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ハンセン病と報道   光田健輔と神谷美恵子 [Ethics]

『絆』らい予防法の傷痕
八重樫信之著・写真 人間と歴史社
写真は朝日新聞から。
http://www.mognet.org/news/20060606.html

写真の浅井あいさんは大正九年生まれ。
師範学校在学中にハンセン病と診断された。
特効薬である新薬プロミンはあったが高価で使用できないでいるうちに失明し、昨年逝去された。
「わたしが家を出ると、母はわたしのものを全部焼いてしまいました。父と相談して、わたしを死んだことにして、家族がわたしの名前を言うのも一切禁じました」

##ウィキペディア百科事典より
2001年5月11日、熊本地裁は、「ハンセン病違憲国賠訴訟(「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」)」において、国の隔離政策の継続は違憲であると判決した。これを受けて小泉首相は5月23日、控訴しないことを決定し、6月22日には直ちにハンセン病補償法(ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律)が成立した。対象とされる元患者らには800万~1400万円の賠償金が支払われることになったのである。

しかし、この補償法は、補償の対象についての細かいことは「厚労省告示(厚生労働省告示第二百二十四号)」に定めることにしていた。その「告示」には、日本国内の国立・私立の療養所や、米軍占領下の琉球政府が設置した施設は列挙してあるが、韓国と台湾の二つの施設(韓国小鹿島更生園―現・国立小鹿島病院,台湾楽生院―現・楽生療養院)は明示していなかった。

戦前に日本の一地方であった韓国・植民地であった台湾に、政府は国内と同様の療養所を作り、同じ強制隔離によって、強制労働や断種を初めとする残酷な被害を与え続けていたのである。
##

<また癩予防法制定に注力した医師・光田健輔は、患者救済と差別の助長、さらには強制隔離政策の全体にわたって大きな役割を果たしており、日本の対ハンセン病政策の明暗を象徴するような人物として特筆される必要がある。>

光田を師とあおぐ神谷美恵子はこの政策に抗議することもなく愛生園などを訪問し患者と交流に努めた。光田の政策に手を貸したといわれてもしようがない。

隔離政策の継続は違憲、と判決され、国が控訴しないと決定した後も隔離所から故郷に戻りたいという患者はいない。受け入れる家も家族もいない。

しかし、戦前から国際的に非難され続けながら隔離政策をやめようとしなかった政府に対し、新聞や医学者はなにをしていたのだろうか?この写真集の写真のような写真ならマスゴミ、はいつでも掲載し、国民を啓発することはできたはずだ。地裁での国の敗訴の後、控訴せず!との国の決定を待っていたかのように、二日続けてハンセン病特集をNHKは放映した。番組中、ブタのキンタマを抜く火箸のような道具でハンセン病男性患者は断種されていた、とある患者は語っていた。文字通り動物並みの扱いである。わたしにとって、最も衝撃的なのは現在も日本にある隔離施設の生活者はこの決定後も、ほとんど故郷に帰ろうとしないことである。理由は明らかだろう。なにもかも手遅れ。すべては、終わってしまった。

それにしても、この特集番組に使われたフィルムを、控訴せずと政府が決定した日まで放映しなかったNHKとは何なのだろうか? 国が控訴すれば、またこの証言フィルムをお蔵入りにしたのか?

マスゴミに言いたい。
「正義や真実」は、検察、裁判所や政府に、おし戴くものなのか?
正義や真実は、誰にも等しく与えられ、その行為、発言の根拠にできるものであり、検察、裁判所、政府もこの正義と真実に従うべきなのだ。
検察批判、裁判批判、政府批判をしないマスゴミはマスゴミではなく、ゴミである。

世界から非難され続けながらこの隔離を続けたのは日本、韓国、台湾だ。光田を非難できる人はいないだろう。光田はそれをよく知っていたのである。NHKの番組で、光田は「では、隔離をやめて、このひとたちはどうやって生きていきますか?故郷や親兄弟は受け入れないのですよ」と証言していた。(こういうことをしゃーしゃーと喋る光田にもはや、 正義や倫理を説いてもしょうがあるまい。現在の政府や官僚、政治屋、マスゴミに、正義を要求するのは無駄だろう)

http://www.arsvi.com/1990/990700sh.htm
http://www.actiblog.com/momoi/8187
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-23-2
http://www.geocities.jp/machi0822jp/hansen3.htm
http://www.clg.niigata-u.ac.jp/~miyasaka/opinions/hansenfetus.html
http://www5e.biglobe.ne.jp/~kkazz/ippansitumon1.html
http://members2.jcom.home.ne.jp/yutaka_tanaka/matumoto/jiyuwoubaumono.htm
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030403riddel.html
http://www.jhc.or.jp/wakai/06/2-3-0.php

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ハンセン病と報道のかたち
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2007-05-28


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コメント 4

のりぃ

結局は差別なんね。。悲しい事実。マスコミやNHKがもっと早くシンジツを放映していたら何か変わったのだろうか。
>わたしが家を出ると、母はわたしのものを全部焼いてしまいました。父と相談して、わたしを死んだことにして、家族がわたしの名前を言うのも一切禁じました
↑むごい事実。死んだ事に・・・名前さえも呼んでもらえない。産まれてきた事、生きた証はどこへ。。。
by のりぃ (2006-07-22 16:10) 

古井戸

このところ、おおいねえ。政府の無作為。アスベスト問題しかり。
パロマも、トヨタも20年以上前の問題。

コイヅミが辞める寸前、ドミニカ移民者との和解に応じたのはせめてもの救い。これとて、官僚は大反対だったらしい。和解に渋々応じたのは、該当者が高齢(80以上)で、ウン百万の和解金に応じても、これ以後追従者は出ない、と踏んだからだという。

蟻の兵隊、と同じだ。該当者の、死ぬのを待つ。

だんだん、記憶力の弱くなっているわたくし。怒りも弱くなる、わずらわしいこともスグ忘れるこのごろ。うれしいことだ。
by 古井戸 (2006-07-23 04:14) 

前馬宏至

神谷美恵子の責任については、著作集の解説で加賀尾乙彦が弁護していますが、到底なっとくいくものではありません。ミッシェル・フーコーの翻訳者がどうして声をあげなかったのか、ここに日本の大きな思想問題が横たわっているような気がします。神谷さんは鶴見俊輔のいうように聖女であったとは思いますが、しからば余計になぜという疑問がわいてきます。小善をなしていただけなのか、あるいはまた・・・
by 前馬宏至 (2006-08-25 19:53) 

古井戸

加賀乙彦が弁護していましたか?それは読んでいません。しかし、その著作集の解説というのは新しく付けられたのですか?弁護するとかしないとかいう話題ではなかったですからね。わたしも著作集のかなりの部分を読みました。

フーコーと神谷さんは友人同士でもあったはずです。その会話から日本の隔離政策に話題が及ばなかったのかどうか、不思議です。

神谷の人生論、人間の老い、孤独、希望への考察など、らい患者との交渉の過程で生み出されたに違いない。神谷は語学も出来たし海外経験もある、分野も広い(ウルフ研究)、愛生園のひとびとと対照的な生き方をした。

なぜわたしでなくあなたがたが。この問いはなんら哲学的なモノではない、医学と政治でカンタンに解決できたのだ。
by 古井戸 (2006-08-26 04:26) 

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