SSブログ

memento mori 辺見庸『私とマリオ・ジャコメッリ』(NHK出版) [Art]

                                       090913_2218~01.JPG


辺見庸『私とマリオ・ジャコメッリ』(NHK出版)の末尾にジャコメッリ略年譜が掲載されている。これはまことに啓発的な情報を提供してくれる。ジャコメッリの写真の謎の一部がほどけてくるような感じがした。青少年時代を中心に書き写してみる:

1925(1歳)  
8月1日、イタリア半島東岸、アドリア海に面したマルケ州の小さな町、セニガリアで生まれる。
父母、子供三人の貧しい家庭だった。

1934(9歳)  
父、死去。窮乏した母はホスピスの洗濯婦となる。
マリオも多くの時間を母の仕事場で過ごす。

1938(13歳)
地元の印刷屋で働きはじめる。文字をコラージュした絵画的オブジェの制作に想像力を刺激され、<表現>への意欲に目覚める。

1945-46(20-21歳)
第二次大戦で破壊された印刷所の建て直しに奔走。
このころには印刷所の共同オーナーとなり、印刷業が終生の職業となる。
余暇には抽象画を描き、また詩に出会い、ひそかに試作を試みる。

1953(28歳)   
8月、自動車レース中に瀕死の重傷を負う。
12月、初めてカメラを手にし、写真撮影をはじめる。

1954(29歳)  
地元のアマチュア写真家のグループに属するが、すぐに遠ざかり、独自の道を歩み始める。            
土曜の午後、日曜日の昼に撮影し、日曜の夜に暗室作業を行うという習慣を生涯にわたって持続することになる。
のち「死が訪れて君の眼に取って代わるだろう」(~83年)にまとめられるホスピス行きを開始。
(中略)

1986(61歳)
母、死去。

(中略)

2000(75歳)
11月25日、セニガリアの自宅で死去。


              090913_2036~01001.JPG 
               死が訪れて君の眼に取って代わるだろう 1954-83


30年におよぶホスピス通いから得られた作品集「死が訪れて君の眼に取って代わるだろう」の世界はジャコメッリが幼少時から慣れ親しんだ世界であったのだ。ジャコメッリにとって<死>はつねにそばにあった、いわば、生もしくは生活の一部。死の世界は異世界ではなく此岸の世界であった。ジャコメッリの描く世界は<異界>にみえて異界ではない。死と生は同居している。

ジャコメッリは語ったという。「僕が興味あるのは<時間>なんだ。<時間>と僕の間にはしょっちゅう論争があり、永遠のたたかいが行われている」p26

辺見庸はロランバルトの写真論を紹介している(ロランバルト『明るい部屋』)。写真には二つの要素がある。一つは情報により成り立つ要素であり、教養や知識、文化をとおして理解・共感される。バルトはこれをラテン語で「ストゥディウム studium」(一般的関心)と呼んだ。もう一つは、そうした一般的関心を破壊する要素である。それは向こうからやってきて、写真を見るものの躯の奥深くにある感性の痛覚をいきなり刺す。その要素、働きをバルトは、刺し傷や小さな裂け目という意味のやはりラテン語をあてて「プンクトゥム punctum」と名づけている。そして辺見庸は「ジャコメッリの映像はプンクトゥムに満ちている」という。

わたしはストゥディウム、と、プンクトゥムを、吉本隆明のいう指示表出と自己表出に置きかえる。プンクトゥムを表出する主体(人間)を、われわれは日常的に<作者>と呼称しているのであるから。猿が撮った写真であっても<プンクトゥム>を読み取ることはありうる。つまり、<プンクトゥム>とは読み手側に潜在的に備わっている能力を謂うのであり、読み手にとって<作者>とはもともと<仮想的>な存在であるということ。(ジャコメッリが実在の人物であるかどうかは、彼が撮った写真に感応する人間にとって本来どうでもいいこと。彼が実在し、少年時代からホスピスで過ごしたという事実を知って、読み手が得るプンクトゥムに<確信>が加わるのだ)。

吉本隆明は三浦つとむの言語観を基にして、言語は自己表出と指示表出の統一体である、とした(『言語にとって美はなにか』)。自己表出とは客体(対象)に対する自発的な意識の表出(実存的価値の定着をもとめる)であり、指示表出とは客体を指示、伝達しようとする意識の動きである(社会的な実用性をもとめる)。

                         090913_2032~01.JPG
                          死が訪れて君の眼に取って代わるだろう 1954-83


言語学者・三浦つとむの言語観とは次のようなものだ(『日本語はどういう言語か』)。
「言語も絵画も、人間の認識を見たり聞いたりできるような感覚的なかたちを創造してそれによって相手に訴えるという点で、言いかえれば作者の表現であるという点で、共通な性格をもっています。(中略)絵画の場合と同じことが写真でもいえます。 (中略) どんな写真でも、うつされる相手のかたちをとらえられるだけではなく、それと同時に、うつす作者の位置をも示しているのです。 (中略) 誰でも、毎日の生活のなかでいろいろのものを見ていながら、それらすべてが自分の眼の位置でとらえたかたちなんだ、という反省を特別にすることはありません。その必要がないからです」

