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坪内祐三 <昭和天皇の「発言」に私は失望した> 月刊文藝春秋9月号 [history]

文藝春秋9月号は、保阪正康の連続対談「昭和の戦争 7つの真実」70ページ、さらに
昭和天皇「靖国メモ」半藤/秦/保阪、
が読ませる。
ただし、記事、昭和天皇「靖国メモ」の天皇メモに対する読みは平板だ。とくに 坪内祐三の記事に比べると。(もちろん、日経が載せなかった部分、手帳のページの裏にうっすら写ったメモから、その裏のページもパソコンソフトで再現しているところなど、すごい!とおもわせるところはある)

坪内の記事は<人声天語>というシリーズもの、たった2ページの記事であるが、このメモを、深く、読み解いている(ようにみえる)。 題して <昭和天皇の「発言」に私は失望した>。

坪内がいうには、 天皇は過去の記憶を巧妙に修正している、と。

発見されたメモで、天皇はこう言っているS63.4.28:

「ある時に、A級が合祀され」「私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。

歴史的な経緯はどうか?

S53.10  東條をはじめとするA級戦犯が靖国に合祀
S54.4   これを新聞が報道
  
   。。であるから、S53あるいはS54から天皇は参拝をしていないことになるはずだ。 ところが、昭和天皇はそれ以前から靖国に参拝していないのである。最後に参拝したのは
S50.11.21のことだ。

この日付に天皇の<作戦が透かし見える>。

昭和天皇はS27からS44までに6回靖国に参拝している。それから長い中断を経てなぜ、S50に参拝したか?

それはS50にハト派総理三木が遺族会の票欲しさに8月15日、私人として参拝したからである。この時以後、政治問題化し、靖国は<この前の戦争>との関連で語られる事になる。<勘のよい昭和天皇はそのことを察知していた>。 だから、同年S50の11月に、駆け込み的に最後の参拝を済ませ、以後、参拝していない。。つまり、天皇の参拝中止は、<昭和53年のA級戦犯合祀>とは関係ない、というのが坪内のいいたいこと。 「以来参拝していない」それが彼(天皇)の「心だ」。

くりかえすと。。。

「天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯たちの合祀以前の出来事であること。この段階で昭和天皇は、靖国を媒介に、自らと、この前の戦争との関係と、さらに言えば自身の戦争責任に距離を取ろうとした。。」

「参拝を取りやめた3年後、A級戦犯の合祀を知って、昭和天皇は、これでいよいよ自分は太平洋戦争の被害者であると思ったことだろう。そしてそのことに記憶を執着させただろう」

「しかし、A級戦犯と言われる彼らは、天皇の名の下に、日本を戦争へと導き、あのような結果を招いてしまったのだ。そういう臣下たちを昭和天皇は突き放した。
 このメモの出現を機に今こそ改めて昭和天皇の戦争責任が問われるべきだ」

これが記事の、締め、である。

坪内は言う「私は天皇制には無関心だが、昭和天皇は好きだった。それが昭和の日本人としての私のアイデンティティだった。
だから私の失望は大きい」

わたし(古井戸)は、天皇制は粉砕すべき対象とおもうが、昭和天皇個人は好きも嫌いもない、「天皇位」に就いていた一人の日本人にしかすぎない、と考えている。この程度のメモ発見、この程度の記憶の「偽造」で、失望したりする坪内の天皇への思い入れ、が ナイーブすぎるのではないか?あるいは、自身のメモリをこの「天皇メモ」で「偽造」ないし「再整理」しているのではないか?という疑いを持つ。「天皇制には無関心だが、昭和天皇は好きだった」人間が天皇の戦争責任をなぜ、いまになって、問い出すのか?問うべきは天皇制じゃないのか?

