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集合知  正しさや賢明さは存在するのか? The Wisdom of Crowds [IT]

今朝の朝日新聞書評。柄谷行人書評委員は
The Wisdom of Crowds by James Surowlecki 
Why the Many Are Smarter Than the Few and How Collective Wisdom Shapes Business,Economies, Societies and Nations
ジェームズ・スロウィッキー著「「みんなの意見」は案外正しい」(角川書店)
を取り上げている。

わたしは、未読であるがこの書評だけから「妄想」を繰り広げてみたい。

柄谷によれば本書の主題は、群衆の知恵は専門家の知恵よりマシだ、ということらしい。
あるいは、ましな場合もある、ということらしい。「個々の専門家よりも群衆のほうが知力・判断力において優越する場合がある、ということは衝撃的な発見である」と、柄谷は驚いている。
(日本人なら誰も驚かないが、柄谷は、NY大学客員教授。日本の事情をよく知らないのでせう<-古井戸)

「集団が賢明な判断をくだすためには、いくつかの条件がいる。それは、集団の成員が、多様性、独立性、分散性をもつことである。さらに、多様な意見を集約するリーダーシップが不可欠である。そして、実はこれらの要件を満たすことは容易ではない」

なぜ、容易でないか?これは論理的に容易でない、のではなく、職業として、正義と公正が求められるリーダーシップが現実に存在し(うる条件が)ない、ということではないか。すなわち、論理ではないく実践的な条件が整っていない、ということ。しかし、現実に容易でない、のなら、なぜ、その条件がそろったばあいに 集合知(collective wisdom/intelligence) が単独の賢人の判断より、ましになる、と言えるのだろうか?いいかえれば、「その条件をいかに揃えるか?」という問題に、「正しい判断をいかに得るという問題」は還元されるのではないか?ということじゃないか?

しかし、そんな問題ではあるまい。
米アマゾンから引用。出版社の案内文だ。

まず、現状:
While our culture generally trusts experts and distrusts the wisdom of the masses, New Yorker business columnist Surowiecki argues that "under the right circumstances, groups are remarkably intelligent, and are often smarter than the smartest people in them."

世間では専門家を信用し、大衆の知恵を馬鹿にする。だけども、ニューヨーカー誌のコラムニストである著者は、言う「条件さえ整えば、グループは素晴らしく賢くなり、そのグループのなかの飛びきり切れるヤツらより、切れる、ことが多いのだ」
わたしのようにケチをつけることを喜びとする人間は、ここで ほら見ろ!と叫ぶ。
 ある条件さえ整えば!だとお!!!
 often だとお!!
これじゃ、ディベートやるだけ損だな。
だから言ったでしょ? 条件さえ整えば、って。
 だからあ、すべての場合そうだ、って言ってないでしょ? オッフン、というたでしょ!

To support this almost counterintuitive proposition, Surowiecki explores problems involving cognition (we're all trying to identify a correct answer), coordination (we need to synchronize our individual activities with others) and cooperation (we have to act together despite our self-interest).
1 判定問題: どうやって「正しい」と判定するのか?
2 合意: 複数の人間がどうやって、一致に達するか。合意問題。
3 協力: 価値多様化のなかでどうやって他人と協力行動がとれるか。

難問、オンパレードである。

His rubric, then, covers a range of problems, including driving in traffic, competing on TV game shows, maximizing stock market performance, voting for political candidates, navigating busy sidewalks, tracking SARS and designing Internet search engines like Google. If four basic conditions are met, a crowd's "collective intelligence" will produce better outcomes than a small group of experts, Surowiecki says, even if members of the crowd don't know all the facts or choose, individually, to act irrationally.

