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小学生からの英語教育について [Language]

            

4/1の朝日読者の声欄に
「小学5年でも英語教育遅い」
と題して、ジャーナリスト服部哲夫氏(米国、52歳)が投稿している。

服部氏の主張を要約する:
1 中央教育審議会の提言「小学校5年から必修にする」に対し、「何を今ごろ時代錯誤な」との感を禁じ得ない
  外国語教育に熱心でない米国でさえ、多くの大都市で仏語、独語、中国語、日本語を教える小学校が増えている。(服部氏の住むミズーリの小都市コロンビアでは公立小では6年から選択できる。私立では1年生から選べる)

2 10歳以前で外国語学習を始めれば他の学習の効果も上がる、と指摘する米国の専門家は多い。服部氏自身は静岡で中一から英語を学んだ。30代後半に渡米したが、貧弱な英語力を嘆き「小学校から英語を教えてくれたら」となんどつぶやいたことか。
(その後、英語新聞社3社で働いた後、独立した)

3 記者会見やセミナーで接する日本人の英語力は服部氏が見る限り、中国人や韓国人と比べて驚くほど低い。これは学校での英語教育がわざわいしているのではないか。
5年生から、といわず英語教育はさらに早めるべきだ。そうできないのであれば、予算の制約だからだとすれば、日本は政策の順位を見直した方がよい。

以下、私の反論である。

1 服部氏は米国でジャーナリストになっている。しかし、一般にどの国の外国語教育であろうと、大人になって海外でジャーナリストになるために外国語を教えている余裕もないし必要もない。ジャーナリストの英語は最高級の(わかりやすさ、という意味で)英語なのであり、通常の外国語教育を越えた「特訓」が必要なのだ。現地に渡って、ジャーナリストになるのなら再教育が必要なのは当然のことで、そのための教育訓練を公立の小学校に期待するのは間違っている(予算や人員、の無駄が多すぎる、ということ。必ずしも全員が海外で、しかも語学のプロになるわけではない)。たとえば、俳優真田広之はロンドンの舞台に立ち、最近、中国映画に出演した。俳優は外国人だからと割り引いては見てくれないから厳しい台詞の訓練をされている。
 第2外国語の目的を明確にしないとこのような過大な要求をしがちである。では、どこに目標を設定すべきなのか?これがそもそも明確でないのが問題なのである。わたしは次を目標とすべき、とおもう。第2外国語=英語に限定するのもそもそもおかしいのだがここではそれは議論せず、英語、に限定する。

1 外国のビジネスマン、アカデミを含む実務家と討論できる。
2 外国の教育機関(大学)で受講、討論できる。
3 ジャーナリストや俳優、文学者など高度の英語使い手としての基礎を習得する

ここで3はツケタシである。3はハードな訓練を覚悟した方がよい。

2 その上で重要なことは、現在中学高校大学で受検に必須となっている英語を受験科目から外すこと、である。現在の英語は、英語教師や塾、受験産業の餌食になっており上記の目的から逸脱することおびただしい。高校では少なくとも選択科目にすべきである。
1) 英語を必要としない生徒も多いのであり、余計な負担を強いるべきでない。
2) 昔と違って現在、ネットやCDなどにより只同然でやる気のある人間はいつでもどこでも英語は学べる(ただし、まずい日本の教え方により実現できていない)
3) 英語といってもさまざまであり、読むだけでよいひと、ライティングをこなさなければならないひと、さらに、分野(数学、工学、物理、化学、農業、金融、政府機関、環境。。。ジャーナリズム、マスコミなど)ごとに要求条件は異なるのにこれを考慮していない教育内容になっている。
4) 英語はまず、自分の専門を確立した上で学べば十分だ。どの分野にしてもいまや日本語だけで足りる時代ではないのだから、ある程度の専門知識を身につければ必然的に英語をやらなければ成り立たなくなる。そうなってからの英語習得に熱が入るのは当然である。そのための基礎(文法)のみを中学高校で教えればいいのだ。実際、英語学者が言っているように中学のテキストを丸暗記すれば、日常的な英語(ジャーナリストを含め)では不自由しないのだ。

3 つぎに英語の質の問題。現在の日本の英語教育は、米語(土着米語)を無批判に取り込みすぎる。馬鹿な教育家やTVの訓練講師が無批判に土着まみれの最新イディオムでござい!と輸入している。われわれがまなぶべきなのは国際語、としての英語である。たとえば、中国や韓国、タイ、フィリピン(シンガポールは英語が公用語だから当然)の人々と業務で付き合うときも英語を使用しなければならないのが現実。そういうとき、土着英語フレーズなどを使うのは滑稽千万である。アジアだけではない。たとえば、国連関係の会合は欧州で開催されることが多いが、欧州は既に土着英語とは切り離した「国際英語」を教えている。米国人と話すとき、彼らの土着英語を理解しなければならないことはあるが、日本人がわざわざ米国土着英語を話す必要はない。(これは、オーストラリヤ英語、シンガポール英語=シングリッシュを話す必要がないのと同断である)。

