見出していくのかもしれませんが、不安定な細切れ雇用と単純労働の繰り返しのなかで、この状況に耐えることだけです。労働者がいくら頑張っても、生産が下がれば雇用は切られます。賃金も低く、私たちのような派遣労働者の年収は、月に60時間の深夜作業をこなしても250万円弱にしかなりません。期間工は400万円弱、正社員になると500万円くらいになります。

小林
製造現場の派遣労働者や「請負」労働者、さらに他業種の非正規労働者も、不安定な短期雇用と劣悪な労働条件という点で共通しています。たとえば、一見すると企画などの分野の派遣社員は、単純作業ではなく働きがいがあるように見えますが、やはり「この先どうなるかわからない」という不安感、不安定な状況から抜け出せないことへの苛立ちは、非正規で働いている人たちが共有して感じていることではないかと思います。その根底には、企業が非正規で働く人たちをどう見ているのかという問題があります。企業側が非正規労働者を人件費削減のための正社員の代替であったり、生産の調整弁として見なすのであれば、働く側は「いつクビになるかわからない」という不安を抱えざるをえません。


<人間関係が成立しない>
(派遣労働者の内部、あるいは派遣と期間工との間や、派遣と正社員のような、様々な雇用形態で働いている労働者の間での関係)
。。明確に序列的な意識がありましたね。。。
正社員との信頼関係は、このような状況では望むべくもありません。派遣社員は正社員から見れば、一番単純な作業しかできない半人前です。しかも自分たちが面倒をみてやっている。本当の意味で同じ職場の仲間とは認めません。当然、こうした労働条件に嫌気が差してやめる派遣労働者も多いですから、正社員の側の派遣労働者を見る目はますまる悪くなる。。。
派遣労働者や期間工のあいだでも、いつ相手がいなくなるかわかりませんし、お互いに職場に人間関係を求めていない場合が多くなりますから、話はあまり交わしません。寮で生活していて、同じ部屋になっても挨拶もしないという人ともたくさん会いました。


鎌田
事件を起こした彼はトヨタの期間工の募集に落ちていたと自分で書いていますが、以前なら考えられないことです。これまでは期間工が最底辺の労働者だったのですから。今はさらにその下に派遣労働者の階層ができたので、期間工の募集にすら選別が働くようになった。期間工すら落ちて、その子会社の、それも期間工の下の派遣になり、解雇の予感に震えている、とんでもない絶望的状況です。期間工は直接雇用なので、低賃金ながらも企業側から「ご苦労さん」というねぎらいがあります。明日にはクビになるかもしれないという状況でもないから、多少は安定しています。採用も本社の人事課が行います。それに対して派遣労働者は、労働者を掻き集めた派遣会社から供給されるだけなので、企業は彼らをまったく信用していない。賃金も期間工と格差があるし、蔑視の眼差しも強い。それは池田さんも経験しているはずです。

池田
はい。正社員と期間工と派遣で花見をしたのですが、三十歳くらいの正社員のひとから「お前いくつだ」と聞かれて「26歳です」と答えたら「お前は正社員か?」と言うので「いいえ、派遣です」と言ったら、「派遣か、人生終わっているな」と言われました。私は笑っていたのですが、後に、組合の仲間になる同じ寮の部屋の人がその言葉に怒って喧嘩になりました。それが労働組合を作るきっかけになったのです。


小林
正社員の立場からすると「入口がちがう」という言い方をします。自分たちのような正社員は厳しい試験を突破してきたので、派遣労働者が何年働いていようと、正社員に転換するのは逆にアンフェアだと見る。マスコミの職場でも同じようなことが言われることがあります。大手新聞社で労働問題を扱っている記者自身ですら自分が正社員であると、そういう思考を持っている場合が少なくなく、隣りあっている契約社員や派遣労働者が置かされている状況や気持ちに気づかない。。。。

鎌田
。。。序列的な構造も、以前は本工労働者と下請け労働者という区別だけでしたが、いまや多重構造化して、同じ工場内でも正社員から期間工・派遣労働者、外国人「研修生」や日系ブラジル人、請負企業の本工、臨時労働者などがいる。大企業だけでなく、コスト削減を迫られている中小企業でも状況は変わりません。
これまでこういう状況に置かれた若い人には自殺が多かったのですが、最近になって怒りが他者に向けられるようになってきたのではないかとおもいます。


 (つづく)

つぎは、トヨタ・関東自動車の問題、結論~労働者派遣法の改正、について。

秋葉原連続殺傷事件を考える 高村薫 大澤信亮 瀬川勝久 [Ethics]


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7月4日、毎日新聞<論点>は、『秋葉原連続殺傷事件を考える』。高村薫 大澤信亮 瀬川勝久の意見を掲載している。

1 瀬川勝久 元警察庁生活安全局長

ネット規制検討急げ
ダガーナイフの所持は絶対的に禁止を
公共の場所での犯行予告も警戒怠るな

瀬川の言っていることはこれだけ。 防犯すれば、このような犯罪が防げるわけでもないし、防犯活動で防ぐには膨大なコストがかかることは自明である。 何が問題なのか、が分かっていない。 いかにも、元警察庁、である。


2 高村薫 作家

少しの偶然で起きた
変わらない参入困難な一般社会の現実
気弱な青年が17人も殺傷できる異様さ

(ネットへの犯行計画を書き込んでもダレにも相手にされない、。。他者は他者でありつづけ、そうでなければ成立しないのがオタクである。。と、述べたあと。。)
「こうした社会環境は、個人を他者の身体から切り離すような先端技術から必然的に派生してきたものである。。。ひとつ間違えばそこにも無視と排除はあり、相手がいないゆえの怒りと孤独は、そこではいよいよ行き場を失うほかはない。自分が背を向けたはずの一般社会の現実が、あらためてのしかかってくるのは、そういうときである」

「学校の成績や就職の成否で人生が分かれてしまう社会のゆがみは小さくない。しかし、若者の爆発を生み出しているのは、社会という共同体の体系それ自体が、変わりようもなく強固に、彼らの外にあること、そのことである。消費文化をひた走り、売れたものが勝ちという単一の価値観を蔓延させる一方で、その一般社会への若者たちの参入を困難にしている私たち大人には、彼らの暴走を大声で憂える資格はない」

「くだんの青年をほかの青年たちから分けたものは、ほんの少しの偶然に過ぎない。もともと十分に反抗的ですらなかった気弱な青年が、強固な意志もなく勢いで17人も殺傷できる、この都市空間と消費生活のありようそのものを異様だと思うべきである」


異様だろうか?わたしにはチットモ異様ではない。派遣法=奴隷法、を可決してあとは野となれ山となれ、とほったらかしているほうがよほど異様なのであって、こういう労働環境から加藤容疑者に代表される若者が出るのは因果関係に沿った、当然の帰結である。現代の都市空間と消費生活、は原因ではなく、このような生活も空間も現代技術と ニホンの風土、のもたらしたひとつの帰結である。 数十人の殺傷事件などに驚いてはならない、織り込み済みとしてシュクシュクとこの道をニッポンは歩めばよい。。と、国家と社会の設計者なら言うだろう。

怨念や凶行は人間につきものである。今の時代に特有ではない。経済環境、労働環境が変わった。その変化が人間個人の行動と家庭、共同体にどのような帰結をもたらすか。そんなことはシッタコッチャねえ、というならその結果にもしったこっちゃねえ、でよいのではございませぬか?


