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遠山啓 1909 - 1979 [Book_review]

                                       

文化としての数学、1973年、の末尾で遠山啓は言う:

「もし自然科学者の眼が素通しの眼鏡のようなものであったら、誤った仮説が生まれてくることはなかったであろう。しかし自然科学の歴史はおびただしい誤った仮説の堆積のうえに築かれているのである。
(略)
 たとえば近代の天文学を創りだしたケプラーは一つ一つの遊星は妙なる音楽を奏しながら太陽のまわりをめぐっているものと想像し、その音楽の音譜さえ書き残している。このように過剰なほどの豊かな想像力が彼を大天文学者にしたのである。」

「数学が、さらに広くいって自然科学が人間の自由な想像力とは無縁である、という誤解を生みだしたものは、これまでの数学教育、自然科学教育であるといっても過言ではない。既成の知識をできるだけ多量につめこむことにのみ力を注ぎ、それらの真理が多くの誤謬を犯しながら獲得されたという過程を子どもたちに追体験、もしくは拡大的に再体験させるという不可欠な手続を抜かしているからである」

遠山啓『文化としての数学』光文社文庫
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334741614/sr=1-1/qid=1163718483/ref=sr_1_1/250-4394691-2059415?ie=UTF8&s=books 

1973年発行された大月文庫の再刊である。今回は79年に遠山が没した直後に発表された吉本隆明の長い追悼文が付いている。

敗戦の余塵がまだ醒めない時期、遠山啓は「量子論の数学的基礎」の自主講座を焼け残った学舎で開き、工場動員のため地方に散っていた吉本隆明のような皇国青年が多く参加し、熱心に耳を傾けた。

吉本隆明は追悼文のなかで次のように述べている:

「講義の内容は切れ味の軽快さよりも抜群の重みを、整合性よりも構想力の強さを背後に感じさせるようなものである。このような印象は、ある一つの対象を理解するために不必要なほどの迂回路をとおって到達した証拠であるように思われた。」

「国家ははたして敗戦後も存続しうるのか。大学なるものは存立が許されるのものなのか。本土内での抗戦はおこりうるのか。はたして人々はどうやって生存と生活の手段を獲得したらよいのか。こういうことの一切が未経験で不明であり、一切の指示がどこからも与えられなかった時期が、いま存在していた」

「。。けれども私(吉本)が何度でも確認したいとおもうのは、この無権力的な混乱の時期に、わたしたちは何かをおこすことも何かの指示をうけとることもなかったということである。つまりは左右をとわずすべてどんな勢力も諸個人も、何の想像力も力ももっていなかった。このことは無条件降伏であったか否かという法制上の論議の以前に、はっきりさせておかなくてはならない。」

「敗戦とはなにか、大学とはなんなのか、学問とはいったいなにかを回答することなしに、大学がまたぞろ再開されようとする姿が醜悪で、嫌悪だけがどうしようもなく内訌しくすぶっていた」

「遠山さんには敗戦の打撃からおきあがれない若い学生たちの荒廃をどこかで支えなければならという使命感が秘められていて、その情感と世相への批判が潜熱のように伝わってきた」

敗戦とは何か、学問とは何か。教育とは何か。
いまだにだれも、回答しようとせず、いまや、問おうともしていない問いである。ひとりの遠山啓もなく、遠山にあった教育理念も外部にもたず、教育者に使命感なる語は死語となって久しい、いま、われわれは個人の自立を自分自身で獲得しなければならない。すなわち、精神の自立。脱学校。脱国家。脱社会。

国家に何かを期待すること自体が愚劣である。

参考:
ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E5%95%93


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コメント 3

朝空

古井戸様

 人間の思考のあり方、というよりも生き方という意味で、遠山さんに関するこの文章を引用させて戴ければと存じます。場所はkojitakenさんの『きまぐれな日々』中の、「年末年始に読んだ本(2) 森達也・森巣博「ご臨終メディア」」のコメント箇所です。
 勝手な理由ですが、気持ちが熱いうちにと思い、ご了解の前の、これからすぐの作業となってしまいます。実質、事後のご了解ということになってしまい、大変申し訳ありません。
 
 問題があれば、削除等依頼する所存です。

 勝手なお願い、改めてお詫びしつつ、お願い申し上げる次第です。

                 古井戸様
                        2007.1.8 am9.12  
                          朝空
by 朝空 (2007-01-08 09:15) 

古井戸

朝空さん。
私のこのつたないブログ記事でよければ、どの記事でもコトわりなく引用いただいて結構です。
by 古井戸 (2007-01-08 12:54) 

朝空

古井戸様

 ありがとうございます。ご親切深謝致します。

 私がかつて「この人は」と思った人も、山の手下の低地の育ちで、怒りなのか悲しみなのかを隠し切れないために忌み嫌われつつ、職人的な仕事に徹していた人物でした。

 吉本がかつて「世界一のインキを作るんだ」と言っていたという話は、彼が持っていた根源的なよさの一つだろうと感じています。

 またまた勝手な話でしたが。

  ありがとうございました。

                            2007.1.8 pm2.25

                                      朝空 
by 朝空 (2007-01-08 14:26) 

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