「ちょっと考えると、写生されたり撮影されたりする相手についての表現と思われがちな絵画や写真は、実はそれと同時に作者の位置についての表現という性格をもそなえており、さらに作者の独自の見かたや感情などの表現さえも行われているという、複雑な構造をもち、しかもそれらが同一の画面に統一されているのです。作者のとらえる相手を客体とよび、作者自身を主体とよぶなら、客体についての表現をすることが同時に主体についての表現を伴ってくることになります。絵画や写真は客体的表現と主体的表現という対立した二つの表現のきりはなすことのできない統一体として考えるべきものであり、主体的表現の中にはさらに位置の表現と見かたや感情などの表現とが区別される、ということになります。」


辺見庸がつぎのように云うとき、このことに触れているのだろう。p66

「。。表現をする人間、表現芸術をする者はだれもが、そのことに気づかなければならないだろう。虫を描こうが動物を描こうが、むこうも見ているぜということに。とりわけひとという生き物は、一方的に<見る、撮る、表現する>という特権的行為にたいして、ときとして歯むかうことがあるということに。

ジャコメッリは、そのことに気づいていたはずである。「死にゆく人間の意識の側から撮っている」と私が感じたあの一枚は、おそらく、<見る - 見られる>の相互的関係、あるいはその弁証法にかれが気づいていたことの証ではなかろうか」

このとき死にゆく人間の意識はジャコメッリの体内以外に存在する場所はないのだ。

あるいは次のように云うとき。p62

「「向こうはこちらを見ていない。こちらはむこうをみている」と考えるのは、相手を撮影するときのカメラマンの、あるいは表現する人間の救いがたい特権意識である。撮影行為や表現行為というもののなかには、そんな意識せざる特権意識がある。それは私のなかにもあったし、いまだにあるだろう。

とりわけジャーナリストにはそれがある。かれらは、かれらが相手を見るのと同様に、それ以上深く、相手からも見られているということを知らない。」

表現する者は言語であれ絵画、写真であれ、おのれの視線、思考、意識を、読者、視聴者に対して丸裸状態で晒しているのである。


三浦・吉本が依拠している国語学者・時枝誠記はスターリンの言語観をつぎのように批判している(三浦『日本語はどういう言語か』p33)。
「(スターリン)氏が、言語は単一であるといふのは、専らその言語の基本的語彙と文法的構造の同一であることをよりどころにしてゐるのである。もしこの論理が許されるのならば、すべての日本画は、線と色彩を同じように用ゐることによって皆同一であるといふことが出来る筈である。このやうにして、我々は、民俗には単一の言語しか存在し得ないとして、安住してゐることが出来るであらうか。それは宛もすべての犬は皆ひとしく犬であつて、その間に区別が存在しないと考へるやうなものである。しかしまた別の見地から云へば、すべての犬は、それぞれに異なつてゐることも許されなければならない」

                          090913_2049~01001.JPG
                            死が訪れて君の眼に取って代わるだろう 1954-83  部分


マリオ・ジャコメッリが切り取ったホスピスの風景から、わたしは、ジャコメッリの人間観・世界観を受け取る。人間が言語から得る情報などたかがしれている(人類史全体を通してみれば、言語を発明・使用してきたのはほんのわずか、にしかすぎない)。世界に充満しているのは人間にほとんど見過ごされている非言語情報である。非言語情報を解する(情報を解する能力を自己開発する=情報の生成)動物、これは人間の定義である。ジャコメッリにはとりあえず自己表出の欲求があった。そのために彼は30年、ホスピスという場所を選択し、ホスピスを通り過ぎる老人達を撮影し続けた。言語で自己表出する人間は、語彙辞書が存在するから一定の理解を他人から得られること(指示表出)を期待できる。非言語で自己表出する人間はいったいなにを他人から期待しているのか?わたしにはわからない。すくなくとも、非言語によりなにかを表出し、伝達することは、言語により伝達することによる社会的制約や約束事からは免れているだろう、ということはいえそうだ(言語情報と非言語情報のどちらにより強い社会的規制が働いているか?これは時代によるだろう)。

写真は、光学、化学、機械工学、エレクトロニクスのテクノロジーそれに資本が生んだアートである。いわば産業資本の申し子。これは現代芸術全般の宿命である。辺見庸は<資本>を呪っている。「映像は資本と意識産業の犯意無き尖兵である」「われわれは錯視をそれとして認識する能力を日々意識産業によりうばわれている。われわれはおそらくひとりの例外もなく錯視者>である」p75。しかし、人間の認識にとって<錯視>は前提であり、数多の<錯視>を通過せず<正視>は訪れない。錯視のなかから<正視>は読み手が創造すべきものである。現代芸術にとって<資本>の存在・活動は対立する障碍物ではなく、与件である。


生と死を見つめてシャシンを撮った日本の作家は小津安二郎。とりわけ、東京物語。

090914_0607~01.JPG  090914_0607~02.JPG



マリオ・ジャコメッリMario Giacomelliの公式サイト。写真が編年体で配列されており、たいそう見やすい。
http://www.mariogiacomelli.it/

辺見庸ブログ
http://yo-hemmi.net/



●目次
1章 白は虚無、黒は傷跡
2章 「時間」との永遠のたたかい
3章 生に依存した死、死に依存した生
4章 資本、メディア、そして意識
5章 解かれなければならない「謎」、解いてはならない「謎」
箱写真屋とジャコメッリ―あとがきにかえて
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。