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ジジェクにおけるリベラル あるいは 徹底民主主義者のための無神論 [Ethics]

                                     
4/1、朝日新聞。ニューヨークタイムズのopinion翻訳。
哲学者、スラヴォイ・ジジェクの意見だ。
「他者の信仰を尊ぶ無神論」

##
「宗教原理主義者は、神の意志を実現し救済を得るために彼らが善と見なすことをする。
無神論者は、それが正しいことだから善を行う」

「近代欧州は、無神論を正当な選択と認め、公職への障害でなくさせた最初で唯一の文明である」

「憲法論争の時にスロベニアで荒れ狂った議論を思い出す。イスラム教徒のモスク建設を許可するべきかどうか。保守派が文化的、政治的な理由から反対する一方、リベラルな週刊誌ムラディナは一貫してモスクを支持、他者の権利の擁護に腐心し続けた。はたしてムラディナは、預言者ムハンマドの悪名高き風刺画を載せたスロベニアのわずかな出版物だった」

「イスラム教徒の唯一の味方は、ただ扇動のために風刺画を最初に載せた人々ではなく、表現の自由の理想のために再掲載した人たちだたということである」

「他者の信仰を尊重する2つの方法がある。相手の幻想を壊さず傷つけないように保護者の態度を取るか、いかなる真実の主張も無理な決めつけとしての複数の「真実の体制」を認める相対主義者の立場を取るか。
だがもう一つ、イスラム教を他の宗教と同様、尊敬すべきものとして、だがそれ故に厳しく真剣に分析対象にすることはできないか。イスラム教徒を、自らの信仰に責任を持つまじめな大人として扱うこと -- これこそ、イスラム教徒を真に尊敬していることを示す方法である」

哲学者ジジェクの文を読むのはこれが初めてである。
上記の引用に先立って、ジジェクは。。。

「「だれもが天国の恩寵や地獄の恐怖によってでなく、ただ神の愛だけのために善をなすことを望むがゆえに」。この本来のキリスト教の道徳的立場は、無神論にみられる。今日、この本来のキリスト教の道徳的立場は、無神論にみられる。
  宗教的原理論者は、神の意志を実現し救済を得るために彼らが善とみなすことをする。無神論者はそれが正しいことだから善を行う」

神の愛、ではなく、ひたすら、正しいことだから善を行う。
この態度は私を説得するに十分である。市民の市民による市民のための善なる行為。善=正義。

「イスラムの唯一の味方」は「表現の自由の理想」のために再掲載した人たちであった。これは厳しい選択である。民主主義の原理をイスラム側にも要求しているからだ。

表現の自由を認めること。表現の自由を認めることが、おのれの宗教的自由を阻害する、というのであれば、宗教を棄て、無神論を取れ、と言っているように聞こえる。
納得しうる立言である。

ほとんど引用になってしまった。
何を付け加えればいいだろうか。
ここで言っているのは、無神論、の復権である。
これからの世界を生きるための世界市民のための無神論である。ひとつの信仰といってよい。いや信条、か。

無神論をとるのにいいわけは不要である。無神論はあまたある宗教群の 地、ではなく、大きな柄、である。

英文記事は、3/12にnytに掲載された(今読もうとすると有料)。
イスラム聖職者はどのように応答したのだろうか。

つくづく、宗教などと、飛んでもないものを発明したもんだとおもう。人間は。

久しぶりにじっくり読み込んだ短文だった。


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