見かけこそ本質 情報論 [IT]
1969年秋、梅棹忠夫は神戸で講演を行った。情報産業と神戸の未来について。
『ミナト神戸と運命 - 都市と情報』
著作集14巻、に収録。p331-338。 そのなかに、
見かけこそ本質
という小さな節がある。 (実は、著作集をバラバラめくっていて、この 一句に惹かれて、この講演を読み始めた)
『現代では、すべての産業における情報価値がたいへんおおきくなりつつあります。すべての工業製品のなかで、情報が価値をうんでいる部分がおおきくなっている。まもなく もの そのもの、物質の価値よりも情報価値のほうが経済の主力をしめるようになるでしょう。
。。。
。。自動車産業をかんがえても、もはや現代ではデザインをぬきにして自動車はかんがえられない。。。自動車は、移動のための道具として買うというところから、いまでは感覚情報を買うまでになっている。
。。
ファッションのさかんなイタリアでは「見かけこそ本質」ということばがあります。これこそ物質とエネルギーの時代の技術主義から、情報主義への転換をいいあらわしていることばです』
今ではあたりまえのことでどうと言うこともない発言だ。
このころ、わたしは、といえば、学校はストの最中、セッセとマルクス資本論などを分からぬママ読んでいた。梅棹はマルクスの労働価値説は古い、と採用しない。わたしも労働価値説は古いとは思うが、多少修正すればまだ使えると考えている。それはともかく、
見かけこそは本質
という一句は考えさせる。マルクスも資本論の冒頭、有名な商品の記述から始めている。現代世界を記述するにあたり何をもって、記述を始めるか?いま自分の周囲を見渡してみよう。パソコン、エンペツ、定規、CD、机、Tシャツ、ズボン、ビキニパンツ、ケータイ、封筒、筆立て、鉄アレイ、鋏、ブックエンド、ボンド、風邪薬、バッファリン、オロナイン軟膏、fax、時計、本箱、鞄、象印ポット、ポストイット、電池、万年筆、筆入れ、皿、コップ、カーペット、焼酎、日本酒、ビデヨ、爪切り、耳垢取り、ラジヲ、ホチキス、沖縄土産のシーサー、本本本。。。すべて眼があれば犬や猫でも見ることができる形あるもの、物体である。しかし、これらを穴の開くほど、みつめて「商品」という特性=属性を、資本の運動のとっかかりとして発見したのはマルクスの眼力である。 見かけ、こそ、本質、とはいうが、若干の反省がなければ 商品、という認識はできない。これは 発見、といってよい。 見かけ、も 反省がなければ、売れる 見かけにはならない。 そして 反省こそが ほかならぬ人間のアルバイト=人間労働である。(人間の歴史とは、みえなかったものが見えてくること、かつて見えていたものが見えなくなることの繰り返しだ)
商品から始まり、商品に帰る。
見かけが重要というのは、別にマルクスや梅棹や現象学派の専売特許ではない。古代ギリシャやインドの哲人も述べていたことだ。
色即是空
空即是色
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm
形ある物は形無し。
しかして
形なきもの、形をナス
重要なのは空即是色のほうである。これが情報論の本質だ。
in=form とは、形、をナス
in=formation とは 形をなすもの、そのはたらきのことだ。
形をなすとは、人間の外部になにかを作るのではない、人間のココロに形象を誘起するのである。情報とはものではなく、<誘起>するはたらきあるいは過程である。
追記:
坂本賢三は、1980年頃の科学技術にカンする著書のなかで
「情報」
というコトバは概念としてあいまいすぎる、必要のないボキャだ、と言っていた。たとえば、信号、通報、記事、ニュース、画像など他のことばで代用が効くというのである。たしかに使いすぎる言葉ではある。意味内容、となると使う人の数ほどある、といってよい。
追記2:
この講演を梅棹はこう締めている:
『。。。コウベ・モードが世界を制覇することも夢ではありますまい。しかし、そのためには、むしろ日本をすてて、ほんとうの国際都市になるくらいの気概が必要でしょう。それが国際港都としての神戸の面目だとおもいます』
古井戸さん、こんにちは。お久しぶりです。
いつも、読破量のすごさとアウトプットの鮮度に感嘆しながら読ませてもらってます。今回は、当方、神戸在住なので思わず反応してしまいました。
>むしろ日本をすてて、ほんとうの国際都市になるくらいの気概が必要でしょう。
>それが国際港都としての神戸の面目だとおもいます・・・
梅棹講演1969年ですか~。
日本を捨てられないどころか、
神戸という地方都市は平準化した日本を標榜しているように感じます。
(日本語として正しいか分からんですが、そういう感じ)
開港した約100年前のほうが、新しい場所に港をつくって町ができたこともあって、今よりずっと脱日本で国際化されていたのだと思います。
現在、仕事などで、神戸の人と話をしていると「先進志向の格好つけたよそいき」が当たり前で、それが国際化、万国共通と考えている人が多いように思います。掲げたイメージに惑わされて実態が見えない。。。ような。
by yamatan50 (2006-07-08 14:30)
「日本を捨てて」
という、梅棹の、ひとことに愕然としました。
あのころ、ちょうどニクソンがドルを自由化したのです。
日本がグローバル化高度成長のウォーミングアップを(直後の油断を乗り切って)しようとしていたとき。
いま、神戸だけじゃなく、いたるところが、「港」です。
つまり、梅棹に従えば、日本全体が日本を捨てるとき。
捨ててこそ浮かぶ瀬もあり。
by 古井戸 (2006-07-08 14:49)
国際戦略に疎かった日本はドル自由化(切り下げ)を読めなかった、
との意見をどこかで読んだことがあります。
「日本を捨てる」という表現が出来た時代だったのかも。
現在なら受け入れられないようにも思います。
いまや、日本の「港」は国際化を捨てたんじゃないでしょうか。
少々浚渫しても浮かんで来そうにないです。
by yamatan50 (2006-07-08 15:22)
梅棹や西田幾多郎に入れ込んでいた今西錦司はとうに、日本人を離れしてましたからね。時空を飛んでいました。
ドル切り下げは正確にはいつ頃だったか忘れたが。。
わたしは、ドル切り下げ?なにそれ?という感じでした。工学部の学生チャン、だったから。
工場見学で、郊外のバス工場に行ったときその工場の年配の人から、「よく聞いておきなさい、ドルがかならず自由化されますよ」と熱心に諭された。 今でも思い出す。
いま、ニッポンが日本を捨てなくても、世界がニッポンを見捨てます。
72年頃だったかな。。小松左京のニッポン沈没が出版された。ソレを読んですぐ、映画化された ニッポン沈没を見に行った。あまり印象にない(きっと特撮がちゃちだったのだろう)。
再映画化された、ニッポン沈没は CGがすごいですね。
ムスメと見に行き、ニッポンの将来をシミジミ語り合おうと思います。
by 古井戸 (2006-07-08 15:42)