SSブログ

死の問題 [Ethics]

                     

今日は免許更新のための講習に行ってきた。
最初の30分はビデオを見せてくれた。シートベルトをすること!に最重点を置いているようだ。
私の住んでいる千葉県は全国比較で交通事故発生数と死者が多いからこれを減らすため警察も躍起である。ビデオの内容も、前回、5年前、と比べて、どぎつくなった。
スピード超過で追突、即死したドライバと、同乗者をそのまま映している(顔は隠しているが)。
シートベルトをせずに、頭からフロントガラスに突っ込み額を割って血まみれの姿(額以外の顔はぼかしているが)、歩道ではねられ死んだヒトなど、顔を背けたくなる映像もそのまま映している。

不思議なのは、ケータイは全面禁止になっているが、カーナビやTVはどうなんだろうか?運転中に使っているのか?見知らぬ市街区でカーナビみながらハンドルを切っていては通行人などへの注意がおろそかになる、と思うのだが。

さて。。延命治療の問題がまた起こった。

##朝日.com
富山県の射水市民病院でがんなどの末期患者7人の人工呼吸器が取り外され、死亡した問題で、残されたカルテには「家族の希望」などと記されていた。だが、同意取り付けの経緯は不明確で、病院内での合意も十分とはいえなかった。延命治療の停止は、やむを得ない選択だったのか。
##

今回気づいたのは、新聞やラジオ(わたしのTVいま故障中。。)の調子も、病院や医師を一方的に責めないようになったことだ。

TBSラジオで今朝、ジャーナリスト鳥越が語っていた。
1 良心的な医者ほど、延命治療はしない。家族、と、患者のココロを見抜いている。良心的でない医者は、なにも考えず、延命させておく。そのほうが、病院も稼げるのだ。
2 今回は大部分の家族から抗議など起きていない(つまり、同意したのだ。夕方の地元インタビュでも病院を非難する声は聞かれなかった。だから、病院の医師の行為が正しい、と直ちに結論を出すわけではないが。末期患者の家族親戚近所の人間以外、患者が生きようと死のうと関係ないのだから)
3 本人(家族ではない)の事前の意見(意思表明)を求めておくべきである。家族の声は参考にならない。とくに、遺産相続などの問題がある場合、生死の条件を家族が握ること、になるのは問題である。

(患者が、子供の場合は家族が判断するしかないだろうが)

物理的に生命を長引かせていることに何の価値もない(尊厳死)、というのは今や常識となったようだ。延命のための点滴や人工呼吸装置で「スパゲッティ」状態にし、床ずれで寝返りも打てない状態で只、ベッドの上にいるだけ、というのは家族も苦痛以外のなにものでもない。若い頃から、死(すなわち、生)の実態を教え、元気なうちに、みずから「尊厳死を望む」という意思表示をしておくよう(むろん、その気がある人は)自覚を求めるのがよい、とおもう。人間にとって、物理的な生存より、精神的な生存のほうが問題であるからだ(死者、との対話ができるのである。人間は)。

鳥越も言っていたように、生前の楽しい思い出も、死の直前が悲惨な状況であれば、帳消しになるのだ。終わりよければすべてよし。

ただし、尊厳死可否の判定は、慎重でなければならない(医師、も、当人=患者も、だ)。この基準について、医師病院は基準とその根拠を明示すべきだろう(もちろん、その基準に反対の人々はその判断を優先しなければならない)。思考能力が衰えてからではなく、それ以前に自分の意志を、医者や家族に示す方法を用意する必要がある。まったく、食事を受け付けなくなり、点滴だけを1ヶ月くらい続けた後、忽然と食欲がよみがえることもあるからだ。

人工呼吸状態から、それがはずせるようになる事例、その期間などの末期患者データをあつめ、公開してもらいたい。また、悪意の医師や家族から意思表示もママならぬ本人を守るための基準もつくってほしい。


nice!(0)  コメント(12)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 12

aiproject_japantoworld

免許とるの頑張ってくださいね!う~ん、死は怖いですね。事故など本当に気をつけなくちゃって思います。
by aiproject_japantoworld (2006-03-28 13:47) 