4 教育の問題
現在小学校や中学校でALTと呼ばれる英語教育者が教師をサポートしている。この質は大丈夫なのだろうか?「私は米語しゃべれます!」「あ、そんな言い方、米国ではしませ~ん、わたしたち、こう言います~」ダケじゃ困るのだ。すくなくとも、米語、と、国際英語のちがい、は認識していてもらわないと。たとえば、発音。日本人の発音下手や有名だが、これは程度問題だろう。内容さえちゃんと整っていれば(すなわち、文章の構成を含めたライティングさえちゃんとできれば)発音がおかしい、とイチャモンをつけるようなやつはいないはずだ。私の狭い体験でも、日本人の下手な英語を指摘するような人間をみたことがない。陰でこそこそ笑いそうな人間もみたことがない。フランス人の英語などHを発音しないから最初何を言っているのかわからないが慣れてくれば、どうということはない。おまえの英語、おかしいから直せ!などとイチャモン付けているヤツは馬鹿とおもわれるのがオチである。要は、コンテンツなのだ。英語はまるっきりダメ、超ブロークンという日本人の英語であっても、こいつはコンピュータのプロである、ことを直ちに察して相手は真剣に聞いてくれる(その逆は悲劇である。これは我々があちこちで目にしている状況である。たとえば、NHKに登場する英語はできる、ただそれだけのヒトビトである。ウン十万といるネーチブ英語教師をあげてもよかろう)。まず、専門知識をみにつけろ、日本語による専門教育に時間を割け、ということだ。大学を出たら日本を捨てて海外にわたりそこで一生職業生活を送る、日本語で通信をすることもしない、と決断しているのなら別だが、ほとんどの日本人は英語、と、同時に日本語を通信の道具として使うはずである。ならば、まず、母国語でちゃんと、作文できること、を小中学校でやることが重要だ。じっさい、私の仕事である翻訳をやってみてわかるのだが、日本語の作文能力は低すぎる(自分のことをさしおいて言うが)。日本語で理路整然と文章も書けないのに英語で立派な構成を持つ簡潔な文章が書けるわけもない。日本語で討論する能力もないのに、英語で討論できるわけもない。NHKの批判になるが、たとえば、PBSのJim Lehrer NewsHour(BS1 で、毎日午後2:15~)を見ると良い。10分間で1テーマ(たとえば、日本で言えばライブドア問題、偽造メール問題など)を複数のゲストを呼んで視聴者に何が起こったのか、何が法律に触れるのか、どこがグレーゾーンか、今後どのように展開するか、などをコンパクトにQ&Aしている。これは問題を理解(何が、なぜ、どこで、いかに。。。5W1H)しているからこそできることである。NHKに英語を喋れる人間はいるが、用意した英語の質問をぶつける能力しかない。回答をもらったらそれっきり。回答をさらに掘り下げたり、反駁をしたりする能力(=ジャーナリスト力)がまるでないから、つまらないインタビュになっている。これは英語の問題ではない。コンテンツ理解の問題。つまり、あらかじめ回答と相手側はこう応じる、するとこう反論しよう、という事前の調査、お勉強、が足りないのだ(デベート能力というのか)。この勉強不足、と、英語の下手さを、服部氏は、混同しているのではないか、とおもう。
(いずれにしても、これは職業人としての常識であり、この鍛錬をみずからに課す人間なら、語学なんてどれほどのものでもない)。

5 こまかいこと
1) 発音をかんぺきにしよう、などという強迫観念はもたないほうがよいとおもう。無駄な努力であるからだ。時間が無際限にあるならやってもよいが、そんなに完璧にできたとしてもえられる評価は知れたものだ。発音が多少おかしくても、書いてみたらちゃんとした構成をもっている文章ならば、相手は耳をそばだてる。原稿を呉れ!と要求されるような作文をまずしてみようじゃないか。
2) 発音はカタカナ発音で十分だ。日本人にとってネックとなっているのはローマ字読みである。ヘボン(Hepburn)式、というが、ヘップバーン(Hepburn)式、とはいわない。
私の息子は現地で「今日モルクと遊んできた」という。モルクって誰だ?とおもっていたらMarkのことだった(モルク、と口に出してみてください、それがMarkです。)。カタカナ発音を記した辞書(三省堂など)もあるが、まだまだヘボン式ローマ字読みから離陸していない。Mark (発音=モルク)、と辞書に記載する。Hepburn、発音=ヘボン、と記載する。徹底的にローマ字読みを排除する。最近、良い本をみつけた。
 晴山陽一の「英単語1500 発音するだけ超速暗記術」角川書店
この本は中高年以上の発音ダメ人間にとってふってわいたようなありがたい本である(ことし高校にはいる我が娘にも買ってやるつもり)
たとえば、つぎのようなカタカナ発音をつけている。
Subtle サトー
Ultimate アウテミt (tに注意。これだけはカタカナにならない)
Heal ヒーウ
Alter オーウタ
Council カウンサウ
Cordial コージャウ
Yield イーウd (d、もカナにならないカナ)
Theory スィーアリ
Specime スペサマン
Reliable リライアボー
これを全面展開させたカタカナ発音辞書を期待したい。(ただし、発音よりアクセントのほうが重要)。
発音だけは国際英語、といっても手も出にくいところだ(できれば、出したいが。。。くやしいね、ほんまに)

3) ボキャブラリ
ボキャブラリは日本人の得意とするところではあるまいか。端的に英語の実力を見たいのなら、わたしなら、知っている単語を全部書き出してみなさい、という試験にしたいところだ。単語を系統立てて書き下せる人間なら、多少ブロークンであっても、作文もあるていどきたいできるし、物事に明るい、という英語以上に重要なことが検査できるのだ。同じことを日本語でやってみたらどうか?わたしは、学生時代にこれをやられたことがある。専門ではなかったが機械工学概論を教えてくれた(他学科だったがわたしの尊敬していた故)久保田先生がつぎのような問題を出した。
「内燃機関を構成する部品を知っているだけ書き下せ」
とうものだ。部品をたくさん知っている人間が、内燃機関とは何か、を理解してないと言うことはありえない、ということである。車の修理工なら数百の部品や工具は空で言えるだろう。日本語で部品名と工具を言え、動作も説明できるなら、これを英語で直すことにどれほど時間が掛かろうか。
ボキャブラリを蓄えるには、語源のマスタが必須だ。これ!といったほんがないのだが、
最近出た
新日本教育図書株式会社「英単語マニア」語源事典 メルライン・フライダ著
(これは沖縄在住の外人さんが書いた本。訳本ではない)
は値段も2095円+税金と安い。(この会社はほかに絵入りの10冊組の語源事典も出している。これもよい。各冊1000円だが、塾の月謝から比べたら屁のようなもんだろう)。
語源情報はボキャビルになくてはならず、また、自分で新たに単語を作ろう!というときに不可欠である。(語源情報やコロケーションを集めたデータベースなど、やるきになれば簡単にできるはずだ。英語公用語、までさけんでおきながらどんなツールを国民に公開したのだろうか?)
辞書はLongmanなど(良い辞書がCD何枚も付けて)4000円くらいで使いやすいものを安く販売している(すべてに発音付き。例文も100万。。)。昔から比べると、うらやましい限りである。