          080704_1014~01chaplin.JPG



3 大澤信亮

絶望招く非正規雇用
凶行英雄視と個別的な原因追及に亀裂


大澤信亮とは?

http://www.ihatov.cc/blog/archives/2007/10/post_501.htm
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%E7%DF%B7%BF%AE%CE%BC


「もうファシズムか革命しかないんじゃない?」以前取材した自動車工場で働く青年の言葉だ。

(略)

(性格や家族関係など個別的原因の追及がなされているが。。)
最低限、共有すべきは、事件の背景に非正規雇用という雇用形態の問題があるということだ。わたし(大澤)が得た情報では、容疑者を派遣していた会社は、突然の解雇、労災の認定拒否、給料の天引き、労働者への蔑視など問題企業として知られていた。この種の劣悪な労働環境の横行は派遣法の改正以来常態化している。全労働者の三分の一が非正規雇用、再チャレンジもままならない現状で、これは一企業だけの問題ではない。
(略)
私は容疑者の境遇に同情するが、だからこそ、彼がやった事は絶対に認めない。ただしそれは彼を「身勝手」と一方的に切り捨て、社会の在り方を疑わない人たちへの危惧と矛盾しない。責任を個別に切り詰め性急に裁断する思考が、犯行前の容疑者と同型に思えるからだ。彼の憎悪は、自己と近しい他者の間をシーソー的に往復するだけで、ついに社会へは向けられない。
(略)

容疑者の感性は「極端な富裕層よりも正社員という近い存在こそが敵」と述べた「希望は戦争」の赤木智弘氏を連想させる。差し伸べられた手をも払いのける彼らに、届く言葉はあるのだろうか。そもそも彼らはなぜ近しい存在を憎むのか。心理の問題ではない。人間性の回復という問題でもない。容疑者のさらされた環境が、トヨタ - ネット - オタク、という「三重のグローバリゼーション」だった以上、必要なのは、個人を分断し構造的孤独に追い込む現実それ自体への冷徹な眼差しである」

大澤の現状認識にまったく違和感はない。これは大澤より二世代若い高村薫の認識と基本的に同一である。目の前にあるのは一世紀半まえ、マルクスが観察したのと同じ状況である。。。企業は、労働者のあらゆる血穴から生き血を吸い取る。。といった状況の再来である。違いは何か?いま労働者の手にはケータイがあることくらいだろう。

今朝の新聞の一面には、『生保十社に改善命令』、とある。オドロキもしないニュースだが。。十社合計の不払いは約800億円。金融庁は、保険業法に基づく業務改善命令を発動した、という。ハケン業法違反の企業に対しても、行政指導か注意だけ、あるいは、最高100万円の罰金だけ。

一世紀半前、マルクスが言ったように、労働力は特別な商品であり、需要の増減によって供給が増減するものではない(それを、マルクスは恐慌の根拠とした)。ニッポンのクルマ製造会社が機械部品の余剰在庫をゼロにするために編み出したジャストインタイムは、下請け会社と社会の犠牲により成り立ってきた。いまや、機械部品にあらず、人間労働力のジャストインタイム化を合法とする法律=派遣法が大手を振ってまかり通り、しかもその派遣法さえ骨抜きにする違法派遣があっても、違反企業に注意と行政処分にするだけ、たかだか100万円の罰金という甘い処分。マルクスが生まれ変わってニッポンにでもあらわれたら、腰を抜かすだろう。

今学校で何を教えているのか?人間の尊厳、人間は存在することだけでその価値を肯定されるのであり、いくら金を稼ぐかで価値が決まるのではない。社会的に有用な労働であればそれに差別はない。こういうことを教えているのだろうか?


クルマ産業と情報産業。先進国をリードしてきた企業群、企業だけに色目を使って労働者を労働力商品としてしかみなさない労働政策と法律しか生み出さなかった官僚と国会。国民から預かった金に利息を一切付けず、海外ファンドで損を出しまくってきた銀行保険業界。彼らの目標は利潤であり、税収であり、国民の幸福と厚生ではなかった。クルマも情報もカスでありクソであった。その帰結を巻き取らねばならない時期は近かろう。


「もうファシズムか革命しかないんじゃない?」  



サンケイ記事、【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】 を読む [Ethics]

サンケイが【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】と題してシリーズ記事を掲載している。


【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(1)「自己否定の末、自分主義に」 心理カウンセラー 星一郎
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080619/crm0806190743001-n1.htm

【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(2)「いかなる時代を生きているのか?」作家・佐木隆三
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080620/crm0806200752005-n1.htm

【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(3)哲学者・批評家 東浩紀
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080621/crm0806210821004-n1.htm

【暴発 秋葉原殺傷事件を読む】(4)評論家・小浜逸郎
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080622/crm0806220851003-n1.htm


●簡単コメント 1
幸か不幸か、彼は頭がよかった。サービス残業を課す一流企業。正社員、派遣社員を区別する経済界。経済的成功者を勝ち組とし、あおるマスコミ。世の不合理が見えたのだろう。膨大な書き込みで人を求めたが、彼は決して負け組ではない。恵まれない環境で、真面目に一生懸命頑張ってきた。そのことが素晴らしいのだ。そんな自分に「I am OK」と言えればよかったのだ。

 容疑者は世がどうあれ、罪を償わなければならない。問題は「自分主義」の世が、今後も同種の犯罪を誘発することだ。事件を私たちの共通課題としなければ再発は防げないだろう。

幸か不幸か? この心理カウンセラーは 「頭がよいのは、負け組にとっては、不幸。。」と言っているのである。加藤君!きみは負け組でなく、勝ち組なのだよ!安心しなさい、誇りを持ちなさい、と?

『恵まれない環境で、真面目に一生懸命頑張ってきた。そのことが素晴らしいのだ。そんな自分に「I am OK」と言えればよかったのだ。』

バッカじゃないのか? この心理カウンセラーは。せめて、自身で、1年間、派遣社員を体験してみるべきだろう。 (きっと、1月でネを上げるだろう)。

どこがOKなのだ?


●簡単コメント 2
時代といえば、格差社会について、改めて考えさせられる。6月4日に「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ 高校出てから8年、負けっぱなしの人生」「勝ち組はみんな死んでしまえ」と書き込み、6日後に犯行におよんだ。25歳の若さで、「負けっぱなしの人生」とあきらめられたら、71歳のわたしなどは途方に暮れて、「君の人生はこれからだったんだぞ」と、おためごかしも言えなくなる。国家にとっても格差社会は、由々しき問題なのである。

 それにしても、人はこれほど簡単に絶望して、自己を破滅させるだけでなく、他者の未来まで奪えるものなのか。。。

 通り魔殺人事件には、模倣性・伝播(でんぱ)性があるから、いつ同じことが起こらないとも限らない。それが最も恐ろしいことで、なにをどうすればよいかわからないけれども、「いかなる時代を生きているのか?」と、真剣に考え込む必要があるだろう。」

佐木にしては、めずらしく、考え込んでいる。

25歳の若さで、「負けっぱなしの人生」とあきらめられたら、71歳のわたしなどは途方に暮れて、「君の人生はこれからだったんだぞ」と、おためごかしも言えなくなる

きみの人生はこれからだった? これからどうなるのか、嘘でもいいから予測してみたらいいだろう? オタメコカシでいいからさ。

 佐木が後期高齢者になるにはまだ間がある。シッカリ勉強してもらいたい。


●簡単コメント 3
筆者はここで「若者に気をつけろ」と言いたいのではない。むしろその逆である。年金や財政の破綻(はたん)、自己責任の倫理など、日本社会はある時期から若い世代の利害を軽視するようになった。少なくとも「負け組」の若い世代はそう思うようになった。その不満が鬱積(うっせき)し、無差別殺人までが共感を呼ぶ事態が生じている。この事態を打開するためには、事件を「心の闇」に押し込めることなく、共感の声も不謹慎と斬(き)り捨てることなく、彼らの負の感情に正面から向き合うしかない。つまり、若者の声に耳を傾けるしかない。

 筆者は容疑者の厳正な処罰を望む。被害者の無念は想像するにあまりある。情状酌量の余地はないし、英雄視も許されない。模倣犯による犯罪予告が現れているが、厳しく取り締まるべきだ。

財界のいいなりになって日雇い派遣法を通した国会や政府に 正義はないのだ。 この派遣法により、生活保護を必要とする若者や中年が大量発生することは目に見えていた。 これを犯罪せず、絶望から犯罪に及んだ若者に厳罰を、という東のような評論家はいかにも自己保身的でマスゴミ受けしそうである。

彼らの負の感情に正面から向き合うしかない。つまり、若者の声に耳を傾けるしかない。

耳を傾けなければワルサをするから、やむをえず、聴くのか? <負け組>とは誰の呼称だ?<負け組>は、望まなくても必ず生まれるのが現在のシステムなのである。

東ちゃん、あんたシステム評論家じゃなかったの?
若い、とおもっていたら、いつの間にか平凡な中年評論家に大成しちまって。。

若者にオモネって、その声を聞くんじゃないんだよ。聞かなきゃ暴走するから聞くのでもない。普遍的な正義の声、を聞いてよね。


●簡単コメント 4
なるほど彼は「国家」を標的にはしなかったが、それは、よきにつけ悪しきにつけ、現在の先進社会が複雑化して、一人の若者の脳裏に国家の輪郭を明確に刻みつけるような体質を持っていないからで、輪郭のないものを標的にはできない。しかし「アキバ」は、彼にとって、きらびやかでエネルギーにあふれた、恨みをぶつけるにまことにふさわしい、実在感に満ちた「社会」であった。半世紀前、左翼も右翼も元気なころ、社会党の浅沼稲次郎が右翼少年によって殺害されたが、彼がその時代に育っていたら、この右翼少年と同じような行動をとったかもしれない。
 加藤容疑者の行動パターンは、実に計画的で周到である。犯行2日前には福井まで赴いて武器を調達し、犯行前日に現地でソフトを売ってレンタカーを借りるための資金を調達している。前後のサイトでの発言も、「明日は運転するんだから、お酒は控えめに」などと、きわめて冷静である。孤独なテロリストの面影を髣髴(ほうふつ)とさせる。日本政府は今後、社会一般に対する抽象的な「恨み」を抱きながら、それによって連帯することのかなわなくなった現在の孤独な国内テロリストたちへの感度を研ぎ澄ますべきであろう。

