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原発事故の原因 by 東京大教授・加藤陽子 [東日本大震災]

毎日新聞
時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news..

加藤陽子(戦史研究者)が、福島原発事故調査委員会・中間報告を読んで意見を述べている。

報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

調査委員会(畑村洋太郎東大名誉教授が委員長)の報告を読んで、そして、それを追認する加藤の文章を読んで驚くのは、運転員に責任を押しつけている、というその無知蒙昧である。 たかが電力製造工場のトラブルが、なぜ、多数の生命に影響する大事故に変貌するのか?加藤や、畑村のような学者とは異なり、なぜ、運転員が原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転しなければならないような発電所を作る必要があるのか?という疑問を感じるような、正常な精神をもつ技術者=運転員であってほしい、とわたしは願う。


報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。


巨大であろうとなかろうと機器が「癖」をもつのは避けられないが、その「癖」を理解しなければ安全運転に支障が出るような機器はダメ、なのである。民生機器~自家用車であれ、軍隊の兵器であれ同じことだ。こんなことをワカッタような気になって書いている報告書(畑村)は従って、ダメ、なのである。原発は数十年にわたって稼働することを想定している。運転員は複数が数ヶ月のうちに交代、ということはありうる。航空機だって機長が緊急に交代、ということはある。そのたびに「癖」を覚えろというのは不可能であり、まして、癖を覚えなきゃ安全上問題のあるような危険物=原発(や航空機)が存在していていいはずがない。

多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

それをいいたいのなら、<運転員>じゃなく、設計者(メーカ)や事業者の幹部(東電)、政策や法律を立案した東大に棲息している学者・専門家の群れ=原子力村住民に向けて言いたまえ。

人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。

ここを読んで頭をひねった。ほとんどが待遇が悪くそのくせ全体被爆量の97%を浴びている下請け会社社員である運転員を<専門家集団>と呼んでいいの?いや、<恥ずべき知的退廃>と運転員を形容するのはあまりに無知すぎ。原子力村住民に対しての形容であれば納得。

あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然(りつぜん)となる。

いくら東電の自主保安とはいえ、日常作業を含めすべての運転マニュアルは、東大出身の官僚で占められる経産省(保安院・安全委員会)が承認し、その管理下にあるのだ。調査委員会委員長畑村もサブを勤める柳田邦男も東大出身。加藤陽子はもちろん東大。原子力村住民もほとんど東大出身者。。。加藤は(そして畑村も)、あたりさわりのないように運転員の無知と無教育をあげつらってヨシとしている。

あまりのわかりやすさに慄然(りつぜん)


加藤は軍事史専門家である。ならば、原発のように危険なシステムを民間会社のいい加減な運転管理に任せているのはもってのほか、すべて、自衛隊の管轄下に置くべきである、と、積極提案したらどうか?事実フクシマ原発事故が引き起こした被害は国も滅ぼうかという規模。数年で収まりそうもない。内戦、と呼んでもいい国難である。原発は自衛隊基地内に置き、自衛隊員が運転すること、とりあえず、現在の原発敷地と資産は自衛隊~防衛庁が接収する!と提案したら、加藤先生、ウケルよ。核弾頭何十発も打ち込まれたと同然になった現在のニッポンを侵略する国もなかろうで。西日本の原発が事故れば、自衛軍は不要になるで。

たかが電力を生産するシステムの運転操作を誤った(としよう)だけで、原爆何十発にも相当する被害を国内国外に与える、そのようなシステムを設置し、必ず誤りを犯す人間に運転させる、それがそもそもマチガイのもと、と普通のオツムテンテンをもつ学者なら言いそうなモンだが。まして、軍事史専門家、ならば。


ああ、あくびが出てしもた。
寝るとするか。



特別付録(時代の風、を、全文引用)
◇欠けていた俯瞰と総合

 新聞が好きだ。毎日、朝日、日経の3紙をざっと読み、大事だと思われる記事を切り抜き、3カ月に1回の割合で読み直す。3カ月前には「点」であった記事が、時間による熟成によって情報として適度になめされ、線となり、面となる経過を味わえる。

 例を一つ挙げておこう。昨年9月29日付「朝日新聞」朝刊で、酒井啓子氏が「あすを探る」という欄に「専門知を結ぶシステムを」と題して寄稿していた。中東研究者として酒井氏は、テロや「アラブの春」をなぜ予想しえなかったのか、と批判されることがよくあったという。

 日本の中東研究は、専門的にみて高いレベルにあるのは間違いない。だが、明快な解説で知られる酒井氏が、弁明に終始するはずはなく、コラムはこう締めくくられる。これまで社会科学は、個々の専門家の知識を俯瞰(ふかん)して総合的判断を示すシステムや場を用意してこなかった。だが「研究者が個々の専門知の多様性を活(い)かしながら、同じ問題意識を共有して、戦争や災害など生活を根幹から壊す事件」に対処しうる「知」を、システムとして持っておく必要があるのではないか、と。

 重要なポイントは、俯瞰と総合という点にある。3カ月ほど前の記事を読み返した私の頭には、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告が浮かんでいる。昨年12月26日に発表され、末尾には「これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄」であったと書かれていた。

 この委員会は、失敗知識データベースを整備公開したことで知られる畑村洋太郎氏を委員長として、昨年5月政府内に設置された。委員会は456人の当事者から聴取し、第三者の立場から今一度、甚大な事故に至るまでの経緯につき客観的な脈絡を立てて実証する手法をとった。その成果が、500ページ超の本文と200ページ超の資料からなる中間報告となった。

 ネット上で公開されている本文全体と資料編(国家の安全にかかわる情報は一部白紙となっている)は、緊迫した瞬間をよく再現し、全体として達意の文章で書かれ、これまでの政府や東電の過度の隠蔽(いんぺい)体質からすれば、情報の開示度は高いといえる。1月末日まで、国民からの意見募集も行っているというので、一読をお勧めする。

 私も読んでみた。委員会は、(1)100年後の評価に堪える(2)国民や世界の人々の持つ疑問に答える(3)起こった事象と背景を正確に記録する(4)当事者がいかに考え、いかに動いたかを知識化する--ことを目指したようだ。そのため、責任追及より原因究明が優先されている。

 責任を追及しないでどうするとの批判もあろうが、事故の具体像と背景が完全に把握できれば、責任はいつでも追及できるはずだ。事実、報告書を読んでいけば、責任の所在は明確にされている。

 いわく、(1)情報収集と意思決定の両面で四分五裂していた政府中枢(2)原子力災害対策マニュアルで、情報入手の中枢とされていた経済産業省緊急時対応センターが全く機能しなかったこと(3)甚大な事故を想定したマニュアルに、地震・津波など外的事象による問題発生について一切載せていなかった東電の教育体制(4)対策を電力事業者の自主保安にまかせず、法令要求事項とすべきであったのにしなかった政府。責任の所在は明らかだ。

 報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。

 具体的には、第4章「東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」に問題点が析出されている。委員会が重くみたのは、1号機を冷却する非常用復水器(IC)につき、全電源が喪失した場合、自動的に隔離弁が閉じるよう設計されていた簡単な事実に、当直と呼ばれる11人からなる運転員の誰一人として気づかなかった点だ。人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。

 資料編も見ていただきたい。6章-13「アクシデントマネジメントに関する教育等の方法及び頻度」という東電の内部資料。本資料からは、運転員を対象とした事故時の対応につきいかなる教育研修がなされていたか分かる。頻度は年1回、方法は自習と運転責任者による講義だけなのだ。

 あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然(りつぜん)となる。
毎日新聞 2012年1月15日 東京朝刊


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