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歳は取りたくないモンダ [戦争・原爆]

本日の毎日新聞。「今週の本棚」は終戦記念日特集。

高齢かつ高名な書評家、<今週の本棚>主宰者=丸谷才一が直々に、終戦を論じた短文を寄稿している。

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/08/20090809ddm015070026000c.html
●全文を引用する

 ◇仔犬を抱いて笑う少年特攻兵の写真は悲しい
 アメリカ軍は九州上陸を「オリンピック作戦」と名づけ、昭和二十年(一九四五)十一月一日におこなうことにしていた。関東攻略は「コロネット作戦」で、翌年(四六)三月一日開始の予定だった。

 大本営情報将校堀栄三はこれを推定していた。彼のもとに毎日とどく、アメリカのラジオ放送を傍受した記録を丹念に見てゆくうちに、製薬会社と缶詰会社の株があがると何ケ月後かにかならず新作戦がはじまることに気づいたのだ。

 一つにはこの株の動き。第二には、四五年五月のドイツ降伏後にアメリカ兵にしばらく休養を与えなければならないし、第三に、日本の九月は台風、十一月、十二月は寒さがある。第四にアメリカ軍は何かのメモリアル・デーに作戦をおこなうのが好きだけれど、この期間、その種の日はないから、区切りのよい日にするだろう。そこで十月三十一日か十一月一日と予測した。オリンピック作戦が志布志(しぶし)湾、吹上浜、宮崎沿岸の三方面から同時にということも、攻撃側は守備側の三倍の兵力を必要とするから二十四個師団がつぎ込まれることも、見抜いていた。

 戦後、彼の分析はほぼ当っていたことがわかる。ただし堀参謀の頭脳の冴(さ)えはむなしい。作戦参謀は情報部を軽んじ、一顧だにしなかった。
 
これは日本軍の体質をよく示す挿話。日本軍の指導者たちは知性を軽んじたし、国民に対しても君主に対しても責任感が乏しかった。思考が非論理的で、数値になじまなかった。サイパンの砲撃でアメリカ軍の戦艦一隻が持っていた弾量は千九百トン。その半分を使って陸上の目標に艦砲射撃をおこなえば、殺傷と破壊の能力は地上師団五個師団分に相当する。アメリカ軍は地形が改まるほどの艦砲砲撃を一週間つづけ、上陸地点で日本軍がまったく抵抗できないようにしてから上陸する。サイパンにおけるこの体験で、同じことを九州でも関東でもされることがわかっていながら、日本軍の上層部は本土決戦とか一億玉砕とか叫ぶのをやめなかった。長野県松代の地下に設けた大本営は、天皇と内閣を巨大な地下壕(ごう)に幽閉していつまでもこの国を支配したいという空想的願望のための装置である。


 保阪正康の『昭和史の大河を往(ゆ)く』(毎日新聞社・一四七〇~一五七五円)は、第一集『「靖国」という悩み』から第六集『華族たちの昭和史』まで、同時代の現場を着実的確にたどってきたあげく、この第七集『本土決戦幻想--オリンピック作戦』において、突如、奇想天外な大業をかける。八月十五日に降伏しなかったら、日本と日本人はどうなっていたかという、あり得たかもしれない歴史をつきつけるのだ。保阪によれば、秋になっても降伏しない日本はもはや国家の体をなしていない。天皇や鈴木内閣の意に従おうとする終戦派に対し、本土決戦派がクーデターを起し、後者が勝てば、天皇および次期内閣が松代に軟禁される。当然、ソ連軍は北海道と東北に侵入する。しかし決戦派は諦(あきら)めないかもしれぬ。

 十月二十五日(十一月一日のマイナス七日)にはアメリカ戦艦群による艦砲砲撃が開始。二十七日には米軍が、防備の手薄な甑(こしき)島などに上陸。十一月一日、侵攻部隊が浜辺に近づくと、特攻機が突っ込む。艦隊の集結している所へは人間魚雷などで攻撃。その他の特殊潜航艇や攻撃艇などが特攻作戦をおこなう。

上陸した米軍との地上戦になると、米軍戦車にくらべて日本軍の戦車および対戦車砲ははるかに劣弱。火焔瓶(かえんびん)、手投爆雷による特攻作戦をおこなう。このあとが民間人による戦闘で、大本営の「国民抗戦必携」は、刀、槍(やり)、竹槍、鎌(かま)、ナタ、玄能、出刃包丁、鳶口(とびぐち)を用いてアメリカ兵の腹部を突き刺せと教える。

 米軍は、九州には五十六万人の日本兵が集結すると見ていた。その抵抗が長びけば、もう一度、原爆が九州に投下されたかもしれぬ。ただしここで保阪は、アメリカ人がよく口にする、原爆投下はやむを得なかったという説に同調するような言辞は弄(ろう)さない。