小浜は、加藤容疑者を山口二矢となぞらえているが、これは全くの誤解である。山口二矢は日本愛国党所属のレッキトした右翼少年(当時17歳)であり、浅沼刺殺は政治テロ、である。加藤容疑者の場合は相手は特定されていない、だれでもよかったのだ。右翼による洗脳があったにせよ、中共=毛沢東を礼賛する社会党委員長浅沼を山口は憎んでいたのである。

よきにつけ悪しきにつけ、現在の先進社会が複雑化して、一人の若者の脳裏に国家の輪郭を明確に刻みつけるような体質を持っていないからで、輪郭のないものを標的にはできない>。。日本の非・正義なシステムを変えるために無差別に通行人を殺しても、かえってオノレの理想を実現するには、大衆=一般市民の同意を得るのでなくむしろ、逆効果になりかねない。。。。はず、である。が実際はそうなっていない。

日本政府は今後、社会一般に対する抽象的な「恨み」を抱きながら、それによって連帯することのかなわなくなった現在の孤独な国内テロリストたちへの感度を研ぎ澄ますべきであろう

恨みは抽象的でもなければ、<連帯がかなわなくなった>というのも事実では無かろう。そうみえるのは、マスゴミと学校教育が、市民としての政治感度をスポイルし続けた結果である。若者を<孤独な国内テロリストたち>と呼び、<国内テロリストたちへの感度を研ぎ澄ますべき>と警察・公安を督促しているのではないか?とおもわせる評論家を排出するようになったのは国家にとって慶賀の至り。国民とりわけ若い世代を勝ち組・負け組に分離し、将来の希望を剥奪し、財界の要請により、財界と結託した議員官僚らがでっち上げた 奴隷的=派遣法を堂々と通過させることこそが、テロ的行為なのである。

奴隷法~派遣法に苦しんでいるのは若者だけでなく、その家族でもある。貧困層がどんどん拡大し、虚無と諦観が満ちているの、それに気づかず目先の利益ばかり追う財界のいいなりになって知らん顔を決め込む為政者たち。

そのツケはいずれ払わされるのである。誰が?



浅沼委員長刺殺事件と報道
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no3.htm



秋葉原殺傷事件 [Ethics]

080615_1032~01001.JPG 毎日新聞6/15


本日(6/15)の毎日新聞。秋葉原歩行者天国殺人事件を特集している。
犯行にいたる直前の、加藤容疑者のネット書き込みを掲載しているので読んだ。

6/4以後、。。6/6日、福井でナイフを買ってから出発し、6/8の早朝から突っ込むまでの書き込み。ネット上の不特定他者とのヤリトリからアキバに出かけるまでの容疑者の心理状況がよく分かる。

新藤兼人が40年くらい前、少年による無差別連続射殺事件(永山則夫、当時19歳。永山はばくち好きの父親と逃げ出した母親から育児を放棄された。極貧家庭で8人兄弟の四男。97年に死刑執行)を映画にした。ふつうの映画監督なら、なぜ、こういう事が起こったか、考えて、映画にしたい、とおもうのじゃないか。この日記を読めば。 小林多喜二『蟹工船』が馬鹿売れして(読んではいないだろうが)いるらしいが、そんな古臭い書き物より、なにが加藤容疑者に起こったのかを知りたければ、彼が掲示板に残した過去半年のヤリトリを(もし入手できれば、だが)読むに越したことは無かろう。編集して中学高校の副読本にしたらどうか?Then There ではない、問題は、Here and Now である。


この書き込みから、殺人実行までの<必然性>は、わたしには読めなかったが、このヤリトリ以前の職場環境がどのようであったかは推測がつき(とくに、人間的なつながりがほとんど無いらしいこと)、ネットでの5月30日~6月1日の侮蔑的書き込みが最後の一押し、になったと推測できる。



日記を読んだ専門家の声を載せている:

精神科医名越康文。
「。。(容疑者が掲示板に書き連ねている)孤独感は、さまざまな意味で同年代には理解しやすいものだろう。だが、自分は不幸で、原因は不細工だからという考えに固執するエネルギは尋常ではない。
掲示板ではいろんな人が容疑者にかかわろうとしているが、容疑者容疑者自身がそれを断ち切っている。。(略)。。普遍的な孤独感とはいえ、凶行との隔たりは大きい。そこを埋めるものが何なのかは、人生の始まりまで遡らなければ見えてこないだろう

教育評論家・宮川俊彦。
内面が空洞化しているという印象を受けた。 (略)
勉強していい大学に入り、おとなしく就職しろ、という圧力が強まり、空っぽな優等生が増えているのではないか

毎日新聞社会部長・小川一
時代の病理をすべて身にまとったような男の犯行から何を読み解くのか。惨劇を二度と起こさないために私たちは何をなすべきなのか。答えがすぐに見つからない現実に、改めて戦慄する


人間は人間を殺さないように自動的には育たない。環境がそうさせれば、いつでも人間同士は殺しあいをやる。殺さない人間をつくるには、文化装置が必要である。人を押しのけていい成績を取れ!と、小学校からこぞって教えているような教育から、人間尊重の精神など期待するほうがマチガイである。いつ解雇されるかも知れないという不安に苛まれ、もらう賃金は衣食住がカツカツ、という惨状。なにが帰結するか考えもしないで、派遣業法などを作文し、可決する官僚や国会議員。教育とは政府官僚が支配していいものではない。人間尊重の精神は自動的には育たない。<人間尊重>とはいかなるものか、考えたこともない教育官僚の指導を一歩も出ない教員からろくな生徒が育つわけもない。

加藤容疑者の犯行は、起こって何ら不思議はない、とわたしには思える。『答えがすぐに見つからない現実に、改めて戦慄する』? 冗談だろう? それとも、こういう劣悪な労働環境、教育現場、格差社会(親の収入により教育・生活が差別される、ということ)が原因ではない、という確信でも得ているのか?

小川一の文章は『犯罪の逆流が始まった』という見出しを付け、<地方に拡散していた犯罪が、巡回のあと、再び東京へ逆流を始めたようにも見える>と、意味ありげなサジェスチョンをやっているが、ネット時代に、地方も都会もあるものか。今回東京で起こったのは単なる偶然だろう。発火点は日本国中に蔓延している、とわたしはおもう。 ネット時代、グローバル時代は、犯罪の原因もユビキタス、なのである。


名越康文『普遍的な孤独感とはいえ、凶行との隔たりは大きい』
凶行、とは社会による呼称である。人間の命や生活をそもそも、社会が尊重しているか?国家や企業が教え、生命・生活を尊重する政策を取ってきたか? 無為無策、むしろ、貧困化を促進するような政策しか打ち出していないのだから、どんな凶行が発生しようと、黙って手をこまねいていればいいのである。 人間性無視の派遣法、違反企業にたいしては行政指導、と注意だけ。わたしにいわせれば、人間性無視の派遣法や、違法派遣の横行こそが、<凶行>なのである。この<凶行>は、国会議員が立法化したものであるし、違反企業は注意、行政指導だけで、何の罰則もない。 明日の雇用も保証されず、怪我をしたら即解雇、将来の希望も全くない人間には、守るべきものは何もない。家族とも疎遠となり、職場に人間的つながりもない状況(労働力を打っているのであり労働を売っているのではない雇用形態)であってみれば、犯行への内的阻止力はゼロに近くなるだろう。




取り調べには加藤容疑者は素直に応じているという。「容疑者が初めてこころを開いて話を聞いてもらったのは、捜査員だったのかもしれない」と、捜査幹部。 非正規労働者の労働環境がどのようなものかを伺わせる。本来なら労働現場は、コミュニケーションを可能にする一種の社会、であるはずのものだ。なにが、<非正規>から帰結しているのか? だれか、真面目に考えたことあるのか? 明日の仕事があるかどうかもわからない、数年先の生活など考えるだけ無駄、多数の国民をこのような<プレカリアート>状態に陥れて、反省するどころか益々、企業よりの政策を推進している政治屋、官僚らはニッポンから失せてもらいたい。