4)ベーシックイングリッシュ
http://homepage3.nifty.com/BasicEnglishSociety/whatisbe.html

ベーシックイングリッシュ、というのは語彙を850の基本語に制限して、すべてを表現しようという試み。現代の極度に分化した時代を生きるにはこれでは明らかに不便。多彩な語彙があることのありがたさが、逆にわかる、という実験的な試みとして一度は通過しても良いかも知れない。
で、言い残したことだが。。
小学校から英語をやっても良いが、上記のように、大学まで選択科目にすることだ。
それでなくても塾業界や受検業界のやりたい放題によって、教育の差別化が進行しているのにこれ以上この悪弊を助長してどうするのか。コッチのほうが大問題である。

追記: (気が付いたら、ドンドン追加していく)
1) 米国人がドイツ語、フランス語、スペイン語を習うのと日本人がそれらを習うのでは難易度が違う。米国の小学校で中国語、日本語(もちろん選択だろうが)をどの程度教えているのか?
2) たとえば、マークピーターセンは「日本人の英語」で、日本人のa と theの使い方がおかしいのは日本人が英語の世界観を把握していないからだ、と 英米の世界観を身につけろ、とせまる。余計なお世話だ。 a と the、可算名詞や不可算名詞は文法、とはいえ、土着世界観にまみれた、「思想表現」なのだ。忍足欣四郎が述べているように(岩波新書「英語辞書のはなし」)、すべての名詞は複数形を取りうるのだ。これは、発話者の世界観の表現の問題である。こういうことを文法事項として規定する現在の英語はちょっとおかしい(表現者たとえば、小説家などは世界を拡げるためおのれの、文法を作る)。受験生は点数を稼ぐために、学校文法にヘイコラと従うだけ、なんだよ、と自覚させておくべきじゃなかろうか。文法に従うのは相手にタイする、気配り、オツキアイなのである。気を配っておれぬ状況もある。
3) わたしの子供らは現地に到着後、3日でべらべら子供同士でしゃべり出した。近所の子供が、
       Can XXX play? あそぼ! (XXXはうちんちの子供の名前)
と誘いに来る。3ヶ月ぐらいしたころ、台所で、カナイと 「もったいない」て、英語でなんてゆうんかいの?と、話していたら、それを聞きつけた現地で小一息子(日本で幼稚園)がとっさに
          それは、You are wasting!
というんだよ!と大きな声で教えてくれた(きっと、近所のおばさんに自分か、ともだちが叱られたのだろう)。岩波新書、大津栄一郎「英語の感覚」では、「もったいない、などという和語は英語にならないのだ」などと、ぷうたれている。それをいえば、すべての日本語は英語にならないぜ。なるのは、Koizumi =小泉くらいのもんだ。人名をのぞいて、英語と日本語はまったくちがうのですよ、みなさん。でも、日本語に近い英語はあるのですよ、昔のヒトが、あ、これは近いな!とおもうのを書きためたのが辞書、です。辞書なんて不完全ですからね、みなさん、これがもっと良い!というのはドンドン辞書に書き加えてください。こう、教えるべきだ。したがって、辞書には 各語の記述に、空欄を 残しておいて、足りない語義や間違いがあったら、追加したりなおしたりしてください!というのが正直な態度です。 ある言語(単語)から、他の言語(単語)に 「翻訳できる」かどうかは、誰も保証していない。できたとしたら、偶然、できた、ということだ。

4)重要なこと。日本で販売されているいわゆる 英和辞典、は辞書ではない。英単語、とは、単語の語義を説明するものだ。日本の英和辞書は大辞典にいたるまで 赤尾の豆単(わかるかな~?)、の拡大版にしかすぎない。 たとえば、Concise(oxford)のTreeの項:
1 A woody perennial plant typically with a single stem or trunk growing to a considerable height and bearing lateral branches
2 A wooden structure or part of a structure
3 A diagram with a structure of branching connecting lines, representing different processes and relationships
などと簡潔に説明してある。英和辞典では、Tree = 木、樹木、家系図。。だけである。これじゃ辞書とは言えない。訳語集、である。外に生えている木を指さして、あれ!といっているようなもんだ。
こどもに お母さん!木、ってなあに?と聞かれたとき、それらしい説明をする、ということが英語的態度だ。せめて基本語について英英辞典をみなくてはならない。↑をみればわかるように簡潔な英語で説明してある。単語、と同時に、あちこちで使用される超基本的な英語運用法も同時に学べる。日本(語)との、差(connotation 言外の意味)もわかる。端的に言えば、辞書の説明は 要素、と、その要素間の関係を説明している(それが世界の説明だ)。関係の説明の仕方、が辞書には詰まっている(もちろん、英語辞書、あるいは広辞苑や大辞林)。