 本土決戦となれば敵が近くにいるから特攻作戦に有利、というのが軍人たちの理屈だったらしいが、しかし特攻とはまことに非人間的な戦術で、たとえば特攻機「桜花」はありていに言えば人間爆弾にすぎない。日本軍上層部の、体面を重んじる官僚主義が最も悪質な形で発揮されたとき、年少者や民衆にこんな形での抗戦を強いる発想が生れた。

 『本土決戦幻想』には朝日新聞社カメラマンが鹿児島の万世(ばんせい)飛行場で撮った、五人の少年航空兵の写真が載っている。四五年五月末、出撃前の彼らの一人は仔犬(こいぬ)を抱いて笑っている。自分が乗り込む特攻機に爆弾を装備するのを見ているとき、近くを歩きまわっている仔犬を見つけて抱いたという。抱いているのは十七歳の荒木幸雄伍長。ここでわたしは言葉が涙に濡れないようにして書くが、これは昭和日本の最も悲しい写真だろう。

 まったく新手の昭和史を保阪は書いた。翌年三月以降、関東でのことは第八集『コロネット作戦』で。
●引用終わり




文藝評論家とは奇天烈なことを言うものだ。

1 「堀参謀が。。。オリンピック作戦が志布志(しぶし)湾、吹上浜、宮崎沿岸の三方面から同時にということも、攻撃側は守備側の三倍の兵力を必要とするから二十四個師団がつぎ込まれることも、見抜いていた。」

  見抜いていたのは堀参謀だけか?そんな馬鹿な。すでに米軍の沖縄戦を終えたあと、いつかの時点で本土侵攻は誰しも予想していたところではないか。
 <アメリカ軍は地形が改まるほどの艦砲砲撃を一週間つづけ、上陸地点で日本軍がまったく抵抗できないようにしてから上陸する。サイパンにおけるこの体験で、同じことを九州でも関東でもされることがわかっていながら、日本軍の上層部は本土決戦とか一億玉砕とか叫ぶのをやめなかった。>

 一億玉砕を叫ぶのをやめなかったのは軍上層部だけか?国民のほとんどがそうだったんじゃないか?


2 「この第七集『本土決戦幻想--オリンピック作戦』において、突如、奇想天外な大業をかける。八月十五日に降伏しなかったら、日本と日本人はどうなっていたかという、あり得たかもしれない歴史をつきつけるのだ。」

どうして本土決戦が<奇想天外>なのか?沖縄で何が起こったかを考えればつぎに、本土で同じことが起こる、と考えるのがごく自然じゃないか。降伏しなければ、本土で沖縄と同じ戦いが繰り広げられたのである。したがって、「原爆を投下されなくても降伏というオプションがあり得たか」という設問を吟味しなくてはならない。


3 本土決戦になれば何人の死者が出たか。

> 米軍は、九州には五十六万人の日本兵が集結すると見ていた。その抵抗が長びけば、もう一度、原爆が九州に投下されたかもしれぬ。ただしここで保阪は、アメリカ人がよく口にする、原爆投下はやむを得なかったという説に同調するような言辞は弄(ろう)さない。

米国では原爆投下により、数十万~100万の米兵の命を救った、という信仰がいまだにまかりとおっているらしい。しかしそれは他国の考えること。勝手にしたらいい。しかし、本土侵攻により何人の日本兵、日本国民が死んだか?くらいはもっと正確に予想すべきではないか。とくに原爆投下を非難する論者は。

九州への侵攻が十月、関東(本土)への攻撃は翌年3月。十分あり得たシナリオである。侵攻とは別に、米軍による大都市への無差別爆撃はひっきりなしに行われ、工場、輸送路(橋梁、鉄道など)の破壊が行われたらどうなるか?餓死者が一千万人出たかもしれない、というのは途方もない想定ではない。フィリピンのレイテ島で起こったことが日本でも十分起こりえた。

くりかえすが、原爆投下がなかったら、本土の沖縄化がかならず起こった。降伏のタイミングは、天皇の命を保証する、と連合国が認めたときしかなかった。本土侵攻をやれば米軍にも沖縄をはるかに上回る死者数が発生したろう。この時点で天皇の命を救うメリットは、全くないのである。

原爆は、天皇(象徴として生きのびた)と軍人(責任をほとんど問われず、幹部は戦後、自衛隊に横滑りした。官僚も同じ)、多数の国民の命を救ったのだ。この結論で不満のむきは自分でシミュレーションをやったらよかろう。


原爆で死んだ市民達には「あなたたちがいたおかげで私たち(天皇、軍人、国民の大多数)は、罪を問われず、無反省に戦争を生きのびることができました」と感謝すべきである。