この事件は、企業のいいなりになって、非正規労働者の非人間的な扱いを放置している政府や国会にたいするひとつの応答である。



◆加藤容疑者が書き込んだとみられる内容◆(毎日新聞、27~28面。5/20以後の書き込み)

 (携帯電話サイトから。原文の一部を省略。赤字は容疑者以外)

 ■5月20日------------

10:55 二交代の工場勤務が底辺な仕事とは思えないけどな

16:14 人生に楽しいことなんて一つもありませんよ。どうせネットですし、はっきり書けばいいじゃないですか。「主(加藤容疑者、以下同)の存在が不愉快。死ね」と。

 ■5月29日------------

 4:34 ぶっちゃけアタシ前は主大嫌いだったんだ。主は何に対しても否定的な感じで。でも毎日このスレを見るようになったら主みたいな人もありだなと思うようになった。冗談抜きで友達になりたいと思うようになったよ

(?)   それは嬉しいですけれど、私と友達になってもあなたにとっては何のメリットもないですよ

15:21 彼女が居れば、何事も耐え忍び死ぬ気で頑張りますよ

 ■5月30日------------

 2:29 主こんばんわ。アタシ中卒で、元カレもヤンか職人だった。でも今は大卒の超真面目なリーマンと付き合ってる。人生どう転ぶかわからないね

 4:55 こんばんわ。やっぱり女性は学歴を気にするのですね。三流の短大卒の私にはチャンスはなさそうです。自分だけが取り残されています。そんな私の気持ちは誰にもわからないでしょう

 5:17 今の彼氏は学歴で選んだわけじゃないよ。たまたま大卒だっただけ。てか主はどんな風になりたいの?

 5:35 後輩に服の相談をした時に「何系を目指すのか」と訊かれて困りました。どうしたらファッションに興味を持てるようになりますか?

 5:43 異性にモテたいと思ったらファッションに興味を持てるんじゃないかな?

 5:54 服や靴に興味がない人は恋愛する資格がないのですね。服、服、服、服、みんな服です。どうして服にこだわるのでしょう。イライラします

 6:03 否定はしてないよ。主に伝えるのは難しいなぁ…主にも「異性から良く見られたい」って気持ち少しはあるでしょ?

 6:11 あります

 6:24 そーゆー気持ちあるよね。皆はそこから服に気を遣うようになるんだよ
 6:26 理解できません。意味がわかりません。イライラします。みんな殺してしまいたいです。よくわかりません。服ってなんなんですか

 6:30※服に気をつかっただけで彼女が出来るわけないじゃん

15:30 食欲が無くてもお腹は空くのですね。イライラがつのるばかりです。前直がまたサボったようです。素晴らしい残業になりそうです

15:41 不細工でも苛々するんだな。「素晴らしい」って言葉を使えるんだ

18:08 何か壊れました。私を殺したのはあなたです。

 ■5月31日------------

 5:11 みんな死んでしまえ。上辺だけの友達。言葉だけの友達。実際は他人。みんな敵。友達が欲しい。本当の友達が欲しい

 5:32 皆を踏みにじったのはお前。友達できるはずがない。しねよ

 5:50 他人の不幸は蜜の味。みんな死ねばいいのに。警察に電話したら、緊急性が無いのに110使うなって言われた。緊急なんだけど

 6:00 いったい何の用でかけた?

 6:01 ネットいじめ。みんなが俺を陥れようとしている

 8:05 とりあえず予定通り上野に行ってみる。服屋にも行ってみる。予算は10万円用意した。ここまで気が進まない外出は初めて。シラフで行くのは怖いので飲んでみました。

13:20 結局服買わなかった。少し足を伸ばして、秋葉原に寄った。若本が語る雑学、とかいうCDを買った。ぶるぁぁぁだ。秋葉原もカップルだらけだった。意味わからん

 ■6月1日------------

 5:00 はいはい日曜日。M8くらいの地震でも起きればいいのに

 7:06 殺人を合法にすればいいのに

 ■6月3日------------

10:58 俺もみんなに馬鹿にされてるから車でひけばいいのか

18:48 部屋が広すぎるんだよ。一人なら3畳でいいよ。寂しさが際立つだけ。電気くらいつけよう。部屋は明るい。気持ちは暗い。携帯ごしでも友達がいるはずだったのに。みんな俺を避けてる

 ■6月4日------------

 0:51 なんか病気なのかしら。イライラして眠れやしない。一人で寝る寂しさはお前らにはわからないだろうな。ものすごい不安とか。彼女いる奴にも彼女いない時期があったはずなのに、みんな忘れちゃってる。勝ち組はみんな死んでしまえ。そしたら、日本には俺しか残らないか。あはは。俺がなにか事件を起こしたら、みんな「まさかあいつが」って言うんだろ。「いつかやると思ってた」。そんなコメントする奴がいたら、そいつは理解者だったかもしれない

 5:32 起きた。目覚めは最悪。人生にはモテ期が3度あるらしいけど、俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ。考えてみりゃ納得だよな。親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ。中学生になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた。小学校の「貯金」だけでトップを取り続けた。県内トップの進学校に入ってあとはずっとビリ。好きな服を着たかったのに、親の許可がないと着れなかった。服なんてどうでもいい。中学以降は制服だったから良かった

15:38 スポーツカーに女乗せてる奴が居た。事故ればいいのに。汚いものを見るような目で見るな。イライラする。どうしよう。土浦の何人か刺した奴を思い出した
                                      

■6月5日
(略) 
午前6時04分 日に日に人が減ってる気がする。大幅なリストラだし、当たり前か。作業場いったらツナギが無かった。辞めろってか、わかったよ。鮮やかに帰宅、やってらんね。お前らが首切っておいて、人が足りないから来いだと?おかしいだろ。やっぱり時期的に限界か。お前らは明日がきてほしいか?来てほしいだろ。幸せだもんな。その場しのぎで笑って、鏡の前で泣いて。当たり前だろ。隠してるから気づかれないんだよ。ツナギ発見したってメールきた。隠してたんだろ。見事にはめられた。
(略)
午前11時51分 犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする。ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり。やっぱり人って大事だと思う。人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし、難しいね。「誰でもよかった」。なんかわかる気がする。
午前12時32分 東京の道路って面倒くさい。トラックで行くのは無謀かもしれん。在庫無いのか、残念。片道4時間か。
(略)

■6月6日
(略)
午前2時42分 もうどうでもいい。疲れた。彼女ができない奴の気持ちは、お前らにはわからない。どうせ俺が割るいんだろうけど、やりたいこと・・・殺人、夢・・・ワイドショー独占。それでも、人が足りないから来いと電話がくる。俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから。誰が行くかよ。

(略)

■6月7日
(略)
午後3時35分 大きい車を借りるにはクレジットカードが要るようです。どうせ俺は社会的信用無しですよ。小さい頃から「いい子」を演じさせられてたし、騙すのには慣れている。悪いね、店員さん。無事借りれた。準備完了だ。

(略)
午後7時38分 「死ぬ気になればなんでもできるだろ」。死ぬ気にならなくてもなんでもできちゃう人のセリフですね。もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる。中止はしない、したくない。

■6月8日
午前5時21分 秋葉原で人を殺します 車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら
 午前5時21分 ねむい
 午前5時34分 頭痛が治らなかった
 午前5時35分 しかも、予報が雨 最悪
 午前5時44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな
 午前6時00分 俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか
 午前6時2分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される
 午前6時3分 大人には評判の良い子だった 大人には
 午前6時3分 友達は、できないよね
 午前6時4分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴らがいる
 午前6時5分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった
 午前6時10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺の邪魔をする
 午前6時31分 時間だ 出かけよう
 午前6時39分 頭痛との闘いになりそうだ
 午前6時49分 雨とも
 午前6時50分 時間とも
 午前7時30分 これは酷い雨 全部完璧に準備したのに
 午前7時47分 まあいいや 規模が小さくても、雨天決行
 午前9時41分 晴れればいいな
 午前9時48分 神奈川入って休憩 いまのとこ順調かな
 午前10時53分 酷い渋滞 時間までに着くかしら
 午前11時7分 渋谷ひどい
 午前11時17分 こっちは晴れてるね
 午前11時45分 秋葉原ついた
 午前11時45分 今日は歩行者天国の日だよね?
 午後0時10分 時間です



