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自虐史観 パル判決 [戦争・原爆]

朝日夕刊(8月19日)によると、富士通名誉会長山本卓真らが97年、パル判事を顕彰する碑を建てたという。「今の日本の自虐史観は東京裁判が諸悪の根元。これを払拭したい」。

自虐史観とは?このひとたちは、戦前のニッポンを「自国」と考えているらしい。すくなくとも私にとって戦前の日本はおのれの国ではない。カルト教に支配された「他国」である。山本等戦前のニッポンに何らかの責任をもち、未練もある人間にとって戦前を否定するのは、自虐的と形容せざるを得ないらしい。ナチスの時代を生きたドイツの多くの軍人や一般人(前記事のグラスを含め)は、戦前のドイツを否定しているのではないか? そのとき、彼らドイツ人の多くを 「自虐的」と形容するであろうか。

パル顕彰碑は 昨年6月、靖国神社にも建ったという。

パルは英国植民地時代のインドに生まれ独立戦争の空気を吸い、西洋列強に抗うアジアに共感を示した。くわえて、パルは強烈な反共思想の持ち主であった。

52年秋、廣島で開催された国際会議に訪れたパルに、広島市平和大通り近くにある本照寺の住職、筧義章(かけひぎしょうい)は パルに会った:
筧「日本人の言いたいことをいっていただき、胸がすっきりしました」
パル「それは私の主観ではなく、真理と国際法の結論です」

という会話が交わされたという。

筧は20代で旧満州に渡り、中国の土地を奪う日本軍の話を聞いて胸を痛めた。戦後帰国した筧は慰霊碑の建立を思い立つ。外地で死んだ同胞、原爆犠牲者、中国人、朝鮮人、インド人以下に多くが死んだことか。碑文を頼むとパルはうなずいた:

「抑圧されたアジアの解法のため その厳粛なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸いあれ」

残念ながら、この碑文によって祀られるに値する日本人などいない。それは筧自身が見聞きした体験から、実感していたのではないか。

筧の息子で住職を継いだ筧義之はいう:
「パル先生は、日本が無罪と言ったわけではなく、裁判に意味がないといわれたのです。おやじはそう話していた」

パルが言ったことを最大限尊重するならば、東京裁判は成立しない裁判である。戦前の日本を裁いて、あらたな民主主義国を打ち立てるには、当時の(おそらくいまでも)「裁判」では間に合わない、ということ。これは明治維新以上の大改革なのだ。すなわち「革命」もしくは「政治裁判」「革命裁判」が必要だったのである(大政奉還!など期待できないのであるから)。現在の天皇を頂上にいただく国家神道に支配された、現在の北朝鮮以上のカルト国を裁くのに法律など無用なのである。「自虐史観」などとわめいている輩はカルト国再興を念じているのであろう。唾棄すべき人々である。

東京裁判を含む連合軍(GHQ)の戦後改革で不充分であったのは戦前の体制を支えた官僚(靖国官僚はその一部)や天皇制が、ほとんど解体されることなく生き残ったこと。国民自身が被告でもあるという事実(ドイツも同じだ)、外圧に頼った革命の限界だろう。

15年戦争とパル判決書:
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-11
東京裁判
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-05-04


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