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時代閉塞の現状 あるいは、必要! [history]

                                    

評論、「時代閉塞の現状」(強権、純粋自然主義の最後及び明日の考察)
朝日新聞に掲載しようとしたらしいが(当時啄木は朝日新聞社員)ボツになったようだ。大逆事件の直後故、社内検閲も厳しかったのだろう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/814_20612.html

明治四十三年1910 6月 大逆事件発生。啄木は真相を知るため資料の収集に当たった。社会主義文献を熟読、手記評論を残す。8月、評論時代閉塞の現状を執筆。9月に、朝日歌壇の選者になっている。

時代閉塞の現状、は、自然主義に対抗したおのれの思想を吐露したものだが、(「観照のみあって実行の伴わぬ、閉塞した時代の日本人たち全般に対する焦燥を示していよう」by 山本健吉)、その前年の1909年、毎日新聞に連載した評論「食うべき詩」と、内容は似る。

食うべき死、に
「詩人たる資格はまず第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」であらねばならぬ。第三に「人」であらねばならぬ。さうして実に普通人の有ってゐる凡ての物を有ってゐるところの人でなければならぬ。」

と、書き、さらに。。。


「「食うべき詩」とは、。。。実人生と何等の間隔なき心持を以て歌ふ詩という事である。珍味乃至は御馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物の如く、然く我々に「必要」な詩、ということである。」

時代閉塞の現状、その五、では。。。


明日の考察! これじつに我々が今日においてなすべき唯一である、そうしてまたすべてである。

さらに、。。。


かくて我々の今後の方針は、以上三次の経験によってほぼ限定されているのである。すなわち我々の理想はもはや「善」や「美」に対する空想であるわけはない。いっさいの空想を峻拒(しゅんきょ)して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。

啄木は北一輝より三つ年下。ともに、裏切られた革命=明治維新に、文と行動で抗して死んだ。

時代閉塞の現状を、ボツにしたのは当時朝日新聞嘱託であった夏目漱石である、漱石の小説、「こころ」に出てくるKとは、石川啄木である。。。と、高橋源一郎は最近の評論で推測しているという。

           岩手山  
                            かにかくに渋民村は恋しかり
                            おもひでの山
                            おもひでの川

「。。ここに立つと、岩手山の秀麗な山色が眉に迫って、はるか脚下には鶴飼橋の絶景を俯瞰し、白波を立てて流れる北上の上流、両岸の柳のやはらかな風光は、泣けよとばかり君を偲ばせた形見である」 金田一京助
http://www.page.sannet.ne.jp/yu_iwata/iwatedaisibutami.html

##
明治四十四年(1911) 腹膜炎と診断され自宅療養。4月、腹膜炎から肺結核に移行。
             妻節子も肺尖カタルで病臥にあった。
              8月、母も、病床につく。

明治四十五年(1912) 3月、母、肺結核のため永眠。
               4月13日、早朝危篤に陥り、9時30分、父、妻、若山牧水にみとられ永眠。27歳。
               妻節子は、翌大正二年、肺結核のため死亡。28歳。
##

「石川啄木と北一輝 --- 新たなる「地上王国」の予見」
著者: 小西豊治  出版社: 伝統と現代社
。。。を古書店に注文した。

*日本詩人全集8 石川啄木(新潮社) を参考にした。(写真も)


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コメント 6

えみる

人の心を動かすのは、やはり人だということでしょうか。
by えみる (2006-04-02 14:33) 

古井戸

熱い 「想い」 、ではないでしょうか。
by 古井戸 (2006-04-02 14:48) 

armadillo

先日やっと図書館から立花隆「天皇と東大」の下巻の順番が回ってきたので今読んでいます。啄木が生きた時代背景が東大という切り口から浮かび上がってくる本です。立花の文章はとても平易で読みやすいにもかかわらず、扱ってあるテーマが楽しい心躍るようなテーマではないので数ページ読んでは一服するといった按配で一向に進みません。読むだけでそうなのですから、立花の立ち位置を考えた場合、よくこんな対象にここまで付き合う気持ちになるなあ、とただただ彼の執拗なジャーナリスト精神に脱帽せざるをえません。
by armadillo (2006-04-02 21:33) 

古井戸

私が一番疑問なのは、「天皇と東大」というタイトル。明治から敗戦までの歴史を追うのなら 東大、という切り口は、窓口をせばめすぎる(東京帝大の歴史を東大の委嘱でまとめたい!というなら話は別だが)。せめて、大仏次郎(天皇の世紀)とおなじく、幕末からフォローしなければ(ペリーから)敗戦から現在までの歴史はとらえられません(これは私見。わたしは、ペリーの夢を見ますよ。1兆円払え!ヘイヘイ、と言っている現状を憂うものなら誰しもそうでしょうが)。幕末までの天皇とは全然異なる近代天皇がいかに成立したか、いかに天皇が奇態なものであるかということの解明、をまずやるべきです。それと、美濃部や北一輝らの天皇機関説への接続と棄却。立憲天皇制が一旦成立すればあとは一本道だから(とはいえ、天皇は利用されただけ。226事件などを除けば)。 明治維新=裏切られた革命、から、憲法制定までの動き、西郷などの第二維新、自由民権運動がなぜ破れたか、北一輝などの動き、226事件、をしっかり抑えなければ戦後はとらえられない。
ところで、東大、という呼称に非常に違和感をもつのだが。東京帝国大学、は東大、と略称されていたのですか?略しても、東京帝大、くらいじゃないのか?
いずれにしても、東大論をやりたいのならかまわないが、日本の歴史を解明したいのなら、東京帝大などにひきずられる必然性が見えない。
1/10に圧縮した簡略文庫本を待ちましょう。

追記: アルマジロさんにはもし未読だったら、渡辺京二の「北一輝」(これは安くてに入る)、もし図書館に入っていたら、渡辺京二評論集成全4巻のうち、1巻と3巻。それに、渡辺「なぜいま人類史か」を是非是非おすすめします。リクエストしてでも読む価値有り、とおもいます。
by 古井戸 (2006-04-02 22:04) 

はちや福中

>我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。

うむっ。身の引き締まるお言葉。私めも人として精進いたします。必要であり必要とされる様に。
by はちや福中 (2006-04-03 08:01) 

古井戸

必要は、ハチャの母!
by 古井戸 (2006-04-03 08:09) 

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