6107598.jpg



毎日新聞夕刊(6/17)特集ワイドで、大塚英志(神戸芸術工科大学)が、語っている。秋葉原殺傷事件。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080617dde012040012000c.html

抜粋、引用する。

◆加藤容疑者と永山元死刑囚の共通点
 ◇時代の「若者像」との格差/軍用の武器を使用/親から「捨てられた」意識
 「今回の事件を起こした彼を見ていると、永山則夫を思い出します」。永山則夫・元死刑囚は1968年、19歳の時に警備員ら4人をピストルで無差別に殺害したとして、97年に死刑が執行された。極貧家庭で8人兄弟の四男として生まれ、バクチ好きの父親と逃げ出した母親から育児を放棄された。「おれが無知で、貧乏だったから」と法廷で事件の背景を語っている。

(略)

共通点を並べたうえで、大塚さんは強調する。「永山の時代と今が『変わった』とすれば、事件を受け止める側に『社会の責任』という感覚が希薄化したことに尽きます。メディアの報道は、心の闇という決まり文句を繰り返し、直接的な原因をサブカルチャーに求め、自己責任として個人の厳罰化を叫んできた。しかし、派遣労働者の問題は『社会問題』で、そのような『社会』を容認してきたのは誰なのか。今日ではさすがに考え込まずにはいられなくなっている

 「加害者を生んでしまったことに、私たちの責任はないだろうか。かつて繰り返された問いをもう一度真摯(しんし)に考える時期に来ています。加害者の責任の一端を担う社会の枠組みをもう一度復興できるかが問われている。労働格差に悩む若い人の間で、蟹工船が読まれる時代なのです

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◆甘え、努力不足……アキバの声

 若者らは事件にどのような思いを持ったのか。発生から最初の週末となる14日、秋葉原で聞いた。

 ◇神奈川県相模原市、大学3年の男性(21)
 「加害者はあまりにも自分勝手。事件の重大性の前では、孤独だったとか、仕事への不安というのはとても理由にはならない

 ◇千葉県柏市、鉄工会社勤務の男性(26)
 「自分は定職に就いているが、仕事がうまくいかない不安を持つ人はたくさんいると思う。相談する人はいなかったのか

 ◇東京都中野区、大学4年の男性(21)
 「仕事がうまくいっていないのは自分の努力が足りないから。絶対に許しちゃいけない

 ◇東京都足立区、メイド喫茶店員の女性(19)
 「あの日も近くで店のビラを配っていたから、自分が被害者になってもおかしくなかった

 ◇横浜市、金融会社勤務の男性(23)
 「親を恨んでいたというが単なる甘えでは。亡くなった人、その遺族の悲しみを想像できなかったのか」

 ◇東京都、福祉職(26)
 「彼の供述をみると、今になって重大さに気づいている気がする。発生直後の現場を子どもに見せようとする親や、携帯電話で撮影していた人がいると聞いて異常に感じた

 ◇東京都板橋区、就職活動中の男性(26)
 「追いつめられていたのはかわいそうだが、やったことは許されない。相手の見えないネットの掲示板のやりとりでは、人間の深いところは分からないのに

 ◇埼玉県鴻巣市、会社員の男性(40)
 「計画的な犯行で同情の余地もない。カメラの前で謝っていた彼の親がかわいそうだった

 ◇川崎市、会社員の女性(30代)
 「警察官は多いが、街のにぎやかさは変わらない。事件の場所で、亡くなった人のことを考えて手を合わせた」  

◇東京都大田区、会社員の女性(23)
 「思春期の挫折は誰にでもある。私が彼と違うのは、周りの人が力になってくれたことかな





加藤容疑者がなぜアキバに向かったのかこの毎日新聞記者にはわかっているのだろうか? インタビュイーには 仕事の無い、非正規社員などひとりもいない。 大新聞記者のこの鈍感さにも驚く。それで、この見出し<甘え、努力不足……アキバの声>。マスゴミの無知、鈍感さも、なぜ事件が起こったのかの、ひとつの回答にはなるだろう。

大新聞が現在の非正規社員の実態を連日報道し、違法派遣を行っている企業を追求し、格差社会・貧困層を許している法律を放置している国会や政府の無策を連日追求すればこのような事件を撲滅できなくても、激減はするだろう。が、大企業から宣伝費をタンマリ吸いながら記事を書いているようでは多くを望めまい。

想像力と共感(シンパシ)の欠乏はいかんともしがたい。権力者と支配層を覆うビョーキ、である。


080617_1805~01001万世橋.JPG 事件現場の献花台 毎日新聞6/17 夕刊



##### 参考になるブログ

秋葉原殺傷事件、犯人は「日研総業」で仕事
http://f-mirai.at.webry.info/200806/article_18.html

秋葉原殺傷事件   繁華街 数分の惨劇  罪なき人 犠牲
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-10/2008061015_01_0.html

秋葉原無差別殺傷事件、雑感
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_7ef3.html

雨宮処凛と赤木智弘のコメント
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20080612/1213201277

秋葉原殺傷事件、職場への不満引き金か
http://blog.tashiro-sr.com/archives/51406212.html

秋葉原殺傷:加藤容疑者、流転の人生 はい上がる道失い(毎日新聞6/16)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080617k0000m040100000c.html




関連記事:
名ばかり管理職 
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-04-01-1
キヤノン製品を買うな 御手洗経団連会長(キヤノン)が露骨な政治介入 
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-12-12


私の子は私の子か [Ethics]

2月20日、朝日新聞「私の視点」欄に盛永審一郎(富山大教授、哲学)が投稿している。<◆生命倫理  公開の場で論じ合意得よ>

「研究室で火事が起こった。燃えさかる炎の向こうには、煙を吸って意識を失った赤ちゃんと、シャーレに入った10個のヒトの胚(受精卵)がある。一方しか助けられないとすると、どちらを選ぶだろうか」


盛永審一郎はここで ヒト と 人 を使い分けている。しかし使い分けの基準が明確でないのだからこの文章も問いも何も言っていないことに等しい。


「ヒトの胚」 と言っているが、<ヒトの>の、「の」の意味が不明確なのだ。「私の子」の「の」も見直しが必要。私の胎内から生まれた子は私「の」子。これを自明なことと思っていては議論にならない。現時点では人間文明はこうしたほうが生まれる子にとっても、人間社会にとっても便利だから、そうしているにすぎない。

iPS細胞は、クローン問題を解決していない、という盛永審一郎は正しいとおもう。

昨日、福岡正則(生物学)がTBSラジオ(トークバトル)で述べていた。こういうことだ、いま「脳死」というものが法律で規定されている。しかし、ひとは徐々に死んでいく、のであり、脳死を決めるのは移植、という効用を考慮してのことだ。法律で<生から死>の転換点を規定しているがでは、死(生前)から生への転換点はどうやって決めるのか?という問題は残っている、と福岡正則は言う。

iPS細胞(人の皮膚からも作ることができる人工多能性幹細胞)から造ろうと思えばクローン人間は作れるし、かりに人をつくらなくても、心臓腎臓肝臓を安く作りたいだけ作ってポイ捨て、していいのか?そういうパーツが安価にできれば、それを使って、ツギハギサイボーグ人間になって長生きしたい、優秀なパーツだけで身体を再構成、リストラしたい!という人間どもが出現する。

長生きがそれほどの価値か?という問いに人間は直面する。法律で定める前に、あるいは定められた後でも問いは永久に残る。

盛永審一郎はつぎのように言っている。

「カトリックの影響が強いドイツでは、法律で胚の作製や研究利用を厳しく規制しているが、卵子や精子は「もの」と同じように扱っている。だから精子が卵子に入ったばかりの受精直前の段階での研究や診断は許容されている。そこには、宗教観や倫理観に裏打ちされた確固たる線引きが存在している。

わが国には、こうした大原則はない。科学技術の進歩を後追いする形での法や指針があるだけだ。この機会に、宗教や哲学、科学など学問の垣根を越えた幅広い英知を結集し、国民の合意を得るべく公開の場で「人」の始まりや終わりを論じてみてはどうだろう」

海外で宗教に基盤をおく「確固たる線引き」が存在し、ニッポンにそれがないことは全くニッポンにとって恥じるようなことではない。こういう問題の解決に、宗教を頼ること自体が問題なのだ。iPS細胞の発見に、人体パーツが<倫理上の問題を回避して>ジャカスカ作れるようになった!不良パーツはドンドン置換しろ~と大騒ぎするヤカラにこの問題を論じてもらっては困るのだ。iPS細胞は生命倫理の前線を移動(前進したのか、後退させたのかはわからない)しただけで、問題は何も解決していない。母親の卵子を操作するか否か、は全く些細なことに過ぎない。福島正則が言っているように研究者、は金や名誉が手に入れば何でもやる。医療産業はジャカスカ献金して<儲かる法律>を作り続けるだろう。こういう問題を既成の<宗教>に委ねることこそが問題なのだ。いまやることは、前線を一歩退けて、新たな宗教を個人個人が造ることなのだ。

 

生きることは、価値か?


