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裁判員制度 原爆と天皇の責任 NHKの沖縄戦証言報道 [Politics]

一昨日の晩、我が町のY市会議員(女性)が赤旗を届けてくれた。この議員には投票したことがある。

しんぶん赤旗は、16ページ。16面には一般紙と同じテレビラジオ欄。スポーツ欄は毎日新聞より充実。一番読ませた(他の新聞にはない)のは、西松建設からの献金リスト。小澤や、尾身、その他。

その他は冴えない。やっぱり、党=機関誌。毎日新聞のほうがマシである。

毎日新聞についても同じだが、ニッポンの新聞の問題は、国際ニュースが、圧倒的に少ない、ことである。田舎で百姓や漁業をやっているならニュースは必要ないが、情報化した現代、大部分の国民は他国で何が起こっているか、をしらなくてはやってけないだろう。あのベーコクだって、海外ニュースはどんどん増えてきている。ニュースの世界に、今や国境はない、と考えねば。

この数日、『松浦総三の仕事』全三巻をはじめとし、松浦氏の著作を古書店から買った。『天皇報道の嵐の中で』が今日届いたがこれは、1986-88の赤旗日曜版への連載である。昭和天皇危篤から死亡の前後の週刊誌報道批判。

今日の毎日新聞。記者の目。伊藤正志記者が、
 <裁判員、きっと得難い経験に>
という、ヨイショ記事とまちがえそうな記事を書いている。http://mainichi.jp/select/opinion/eye/ 
なぜ、一般国民が裁判所で<得難い経験>をせねばならぬのか?自衛隊で体験入隊しても、郵便局に一週間勤務して配達をヤッテも、市役所に体験勤務しても、消防署、警察署、社会保険庁に体験勤務!しても<得難い経験>は得られるだろうよ。裁判には被告がいる。被告を<体験>の対象にしていいのか?なぜ、一般国民を裁判員に、でなければならぬのか?裁判所で得難い体験をせずとも、あらゆる公職に(希望をすれば)体験勤務可能という制度を設けるべきだろう。もっとも、別の職業で<体験学習>がいま最も必要なのは裁判官や検察官ではないのか?<市民感覚や常識的判断を喪失している>らしい裁判官、検察官は、1年間本業を休職し、市役所勤務や消防署員、郵便局員、。。などをやって、<得難い経験>をすべきじゃないのか?


裁判員制度推進派は切り札として、<国民も司法制度維持のためこの程度(裁判員)の犠牲は払うべきである>という。冗談か。裁判官、検察官の給与、その他、司法制度維持のための施設はだれが支払っているのか?国民の税金から支払っているのだ。税金を支払うために国民は、自ら選んだ職業に就いて、日々汗を流しているのである。これが<犠牲>でなくしてなんなのか? 裁判官や検察が、自ら選んだ職務を自らの手で全うしうる自律的能力がないのなら、それを国民にまず詫びて、給与体系を見直し(大幅減額)、その浮いた費用で裁判員に登場をねがったらどうなのか?これは最低限の礼儀である。


ニッポンの司法制度の問題は、警察検察による違法取り調べと捜査の結果としての異常に高い有罪率(99.9%)である。米国の陪審も冤罪の多さがきわだってきたため、取り調べの可視化が着々と行われているのにニッポンではいっこうにやろうとしない。素人の裁判員を裁判官がコントロールしたあげく、違法裁判の共犯者に仕立てようとしているのである。 国民を参加させたいなら、いまでも法律で規定されている<陪審制度>を活用すればいいのである。形だけは国民参加にして裁判批判を封じこめ、評議の実質は裁判官がコントロールしたい、という魂胆がミエミエである。



『松浦総三の仕事』第一巻は、<マスコミのなかの天皇>である。
つぎのような解説を本多勝一が書いている。

「。。松浦氏の天皇批判に最近とくに感じているもう一つの大きな意義は、反核やヒロシマを世界に訴えるに際しての日本の民族的弱点についてであります。民族的弱点などというと大げさにきこえるかもしれませんが、それは以下のような意味によるものです。
。。 ヒロシマを世界に訴えるとき、たとえばアジア諸国、なかんずく中国や韓国や東南アジアなど日本に侵略された歴史をもつ国の人々はどう考えるでしょう。大衆の感情は「ヒロシマは仇をうたれただけさ」であります。つまり、「加害」の結果としての「被害」がヒロシマだと見ている。そんな認識の人々に、加害のことを棚に上げておいて被害だけ訴えて、どうして説得力がありましょうか。
 他方、同じファシズムの国として敗戦を迎えたドイツやイタリアと比べてみるとき、日本との明白な違いは、ドイツイタリアが自分の手で戦犯をとことんに追及している点です。なにしろ時効さえ認めないのですから。つまりかれらは加害責任を自らの手で明らかにしている。ところが日本では、東京裁判は外国人による裁きだから別として、いかなる戦後の公的な場でも、「戦争犯罪、あるいは人間性に対する犯罪のために、日本の法廷で責任をとらねばならなかった日本人は一人もいなかった。ただ一人の日本の検事も、いまだかつて第二次大戦中に軍人や市民に、また外国人や日本人に対して行われた犯罪によって、日本人を告発したりはしなかった」(G・ダンプマン『孤立する大国ニッポン』)のであります。
 なんという無責任民族、何という「世界の恥さらし民族」でしょうか。要するに加害責任は一切とらず、被害ばかり声高に訴えているのが「ヒロシマ」や「反核」ということになってしまいます。この問題を追及してゆけば、いかなる経路をとろうと、問題の頂点に天皇が出てくることは避けられません。天皇をはっきり「加害者」として指弾し、侵略の実態を自らの手で明らかにし、加害責任を明確にした上で、「加害の結果としての被害」を訴えてこそ、世界の諸民族に対しても説得力が出てくるでしょう」


まったく同感である。私はブログ記事に、ヒロシマに原爆を批判する資格はない、と書いた。2万人の韓国人被爆者を慰霊碑にいれようとしなかったことを批判したヤンソギルに共感して、である。

一昨日、NHKのETVで、沖縄戦を生きのびた女性証言を放送していた。皇軍兵士が子供の首を刀で切り落とした、と語っている。戦争中に国内で、誤ってではなく、兵士の意図から同国人のしかも子供の首を切って罰せられない、ということがあっていいのか?