古井戸

更新、です。模範運転酒、もとい運転手。いずれ表彰されるものとおもいます。
Cleverybarn さんのようなノロノロ運転ならダイゼブです。
右見て左見て、右見て、十字路渉りましょう。あ、信号も見てね。

そうそう、先日、 逆走 しましたよ♪
  こわかったか?
うん。ビックリしました!
by 古井戸 (2006-03-28 14:23) 

のりぃ

ふむ@。@初めてココに書き込みを試みます。。
運転免許更新どすか^^ビデオ見せられますよね^^;確かにシートベルトは必要じゃと思う。。ケイタイは禁止、ナビは?と言う事・・・コレは疑問ですねぇ^^;
延命の問題はこれからも沢山起こるでしょうね。。。
患者と家族の意思をちゃんと把握しておく必要があるでしょうね。
by のりぃ (2006-03-29 09:02) 

古井戸

ナビは大疑問だよね。警察に電話してみようかな。
こら!おまえら! Toyota, Nissan, Hondaからナンボもらってる!

でも。。ナビってのは良くできてるよなあ。。
  彼女、いま、ここで待ってるよ。。あ、誰かと手を組んで出かけてしまった!
このやろ!

      がっしゃーん!

なまんだぶ。
by 古井戸 (2006-03-29 09:15) 

三上

私はAT二輪免許をとりにいってますが。
バランス感覚がないのかよく転倒します。
教官もいじわるな人が多く、言われるとおりにやっても叱られます。
叱られるために教習所に行っているわけでもないのに。全く。。。
どうしてあんなにいじわるが多いのでしょうか?!
登校拒否寸前です(´-`)
by 三上 (2006-03-29 11:42) 

古井戸

二輪の高速二人乗りが認められていますね。。最近。とても、あぶない。。

そう。教習所はふざけてますよ。今でも同じなのだろうか。昔はワタクシもおとなしかったから、怒られるままにしていたのだが。。
くそったれ、ですね。よく考えると。

いまなら、度突き倒してやるんだが。
by 古井戸 (2006-03-29 11:50) 

三上

昔のスパルタ式非担任制のため待遇は最悪ですが。
ドリンクは、飲み放題です。
by 三上 (2006-03-29 12:46) 

armadillo

全記事、読ませていただきました。長らく待ち焦がれていたブログ、ここに開設されていたことを迂闊にも数日前まで知りませんでした。嬉しくて身震いがしてきます。The Wisdom of Crowds by James Surowlecki の朝日の書評欄は私も読み、その危うさを漠然と感じていたのですが、なるほど!とひざを打つ思い。イーモウの恩返しなどもうん、うんと思いながら読ませていただきました。
教習所は学生時代に担任と喧嘩してその担任が外れるまでずっと休んだので6ヶ月の期限切れ3日前にやっと取れたという苦い思い出があります。今は教習所経営どこも大変なので教官の態度も昔とは雲泥の差だと思いますが。
by armadillo (2006-03-29 23:57) 

古井戸

> バランス感覚がないのかよく転倒します。

うちの母も、長く自転車にのれなかったらしいです。若い頃。
結婚してからも自転車に乗れず、月夜の晩、家の前の中学校のグランドで、
親父が自転車の後ろを持って、えっちらおっちら、訓練していたようです。
昼間にえっちらおっちら、ではさすがに、ハンズかしい、という気持ちがあの母にも(父にも)あったのか、いまさらながら、とても、おかしい。
by 古井戸 (2006-03-30 08:48) 

古井戸

armadilloさん!どこで、どうしていましたか?!脳溢血で、忽然と。。などと心配しておりました。

Wisdom of crowds は米アマゾン書評がおもろいですよ。本体より書評群のほうがおもろい、それは俺が主張したことだ、!と著者もいうかもしれない。

坂本賢三は information (だれが、いつ頃、情報という訳語をつくった?)、という語はいまだ定義されていない、他の語で代用できるコトバだ、と20年前くらいに言っていたがいまでも、そうだ、と私は思っています。in-formation=形作らせる、何か。