プリンスホテルの利用を拒否しよう [Ethics]

これもビックリするようなニュースである。

 

東京新聞(2008年2月2日 ):

日教組 全体集会を中止 プリンスホテル 高裁の使用命令拒否

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008020202084400.html

##引用

 二日から東京で始まる「教育研究全国集会(教研集会)」の全体集会について日教組は一日、開催中止を決めた。会場となっていたグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が一方的に契約を解除、東京高裁が使用を命じる決定をしたにもかかわらず、従わないため。教研集会は一九五一年から開かれているが、五十七回の歴史で初めて全体集会が開けない異例の事態となった。 

 教研集会は日教組に所属する教員が、日ごろの教育実践などについて発表し、意見交換をする。日教組側は昨年五月、約二千人が参加する全体集会の会場として、同ホテルと「飛天の間」の使用について契約した。しかし、十一月になってホテル側が、右翼団体による抗議活動の可能性などを理由に契約を一方的に解除した。

 日教組の申し立てに基づき東京地裁は会場の使用を認め、東京高裁も先月三十日、ホテル側の抗告を棄却した。

 日教組は、契約上は使用開始となるはずだった一日午前にあらためて使用できるようホテルに要請。だがホテル側の姿勢は変わらず、予約していた会場は既に他の団体に貸し出されていたことも分かり、全体集会の開催を断念したという。

##

 

今のニッポンで企業や警察に、倫理や公序良俗を求めても無理なのだろうが一応書いておく。

ホテルは利用客を選ぶことができるのか?プリンスホテルの定款にはそのように書いてあるのか?今回の場合、日教組が他の利用客の迷惑行為をすることが予想されるわけでも、過去にしたわけでもない。日教組の集会に対して毎回妨害行為をするのは右翼団体(正確にはゴロツキであるが、右翼もしくは右翼団体でとおす)の連中である。右翼が街宣車を使って大音響をまき散らして周辺の住宅、歩行者に迷惑行為を行っているのである。今回も、ホテルに対して利用させないような圧力を掛けたのだろう。こういう迷惑行為、暴力行為を警察はほったらかしなのである。プリンスホテルは利用客に対して暴力威嚇行為があった場合、利用客を守ろうとせず、利用を拒否しようとしているのである。

去年呉、マンションの郵便受けに勝手にビラを撒いたとして、市民が逮捕、長期拘留された例があったが、こういう右翼集団による威嚇行為はそれに比べて遙かに重大な影響をもたらしているのにかかわらずほったらかしか?警察は誰のために存在するのか?誰を守るのか?

日教組のホテル利用目的は、ホテルの利用定款を逸脱してはいない。過去、日教組の集会で毎回妨害行為を行っているのは右翼のほうである。ホテルが利用客や周辺住民・企業の迷惑を考えるのであれば、過去の妨害行為の例を持ちだして警察に十分な警備を依頼すべきであった。前回の大分での集会を事前調査した、とホテルは言っているが、その結論が利用を拒否するというものである。何の落ち度もない、公序良俗から逸脱していない利用客を、サービスを提供する業者(ホテル、レストラン、劇場、その他)が選んでいる。利用客に対する迷惑行為を排除しようともしない。妨害側の思うつぼである。

 

グランドプリンスホテル高輪に、宿泊サービスを提供する資格はない。元もとこんな高額のホテルで宿泊など利用するつもりなどナイが、結婚式などで招待されたとしても出席を拒否しよう。昔、製品展示会でココを利用したことがあるが、こんな倫理の端くれもない経営とはしらなんだ。

 

ホテル側の言い分はこうである:

集会が実施された場合、大規模な抗議行動により周辺地域が多大な騒音にさらされることが予想され、周辺に迷惑をかける。裁判所の決定は、極めて短時間に、十分な審理のないままなされたもので大変残念だ。

 

警察は、右翼の妨害行為があった場合、警告を発し、従わなかった場合、直ちに身柄を拘束、街宣車は没収の上、破砕して欲しい。警察はこういう企業に対する威嚇行為、営業妨害、歩行者や住民に対する迷惑行為に対しては、一般市民に通常発動していると同程度の強権、をもって片付けてほしい。 国会議員や政党も、警察を恫喝おしおきするなど、一般市民の権利を保護する活動をすこしは見せたらどうかな? 

 

ゴロツキ右翼に弱い、プリンスホテル、と警察。 市民の権利が犯されているのに知らん顔の政治屋。 馬鹿もの共が世界にニッポンの恥を晒している。

 

朝日新聞朝刊(2/2)はご丁寧に右翼団体幹部の話を紹介している:

日教組に会場を貸すことはけしからんと知らしめることが街宣活動の一つの目的。我々が迷惑だという理由で貸すのを断念したとしても、それはそれで結果が出たと考える。

右翼幹部は警視庁や国会を訪れ、感謝状でも手渡すのがニッポン的儀礼というものだろう。

ホテル業は政府の許認可サービスである。認可した省庁はこのホテルになんの注意もしないのか?病院が来院患者の思想信条を理由として診察を拒んでも厚労省は注意しないのか?日教組に限らず、対価さえ払えばホテル(病院)利用を拒否できないのであり、思想信条を理由に会場利用を妨害、威嚇するヤカラをほったらかしにし、なおかつ、この妨害行為の勝利宣言を公然新聞に表名するゴロツキ・コメントを掲載して、それにナンのアクションもとらない。。というのがニッポン流<言論の自由>。まさにヒジョーシキ、驚くべきことである。


臓器移植 生命倫理問題 [Ethics]

       
                                                                               

「心臓死」の判定は従来から、三兆候(心臓停止・呼吸停止・瞳孔反射消失)で判定されていた。20年前ごろから、脳死、というものが論じられ出したが、これが一番理解しがたかったのは同じ漢字「死」を 心臓、と 脳、人、に使用したこと。だいぶ慣れてきたが。死、というのは 人についてのみ言う、という固定観念があったのですね。現在は死を永久的機能停止状態、と置き換えられる。

人= 部品の集合+脳内統合ソフト

部品と言っても細胞レベルではなく、ある機能単位。
とりわけ、脳という部品は特別な地位にあり、脳=部品の機能停止は、他の部品(細胞はもとより)が生きていても、人の機能停止、と見なす。

ここで、機能とは固体の生存、に限定されています。ところが私もそうだが、ひと、というのは単独で生きているのではなく、家族の愛情の対象でもある。家族が愛情の対象とするのは、すべての部品の機能が停止し、腐乱状態になるまで。。ということはなく、ひとが、すべての部品が機能停止するまで。。ということはあり得る。

(医師の検死による、三兆候のチェックにも誤りはあるし、いったん死と判定しても数時間で生き返った。。という例もあろう)

重要なことは、死は、死ぬ固体だけのものではない、ということ。
人間の生を維持するのは当人だけではなくその周囲のものであり、死の処理には周囲(家族、など)の意見が反映されるべきである。

私については、自分は心臓は提供しない。移植可能な内臓ならば家族に限って、彼らが望めば、認める場合がある。わたしは家族からの移植(ましてや他人からの)は望まないし、家族が望まないのに移植を押しつけない。

幼くて心臓不全に産まれた子供は誠に不幸だが、私の場合ならば、移植はしない。死なせる。

生と死は個人の価値観に属するモノであることを学校などでも教育して欲しい。

もちろん、現代の医療技術の進展とともに、部品交換し、サイボーグ状態になっても長生きしたい、という人はいよう。それはその人達の勝手である。内臓を提供したい人もいよう。それもその人達の自由である。

内臓をもらいたいがあげたくない(医学的理由などにより)というひともいよう。おのおのの場合に、最大限自由を認めるべきである。

ここで議論されていないことだが、こういう価値観の共存をみとめるとき、高度医療技術の開発や適用に要する費用を、受益者負担にしているか、ということ。一部の人間しか使用しない技術に公的費用を使用することの可否を論じる必要があると思う。もちろん、これはあらゆる医学研究についていえることであり、心臓移植技術のみ、この規則を厳しく適用する、ということには根拠がいるであろう。

