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クローズアップ現代 「なぜ私たちが法廷に~裁判員制度の意義を問う~」 [Politics]

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2009年 5月14日(木)午後7:30~午後7:58に放映されたNHK総合の番組:
クローズアップ現代「なぜ私たちが法廷に~裁判員制度の意義を問う~」
番組HP: http://www.nhk.or.jp/gendai/


来週から始まる裁判員制度。しかし国民の参加意欲は必ずしも高くない。何が壁となっているのか、意義は浸透しているのか、今改めて問い直す。ゲストは作家の夏樹静子さん。 キャスター:国谷裕子


裁判員制度の意義とは?
推進側の弁護士、法務省、検察は口を開けば、裁判に<市民感覚>をもちこむため、という。
しかし、これは大間違いだろう。裁判に<市民感覚>を持ち込むべきではない。(それに、夏木静子がいうように、市民が市民感覚を持っているわけではない。) それ以前に、そもそも、裁判に<市民感覚>などは排除すべきである。 裁判に必要なのは、法感覚、である。


現状の裁判が乱れているのは、法の公正、正義(疑わしきは罰せず)という原則が乱れているだけのハナシである。

この番組でも、市民の参加が公正な裁判には必要なのです、などと宣伝している。これは、プロフェッショナルである裁判官、検察官、捜査取り調べを行う警察がマトモでない、と言っているのと同義である。裁判所、検察、警察には莫大な税金を費やしているのであり、プロの職責が果たせないというのなら俸給を大幅減額した上で、市民の支援を頼むのが筋、というものである。



番組では米国の陪審の例を番組で取り上げていたが、米国の陪審とニッポンの陪審は違う。このことを番組では隠していた。米国の陪審には裁判官は審理に加わらない。番組の例では、陪審は徹底的に、殺害現場の状況の証拠調べを行っている。とても、3~4日で行える仕事ではないし、裁判員の能力も高いものが要求される(映画『12人の怒れる男』をご覧になったろうか?スーパーマン的な活躍をする陪審員ヘンリーフォンダがいなければ、被告の少年は陪審員の審議、5分で有罪となるところだったのである。この映画は、陪審という制度がいかに危険か、を描いているのだ)。この陪審審理に何日かかったのか、を正確に伝えるべきであり、そのとき、検察・警察から証拠はどのように提供されたのか、などを詳細に放送すべきであった。日本の裁判員制度では検察が証拠を全て握り、裁判員裁判が開始される前に、検察・弁護士・裁判官の間で<開始前整理手続き>をおこなって、論点と証拠は全て整理が終わっているのである。この状況に、素人裁判員が乗り込んで何を期待されている、というのだろうか?


さらに、陪審員が死刑を言い渡した、と番組で報じたがが、米国では陪審は有罪・無罪を審理するだけで、量刑には陪審は加わらない。量刑まで審理させる(3~4日で)ニッポンの裁判員方式とは全く異なる(番組でこの差を言わなかったのはNHK=政策担当の意図だろう)。

番組によれば、米国(ニューヨーク)では、市民のうち呼び出しに応じて裁判所にくるひとは33%である、と言っている。参加の少ないことに対処するため、米国では小学校から陪審の授業を、模擬裁判などを採り入れて(法科大学院の学生が指導)やっている、という。模擬裁判自体は、裁判員制度とは関係なくニッポンでも行うべきだ。明日からでも行えるのは、現在行われている裁判とその結果が納得できるか?を、生徒に論じさせることである。裁判批判をしっかりできていない国で市民参加の裁判員などトンでもない、ということ。

教材に映画『それでも僕はやってない』などを使って、現状の警察・検察の取り調べ、がいかにいい加減か、裁判官がいかに検察に従属しているか、を、まず中学高校から教える方が、裁判員制度を敷くよりよほど重要だろう。砂漠側より、裁かれる側の意識向上こそ求められるのである。