これを不問に付すニンゲンが敗戦後のBC級裁判を批判したり、最近では、ベーコクによるイラク侵略を批判できるわけがない。

NHK検閲済のナレーションは、このことに何の疑問も感じていない。あたかも戦争が自然現象=台風やハリケーンであるかのごとく。一体戦争は何のためにするのか?勝ち目はない、とわかっても戦争を継続し、何十万人というニンゲンを無駄死にさせ、国民の資産を灰燼に帰させ、自分の命欲しさだけのために延々、沖縄戦以後三ヶ月も戦争を継続し、原爆が墜とされるのを待っていたこの男=昭和天皇を断じて許してはならないのである。

NHK番組、クロージングのナレーションは:

「88本、150時間のテープから聞こえるのは戦争の記憶。地上戦に否応なく巻き込まれた沖縄の人々がどう生き、どう死んでいったのか。録音テープに残されていたのは 二度と戦争を起こしてはならない、という沖縄の叫びです~」

ナレーションはつぎのように変えるべきである:

「。。テープから聞こえるのは、飢え死にさせた子供や家族たちの呻きと怨念である。だれが住民を悲惨な死に追いやったのか。日本軍である。こういう日本軍を築いたのはだれなのか? どういう責任をとったのか? 日本人は軍隊の非人道的行為、政府と天皇の責任を問い、裁いたか? だれも、問わない、裁こうとしない。NHKをはじめとするるマスゴミの戦争責任も問わない。」




参考:
ETV特集「女たちの地上戦~沖縄 埋もれた録音テープ 150時間の証言~」
チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2009年 1月25日(日)
放送時間 :午後10:00~午後11:00(60分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>ドキュメンタリー全般
番組HP: http://www.nhk.or.jp/etv21c/

▽沖縄戦の惨劇を、200人以上の人々が赤裸々に証言した録音テープが新たに見つかった。中でも特に凄惨な体験を語っているのは戦場に取り残された女性たちだった。

20万の人々が亡くなった沖縄戦。その地上戦での惨劇を住民が証言した録音テープが新たに見つかった。まだ戦争の記憶が生々しかった1960年代に収録されたものだ。特に凄惨(せいさん)な体験を語っているのは、戦場に取り残された女性たち。自らの手の中で我が子を餓死させてしまった母。日本兵によって家族を殺された女性。これまで一度も公開されていなかった未公開の録音テープをもとに“女たちの地上戦”を描く。

###http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
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十楽人

先年、NHKの番組で、三国錬太郎が生前の山田風太郎の家を訪ね、残された日記を読む場面がありました。その中で風太郎は、昭和天皇が欧州訪問に旅たつに際して、「欧州に行く前にガダルカナルへ行くべきだ」という趣旨のことを言っているのが印象に残っています。
同じような思いを持っている良識ある知識人(例えば加藤周一氏など)は少なくないと思いますが、それが“つぶやき”で終わってしまっていることが残念です。
われわれは、イスラム教への批判を封じるイランなどを非難しますが、言論の自由が保障されているはずのわが国で、知識人さえ天皇の戦争責任を公に論ずることを躊躇するという現実のなかにいます。
by 十楽人 (2009-02-01 10:31) 

十楽人

訂正
三国錬太郎は連太郎の変換ミスでした
by 十楽人 (2009-02-01 10:34) 

十楽人

昭和天皇が70歳になって詠んだ和歌「戦いをとどめえざりしくちおしさ ななそぢになる今もなほおもふ」に対して
池澤夏樹氏は言う。「あれだけの戦争の不動の中心にあった人に、いかに24年後とはいえこう軽く詠まれてしまっては国民の方は立つ瀬がないと思う」
週刊朝日98年5月8-15日号(むくどり通信、くちおしい話)
by 十楽人 (2009-02-03 11:46) 

古井戸

「戦いを。。」というとき、裕仁の頭にあるのは対米戦争だけです。中国の戦争について停めるチャンスはいくらでもあったし、しかも、停めようとしなかった。戦後も、中国アジアで日本軍がやったことに反省の弁はひと言もない。戦後、領土を一挙に失ったことに対し、先帝に申し訳ない、といっただけ。

対米戦争前に、吉田ルートで天皇が英国に調停を頼んだ形跡はあります。が、既にトキ遅し。

我が命欲しさに戦争を徒に長引かせ多数の兵士、民間人の命と資産を失わせた責任はおおきい。戦後すぐ、退位して、おのれと、国民の責任を述べるべきだった。8月15日の玉音放送は、まったく戦争を反省していない、意味不明の言辞です。

天皇は対米に対し、戦争責任はありません。敗戦責任はあるが、これは罰に値しない。しかし、対アジアに対しての責任は大きい。天皇の自覚がないから、軍も国民にも自覚はわきにくい。これが戦後も尾を引いている。ニッポン国は、対アジア戦争の決着をいまだに付けていない。沖縄を米国に売ったのも天皇。おのれに倫理観がないことが、対米従属の道を開いた。

どう取り繕っても無駄です。

by 古井戸 (2009-02-08 12:13) 

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