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中井久夫 『分裂病と人類』 魔女狩りという現象   書評 [Book_review]

                                            

今、中井久夫の『時のしずく』を読んでいます。
タマタマ、国際シンポジウムでのハナシ。原稿を眺めている私(中井)に、同時通訳者がこういった:

「原稿をそのまま棒読みされるなら、ご自分で逐次通訳してください。ナマの話し言葉でないと、同時通訳はできません」

『私(中井)ははっとした。同時通訳は究極の聴衆だ。話し手が、ここぞと勢い込んだり、言いよどんだり、言葉を選ぶのに迷ったりするところ。それに対する聴衆の反応。全体を包む場の雰囲気。これらがあって、初めて同時通訳が可能なのだ。これは、話し言葉の世界、対話が生み出す世界である。話し言葉と書き言葉との間には深淵がある』

中井久夫のエッセイは無駄がなく、簡潔、内容も深い。最近のエッセイと専門書(精神医学)を、数冊まとめて注文してしまった。 10/28



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中井さんは著名な精神科医、ですが文章を読むと、文人、という感じがします。内省的な人です。神谷美恵子と親しいようで、神谷美恵子論などもあるよう。わたしは、ハンセン病隔離問題(ブログに書いたhttp://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-07-09)で神谷さんには?を抱いていますので、隔離問題を中井はどう考えているのか意見を読みたいと思っています。先日推薦した 民族という虚構の、著者小坂井敏晶、ですが。。http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-07-19
異邦人のまなざし、という自伝(パリ遊学するまでの軌跡)があります。
http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/etranger.html
これも読もうかな、と思っています。
10/29

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昨日届いた中井久夫『分裂病と人類』(東大出版)。82年の著作である。書中、第三章、西欧精神医学背景史、は150頁を超える力作、中井はこれを1972-1978に渡って書きついだ。

どの頁、どの行からも、その学識の深さ、粛然とせざるを得ない。

たとえば。。p115 魔女狩りという現象、から。

魔女狩りが中世の事件であるという通念は全く誤りである。魔女狩りはおおよそ1490年すなわちまさにコロンブスがアメリカを発見し、ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達するのとほぼ同時期に始まり、17世紀 -- 部分的には18世紀まで継続した、3世紀にわたる現象であって、ルネサンスから近世への転換期にほとんど全ヨーロッパの精神病狩りを含むものである。。。

魔女狩りは魔術に対する弾圧と同一視できない。古代ローマ世界以来、魔術はつねに存在した。魔女狩りの最中においても、多くの魔術師たちはまったく安全であった。確かに魔女狩りの対象になったものもあったが、女性に対する男性の犠牲者の比は百対一、あるいはそれ以下であったのが定説である。筆者はここで、多くの叙述と立場を逆にして、まず魔女狩りを行った側から述べてみよう。

(数頁略)

。。。 グーテンベルクによる印刷術の発明と識字率の増大とが、魔女狩りの普及に拍車をかけた。不十分で曖昧な情報が恐慌をよぶことは周知のとおりである。

(数頁略)

以上のように魔女狩りは実に種種の要因があるけれども、基本的には生産力の減退にかかわるものであり、それと関連してその地の政治家官僚の責任転嫁であったことを支持する証拠は、第一に魔女狩りがつねに「その地域の問題」であったことである。

(数頁略)

しかし13世紀以後、らい院(古井戸:らい病のらい、ハンセン病のこと)による隔離が進み、そして最後にペストが虚弱な彼らをらい院の集団生活のなかで侵すことによってほとんど絶滅させたらしい。。。これに代わって精神病者を収容する動きが始まる。したがって初期の収容原理がハンセン病において成功した、生涯にわたる隔離と此岸的なものへの断念であったとしても不思議はないであろう。

このあと、注として、日本においてなぜ魔女狩りがなかったかの理由を考察している。興味深いハナシを要約しておこう:
理由は、宗教の世俗化過程に魔術的なモノがまぎれこまなかったからである。

1 信長が 比叡山を焼き払い、僧侶を皆殺しにした 。 一揆の撲滅、医療からの神官、僧侶の追放 。  (幻術、魔術的方法を排除、一気に世俗化へ)

2 浄土真宗が森の文化を根こぎにした。民話、民謡、伝説、怪異譚を欠くことで、世俗化への道を促進。

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このような深い書物をこのところ読んだことがない。

中井(神戸大学教官)が神戸大震災の際、沈着な報告、自己観察を行えたのも極めて納得のできることであった。

http://www.book-navi.com/book/syoseki/toki.html
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/2003interview/030507nakai.html
http://www.msz.co.jp/titles/06000_07999/ISBN4-622-07175-4.html

追記:
 > 。。。 グーテンベルクによる印刷術の発明と識字率の増大とが、魔女狩りの普及に拍車をかけた。不十分で曖昧な情報が恐慌をよぶことは周知のとおりである。

歴史を顧みる必要もなく、情報や情報化あるいは情報遮断、が 差別、イジメの要因であり、手段、であることは現在のニッポンの状況を見ても明らかだろう。


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すずめ

麦角アルカロイドが 狐付きとなった魔女等の原因物質ではないかとの説がある。これによれば 彼らの異変は 薬物の幻覚作用に拠るらしい。
それは別としても、印刷と識字率の上昇が魔女狩りを拡大した ってのは面白い。
by すずめ (2006-11-02 08:47) 

