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官僚の真実 [Politics]

朝日新聞、6/27夕刊。杉田敦の論壇時評。
「生かす」国家、というタイトル。
月刊誌各誌に登場している佐藤優の言い分を取り上げている。

佐藤は「国家には「国策」をふりかざして恣意的な逮捕をする暴力性が明確にあるという。。また官僚達は、したたかに利己利益を図る存在であり、国家は官僚に私物化されやすいと指摘する」

重要なのは「仕事に意義を見出している官僚」ほど「一般論として遵法意識が低くなっていく」という事実である(杉田)。

「 」内は佐藤の言い分である。笑ってしまった。佐藤自身は「仕事ができる」(と自分では思っている)のだろうから「遵法意識も低い」ということだろう。自分でそれを、証明している。

杉田敦は、西山太吉元毎日記者の「日米密約」暴露を取り上げ、米側資料の公開にもかかわらず日本の政治官僚が事実関係を認めようとしないことを告発している、ことを 論壇で述べている。

佐藤優は近著『日米開戦の真実』p103で、
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-06-14
「筆者は、外交の世界では時には真実を語れない場合があることもやむをえないと考える。。。このような密約(沖縄返還時)がなければ沖縄返還自体が実現されなかったかもしれない。」
こういう男がソ連との4島返還交渉の「真実」を国民に語り得るであろうか?

しかもp104で、
「。。。(沖縄)密約問題で明らかになったように、大本営発表の体質は現在の日本政府にも存在するのである。しかし、現在でも大多数の国民は政府に騙されていると憤っているわけではない。この感覚から、戦時中の日本人が大本営発表の嘘に対する感覚を類推することができると思う」

なにをとんちんかんなことをいっているのだろうか?「現在の大多数の国民は政府に騙されていると憤っているわけではない」のではなく、あきれてものが言えない状態なのだ。(米国の属国状態になった現状に落胆しているにすぎない)。外務官僚は米国にヘイコラして、コイズミになんとか狂牛を輸入してくれ、と泣きついているではないか。65年前の軍部、官僚は日米開戦を断固主張したが。その後輩たる佐藤優はそんな蛮勇はなく「長いものには巻かれろ。負ける戦はするな」という小賢しさを身につけた。これが 歴史から学ぶ教訓、だというのだからあきれる。佐藤は、150年前清国の属国であった朝鮮を笑えまい。それとも脱亜論、もう一回やる?脱亜論=脱亜米利加論。

大本営発表の体質は 現在の日本政府に存在する、というが正確には「官僚」に存在するのである。

ホリエモン、村上の逮捕劇も官僚同士の利権争いにしか過ぎない。 外務省に未だに所属する(休職中)は自分の立場を旗幟鮮明にしたらどうか? 政治屋やマスゴミの低能化がドンドン進行し、こざかしい官僚のやりたい放題言いたい放題の時代になった。政治学者がお追従していたんでは困るんるんルン♪

http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-15

生体解剖を行った731部隊の記録は終戦後米国に没収されたが、すでに防衛庁に返還済みと米国政府は述べている。しかし、防衛庁は知らぬ存ぜぬの一点張り。

##
ソ連の共産党政治を倒したのは党官僚の非合理主義であった。
資本主義、民主政治を骨抜きにするのも官僚組織である。ソレが目立たないのは日常社会に「合理化、ロボット化、奴隷化」が蔓延しているからだ。


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すず

脱亜論=脱亜米利加論
「ぬぐ」と読むんだろう?ニッポンはアジアを脱ぎ捨てる。でもこれでは 擬白人の夢の繰り返しでもあるな。。
被っている亜米利加をまず脱いだら、脱げるほどのアジアが残るといいね。とりあえずとにかく 脱ぎまくって、ラッキョウのように なにもなくなるまで脱ぎまくって、それから どうしよう?平民嫌いのお役人さまのお仕事だって 残っているかどうか怪しいもんだけど、どこかには 連れてってくれるかも。
by すず (2006-07-01 17:52) 

古井戸

福沢の言った意味でいいんじゃない?
  つかず、はなれず。
  人ならなろう、独立国に。

天は人の上に人を作らず。
国の上に国をつくらず。
民族の上に民族を作らず。
by 古井戸 (2006-07-01 18:42) 

すずめ

民族は国家よりも宗教に近いと思わせる状況が 21世紀にはあるような気がする。20世紀を科学の時代として眺め、古きものを毛嫌いする風潮に充ち、そしてそれゆえの前進を夢想した時代とみなし、比べてみると。
民族が持つ内部的凝集力は、秘密を共有するから生じるのだろうか?、国家以前にも以後も それがあり続けるのは、顔が似ているからとか、暮らしやすいからとか、儲かるから、とかだけではなく、共有する記憶に意味があるのかも。すると 我がニッポンは民族的にはmeltdown(炉心溶解)にも思える。
by すずめ (2006-07-02 09:32) 

古井戸

宗教の上に宗教を作らず。 <- 追加。

民族、という概念が通用しているのはニッポンだけ、と聞きます。
いずれにしても、実体のない虚構でしょう。もちろん、虚構だから、powerless であるとかuselessであるとかいうのではなく、その逆だから いまでも 棲息しています。

宗教、民族、。。。国家。。を信じるものは(信じること=存在する)、信じなければ存在が脅かされるから。 なんの価値もない(信用ゼロ)通貨は、ゴミ箱行きになります。 信用=記憶=存在、です。 記憶のない動物に貨幣はありません。信用もありません。

記憶のない国家は国家でもなくなる。。。

ちょっと溶解気味のコメント、かも。
 民族という言葉が辞書から消えるのはいつ頃のことか。
by 古井戸 (2006-07-02 11:27) 

SM

「<佐藤優現象>批判」・金光翔/『インパクション』第160号(2007年11月10日発行)
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d12a7ebf527e57c19a0dedf5f3d3e45c
by SM (2008-01-31 16:56) 

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