ゲストの夏木静子は、市民は、一生に一回くらい、自分が社会をよくするために何が出来るかを考えた方がいい、裁判員制度はそのきっかけになるのではないか、と言っているがこれは非論理的。一生に一回、というのは被告の立場にいるひとに言うべき事である。一生に一度あるかどうかという裁判(しかも重罪で起訴)を素人任せにされてはかなわない。

夏樹は、死刑などが適用されない、つまり重罪でない犯罪ほど市民感覚を生かせる。。と言っている。夏樹が裁判員制度を知らないのだろう(裁判員をテーマにした小説を書いた、と言っている)。裁判員制度は、軽罪・微罪ではなく、死刑を含む重罰が予想される犯罪に適用する、と言っているのだ(しかし、審理の結果、無罪もありうるのに誰がこれは重罪、と認定するのか。同じく、結審してもいないのに、被害者家族を検察席に座らせて被告に対し「なぜやったのか?」などと質問させるなどは、<推定無罪>を無視した考えられないくらいケッタイな制度である。裁判所と、刑務所は違う、ということを知っているのだろうか)。痴漢や窃盗などに適用される制度ではない。



追記1:
米国の陪審制度の恣意的な紹介には、米国の法曹から抗議が来るのではないか?
夏樹もいい加減だが(裁判員制度の小説を書いた、というている!)、それを承知で、垂れ流し、検察・法務省にえ~顔したがるNHKも困ったモンダ。

追記2: 
『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』 (平凡社新書) 
コリン・P. A. ジョーンズ (著)
(著者は米国弁護士資格を持ち、日本に長く住んでいる。日本の弁護士資格はない。)
本書によれば、ニッポンで頻発しているいわゆる<痴漢事件>は、米国ではほとんど全てが無罪だ、という。ニッポンは<推定無罪>が全くやられていない。

和歌山で起きたヒ素入りカレー素事件など、米国では弁護士が簡単に無罪に葬るだろう。そもそも、裁判所が検察起訴を認めないだろう。

追記3:
本文で言ったようにNHKは米国の陪審を歪めて報道していないか?米国陪審が「地域社会のため」にやる、と言っているのもいかがわしいが、そもそも殺人含む裁判はほとんど連邦警察・裁判所ではなく地方警察・裁判所の管轄のハズ。陪審(裁判)は連邦がやるのじゃなく、たかだか州政府の管轄だ。ニッポンも地域社会、といわせたいなら、裁判制度を分権化し、裁判員をやるかどうかを、地方に任せたらどうか。

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runaway

This upcoming jury personnel system(effective on 21 May, 2009) will bring nothing but disaster to JP citizens in terms of civic participation. How can an ordinary citizen make her/his argument that will influence the critical decision in a legal sphere? Is JP government aware that such civic participation is a representative form of public deliberations deeply rooted in the traditional disciplines of argumentation and debate? Do the administration and the lawmakers really know the fact that JP people traditionally LACK such discipline, and most JP people today have no ideas about the basics of argumentations and little experience in such practices at educational institution--that is exactly the fundamental problem with JP educational system at public school and beyond?

If the government thinks that the jury personnel system will give the citizens an opportunity for civic participation just like Jürgen Habermas offered as a form of public sphere, they’ve got another thing coming.

Imposing ordinary citizens with such a high responsibility as participating in a critical judgment at court -- without a proper training or instructions-- is just like throwing a baby into the bath.




by runaway (2009-05-21 04:22) 

古井戸

>Imposing ordinary citizens with such a high responsibility as participating in a critical judgment at court -- without a proper training or instructions-- is just like throwing a baby into the bath.

This is(has been) also a big problem in US, now.(see "12 angry men").

Note that we, in Japan, have already the juror trial system, specified under law and actually in some pre-war era, the juror system was implemented and practiced(though disrupted since unpopular).

Juror system was disliked by Japan's government. They don't want the citizens' paraticipation into court, just want to evade criticism on unpopluar interrogation/accusation by the current police/prosecutors; their strategy is to confine the criticism by taking hostages(i.e. citizen jurors), who are prohibited to disclose what happened in the court.

by 古井戸 (2009-05-21 09:02) 

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