しかし、英語じゃなく、日本語でこういうありふれた用語を、ちゃんと、文章にして説明すること、が教えられているだろうか?これは国語の先生の問題である。
学校、とはなんですか?
家、とは何ですか?
辞書、とは何ですか?
花、とは何ですか?
単語、とはなんですか?
ことば、とはなんですか?
 この子供電話相談室にでてくるような質問に バシッと 日本語の文章で回答できますか?
ジャーナリスト服部哲夫氏(米国、52歳)が米国に渡って遭遇した問題は、英語日本語のもんだいではなくこういう、 コトバに対する基本的な態度の問題をニッポンの教育がいい加減にしてきたことである、と、私は想像する。つまり、英語の問題ではなく、日本語の問題、もっといえば、日々の生活でで物事をあいまいなままにしておかない、という態度。これを、小学校低学年から教えているか?ということだ。 日本語で自己主張し、ものごとを表現する能力を養ってさえ置けば、何語を学ぼうとその習得にどれほどの苦労がいるであろうか。現地でジャーナリストをやるなら、発音聞き取りに苦労はするだろうが、プロになるのなら何事につけ数ヶ月半年の血のにじむ努力くらい当たり前のことである。
服部氏の意見である
<記者会見やセミナーで接する日本人の英語力は服部氏が見る限り、中国人や韓国人と比べて驚くほど低い。これは学校での英語教育がわざわいしているのではないか。>
これは英語とは何の関係もないことだ。日本の首相や官房長官が行っている記者会見で日本語しかしゃべらなくてよい大新聞の記者等がおこなっているパアプウな質問をみればわかるだろう。服部氏の誤解は (海外で働く日本人)記者の実力を 英語力、で測定しようとしていることだ。英語力じゃないのだよ、記者力、とは。たとえば、小田実(発音は、かなりブロークンよ)が記者だったらどういう質問を発するか、 想定してみればよい。英語、だの、日本語だの関係ないことが分かるだろう。

これが、結論かな。

日本で小学校一年から現地でいきなり三年生になった息子は現地の普通の小学校に入った。その担任に面談したが、先生はこういった。わたしは作文を重視しています。作文するため、しっかりものを観察すること、コトバを選んで、うまく組み立てること。。を教えます、と聞いたときわたしはちょっと感動した。クラスでただ一人の日本人のため特別にリーディングなどをマンツーマンで教えてくれていた。予算もいるだろうに、この鷹揚さ。いま、プロアメリカ政策で状況は変わったのだろうか。

また、こんなこともあった。レーガン大統領の下、イランコントラ事件が発生したとき。小学三年の息子が、先生が教室で、「レーガンは大嘘つきだ!」と怒っていた、という。ニッポンでこんなことできるかい?おもったことをはっきり口に出すことに躊躇しなければならないこと、多すぎないか?社会のひずみを、小学校教育の責任にしてほかにいくらでもすることがある先生にしなくてもいい負担をかけるの愚の骨頂である。先生には、物事を細かく観察し、誰にも分かる簡潔な日本語で表現すること、他人とコミュニケーションをすることを教えてもらいたい。それができれば、英語など将来いつどきでもあっというまに身に付くのだ。


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中学生と英語

塾でこの1年中学生の英語を見てきた経験から。。。
わたしは小学生からフォニックス中心で少しでも英語やってたら
英語の導入が楽になるかなと感じてます。
大半の中学生にとっての関心は学校の成績と高校受験。
英語が好きというのはごくわずか。のような気がします。
嫌いな子はいっぱいいる。
何がしんどいかというと、ルール(文法)と単語を覚えること。
単語力のない子は総じて発音できません。
それがフォニックスやってた子はちゃうね~
フォニックスはつづりと発音を関連させながら、スペリングを覚えさせていく方法。
語学は。。発音してそのリズムに乗れる子は好きになるんじゃないかしらん。
それを教えてあげることからはじめなくちゃいけないと思うんです。
聞いて、まねること。

ALTって、兵庫県が1番数が多いって聞いたことあります。
ほんとやろか。ホームシックで途中で帰っちゃう人もいるし、熱心な人も
いるし、いろいろ。高給もらってるんですよ。
なぜ外国から呼んでこなくちゃわかんない。
日本に留学生、まじめな日本のことも熱心に学びたいと思っている
苦学生がいっぱいおるのに。
でも...生徒たちはALT好きですよ(^^)/
by 中学生と英語 (2006-04-04 00:06) 

古井戸

うちの子もALT好きだったですよ。英語とは関係ないですね。お友達です。

フォニックス、音からの学習ですか?無いよりはましでしょうね。
道を聞くとか、買い物するとか、「雨が降ったら天気が悪い」程度の低レベルの英語なら 発音良い! 英語もいいでしょう。

しかしm、実社会での英語(朝日投書にあった、ジャーナリストなど)の場合は、何をしゃべるか、という教養が問われます。発音がブロークンとか、聞き耳がいい、とかは、ほとんど関係ないです。 小学校からやってないからダメなのだ!というのは飛んでもない、デマ、であることを知った方が良いですね。

コンピュータ研究者になりたい、のなら、黙っていてもネットで記事を探して英語を読み出します。カタカナ発音でも  十分 通じるし、コンピュータのことなら聴くことができます。 聞き取りは、耳でするのではありません。 アタマ Brain でするのです。 最新の肝細胞の話題について、質疑応答できるのは英語ペラペラ(中身空っぽ)の人ではなく、多少ブロークンでも(利根川裕、がどんな発音するかしらないが、発音などどうでもええのでえす)ちゃんと、聞いてくれます。

日本語でしゃべれない内容を 英語でシャキシャキ、と話せる、ということは 
ありえません(米国に永住する!というひとでもないかぎり)。

中高で文法をやれば十分(大学の試験は選択とします)。

たとえば、大学の理工学部が、オレに学部は英語のできる人間がほしい、と
おもえば、英語を試験科目にするでしょう。そこを受験したい生徒は英語をやればよいのです。おれは英語などやりたくない!という 理工学部希望者は、ポイ棄て、でいいでしょう、いまどき。