現在の心臓移植は億単位の費用がかかるという。これをわたしは医療とは呼ばない。医療ではなく、趣味、である。いくらの費用なら医療か、という線引きは難しいが、今のニッポンでは億円単位の費用を出せる人は限定される。金持ち、あるいは、他人から集金できるひと、にしかできない手術である。長生きを価値にするなら、長生きしたいなら金持ちになりましょう。。といいだす人が出かねない。

心臓の移植はどのような手順により、行うか、費用はいくら掛かるか、日本や世界では費用を自己負担しているのはどのくらいの割合か。あるいは、心臓手術の費用を大部分国家が支払っているケースはあるのか。これをさまざまなケースについてドキュメント化し、ネットで見れるようにして欲しいし、小中学生から教育しておくべきだろう。

長生きに価値はない、短くして死んでも生の価値はある、ということはぜひオプションとして教えておいて欲しいものである。

>『臓器提供を待つ人々は、人の死を待つ人々である。』

移植に賛成する人は、ドナーの出現を待つ。ドナーがあらわれなかったら諦める。『人の死』とりわけ、脳死の人の出現を待つ。これに倫理的な意味合いをもたせてはならない。一般的な殺人とはまったく異なる。(問題のある移植手術をやった医師が、刑事事件に問われることは、当然ありうる)
 
 
 
 
関連記事:
延命治療

死刑制度 & 偽装請負 [Ethics]

今朝の朝日新聞、文化欄。森巣博(作家、豪州在住)が

        『市民参加の死刑執行を』

と題する記事を書いている。 モリスは死刑反対論者らしい。

先頃の鳩山法相発言(死刑執行が自動的に進方法はないのか、。。と述べた)に触れて つぎのように述べている:

『。。ならば鳩山氏は自動的に進める方法などを思案せず、法相が自らの手で死刑確定者を処刑すべきではなかろうか。冗談をいっているつもりはない。ここが死刑制度存廃の議論にかかわる結節点だ、と私は考えるからである』

 『現行の死刑制度により更なる不正義が派生する。拘置所の刑務官によって「死刑という名の殺人」が代行されている点である。 「8割の世論」の支持で死刑制度が存置しているのであれば、刑務官たちに殺人の代行をしてもらわずに、市民自らの手で処刑すべきだとわたしは考える。日本国民の義務とするのがよろしかろう。「自動的に進める」のではなく、選挙人名簿から3人ほど無作為抽出して、市民自らが死刑確定者を「殺人」する。これがフェアというものだ。  

 法律ある故に成立する「法廷犯罪」とは異なり、「殺人」とは法律で規制されていなくてもやってはいけない「自然犯罪」に属する事項だ。徴税などのような、公務員に負託できる業務ではなかろう。にもかかわらず現行の制度では、殺したい人を誰か他の者に殺させて、市民は涼しい顔をしていれば済む』

モリス(森巣博)の死刑反対論と私の反対論の理由は異なるが上記の、死刑執行を代行させて済ませるのには、わたしも反対する。 法務大臣は死刑に立ち会うべきであるし、すくなくとも、死刑を宣した裁判官は死刑に立ち会うのを義務とすべきである。裁判員制度が実施されるのであれば、国民から選ばれた裁判員は、その判決によって死刑を処せられる現場に立ち会うべきである。 フシギなのは『死刑廃止論』を書いて死刑に反対している元最高裁判所判事(刑法の専門家)団藤重光も、死刑はどういう具合になされるかを著書にかいているものの、死刑に立ち会ったことはないらしいことである。しかも、刑場の仕組み(死刑囚が絶命するまで経緯)は書いているもののこれは裁判官が必須として学ばねばならぬことでもないらしいことである。ということは、法曹は司法修習生として養成されている期間、一度も死刑執行場所を見学していないと言うことか?こういう人間が、検察なって死刑を要求したり、裁判官となって死刑を宣したり、あるいは死刑を求刑された者を弁護できるのだろうか? 国民に仕える公務員として、専門家たる法曹として、基礎訓練ができていない、というべきである。


                                        

 

なお、私も死刑反対であるが、その根拠は団藤が著書で(p145、死刑廃止論、第五版)言及している、科学哲学者カール・ポッパーの(死刑反対理由を述べた団藤宛の書簡で)述べた理由で尽きている。すなわち、ポッパー:『人間の可謬性(human fallibility)こそが死刑廃止論の決定的な理由だというのが自分の見解である』。

この記事の冒頭:

『2ヶ月ほど前の8月23日午前、竹沢一二三さん、岩本義雄さん(以上東京拘置所)、瀬川光三さん(名古屋拘置所)の死刑確定者3人がまとめて処刑された』

死刑確定者を「さん付け」で呼称する森巣博に、わたしは深く共感する。この記事を死刑確定者家族・親戚の人々がもし読んでいたら幾ばくか慰められたであろう。文章には書く人の人間観が現れる。

 

##

偽造請負問題。

朝日新聞社編集『偽装請負』(朝日新書)を図書館で借りた。今年7月刊行。

 キヤノンと松下電器の巧妙な偽装請負に関して調査した記事を編集したもの。

書評:

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070718/130096/

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/05/post_c49a.html

http://abe.jp-j.com/?eid=557743

キヤノン御手洗と松下電器社長(現会長)中村邦夫が対談した本を同じ朝日新書でちょうど去年の今頃出しているのだからお笑いである。 『強いニッポン』!

http://www.creage.ne.jp/app/BookDetail?isbn=4022731028

 

風間直樹・著「雇用融解」が面白そうだ。図書館に予約した。 http://blog.livedoor.jp/zatsu_blog/archives/51494426.html

##引用:

 いわゆる「終身雇用」が幻想と化したこの日本で罷り通っている悲惨な労働現場の実情に「週刊東洋経済」の若手記者が地道な取材を通じて迫ったルポです。 特に製造業の国内回帰の象徴として絶賛され、橘木俊詔氏のような「格差」問題の研究者もその「雇用創出効果」を評価するシャープの亀山工場を取り上げた「序章」はおすすめです。 工場による地域住民の雇用を自治体側は期待し、税制などで優遇措置を計ってシャープの工場を誘致したものの、その実は亀山市に定住することの無い派遣・請負労働者が増えるだけ。彼らが住むマンションばかり矢鱈と林立し、街並みも一変。しかも、彼ら派遣・請負労働者の置かれている労働環境は「偽装請負」などの無法行為が日常茶飯事。

##引用終わり

 

 労働とはなにか。人間の労働とは何か?人間はなんのために働くのか?

働く者とその家族の一生のことを考えたこともない企業のトップや、ヤクザ派遣業がもてはやされるニッポンなどに精神的に帰属するつもりは、私は全くない。労働とは高貴な行為であるはずである。極道がマネージするようなものでもない。このような極道のいいなりになって、労働者を守ろうとしない政府は、政府と呼ばれる資格はない。現実に起こっていること、これは他国、よその国、のことである。

 

 『偽装請負』書評ブログから検索:

 http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-821.html

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_e152.html

 

去年の今頃はホワイトカラーエグゼンプションが話題になっていた、が、以後、この議論はストップしたね。アベとヤナギサワが職をエグゼンプトされたから、議論再開、かな?

 

去年のブログ記事から:

 キヤノン製品を買うな 御手洗経団連会長(キヤノン)が露骨な政治介入 ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代不払い法)

 http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-12-12

 国境越え 美しき國へ

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-12-12-1

『フリーター漂流』 あるいは エンゲルスのこと 

 http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-12


餓死列島 [Ethics]

2007年10月11日NHKのクローズアップ現代は、 『日本で餓死が起こっている』を放映した。

曰く:

今、全国で餓死する人が後を絶ちません。その数、年間五十件以上。最後の頼みの綱の生活保護も十分に機能していません。相次ぐ餓死の真相と解決への取り組みに迫ります。

番組で取り上げたのは 北九州市の事例である。

50歳代の男性が日記に、米の飯を食いたい、と書き残して餓死した。 生活保護を辞退した、と。 辞退? 市側の拒否じゃないのか?