古井戸

> それは別としても、印刷と識字率の上昇が魔女狩りを拡大した ってのは面白い。

石器時代にはこんなもの=組織的迫害、はなかったろうし。組織的迫害ができたのは文明と同時じゃなかろうか?つまり高度社会=大集団。大集団を結合させるのは言語と宗教しかない。すなわちコミュニケーション。

>麦角アルカロイド

検索したのだがよく分からない。こんなものが大昔からあったのですか?
薬物のセイにするのはちょっと怪しい。いやダイブ怪しい。
by 古井戸 (2006-11-02 10:19) 

すずめ

麦角アルカロイドは 麦の穂先に含まれるらしい。想像ですが、ライ麦の不出来な年や 貧困ゆえに燕麦を穂ごと食べたりしたのではないだろうか?もちろん、小麦粉の増量用に混ぜ込ませたかもしれない。
アルカロイドはカフェインやニコチンのような穏やか作用をもたらすものから モルフィンのような激しいものまで、さまざまな生理作用を産み出す。鎮痛、鎮咳など 有効利用されているものも多い。モルフィンだって、末期には まことにありがたい薬とはなった。
by すずめ (2006-11-02 11:02) 

すずめ

http://www.botanical.jp/libraries/200604/13-1755/index.php#5
検索したけど こんな感じでいかがでしょ。
by すずめ (2006-11-02 11:13) 

古井戸

大変面白い記事ですね。

私は勘違いしていた。つまり、魔女といわれる女性が↑上記物質のため精神錯乱?に陥ったのかと。

これは、魔女裁判の原因となった、疫病の物理的原因ですね。
なぜ、魔女裁判という制度?の存在の直接原因ではなく、制度を発動した原因である疫病の原因。つまり、今のワタシの関心からすれば、間接原因です。

当時の世俗的常識では解決できない問題(疫病の流行)を、魔女のせいにした。

それで、 セーレムで、どういう女性が、なぜ、魔女にまつりあげられたのか?はこの引用記事の関知せざる所ですね。わたしは、それが知りたい。
by 古井戸 (2006-11-02 13:11) 

古井戸

> 麦角アルカロイドが 狐付きとなった魔女等の原因物質ではないかとの説がある。

念押しだが、すずめさんの↑の記述はちょっと間違えやすいね。
魔女の原因じゃなく、魔女裁判を起こさざるを得なくなった、疫病発生の物理的原因、ですね。
by 古井戸 (2006-11-02 13:33) 

古井戸

http://web.kyoto-inet.or.jp/p eople/tiakio/yaziuma/essay2.ht ml
セイレムにおける魔女裁判について。上記の、面白い記事を紹介してもらった。

この記事には、なぜ、この魔女裁判が終息したかについては、くわしくない。

中井はこう書いている↓

。。。すなわち北米のピューリタン植民地セイレムにおける有名な(しかもきわめて小規模な)時節遅れの魔女狩りの事実をどう考えるか、の回答が出る。すなわち、目から鱗を落とすように、説得によってこの町の魔女騒ぎを終息せしめたのは、ニューヨーク(ニューアムステルダム)から来た「レンブラントやヴァン・エイクのリアリズムで武装した」オランダ系市民であった。。。。。このリアリズムは20世紀における従軍カメラマンの先取りではなかろうか。

(以下マクスウェーバを引用しながら、ピューリタニズムと精神医学の関係の長い記述が続く)。

現在、学校でいじめが横行しているが、上記の ニューヨークから来た「リアリズム」で武装した市民、あるいは、従軍カメラマン。。が必要なんだよね。
by 古井戸 (2006-11-03 10:13) 

すずめ

「リアリズム」で武装したオランダ系市民 ってのは、Erkennen=英語ならrecognaize を知っていたのだろう。
従軍カメラマンの実体は知らないが、ありのままに事態を受け入れ、それを共通了解として持ち合うことこそ 彼と彼らとには 必要なのだと思う。
彼が生徒であれば彼らは教師達であり、彼が教師なら 彼らは生徒諸君である。あるいは彼がいじめられるなら 彼らはいじめる人々である。しかし、じめられる人々を いじめる一人って構図は見たことが無い。近頃は戦い力尽きて自殺する子供達も多い。彼にはより強く、孤独にいじめる側に回って欲しかった。
了解し合えないなら 互いに溶け合う必要もなく生きればよいが、学校という特殊な、つまりは本来恥をかき合う場でありながらその中心に競争があると言う不自然な、あるいは劣った者がいることで自分が安泰になると言う虚妄の閉鎖社会が それを許さないのかもしれない。また 真っ当な言語機能の獲得以前に 携帯やPCの いわば《外国語》を駆使する特殊さ、不自然さ、うそぱち、密室性に出会えば、彼らが混乱に陥る事態は避け得ないかもしれない。
by すずめ (2006-11-03 15:09) 

古井戸

簡単にいえば、ビデオを学校中に取り付けて、おくってことじゃないのか?
いじめをやっているおのれが何をやっているのか見えない。
第三者としてこれを知らせる機構が昔はなかった。
宗教とか権威者とかの目を通してしか。
遮るモノは空気のみ、の リヤリズム 手法としては遠近法だけ。

これを、見せつければ醒めるだろう。
今ならビデオや、カメラ= 写真家。
当時なら、絵描き。
by 古井戸 (2006-11-03 16:10) 

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