朝日投稿の ジャーナリスト氏の 不満は おのれの無知に対する不満と理解すればいいと思います。 NHKのキャスタがブッシュに単独インタビュなどやったりしますが、とてもとても、つっまんない、インタビュしかできません。なぜか? 知力がないからです。質問したらしっぱなし。丁々発止のやりとりができない。鋭い質問もできない(アタマがパア、だからです)。 「君の英語良い発音だねえ」、といわれたら、 きみ頭悪いねえ。。。と理解して欲しいです~。。コンテンツを問題とする人(有能な人)であれば、発音がいい!などとどうでもいいことで決してほめたりしません(それを相手は侮辱、と受け取ることを知っているから)。NHKのETVみてますか? 良い発音したりすると、
 うお~。。すごい!!
などと、ほめています。むろん内容は「雨が降れば天気が悪い」英語。知性ゼロの馬鹿丸出し英語です。 

英語のツールや良い辞書が溢れている時代、その気になれば英語など超簡単に身につけることができます。 

まず、 日本語、ですよ。コンテンツ、です。
専門知識のある人の前で、 内容のあることを、5分10分 バシッと、日本語で発表(原稿見ずにね)できるひと、ならば、それを 下手ぴな発音で発表しても、聴衆は、耳をそばだてて聞きます。 (それほどの、能力がある人ならば、発音をよくする。。ことくらい、簡単にできますが。。)

日本語ができる米国人、というのは今では多少います。しかし、デーブスペクターがいくらペラペラ日本語をしゃべるからと言って、彼を 知識人、とか常識ある人、とはいわないでしょ?

英語のボキャを10万身につけているけど。。日本語だめ。。ということはかなりまれ、です。 まず、日本語の文学書、理学書、ノンフィクション、その他自分の専門分野で知識を持っておかなければ、ジャーナリストはつとまりませんよ。
(すくなくとも、相応のビジネスマンと交際したければこのくらいの読書をしていなければだめでしょ?)。 英語英語、と叫ぶ前に、まず、ドンドン本を読ませることですよ。日本の小学校では。 本好きになったけど、英語などできません、大嫌い。。。こういう自体は私には想定できません。 さらに、上級の本を読みたい、知識を得たい。。。日本語以外の本を読みたい。。と 自然に欲求が出てきますよ。

おれは本などいやだ。 漁業に徹したい。結構じゃないですか。
おれは、農業に集中する! 結構じゃないですか。英語など必要ないでしょう。必要あれば、農水省の専門家に、おい!最新の欧州農業を説明しろ!と求めればいいのです。

まず
必要! ですよ。
  啄木の記事、読んでくれはった?

兵庫、に 行って、みたいっすね。。ぶふふ。
by 古井戸 (2006-04-04 08:52) 

古井戸

どーして、わたくしのメッセージ、いつも長くなるんだろうか。
 要領悪い、のだろうか。
           それとも、 愛情に溢れて、いる、から、やろかー。
by 古井戸 (2006-04-04 09:04) 

飛葉

古井戸さんの名前はどこから?
中国映画の古いのにありましたよね。古井戸。
見たいと思いながら、いまだ果たせず。
わたしも新しい名前でdebut (^^)v

私は知力がついていかないので、難しいことかけませんが、
基本的には、

>日本語でしゃべれない内容を 英語でシャキシャキ、と話せる、ということは 
>ありえません(米国に永住する!というひとでもないかぎり)。
>」中高で文法をやれば十分(大学の試験は選択とします)。

賛成です。ちゅうか、できる有能な人はほっとっても
今は勉強するチャンスいっぱいあるからいいのです。
小学校から英語必要論は子だもたち全体の底上げを考えたら、
あったらと思うわけです。
それに語学は物理や数学と違います。
教えてもらって分かるというより、好きになってあとは
1人でこつこつやるもんじゃないかな~
それにねーーー古井戸さん
勉強すきな子どもって、そんなにいないと思うよ!!!

うん、つまり論点がずれちゃってるよね

そういえば、韓国。おんなじ受験大国だけど、
英語を習いにいっても週5日とかいくらしいね。
だから、日本人よりできるんだわ。

啄木の記事、どこにあります?
by 飛葉 (2006-04-05 10:46) 

古井戸

古井戸?
苦渋の末、選んだ名前なんだが、なんで、こんなに古くさく、おもしろみ、覇気に欠ける名前になったのか。。後悔しています。そのうち、
  わたしの~名前が~変わります~♪(旭、の歌ですよん。わたしの持ち歌)

>それに語学は物理や数学と違います。
教えてもらって分かるというより、好きになってあとは
1人でこつこつやるもんじゃないかな~

つまり、学校でやるもんじゃない、ってことですね。
母国語、と、第二外国語、としての英語を誤解なさっていません?
わたしは、第二外国語は、日本語で専門科目をやったあとでしか効率よくまなべないとおもいますよ。必要ないもの。。外国人に何事かを(あたらしきこと)を伝えるための道具でしょ?買い物や道案内なんていまにボタンぽち!で機械がしゃべってくれますよ。

>それにねーーー古井戸さん
勉強すきな子どもって、そんなにいないと思うよ!!!

しなきゃいいでしょ?したくないひとは。
オトナになって、あ、数学したい!英語したい!性教育したい!
 というとき、やればいいのですよ。本来。

> うん、つまり論点がずれちゃってるよね

重要なことですね。議論する、ということは、論点をずらしながらやります。

>そういえば、韓国。おんなじ受験大国だけど、
英語を習いにいっても週5日とかいくらしいね。
だから、日本人よりできるんだわ。

韓国事情はようしらないけど、一般にアジアは英語をやる必然性があるんですよ(日本を除いて)。教科書がほとんど米語のままだから(日本人のバヤイ、
日本語だけで下手すれば大学院までやっちゃうでしょ)。これ、不可能ですよ、アジアでは。

> 啄木の記事、どこにあります?

