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心情倫理と責任倫理 『職業としての政治』 [Politics]

マックス・ウェーバ『職業としての政治』
岩波文庫で100ページ前後の薄い本。1919年1月にウェーバが学生向けに行った公開講演である。ドイツは当時敗戦後の混乱状態にあった。

前半はウェーバの政治とは何かの知見を述べたもの(圧縮してあるからたいそう密度が濃くて、わかりづらい)。
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/
↑このブログで整理している。9/18日(その2)の記事。

後半は、政治家とは以下に思念して行為すべきか?という熱の入った議論になる。お終いの20ページ文庫本でp80以後。

ここでの議論の中心は、政治家は 心情倫理に基づいて行為すべきか、責任倫理にもとづいて行為すべきか、ということ。

心情倫理とはなにか? 理想に基づく政治的行為。主観的といってもよい。
責任倫理とはなにか? 理想はどうでもよい、結果責任を政治家は問われる。

ウェーバは責任倫理を優先しろ、といっているようだが、そういいきっているわけでもない。「誰にタイしても差し出がましいことは言えない」と言っている。

p102
「。。まずもって、私はこの心情倫理の背後にあるものの内容的な重みを問題にするね。そしてこれに対する私の印象はといえば、まず相手の十中八九までは、自分の負っている責任を本当に感ぜず、ロマンチックな感動に酔いしれた法螺吹きというところだ、と。人間的に見て、私はコンナモノにはあまり興味がないし、またおよそ感動しない。これに反して、結果に対するこの責任を痛切に感じ、責任倫理にしたがって行動する、成熟した人間(老若を問わない)がある地点まできて、「私としてはこうするよりほかない、私はここに踏みとどまる(ルッターの言葉)」と言うなら、測り知れない感動を受ける。」

p89ー90で、ウェーバは心情倫理、と責任倫理を説明した後、コメントする。

「しかしこれでもまだ、問題は終わっていない。この世のどんな倫理といえども次のような事実、すなわち、「善い」目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい行為、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟して掛からなければならないという事実、を回避するわけにはいかない。また、倫理的に善い目的は、どんな時に、どの程度まで、倫理的に危険な手段と副作用を「正当化」できるかも、そこでは証明できない。

政治にとって決定的な手段は暴力である。倫理的に見て、この手段と目的との間の緊張関係がどんなに重大な問題を孕んでいるかは、ご存じのように。。。略。。おわかりいただけるであろう」p90-91.

手段は暴力、とはいうが、その暴力の正当性を担保するのは政治家が国民の負託に応えている限り、という条件は当然付けるべきである。。

さて、脇圭平『知識人と政治』(岩波新書)によれば、p87

マックスウェーバは、「伝統的なドイツの政治思想圏の中で、ほとんど類例のないくらいラジカルな思想的改革者、例外的なプラグマティストたらしめており、このことがプラグマティックな思考の伝統が欠如したドイツにおいて、彼の政治思想に対するトータルな理解を困難にさせ、最も近い同僚に対してさえ「奇異な感じ」を抱かせた理由」という。

マックスウェーバの知識人批判とは、。。以下、脇圭平『知識人と政治』p86から引用。。

「政治はどこまでも政治であり、倫理ではない」という命題と、「政治は所詮政治にすぎず倫理的に問題的な領域である」という2つの命題を組み合わせて行われる。このふたつを二刀流の如く出したり引っ込めたりしながら敵をやっつける、。。「絶えず観点を流動化し、相対化させる思考の柔軟性と強靱な主体性(それは現実をあるがままに見、自己に対しても距離を置いてみることができる)が、彼をして伝統的なドイツの政治思想圏の中で、ほとんど類例のないくらいラジカルな思想的改革者、例外的なプラグマティストたらしめており、このことがプラグマティックな思考の伝統が欠如したドイツにおいて、彼の政治思想に対するトータルな理解を困難にさせ、最も近い同僚に対してさえ「奇異な感じ」を抱かせた理由」、という。