いやいや、辞退なんです。 生活保護を求める市民のうち、働ける年齢(65歳まで)範囲であれば、医者の健康診断を受けさせる。すると、         

                           <軽労働なら可能> 。。

という診断をされる。さ、働きなさい、ハローワークに行きなさい!と、生活保護受給を辞退させられる。 身体が労働可能、ということは則ち職業がみつかる、ということではないのである。福祉課の職員にはわからんだろうが。

 北九州市は、これを <生活保護拒否、水際作戦>としてマニュアル化した。全国でも、生活保護打ち切り模範都市となり、国は北九州方式を全国に喧伝したらしい。

 

 『北九州市餓死事件に関する声明』 を全文引用する:

反貧困ネットワーク準備会(代表:弁護士 宇都宮健児) 連絡先:湯浅誠(事務局長) antipovertycampaign2007@yahoo.co.jp  

これはもう「殺人」ではないだろうか?  すでに報道されている通り、亡くなった52歳男性は、生活保護を受けていた。そして、生きていける見込みのないまま、放り出されて(廃止されて)いた。  北九州市は、「辞退届が出たから廃止した」と言っている。それは、誰も見えないところでこっそり、とにかく本人に辞退届を書かせてしまえば、行政の責任はすべて免責されるものと思い込んでいるかのようである。

人々をさんざん追い返しておきながら、「申請する意思がなかったから開始しなかった」と開き直る北九州市が、まさに言いそうなことではある。  北九州市は、去年の広島高裁判決を「知らなかった」、「聞いていなかった」と言っている。それは、教えなかった厚生労働省が悪いと言っているかのようだ。では北九州市は、相談者が生活保護に関する知識を持たないとき、「誰でも、いつでも、申請できるんですよ」と教えてきたか? 教えてこなかった。  すべて、自分の都合のいいように言っているだけだ。すべて、自分だけが許されるように、自分の責任だけ問われないように、取り繕っているだけだ。  北九州市は、外形上の辻褄合わせにしか関心がないのか? 北九州市職員には、恥を感じる神経がないのか? あなたたちは本当は、受給者の死ぬことこそ「モデルケース」だと思っているのではないのか?  辞めると本人が言ったから、死んでもそれは本人の責任だ(行政の責任はない)と言うのは、「過労死も自己管理の問題」と言ったどこかの社長と変わりない。いったい何人死ねば、北九州市は自らの手法を改めるのか?  

今回の事件に関して、私たちは次のことを求めたい。

1) 北橋市長以下、すべての福祉部局職員は、亡くなった男性宅に赴き、追悼すべきだ。「モデルケース」、「市は関係ない」、「対応は適切だった」発言をした職員は、謝罪せよ。

2) 北九州市では、いったい何人の「餓死」「変死」「孤独死」があるのか。すべて公表せよ。そして、行政との関わりがあった事例については、すべて検証委員会で検討せよ。たまたま明るみに出た今回の事件だけが「問題」のすべてだとは到底思えない。

3) 市内すべての面談室に、職員の言動を監視するためのビデオを設置せよ。もはや私たちは、北九州市の現行職員たちの「自浄作用」を期待できない。間違っても「相談者のプライバシー保護の観点からできない」などという、今さらのタテマエを持ち出すな。

4) 北橋市長および福祉部局幹部は、今後「申請の意思のある人には、無条件で申請書を渡す。福祉事務所のほうからは辞退届の提出は求めない。辞退届の様式は破棄する」ことを宣言・公表せよ。 *私たち「反貧困ネットワーク準備会」は、それぞれの分野から貧困の問題に取組む市民団体・労働組合・法律家・学者諸個人の集まりです。

反貧困ネットワーク準備会代表 宇都宮健児(弁護士) ##

 

『賃金と社会保障』 特集・餓死事件と北九州市生活保護行政、から: http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-March/012286.html

引用:

。。「“極北”の地、北九州市保護行政が示す“福祉の未来”―北 九州市から全国が見える」の書き出しをご紹介して終わりましょう。     

 「あんたのせいで面談できないんだよ!」――〇六年一〇月二四日、私は北九州市 小倉北区福祉事務所の面接室で、面接主査のA氏にそう叱責されていた。

A氏によれ ば、私が面接室にいるから相談を始められない、らしい。相談者本人である二人の女 性は「同席をお願いしたい」と目の前で言明しているし、私も「第三者の同席を原則 として認めないのは相談者のプライバシー保護が目的なんだから、本人から同席の要 請があれば問題ないでしょう?」と話してみるが、まったく取り合わない。とにかく 事情がどうであれ、私がいるかぎり相談を始めない、第三者の同席と相談は両立でき ない、相容れないもの、と真剣に考えているようだった。

 しかし私は、実は同福祉事務所での、その前の相談には同席していた。別の申請者 に同行して面接室に入室した際、対応した別の面接相談員は「あなたは?」と誰何し たものの、私が本人の要請にもとづいて同席したことを話すとそのまま相談を始め、 相談および生活保護申請行為は、何の問題もなく終了していた。なぜ、このAという 面接主査は、こうも目くじらを立てるのだろうか・・・?  おとなしく退席しない私にさらに怒ったA氏は、面接室を出て行ったかと思うと、 課長を連れて戻ってきた。小倉北区保護第二課長B氏だ。彼が最初に持ち出したのは 「決着済みだろ」という理由だった。すでに午前中、同席を認めるかどうかで「北九 州市生活保護問題全国調査団」(以下、調査団)のメンバーと交渉を済ませており、 弁護士も含め同席しないことで”合意”しているはずだ、ということらしい。

しか し、生活保護の相談は、個々の事案に即し、個々の相談者の意思にもとづいて行われ るはずだ。事案の内容にかかわらず第三者同席を行わないことの包括同意などありえ ない。「だいたい私は課長さんとそんな合意はしてませんよ。今朝東京を発って、 さっきこっちに着いたばかりなんだから・・・」。  次に「施設管理権上、同席は認めない」というかなり奇妙な理屈を持ち出したB氏 は、実際に警備員を呼び寄せた。また、騒ぎが大きくなったために様子見に来た市議 会議員に「先生、この人を出させてくださいよ。第三者がいると面接相談員がリラッ クスできないんですよ」と訴えた。これも、私がいまだかつて聞いたことのない突飛 な理由である。面接相談員のリラックスのために同席を遠慮する?

 「この人、本気 で言っているのか?」

 

# 申請拒否 水際作戦 これが実態

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-27/2007082701_01_0.html

録音テープ公表  

集会では生活保護申請者を福祉事務所窓口で追い返す「水際作戦」の実態が申請者とのやりとりを録音したテープによって明らかにされました。  場所は大阪の福祉事務所。

申請者夫妻は、夫が網膜剥離(はくり)、白内障、妻がうつ状態にあり、無職・無収入。食事は友人の差し入れに頼っていました。  家賃が十一万円(滞納している)で住宅扶助基準(大阪は上限五万四千円)を超えるので生活保護の適用はできないと申請さえさせませんでした。  二回目の申請となる六月二十七日のやりとり…。  

申請者「食事代すらない。転居先も探せる状況にない。どうしたら」  

職員「自分たちで努力して転居先を見つけないと話がすすまない」  

申請者「努力しているが転居にはお金がいる」  

職員「生活保護が救済する問題ではない。どこに住むかは自分の問題」  

しかし、厚労省の局長通知は、困窮状態にあれば保護し、その後保護費で生活できる住宅に転居できるよう敷金・転居費用を支給することができるとしています。  三回目の申請(七月三日)には弁護士が同行、係長に問題点を指摘。  

係長「転居先を先に確保するよう指導するのは当然の対応」  

弁護士「まず保護し、基準額をだせばよい」  

係長「基準額をだしても高額家賃では生活がなりたたない。保護の趣旨に反する」  

弁護士「話が逆転している」  

係長「大阪市では水際作戦をしていない。北九州市とは違う」  

夫妻は、弁護士の応援によって生活保護の適用となりましたが、「水際作戦」の犠牲となるところでした。

引用終わり。

 

番組では、年金生活者や生活保護受給者がわずかの金を寄付して、生活保護も受けられない市民を助けるネットワークも紹介していた。貧困者同士の相互扶助を実践している人々には頭が下がるが、ここまでやらせなければならないニッポンに厚生福祉行政は存在しない、理念もない。これを実感した夜である。

すでに日本の自殺者は毎年三万人を定常的に維持している。このなかには上記「餓死者」と原因が同一である場合も多いはずである。地方・中央公務員や官僚の<鈍感力>はいま始まったことではない。

 

 

http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/
反貧困ネットワーク

http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/aboutus.html
反貧困ネットワークについて

「貧困問題」に取り組む市民ネットワークが始動
あるようで見えない──だからロゴマークはお化け
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070611/11987

視点・論点 「シリーズ格差・貧困」
反貧困ネットワーク事務局長 湯浅 誠
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4865.html

自殺者統計

http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm


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