時代閉塞の現状、です<ー 啄木が書いた評論、です。

又お越しください!!
by 古井戸 (2006-04-05 13:10) 

海外逃亡者

 基本的に、日本人が英語を一通り使えるようになる(それもいい加減な和製英語ではなくて、どの外国人に十分通用するレベル)には、いちから始めて、最低でも4000-5000時間は必要だと聞きます。しかし、これは、専門学校のガイダンスや現地の語学学校等で、根を詰めて勉強した場合のことで、自分流でダラダラやっていると、この2・3倍の時間がかかり、もしくは一生かかっても達成しないこともあるそうです。

 日本の学校では、中高6年間合わせても1000時間弱。仮に小学校高学年から始めたとしても、約1500時間。これは、必要最低限(英検2級/TOEIC550)レベルにも程遠いです。

それにしても、政府のいう英語が出来る日本人というのは、一体何なのでしょうかね?考えるだけ時間の無駄のような気がしてなりません。

美しい日本語が話せるようになる? 日本の文化と歴史を十分理解した後で、英語をマスターする?

そんな悠長なこと言っている文部省に、もう完全に失望しています。

日本人でいること自体、非常に悲しくなっているこのごろです。
by 海外逃亡者 (2006-12-29 14:57) 

古井戸

>外国人に十分通用するレベル。。

これが曲者ですね。いったい何を話したり書いたりするのでしょうか?
買い物や路を聞いたりする英語などではなく、専門分野職業分野で必要な英語を習得するために(日本人だけじゃなく、世界の人々が)第二外国をを覚えるわけでしょう?まず、その専門分野と実際の必要に遭遇しなければ英語に限らず代に外国語など習得できるわけがありません。必要があれば中国語であれ英語であれ身につきます。ぺらぺら英語などはなす必要もありません。内容があれば多少ブロークンでも相手は聞いてくれます。その逆の人間ばかり現在のにニッポンは育成しようとしているから笑いものになります。立派な日本語をシステマチックに教えれば外国語は簡単におぼえられるとおもいます。日本語、といわず、ことばを組織的に習っていますかね、わたしたちは。
by 古井戸 (2007-02-07 06:35) 

海外逃亡者

少なくとも、職業上、英語力が要求される人(例:外資系企業、英語学校・通翻訳業など)場合、専門分野のみならず、日本事象に関する殆どのことが英語で発信できるといったレベルまで求められることになるでしょう。4000-5000時間というのは日本社会にて、不自由なく英語を使いこなせるレベルですが、日本人が海外の大学や大学院に学位取得を目的として留学する場合は、最低限必要なレベルです。特に、欧米だとね。日本語的英語はなかなか通じにくく、日本人留学生の多くは語学学校から始めている人達が多いです。私は留学する前に、日本で少なくとも3年以上みっちり鍛えていたので、渡米直後に英語力で大きな支障をきたすことはありませんでした。

ただ、これは正規留学や英語を必須となる職業に就く人に限っていえることで、日本人全員にとって必須とは断言しません。なぜなら、全ての日本人が英語が必要な状況に遭遇するわけではないからです。少なくとも今はね。将来どうなるかわかりませんが。

>立派な日本語をシステマチックに教えれば外国語は簡単におぼえられるとおもいます。

単に言葉をおぼえるだけならそれほど時間はかからないでしょう。例えば英文法だったら、日本の高校の英文法の教科書を通して、100時間位あれば覚えることはできます。ただ、実際に会話や英文で自由に使いこなせるには少なくともこの10倍はかかります。これは現地の大学にて英文ペーパーやリポートを書くとかディスカッションやプレゼンするといった状況に接すると痛感することと思います。しかし、これも日本ならあまり実感しない人の方が多いかもしれません。

日本で外国語を勉強する場合は、日本語能力はもちろん重要です。しかし、日本語と違いを比較しながらでないと、英語をはじめとする外国語は思ったほど使いこなせないというのが現実です。さらに日本では、実際に使用する場面に限りがあるので、自分で機会を作って、擬似的に場数を踏むといった工夫が必要になります。そうでなければ、海外に留学して、異文化に接するとかね。

>その逆の人間ばかり現在のにニッポンは育成しようとしている

たしかに、政府の言う英語が出来る人物というのが余りにも非現実的ですね。もし、日本人が、将来、欧米人のように発信できるようになることを指しているのであれば、日本そのものを英語圏(例えば英語公用化や欧米による属領化)にでもしない限りはまず無理でしょう。それを今の日本が今後望んでいるとはとても考えられませんが。
by 海外逃亡者 (2007-02-07 16:05) 

おたかさん

しかし、一体市井の人々が英語を使う機会は一生のうち何回あるのだろうか?私の場合、国際学会などで自分の英語力のなさに苦労したことはあるが、現在は使う機会は皆無である。
ウチの両親も英語を知らなかったし、一度も使う機会もなかった。
英語が必要な人が自分で勉強すればいいのである。
by おたかさん (2007-02-11 18:14) 

白髯

私の意見の結論は「小学生からの英語教育」(の仕方によりますが)受験用ではなく、標準語に近いネーティヴの発音を用いて日常会話の基本を教えると言う事であれば賛成です。理由は

1.発音は小学生の時に学ぶとその効率が抜群に良いだけでなく、大人になってからでは努力も時間も数倍係り、それでも効果に限界がある。これは言語学会の結論であるだけではなく、実際にアメリカで英語を習った小学生と大人とに多数出合った経験に基づいている。

2.日本人の英語の読み書きの力は既に世界でも最優秀の部類に属すると思われる。日本人の英語力が無いと言われるのは読み書き以外のコミューニケーションの分野だと思われる。それについては、古井戸氏の文章力の問題が基本的だと言う議論に賛成です。しかし、文章力だけではネーティヴではとても十分な議論は出来ないと言う事は私自身が厭と言うほど知らされた事実です。ここでまた発音の問題に戻るのです。勿論、ネーティヴの様な発音にならなくても(実際には子供に時に見につけなくては大人になってからではネーティヴの用に発音することは不可能)良いでしょうが、発音が不十分な為に何度も質問されるとやはり十分な会話が成り立たなくなり、何らかの妥協を強いられる羽目になります。