"Wise crowds" need (1) diversity of opinion; (2) independence of members from one another; (3) decentralization; and (4) a good method for aggregating opinions.
賢い大衆とは次の条件を要す:
1 意見の多様性
2 メンバの独立(支配、被支配の関係にない)
3 メンバが分散している(2とどうちがう?地理的分散じゃないだろう?価値感の分散か?)
4 意見結集にいたる良い方法

なんだかね。。ムズイことばかり言うとる。(問題そのものより、この条件のほうがはるかに、ムズかったり。つまり、著者はまじめに突き詰めていないね)。

柄谷:
「集団の中で討議すると、個々人は賢くなるだろうが、討議を重ねるほどに、皆が同じ意見をもつようになる。そして、多様性、分散性、独立性が失われ、いわゆる「群集心理」に陥ってしまう。ゆえに、群衆がいつも賢いというわけではない。一定の状態にある群衆が賢いのである」

大変な割り切りようである。数学の問題や物理の問題なら(数学者にも容易に溶けない超難問は別にして)回答は決まっている。この書評でも例示しているが、目の前にいる牛の重さ、を素人800人に予測させ、その平均が 専門家の重量予測より真の値に近かった!など、実にくだらない。こんな問題は、「秤に牛を載せれば」一発で回答が得られるのである。では、なにが、「問題」か?それは、現実に解決すべき問題の性質をあまりに単純に扱っているからである。

そもそも、多様性、分散性、独立性などは統計用語であり、市民のいかなる属性をもって多様性、分散性、独立性を認定、制御できるというのだろうか?市民、とは時々刻々変わっていくものなのだ(まさか、身長体重、のことを行っているのではあるまい?)。討論や学習によりコロリ、と態度も変わるだろう。もともと、民主主義とは、「複雑で多様な個人同士を、ひとつの、正しい決定に、統合」することを、目的とするのではなく、「意見や存在」の統合は不可能、と放棄した上での、意志決定方法、なのである。個人問題ならともかく、公共問題において「正しさ」「賢明さ」とは程度問題である。

・イラクに攻め入るのは正しいか
・建築審査を民営化するのは正しいか
・株式分割を許容するのは正しいか
・天下りを認めるのは正しいか
・郵便制度を民営化すべきか
・米軍の沖縄基地をグアムに移転するに当たって、グアムの米軍施設住宅建設費用の8割を日本が支払うべきか。

こういう問題に対して、回答を与えようとするとき、専門家(テクノクラート、官僚、学者)らの意見は「正しいか」あるいは「賢明か」ということだ。つまり、知識(いかなる?)と、実践は容易に結びつくのか、ということだ。(むろん、そうではない、という事例の宝庫である、我がニッポンは)。

正しさ、とか、賢明さ、とかは情報が十分公開され、その上で目的と価値を定めれば、ある程度、の範囲に回答は絞られるのではないか。正しさ(賢明さ)の条件が未定なのでは、ある回答に対して、採点できない、ということである。しかも、現実に抱える問題は、正しさ(めざすべきもの)が異なるのであり、しかも、正しさを求める過程(思考、討論)で正しさの定義自体も刻々変わる可能性もある、という不確定性が存在する。すなわち、意志決定は多少不正確あるいは判断材料やデータが不足した状況でも、事前になされなければならない、のだ。あとから、あの戦争は誤っていた、ではすまないのである。つまり、我々が日常的に遭遇する「正しさ」や「賢明さ」などは歴史の彼岸にあるのである、あるいは、時間とともに変化するものとしてしか存在しない(物理や数学など正しさが、ヒジョーに長期に渉って不変の問題とは異なる)。しかし、これは悲観することではなく、そういう不確かさを、受け入れるための心構え、とメカニズムを個人やクニが、用意しておけばよいダケの話である。(意志決定におけるセーフチネット、といってもよかろう。デモクラシ、とは人類が生み出したセーフチネットのひとつ、である。つまり、過程、による失敗の補償)。