現実に心情倫理、と責任倫理、を道具にした政治批判が日本の(あるいは他の先進国の)政治にどれほど適用できるのかわからない(できないだろう)。しかし、学生相手にこのような緊迫した議論のできるブレーン学者がいたということも、現在、なににも寄与しないのだろうか?ウェーバはこの講演の翌年死亡し、そのころ、ナチ党が結成され、ナチ党25箇条綱領も第一回集会で決定された。


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コメント 5

renqing

 ごあいさつ遅れましたが、リンクでのご紹介、ありがとうございました。 脇さんの本は確か昔、本屋の店頭で見た記憶があります。未見ですが。面白そうですね。
 Weberは、『職業としての学問』でも語っている通り、講壇からの政治的な発言には「禁欲」し、学者として「日々のザッヘsache」に仕えていたのでしょう。その「行動的禁欲」が、いまだに何巻で完了するか検討がつかない個人全集の草稿の量に現れています。
by renqing (2006-10-11 03:15) 

古井戸

禁欲は、魅力のなさでもあり、成熟した人間から見るとそこに魅力があるのかも知れないですね。脇は、ウェーバを バランシング・シンカーあるいはプラグマティストと言っています。極端を避ける。福沢諭吉(原則論を述べた後、「しかりといえども」と、現実論に立ち返る)~ウェーバ~丸山真男系列ですね。
by 古井戸 (2006-10-11 19:47) 

renqing

>脇は、ウェーバを バランシング・シンカーあるいはプラグマティストと言っています。
その点は、私の印象と違います。Weberは性格的には、瞬間湯沸し器の激情家肌で、それを自覚しているがゆえに、自らのエネルギーを意図的に、彼自身のsache(=学問)に振り向けていたように思います。彼は若いときから晩年まで、政治家として立つか、学者か、と迷っていた節があります。というか、意外に、政治的色気たっぷりだったように思うのです。「いつか俺が立たねば、ドイツはだめになる」ぐらいの勢いでしょうか。彼の生涯は、躁と鬱の振り子のようなもので、欝からの立ち直り期に、爆発的・超人的な業績を質・量ともにやってのけ、そうやっ突っ走ったあと、また落ち込んでいくのでした。絶えず、理性の人Weberが、情念の人Weberを監視し、制御していたと私には見えます。前者が学者の魂、後者が政治家の魂です。もし、私などが生前のWeberの周辺で生きていたら、始終彼からドヤされそうです。かなり人当たりのキツイ人間と想像しています。
by renqing (2006-10-12 03:29) 

古井戸

昔は私もそう思っていたし、そういう面もあるようですが。
少なくとも政治に口出ししだした、ということは、政治はきれい事ではない、たまには嘘も付かねばならない、ビスマルクを非難してばかりはいられない。。そういう現実を理解していたと思います。大衆を軽蔑していた、といえるとおもいます。脇は、岩波文庫、職業としての政治、の後書きでマキアベリ君主論(これまたすごい訳本ですね)を合わせて読むよう薦めていましたが、マキヤベリストの側面もあるとおもいます。プラグマティストの最たるものは、官僚制の追認ではないでしょうか(認めているのか、反対しているのかよく分からないところがありますが)。
父親や、奥さんには悩まされましたね。それがかれの学問に悪影響を及ぼしたというわけではない、その逆かも知れない、というのがおもしろい。
by 古井戸 (2006-10-12 05:06) 

renqing

>その逆かも知れない
同感です。彼自身は、苦しみぬいた人生だったでしょう。しかし、その「受苦」的生は、後世に膨大な知的遺産を残しました。使いまわしが多いので気が引けますが、吉田健一の中島敦評の以下の言葉がWeberにも当てはまります。

「・・、叉かういう打てば冴えた音を發しさうに思へる程緊密に言葉を配置した文章を書くものが、その為にどんな苦労をするかは察せられるが、その苦労をすることが出來るものにとっては文学はさうした作品以外のどのようなものでもない筈である。」
吉田健一『作者の肖像』(吉田健一著作集、第16巻所収、1980集英社)

Weberにとっても、「その苦労をすることが出來るものにとっては学問はさうしたもの以外のどのようなものでもな」かった訳です。自分を省みて、才がない分、苦労しなくても済んでいるのかな、とホッとしたり、ちょっと悲しくなったりしますが。
by renqing (2006-10-13 01:25) 

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