他にも、細かい点については色々ありますが、以上が一番大切だと思われる2点です。古井戸氏は翻訳業と言う事ですが、翻訳には発音は不必要だと思いますが、実際にネーティヴと難しい議論をされたことは御座いますか?
by 白髯 (2008-06-01 09:43) 

海外逃亡者

白髯さん

発音のみならず、リズムやシンコペーションといった要素が英語力向上に必要不可欠です。これらを鍛えるための手段がリスニングで、おっしゃるとおり早くから行うに越したことは言うまでも無いでしょう。大人になってから鍛えることはできますが、一日1時間ずつスピーキングの訓練をして少なくとも3年近くかかりますね。ただ、日本の小学校ではどうでしょう?どの位耳からのインプットを行うか不明なので、なんともいえませんが。

>> 2.日本人の英語の読み書きの力は既に世界でも最優秀の部類に属すると思われる。

私はそうは思いません。日本人の多くは読み書きの段階で非常におおきな問題を抱えています。なぜならインプットの絶対量が根本的に不足しているからです。「日本人は話す・書くはできないが、読み書きは出来る」といった世間一般的な表面的見解があるのは、従来の日本の学校による英語学習法が、逐次的訳読法や、読解を目的とした暗記や詰め込みを中心としてきたことから、素人目にはそう見えるだけです。事実、海外の大学への留学を目指す日本人の多くが直面する問題は、書けない・話せないの二つです。これはoutputに不可欠な要素であるリーディングやリスニング不足が根本的な背景となっています。nativeでも卓越した議論ができるようになるには、中学や高校でリーディングやライティングを十分に行っている必要があります。でなければ、幼稚な話し方のまま世間体くらいの話しか出来なくなってしまうからです。

仮に「読み書きが出来る」というのであれば、私ならば、少なくともTIMEやNewsweek,Economistなどの記事が少なくとも6-7割程度理解でき、かつ、このような場所で、自分の見解を英語(ただしJapanese Englishではない)で書けるレベルのものを期待(要求)します。
by 海外逃亡者 (2008-06-05 19:43) 

白髯

1.仰るように発音と言ったのは読み書きに対してと言う意味で、リズムやイントネーションなど関連した能力も含んだ積りでした。大人が1日1時間のくれんでどの程度出来るかは人によって異なりますが、よほど本腰を入れて掛からないとまず期待は出来ないと言うのが私の印象です。その反対に、子供をネイティヴと一緒に遊ばせておけば、本の数ヶ月で殆んど子供が基本的な発音を習得してしまうと言うのは事実として知っています。

2.日本人の英語の読み書きの力は既に世界でも最優秀の部類に属すると思われる。

これは私の知っている日本人の多くが発音がろくに出来ないのに読み書きに堪能な事から判断したのですが、そういわれれば出来の悪い人も大勢居ますね。しかし、世界中(勿論、英語圏を覗く)の教育水準という意味では、日本人の読み書きはかなりの物だと思っています。それで私は彼らにと紙と鉛筆を持って相手に伝わらない時にはキーワードを書けば通じるチャンスは大きくなると勧めています。

by 白髯 (2008-06-06 01:48) 

古井戸

白髭さんの質問。。
>翻訳には発音は不必要だと思いますが、実際にネーティヴと難しい議論をされたことは御座いますか。。

難しい、とはどういう意味かがふめいですが、わたしは国際電気通信が会社勤務時代から専門であり、海外の通信会社やメーカ、あるいは交際連合傘下のITUという標準化組織の会合に出席しました。そこそこの意思疎通はできたつもりでいます。そこで問題になるのは、内容の理解であり、意思疎通を実務で行う場合、口頭だけで終わり、ということはありえません。かならず、各国が寄書を提出し、それにもとづいて議論し、結論も文書にシテだし、議論の途中で素早くworking paperを出す能力が必要です。逃亡者さんがおっしゃるように、作文力が要求されます。が、それに先立つのは専門知識です。専門知識さえあれば、通訳を雇えばいいのですよ。発音が滅茶苦茶だから、という理由で苦情言われたりすることはあり得ません(発音の正しくない英語など国際会議ではザラです。それが理解できるのは議論は必ず文脈があり、化学のある分野、コンピュータのある分野。。等問題は限られ、これをマタイで同じ場所で議論することはありません。コンピュータや通信の専門家が化学のことはまったく理解できない、というのは大いにあり得ることです。これは日本語で行う場合も、です。発音がよくないことを理由に、軽蔑するような人々は逆に軽蔑されるだけです。国際会議のとくに大きな会議では日本語を公用語にすれば英語のヒアリングスピーキングの能力は低くても大丈夫。ただし、作文力はそういう分けにはいきません。英語の作文力、というより、言語から独立な構成力、です。これがないために、日本から英文論文誌に投稿する論文は意味不明なモノが多い~多かった。これは、日本の学生が日本の論文誌に日本語論文を投稿するとき厳しく鍛えられていないからです。英語の問題ではありません。日本語の論文をしっかりかければ、英語の論文も少し鍛えるだけで、ちゃんとかけます。)。が、専門知識がないと、まったく役立たずで相手にされないでしょう。 わたしの主張は、英語は現在のように中学校からで十分。数十年前に比べれば、ALTというネーチブさんが、中学校に入って教えているだけで大いなる進歩です。あとは、思考力、表現力、専門能力を 日本語で、身につけること、です。

