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延命措置 [Ethics]

作家、加賀乙彦が 延命措置=尊厳死について語っている。本日付、朝日新聞、オピニオン欄。

「尊厳ある死は自分で決定」

わたしもここでそう発言しているのだが、その発言に至るにはかなりの試行錯誤、があるのだ。
加賀乙彦のような経験(精神学者だし、かずかずの死刑囚との対話経験ももつ)のある人間ならもう少し深みのある意見をのべてもよいのではないか?

「患者の意見を尊重すべし」 というのは とりえあえず、なのだ。。
かりに、患者が「安楽死だめ。 尊厳死、だめ。可能な限り金をかけて、長生きさせてくれ」と遺言を書いて植物人間になったらどうするつもりか?

そういう親族の生活を破壊するような行為を、残り少ない人生しかしかも不完全な形でしか全うできないとかなりの確度で予想できる人間に対して、行うことはできない。と、決断することも認めなければならないだろう? だから、「患者の自己決定」というのはそれだけでは万全でないのだ。自己決定+功利主義、という 観点が入り込むのは避けられないのである。

娘を殺された親が、犯人に極刑を望む、社会もその親の気持ちを代弁して、早く死刑にしろ!と叫びまくる。しかし、もし犯人が植物人間になった場合、こんどは「殺すのはモッタイナイ!生かして(家族にも)苦しみを与えろ!」というだろう。犯人だけでなく、犯罪になんの関係もない家族にも何億円という賠償金を要求する被害者側(被害者でなく、その家族jなのだ)やそれをホイホイと、認める裁判所。

ほんとうに人間にとって 生 が必要と考えているのか?
ならば、現在 3万人毎年自殺しているヒトビトの命をなぜ救わないのか?
自殺者の多くの原因は病気ではなく貧困である。偶然の過ちでサラ金に手を出した、その結果、とたんの苦しみののち、死ぬ道を選んだ。しかも、サラ金の暴利を制限する法律ををいまだに、人でなしのサラ金、銀行ならともかく、国民の代表たる国会が献金をもらって改善しようとしないのだ。八つ裂きにして市中引き回し、とはこういう サラ金業者や国会議員に対してやるべきものなのだ。

脱線した。
自己決定にハナシを戻そう。
自己決定は絶対ではない。 わたくしのカラダ、は私だけの物ではない、のである。もちろん、これも独断である(一般に 所有、なるものは 存在しない。これは当たり前のことである。人間のきめごとにしかすぎない。現に 脳死による臓器摘出は 本人の了解無しに、家族だけで決められることになった。むろんこれに賛成しているのではない。つごうによりどうでも、権利だのを追加したり減らしたりするものだ、ということの一例)。 しかし、自己決定という一線をもうけないと、それ以上の巨悪が起こりうる、という危険があるため、 やむを得ず 設定した 判断基準である、ということは忘れてはならない。 いつでも、これを取り消しできる、第三項は存在する可能性がある。


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コメント 3

えみる

>自殺者の多くの原因は病気ではなく貧困である。
ここは、一概にそうともいえないかなぁ・・と思いました。ネクタイという首輪をつけたまま中央線に飛び込む人はお金に困っているわけではないし、自室のパソコンの前で首を吊る若者も、きっとお金に困っているのではない。むしろ「少しくらいお金に困ったほうが」悩むヒマもなくなるのではないかと思うようなケースが、多いように感じられます。
自己決定を他人が左右するものとしていくつかの要素が有名ですが、一体どこからどこまでが「自己責任」なのか・・厳密に考えると頭が痛くなりますね。
by えみる (2006-04-09 16:38) 

古井戸

多く、という場合の値、を問題にされているようですが、ではどれくらいの%値が金で救えると思いますか? 半数は金の問題だと私は思っています。さらにいうと、自殺や心中に成功した人は良かったかも知れない。死ぬほどの苦しみというのは自殺よりキツイですからね。精神を病む人はいつの世にもいます。経済的な苦しみは 家族親族と直接に影響します。親がリストラされれば子供は高校や大学を中退しなければならない、ということになる。精神の場合は家族も苦しむが経済的苦しみほどではないでしょう(経済の場合は同時に精神もおかしくなる)。

自殺者一人につき、その800倍の自殺未遂者がいる、という予測もあります。
積極的に自殺しなくても、生きようという意欲がなくなれば病気も克服できない。「もう生きたくない」と感じれば病気になっても回復の努力をしない。そういうのを消極的自殺、と呼べば自殺者数のカウントはもっとふえる。カウントを増やして喜んでいる分けじゃありません。この世が、生きる価値有り、と感じるようにしたい、とおもわない?と個人個人に問いたい、ということ。とくに国家設計者として飯を食っているヒトビトに。わたしは ひとを苦しめるような状況を放置(たとえば、介護やサラ金問題)に腹が立ち、こんな世の中生きるに値しない、と考えると明るい気持ちにはなれない。

しかし、見回して、みんなハッピーそうなので、これまたケッコー!
by 古井戸 (2006-04-09 18:50) 

おたかさん

みえるさんの意見は、例えば、タバコの害がよく言われるがタバコをしこたま吸っていても健康で長生きする人もいる、というのと同じだと思います。
そのような人もいるかもしれないが、疫学的にもタバコの害は明らかです。

以前、私は、在日韓国人の死亡調査をした事がある(日本公衆衛生学会誌にて発表)。
在日韓国人の自殺の死亡率は日本人に比べ約2倍と明らかに高い。
しかも年齢別に見ると、日本人と比べると特徴的なことがわかった。

若い女性、中年期の男性の自殺死亡率が、日本人と比べ明らかに高くなっていた(もちろん統計的に有意)。
若い女性の場合は主として、結婚や就職での差別が原因であり、中年期の男性は経済的な原因、健康面での原因であった。

ちなみに不慮の事故による死亡も在日韓国人であきらかに高くなっていた。
不慮の事故を原因別にみると、交通事故は日本人と在日韓国人で差がない。ところが工業性の事故は在日に明らかに高かった。つまり危険な仕事に就いている人が多いことを物語っている。

人の生き死には環境要因によって大きく変わってくる。
by おたかさん (2006-04-23 03:23) 

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