群衆なり専門家なりが、賢くあるための一定の状態とは何か、という問いと共に
「賢さ」や「正義」などは、定義できない、あるいは、不確かである、という諦めも必要であり、しかし、これは怠惰なのではなく、これが人間の集団における意志決定のありようだ、と悟ることが重要とおもう。民主主義、とは、かりに不確かな情報と知識によって行った集団の決定が誤っていても、その結果は集団で責任をとる、泣き言を言わぬ、ということであり、なぜ誤ったかを、記録し、次の決定に過ちを減ずるという過程である。この過程を誰もが正当化しうる条件は何か、を詰めた方が実践問題(政治問題)としては遙かに有益であろう。

「だから、本書の言い分は、見かけほど奇抜ではない。ただ、実行するのが難かしいだけである」と柄谷はしめているが、「難しくしているのは誰か」、「難しさを排除するための条件は何か」を考えれれば答えは見えてくる。歴史的には、階級間の対立や大小の戦争や革命、維新がなければ「問題解決」の大きな前進をなしえなかった、というのは事実である。

柄谷が「原理」運動を主導し、ローカル通貨を起こし、かつ運動に失敗(成功?)した経験を公表してくれれば、いささかでもこの問題の解明に寄与するのではないか?失敗を脳髄に、学習によって反復して刻み込まなければ人間は何度でも同じ過ちを繰り返すのだ。すなわち、人間のソフトウエアは自動的に進化するメカニズムを内蔵していないのだ。

民主主義的手法あるいは代議的手法(専門家、官僚、テクノクラートに決定をゆだねる、という方法もその一つ)は、退屈であるが、いまだにベストな方法であるとおもう。

近代が始まって、200年。
基地移設反対、の住民投票をおこなったら90%弱が反対であるのに、コッカの決定であるとして、無理矢理基地をもってこられ、他国のインフラ整備に1兆円弱を出せ!と恫喝され、一蹴できずに、せめて半額に負けてね~と大股開いて寝技に持ち込むようでは、ニッポンの民主化は遠いね。そういうクニ、で、Wisdom of Crowdsもなにもあったもんじゃない、。。と投げてはならんのだが。

なお、米国アマゾンでは、100人の読者評がついている。この読者評を点検したほうが、柄谷書評やあたくしの愚見などを読むよりは10倍増し、か。

すでに論じた、グーグルによる集合知(Web進化論)と関連づけるというサイトもちらほら。私見では「賢明さ」「正しさ」をグーグルから求めるのは簡単ではない、と。

今後のために、問題を整理しておこう。
1 価値を共有しない多数の人間が 専門家(この、定義も曖昧だ)より優れた意見を出すにはどうすればいいか、という条件を提出した。 その条件で、すべてか?あるいはその条件は「正しいか」はどうやって検証するのか? それは、問題が正しく解決されたことによって!では堂々巡りである。
2 現実問題として、国家、地方政府、企業、その他の団体では (代表制)民主主義、というものが(当面)根付いている。この意志決定制度をむししていいことにはなるまい。著者の提案はこの制度とどう、交わるのか?
3 集合知、なるものは抽象概念じゃなく、現実的にどのようなものか?株主の集合が、株価を決めるようなもの!?
4 解こうとしている問題は相当な難問であることが第一。しかも、その解答が正しいか、そうでないかは、相当後(たとえが、3,4年)にならなければ、判然としない(あるいは永遠に判然としない)、という条件で、当面の回答を出すと言うことをお忘れ無く。(大学の入試問題などとわけがちがうのだ)。たとえば、安保をどうするか、郵政民営化をどうするか、と言うような問題を、どう解くか。あるいは、日本でも迫っている裁判の陪審員制度がうまく機能するか、と言うような問題(宮台真司、は陪審反対というている)。
5 集合知、を得るために、グーグルなど、ほとんど、何の役にも立たないことがこれでわかるだろう。我々の問題、というのは、過去に例のない問題だから問題たり得るのである。
 
##
Dear Mr. James Surowlecki

Are you a member of crowds, or something else?

Yours sincerely,
Furuido

追記:3/28
集合知、なんて、有効な「知」になりうるのか?多数決、などの意志決定メカニズムと、知、は別レベル、のはなしだとおもうが。。
 


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