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『日米開戦の真実』 佐藤優著 小学館 2006/7/1 書評 [戦争・原爆]

                                      

真珠湾攻撃直後(12/14 - 12/25, 1941)に、大川周明がNHKから放送した12回の講演を全文掲載し、佐藤優はこれに、解説を加えたつもりになっている。

なぜ、真珠湾直後に 大川がこういう講演をすることを許されたか(いつ、誰から依頼されたか?攻撃に先立って準備を依頼したはずだ。誰かがその内容を誰が事前に校閲したのではないか?大川は5.15事件で有罪判決を受けた身である。これは松本健一『大川周明』が指摘している問題だが、未だ不明、とある)など、佐藤の念頭にはない。しかも、すでにこのとき 刎頸の友、北一輝を失っている(226で銃殺)大川は賞味期限を過ぎていた、というべきだろう。

この12回の講演はいわゆる『大東亜共栄圏』の思想を鮮明にし、東洋対西洋の対決を謳ったものであり、翌年一月早くも『米英東亜侵略史』として販売されベストセラーとなったようだ。当時としては「客観的な史観」としてであり、ずいぶん高い評価するムキもある。この講演が戦意を煽ったとして、A級戦犯として訴追された原因のひとつにもなった。しかし、当時ならともかく、平成の今読んで、ビックリするような内容ではもはや、ない。

現時点で大川を評価するならば、開戦直後におそらく他律的に用意された著作ではなく、なぜ、1922年の著作『復興亜細亜の諸問題』を引用しないのか?すなわち、1915年の対華211箇条要求を発出し、ニッポンが中国革命の妨害に出た(脱亜路線の選択)ことに対し、大川は本書で、

「而して最も悲しむべく、かつ、恥ずべきは、亜細亜復興の指導者たるべき日本そのものが、英国外交の翻弄するところとなり、その「離間制御 Divide and Rule」の政策を二重に成功せしめ(英国にしてやられている、ということ<古井戸)、支那内部に党争の因を蒔き、同時に日支両国の背理を招くに至れることである」

と、対シナ戦略の過ちを15年戦争の開始前に突いているのである。ニッポンに期待した孫文からも痛烈にこれは批判されている。「日本は西欧的近代化の途を進んでいるが、果たして、西欧覇道の犬、になるのか、それとも 東洋王道の牙城 たらんとするのか」(孫文が死の前年に 神戸で行った講演)

政治家、官僚、思想家(広松渉、あるいは外務省の田中均)らによる東アジア、あるいは北東亜細亜戦略の重要性を佐藤は説いているが、大川はすでに、それにも回答を与えているのだ。支那侵略が既定の事実になった後の、もぬけの殻になった大川を引用しても(おそらく政府軍部検閲済みの書物)、意味はない。

英米の侵略の歴史はすでに東京裁判でパール判事が難じたことだ。しかも、大川は 戦後書かれた(東京裁判で精神異常と認められ訴追を免れた後)、自伝『安楽の門』で、

「東京裁判は正常な訴訟手続きではなく、軍事行動の一種だ」と考えており、日本の無条件降伏により戦闘は終止したが、講和条約が調印されるまでは、まさしく、戦争状態の継続であり、われわれに対する生殺与奪の権は完全に占領軍に握られている。わざわざ裁判を開かなくとも占領軍は思うがママにわれわれを処分することができる。。。。今度、戦犯容疑者に指名されたことは。。いわば最後の召集令を受けたようなものであり、巣鴨(プリズン)に往くのは戦場に往くのは戦場に赴くようなものである。出征に際しては、生還を帰せぬことが日本人の心意気である。。。」

と、覚悟を示している。わたしは真珠湾直後の大川の講演は、すでにこの戦争の大義を日本は欠いている(対亜細亜)、と承知した上の、講演であるとおもう。

佐藤は、われわれは対英米戦争は避けられぬ戦争であった、といいながら、その教訓として

「負け戦はやってはならぬ」

を得た、といっている。そして、一国帝国主義となっている米国に全面対決するのは愚の骨頂、と述べているのだ。(いったいこの本を何のために書いたの?といいたくなる。苦笑、あるのみ)

「A旧戦犯容疑者大川に法廷での証言が許されていたら歴史は大きく変わっていただろう」と佐藤は述べている。なぜ、大川は裁判に臨んで奇矯な振る舞いをし、病院に収監されたのだろうか(その後で自伝を書いているほど回復したのに)。なぞではある。これは、パール判決書がGHQにより長く公刊を禁じられてきたのと同じく、佐藤のいうようにGHQの謀略の可能性もあるだろう。しかし大川自身が言うように東京裁判は戦争の一部であり、佐藤も本書中で、政府は現在でも政策遂行に当たり都合の悪い情報を 国民に対しても秘匿すべきである、といっているくらいだから、これがかりにGHQの謀略であっても非難しないだろう。

大川周明はイスラム学の泰斗。碩学井筒俊彦の師でもあった。大川はたとえ、負け戦とは分かっていても、大義は我にあり、として、すでに中国大陸侵略の愚を犯したことに目をつむり英米に闘いを挑んだニッポンにハナムケのコトバを贈ったのではないか?すでに「大義」など明確に虚妄と分かった現在、「負け戦はスベキでない」と、米国に追随してイスラム国攻撃に荷担したニッポンの現状をみて大川はなんというであろうか?外務官僚(休職中)である佐藤優は、どういうツラをして大川に対面しているのか?

ところで、大川周明のNHK講演はその録音がNHKに残っているはずである。ネットで公開すべきではないか?

(論じたい問題は上記以外にも多々ある。佐藤の著書引用等を交えて、また後日)

関連記事:東京裁判/北一輝
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-04


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コメント 3

FUTAN

なかなか鋭い、その通りと思いました。
by FUTAN (2006-06-25 15:57) 

kok

はじめまして。
>政治家、官僚、思想家(広松渉、あるいは外務省の田中均)らによる東アジア、あるいは北東亜細亜戦略の重要性を佐藤は説いているが
これはちょっと疑問です。佐藤氏はいわゆる「東アジア共同体」論に関しては批判的ではないでしょうか?
by kok (2006-12-09 11:35) 

古井戸

ども。
この本片付けてしまって今手元にありませんので見つけたら再読しますが。
しかし↑。。北亜細亜戦略の重要性をとく。。ということと、
いわゆる「東アジア共同体」論に関しては批判的。。。
であることは、矛盾しないと想いますが。

北亜細亜戦略の重要性を否定するモノなど誰もいないでしょう。
by 古井戸 (2006-12-10 10:22) 

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