原爆投下が非人道的なのは、日本軍が中国大陸で行った毒ガス使用、無差別爆撃、731部隊の生体実験が非人道的なのと同じである。何十万~何百万の国民の死を経過しなければ、降伏しない、という非・民主的国家の存在が本質である(ロールズの原爆投下不正論はこの問題を検討していない)。


対・英米戦争の日本軍死者200万のうち6~7割は餓死、病死である。敗戦記念日に、天皇と政府代表は戦死者に対し、政府・軍の誤った作戦により死ななくてよい死においやったことを謝罪し、国民に対しても空襲による財産と人命の喪失、なにより非人間的な生活を長年強いたことに対し謝罪すべきである。


丸谷「。。四五年五月末、出撃前の彼らの一人は仔犬(こいぬ)を抱いて笑っている。自分が乗り込む特攻機に爆弾を装備するのを見ているとき、近くを歩きまわっている仔犬を見つけて抱いたという。抱いているのは十七歳の荒木幸雄伍長。ここでわたしは言葉が涙に濡れないようにして書くが。。」

馬鹿馬鹿しい。
歳を取ればこんなことで涙が出るのか。負けるとわかっているイクサを己の命欲しさだけのために国民と兵士の命を犠牲にしてまで降伏しなかった天皇を巧妙に無罪放免したがるこの老作家(。。日本軍の指導者たちは知性を軽んじたし、国民に対しても君主に対しても責任感が乏しかった。。)。歳は喰いたくないモンである。




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コメント 5

アステラス

もし、日本の降伏が遅れて、日本がドイツのようになっていたとすると、犠牲になるのは日本だけでなく、東南アジアの多くの国が、ソ連崩壊前の東ヨーロッパのようになっていたかもしれないし、さらにその場合、力をつけたソ連は、今頃世界中を支配していたかもしれないですね。
by アステラス (2009-08-09 10:45) 

古井戸

>犠牲になるのは日本だけでなく、東南アジアの多くの国が。。

犠牲、じゃないでしょう。冷戦下には入るが、それはどう転んでも当時の状況では避けられない。

地上最期の植民地状態(つまり現在。ベーコクの属国)、となるか、北朝鮮状態になるか、は民度によります。できれば、東ドイツ程度で勘弁して欲しいですな。






by 古井戸 (2009-08-09 11:33) 

高塚タツ

古井戸さんも丸谷才一さんのこと、好きじゃないんですね。じつは、わたくしも、彼の『輝く日の宮』を読んだとき、――輝く日の宮というのは、テル・エル・アマルナのことだろうと、自分は思っていたので、――問題の核心をはぐらかして飯のタネにするのが上手な人だなぁって感心しました。若いときの丸谷氏は、そうではなかったのですか?
特攻隊の少年はハイになる薬の入ったキャラメルを与えられたと、どこかで読みました。(グリコ森永事件のころの週刊誌だったと記憶しています。)仔犬を抱いて微笑む特攻少年の写真と、今朝からテレビが繰り返している酒井のりピーの異様な明るさがダブって、自分も涙が出ます。



by 高塚タツ (2009-08-09 15:27) 

古井戸

書いてから私もエー加減に年寄りだな(たちの悪い)と思いついた。大原麗子世代。

だいたい、新かなで教育を受けたのに旧かなで書きたがるのが気に入らない。石川淳の物まねに堕しているのがきにいらない。勅撰和歌集第一、と言っているのが気に入らない。天皇は飯の種だから批判したくないんだろう。すでに記事に書いたように、天皇は明治の前にもどすべきです。民営化。茶道や華道の家元、と同じにすればいい。

特攻隊は現実とかなり違うんじゃないでしょうか?知覧から飛び立った隊員もナンダカンダと理由を付けて引き返し、山に激突死シタリ、着陸失敗して死んだヤツが多いと言います。飛び立つ前夜は、故郷の方を向いて、おかあさ~ん、と泣いた。例外なく。

丸谷の昔の小説は悪くないですよ。評論にもカナリのモンがあるとおもっています。米原万里が、打ちのめされるようなすごい本、として評価するのは丸谷の『笹まくら』です。徴兵拒否を、前衛的な手法で扱った小説。ラスト、がよい。学生時代に文庫本で読んだが。。息の詰まるような小説。

by 古井戸 (2009-08-10 01:52) 

タツ

『笹まくら』。主人公に感情移入できない自分はシラーっとしますが、意識の流れのお手本の一つ。お教示ありがとうございました。
砂絵屋という職業、まじない師が起源なんでしょう。隠岐で源氏物語を読んでいた後鳥羽院は、光源氏が和歌の力で平将門を退治したのを見倣って関東幕府を倒そうとしたんだって、ご健在の丸谷才一氏がタネ明かしをしていただきたいですね。

by タツ (2009-08-26 14:07) 

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