天皇の戦争責任を問うのに、この程度のメモ(S63.4.28)など、鼻くその役割も果たさない。戦争は、昭和20年に終わったのだよ。

坪内の指摘する 昭和天皇の<3年>という記憶の詐術は、詐術ともいえないのではないか?東條首相という人事は真珠湾以前から天皇は疑いを持っていた、その沸々たる疑いが記憶となって残っていた、<合祀>という事態で過去の記憶を整序した。。 この事態を、正直に告白したところで何ら問題ない。すなわち、坪内の勘ぐりすぎ、ということにもなろう。 

しかし、A級戦犯合祀は、天皇としては、ラッキー!であったには違いない。これは坪内さんのこの記事で教えてもらった。

戦前の立憲君主時代の君主であった「天皇」は戦後は存在しない。「象徴天皇」という呼称も誤解の元となるためこのましくない、戦前の天皇とは似ても似つかぬモノであることを明示するため「天皇」という呼称は廃棄すべきである、といった 横田喜三郎は正しかった(http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-03-13)。いまだに、天皇陛下万歳、といって死んだのだから、靖国には 天皇陛下がお参りすべきである、。。という人々がいる。 戦前の「靖国」、も、「天皇」も もはや存在しないのである。政治施設であった靖国は最初、GHQが考えていたように廃棄すべきであったろう。宗教的な実体はないのに宗教法人として残し、くわえて、厚生省の旧軍人グループが戦前と同じく靖国を実効支配しつづけるなど混乱の極みとなった。 戦争で死んだ霊を、「国家」として公的に祀る場所など、どこにも存在しないのだ。もって、瞑すべし。

##
文春の記事、昭和天皇「靖国メモ」半藤/秦/保阪、から、歴史学者秦郁彦の発言:
「もともと、A級戦犯の祭神名票を送ったのは厚生省援護局中の旧軍人グループです。
そして靖国側でも筑波宮司のほうから総代会へ諮ったわけではないんです。総代会のほうから、A級を合祀すべきだと要請した。とくに元大東亜大臣でA級容疑者として巣鴨プリズンに収容された青木一男氏が熱心でした。総代会は宮司の人事権を持っているので、宮司もノーとは言えず承知し、。。
 筑波宮司は、昭和40年に突然「鎮霊社」という小さな社を靖国神社の境内につくり。。ここには、白虎隊や西郷隆盛から、湾岸戦争の外国人犠牲者まで、とにかく靖国神社には入っていない内外の戦没者の霊を祀ることにしました。実はこの鎮霊社のなかにA級戦犯をくわえたんです。。」


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コメント 2

おたかさん

天皇メモの発表によって、最近、小泉首相の靖国参拝に対する国内の風向きが変わってきたようです。朝日新聞は社説で今まで以上にはっきりと、首相の靖国参拝に反対の姿勢を示し、世論も靖国参拝に対する慎重派が増えてきているようです。

しかし、どうも違和感を感じざるを得なかった。
天皇がA級戦犯の合祀をどう考えようと関係ない、というのが私の意見でしたが、天皇が今でも国民の感情に大きな影響を与えているという現実のニッポン社会を改めて認識せざるを得なかった。

上記のコメント記事で、文芸春秋を読まなくても、いろいろ内幕を教えてもらいました。
今月号は芥川賞受賞作が掲載されているのかしら?
by おたかさん (2006-08-22 15:05) 

古井戸

最初におっしゃっている、このメモの影響ですが、おかしな事です。天皇がどう思おうと(ましてや戦後、ハルカ経過した昭和60年のこと)それが靖国問題に影響する、ということ自体おかしいと思わない新聞は最悪ですね。
(余談ですが、文春には 日経記事にあわてふためいた他紙のこと、さらに、ソースが日経であることを開かしたのはサンケイしかなく、ひとことも日経が最初に発表したことに言及していない新聞のモラルのなさを取り上げている)

坪内氏が、おかしいのは(繰り返しですが)、坪内氏自身がこのメモおよび昭和50年前後の行動(靖国に参るとか参らぬとか)と、天皇の戦争責任、をリンクさせていることです。天皇に責任があるのならばそれは、昭和20年以前の行為あるいは不作為によって導くべきであり、8/15日以後の行為不作為によるべきではありません。

芥川賞は掲載されています。チンケな文章。
by 古井戸 (2006-08-22 15:17) 

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