わたしの経験。英語が全くブロークンであっても、コンピュータの知識は抜群、という高卒の技術者と海外に出張したことがありますが、相手の技術者は辛抱強く聞いてくれます。コンピュータ能力の有無はブロークンであっても直ちに伝わります。コンピュータ能力(専門知識)がブロークンであればお手上げです。このような経験を数度すれば英語の何が必要かわかってきて、直ちに独学で英語を身につけるでしょう。

発音、がどうのこうのとおっしゃるが、舞台俳優とか、アナウンサになるなら現地人であっても特訓が必要です。ビジネスならば、アクセントとカタカナ発音でいいから、ボキャブラリを増やすことです。 限られたリソース、時間で何をやったらいいかを教育は考えるべきです。英語など全く必要としない職業に就く子供もいます。 英語を入試の必須科目にして子供を苦しめるなど、愚の骨頂です。 大学で専門知識を身につけたあとでなければ、実用英語など学べません。 雨が降れば天気が悪い、とか、あれ下さい、これ下さい、空港へ行くにはどうしたらいいのですか。。。こんなくだらないことならNYKでも日本語で通じます。
by 古井戸 (2008-06-06 16:37) 

NO NAME

私の主旨(1.発音は小学生くらいから学ぶのが効率が良い。2.大人になってから発音を学ぶのは効率がとても下がる)から離れた議論を御自分で為さっている感が有ります。

その他の諸々の事を仰っていますが、それらについては概ね賛成です。
by NO NAME (2008-06-09 01:36) 

海外逃亡者

別の場所でも書きましたが、小学生からスタートする、大人になってからスタートするに関わらず、発音だけを学べばそれでいいというものではありません。少なくとも、流暢に話せるようになるには、リズムとシンコペーションに十分慣れ、自分の体で会得する必要があります。この二つは発音やアクセントとは基本的に別物で、大人になってからでも学ぶことは十分可能です。事実、私が英語で卓越した会話力をつけることができたのは、渡米前からの地道な猛特訓を数年間続けてきたからで、22才を過ぎてからです。

アクセントは大人になってからでも学ぶことは出来ますが、リズム・シンコペーションを鍛えた方がはるかに効率的です。自分の発話スタイルを創ると言う点では、発音にも非常にいい影響を及ぼします。仮に、いくら発音がnativeのように明瞭でも、これらがあやふやだと、まとまった英語を自分のペースで話すことなど到底出来ません。しかも、リスニングや力リーディング力にも大きく関わってきます。

また、幼い頃に海外在住の経験があっても、帰国後、全く英語を使う機会が無く、ずっと日本の学校で十数年以上教育を受ければ、発音も確実に錆付きます。しかし、インターネットやコンピュータ・メディアの発達した今の日本であれば、全くの一からスタートでも、当人のやる気・やり方次第ではいくらでも鍛えれますよ。安易に英会話スクールや語学留学に頼らなくても、できることです。最初は全くの日本語的発音であっても、地道に続けていけば、nativeのようにまではいかなくても、徐々に洗練されていくものです。

発音が残る・残らないとか、nativeのようだとか日本語的だとかは、そんなことはどうでもいいことです。むしろ、論理的で、まとまりがあり、内容のあることをほどほどのスピードで、理解しやすく、誰にでも解る英語を話せるようになることの方がはるかに重要です。それができるようになるために、native的アクセントにこだわりすぎる必要など全くありません。



by 海外逃亡者 (2008-06-09 16:47) 

白髯

私は「発音だけを学べばそれでいい。」と言う事を主張した覚えは全く御座いませんが、是は意図的な歪曲でしょうか?それとも、単なる誤解でしょうか?前者なら、反論は致しません。
by 白髯 (2008-06-12 02:21) 

海外逃亡者

>>是は意図的な歪曲でしょうか?

それは違いますよ。そうではなくて、発音は英語を発信する上での、一つのファクターにしかすぎないということです。白髯さんの主張は、決して間違いではありません。ただ一つ、発音の正確・不正確さを基準に日本人の英語の良し悪しを判断されているというように感じとれました。これは古井戸さんがご返答で指摘されている点からも推測できます。

単に発音だけうまくても、リスニングやリーディング量が足りなければ、日本語を直訳した英語か平易な英語を流暢さでカバーするだけのレベルに終始する可能性大です。事実、現地の日本人の子供でも、学校の授業で四苦八苦していることが多く、現地の子供に勉強で取り残されることが多々あり、追いつくのに最低でも6-7年くらいかかると聞いています。日本であろうと海外であろうと、社会で生活していくためには、学校にて、国語、算数(数学)を始め、社会科学(歴史・地理・公民)や自然科学系(物理・科学・生物・地学)などを通して、背景的知識や教養を固めなければなりません。英語でも日本語でも、これらがしっかりしていなければ、世間体のことしか話せない、中身のない人間とみなされるのがオチです。これは英語nativeでも全く一緒です。


by 海外逃亡者 (2008-06-12 18:53) 

kmns

擴張ヘボン式なる翻字式ローマ字を提唱してをります。これで轉寫してみると歴史的假名遣の方が讀みやすい。それで自分でも表記を切替へるに到った者です。

是非お見知りおき下さい。

ローマ字相談室のローマ字資料室(ヘボン式系統)に説明があります。英語のものが一番新しい。

實例は眞道重明といふ方のサイト
http(colon)(double slash)home.att.ne.jp/grape/shindo/index.htm
の閑人妄語(三)の懷かしい唄、(四)の其の二にあります。

同じ眞道さんのサイトの水産雜記(三)にある「濫獲」か「亂獲」か? に寄稿したものが小生の主張です。

英語教育については

http(colon)(double slash)oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/texfaq/archive/wkmr.pdf
に小著の一部が公開になってゐます。

併せて御高覽の程お願ひ申しあげる次第です。

kmns(underscore)tsw(atmark)yahoo(dot)co(dot)jp

by kmns (2008-12-19 11:40) 

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