またメルマガ届けてくださいよ。ないと、体調が狂います。
by 古井戸 (2006-03-30 09:34) 

はちや福中

おじゃまいたします。 免許更新、もう逆走厳禁でございますわ(笑)
尊厳死。私個人についていえば、もし先生が「チューブを外しますよ」と
瀕死で痛みに苦しむ自分の耳元で静かにささらいたなら
(聞こえてるか聞こえてないか解らないけど) 天の声と感じるかもしれません。
それより、生前に意思表示できる合法的な手だてがほしいところ。 尊厳死カード?
んでもって、脳死や臓器提供やらの考えも記入できる様になっているという。。。じゃ手帳?
できれば、選択肢に加え、個人の書き込みが出来たらよいかしら?。。。じゃ、ノート?
とはいえ、20才でカードを書いて、90で亡くなるとして、その70年間に医療は
どう進歩しているのか想像もつきませんし、人なんていつ気が変わるかもしれない。
カード更新システムにしなきゃ(笑)   (ウワっ! 更新忘れてた!..なんて)
私は音楽なんかやっているけど、子供も兄妹もないから、
ボディーはまあよいけれど、自分の楽曲、愛用のピアノ、死んだらどこに行くんかしら? 
なーんて、いろんな事考えちゃいました。今回の一件で。
自分の音楽や仕事も、死んじゃえば本人の知った事ではないだろうけれど、
そこは古井戸さんのいう、

>人間にとって、物理的な生存より、精神的な生存のほうが問題であるからだ
   (死者、との対話ができるのである。人間は)。

なのであります。うむ。

じゃ、こっちは遺言が必要でゴザリマス。 なかなか忙しいです(笑)
by はちや福中 (2006-03-30 18:18) 

古井戸

あれは、何歳だったろうか、4,5歳のころか。
近所(親戚、でもある)のおじいさんが最期を迎える、というので講中(10軒ぐらいの互助会)全員で、寝ている部屋に集まった。おじいさんは脂汗を垂らし、ぜいぜい、と喘いでいなすった。結局亡くなられたのだが、最近こうゆう亡くなり方はなくなったですね。ほとんど病院。

そもそも、点滴とか呼吸器など、付けないのですよ。昔は。臓器移植もない。(アデラッンスー、、だって高いんだろう?)付けるから、いつ外すかが、問題となる。病院の先生も、一旦つけたらはずせませんよ!いいですね。としっかり念を押すべきだ(患者と家族に)。一旦付けたら、まだ、体が温かいのに意識のない状態が続くから、といって、外せるだろうか?これは、自分の両親あるいは子供がそういう状態になった、と想定し、ひとり静かに考えてみなければならない。家族同士でも意見がわかれるだろうし。

##
最近では柳澤桂子(「いのちの日記」小学館)の例がある。柳澤は30年くらい病因のわからぬ苦痛にさいなまれ、もう勘弁して欲しい、死なせてくれ、と、夫と娘に話した。夫はこれだけ苦しんだんだからもう、楽にさせてやりたい、と言った。ところが、娘が激しく抵抗した。結局思いとどまるのだが。ある日、記事を通して千葉県のある医者が、病名を想定し、ある薬を処方したら、その病気がピタリ!と治まったのだ。こういうこともある。。このことはNHKの番組でも放映した。 病院、医者も現代の最先端の知識は身につけて欲しいね。人類のこれまでの先祖が営々と築いた財産なのだから。
##

カラダが食事により、栄養を要求しない、というのは、もう楽にさせてくれ、という合図じゃじゃないのか?人間の末期、というのはどうあるべきか、というのはホント、小学校中学校の頃から話題にした方が良いと思う。アフリカとか紛争のある地域では、目の前で親を虐殺されたりしている。ああいう一生のトラウマになる不幸に比べれば、事故死ではなく、高齢になっての病気はその運命の赴くまま手を加えないのがよろしいと思います。いずれ死ぬのだから。

なぜ、死が怖いか。
これをいつか書いてみたい。

ハチヤさんのhp。勝手に案内します。オモロい、です!
http://hookchew.com/
by 古井戸 (2006-03-30 19:28) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。