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ライブドアの行方、あるいは官僚たちの春 [IT]

月刊誌「文学界」4月号を、立ち読んだ。
徹底討議 ネット時代と溶解する資本主義: 東浩紀 + 鹿島茂 + 佐藤優 + 松原隆一郎
という、座談会で、発言者は誰か忘れたが、ホリエモンの逮捕は、堀江が
「。。企業というものは、法の穴を見つけて商売するんですよ。。」と言ったのを受け、検察が
「このやろ、やってやろうじゃねえか!」と、報復したというハナシだ。

今日、TBSラジオでジャーナリストの田勢が出演、堀江がまもなく告発されるが、結局最高裁までいくだろう。。。十年以上裁判はかかるのじゃないか?と言っていた。それで、無罪!になったらどうなるんだ?ライブドア?なんだったっけ?ああ、昔、そんな会社あったなあ。。。ということに、なるのだろうか。

ちょっと時期がずれるが、2月28日付朝日論壇時評(執筆:金子勝)で、松原隆一郎の中央公論3月号記事が紹介されている。松原隆一郎「純粋な資本主義にとって偽計と偽装は想定内と思え」。金子曰く

「悪いことかどうか法的に確定していないグレーゾーンへ起業家を挑ませるのが資本主義という制度」なのであり、その意味でライブドア事件は「小泉改革が破綻したからではなく、むしろ定着しつつあることの証」だという。ところがメディアはその暴走に警鐘を鳴らすどころか逆に増幅装置となって、人々の判断基準を麻痺させていく。

マスゴミに麻痺させられるのではなく、麻痺しているのはマスゴミだけではないか。あるいは金子や松原の学者様だけ、か。

「悪いことかどうか法的に確定していないグレーゾーンへ起業家を挑ませるのが資本主義という制度」なのである、などという平成ニッポンの経済学者の論評を知ったら、Max Weberはなんと言うだろうか?あるいは山本七平さんは?

論壇時評、金子によれば、週刊東洋経済はホリエモンの株式分割を一貫して追及してきたらしい。雑誌「世界」3月号によると、経済法学者上村達男も従来から、ライブドアの手法に疑いあり、と発言してきたらしい。世界は「昨年本誌で、「ライブドアは刑事罰を追及される可能性がある」と喝破した著者(上村)が今回の逮捕劇を読む」と紹介し、上村が記事を書いている。

上村はこの記事のしめくくりで次のように言う。
「日本人は、日本人自身の将来のあり方に危険をもたらしかねない大規模な不正行為を諸手を挙げて賛美してきたのである。付け焼き刃の法律論議がいかに危険かであるかを今回の事件は知らしめたはずである。株式会社制度や証券市場が日本の社会にとって有する意味を、真剣に学ぶことから始める必要がある」

上村さん、「日本人は。。。諸手を挙げて賛美してきたのである」とは、舞い上がりすぎじゃないか?ならば、耐震強度偽造のもととなった審査の民間委託もニッポンジンが諸手を挙げて迎えた、とでもいうのか?「日本の財務官僚や、東証あるいは、経済団体は、。。賛美してきたのである」と、なぜ言わないか?真っ当な経済法学者であれば、金融庁や東証に対して、政策変更させえなかったのは、おのれの力不足であった、と反省するだろう。

第一、堀江は罪を認めていないのだし、マスゴミ報道(検察リーク情報だろう)によれば、罪状はどうやら、粉飾決算であり、上村のいう株式分割ではない。株式分割が、違法、というのであれば、検察のレッドカードの行く先は、東証であり、官僚じゃなかったのか?(勝谷が昨日TBSで論評したところによると、堀江と検察はなんらかの取引をした、結果、これ以上の事件のひろがりはない、つまり、政治家などへの金の流れは追及されない、と述べていた)

##

雑誌世界では「ラスプーチン」佐藤優が連載を続けている。4月号が最終回。タイトルは「民族の罠」
(注:歴史学者岡田英弘によれば「民族」などというコトバがつかわれているのは世界広しといえど日本だけ。しかも、20世紀jになってからの造語、だという。佐藤専門のロシアを含め外国に、「民族」に相当するコトバ、は無い、というのが岡田の見解だ)。連載最終回はライブドア事件、をとりあげている。 この記事で佐藤は、最近の柄谷行人の発言を引用している、要約すれば、

「。。マルクス資本論で、見落としたものがある、それは税金や官僚である、税を徴収し、再配分する階級、つまり官僚機構。これは膨大な人口を占めている、これを削減するのは困難、それが国家の実態、このような実態を無視して、国家を抽象的に語る議論は無効だと思います云々」

佐藤は「筆者も柄谷氏に同意する」、と。その上で、佐藤は、ライブドア事件を検察の国策捜査であるとみなし、かつ、特捜検事をして(国を憂える)現代の旧軍青年将校、とみなしている。

いわく「国家の自己保存の本能から、現下日本の状況では国策捜査が必然的に生み出されることを確認すれば十分である。本来、議会制民主主義の下では、時代のけじめをつける機能は、国民によって選挙された政治家の課題だ。政治家がその機能を十分果たすことができない現状で、憂国の想いに溢れた特捜検事がその役割を自発的に引き受けているのである」

なぜ、佐藤は国策捜査(と、佐藤は自分で決めつけている)により逮捕された身であるにかかわらず、かくも検察に理解を示すのか?

「議会制民主主義の下で。。。選挙された政治家の課題だ」(課題じゃなく、仕事だろう?)というのなら、聞きたい。では、佐藤を含め官僚(検察も、官僚だ)の本来の仕事は何なのか?官僚を養っているのは誰なのか?官僚こそ真っ先に国民のために働くべきであろうが?なぜ、佐藤は、国会議員が選挙により簡単に職を奪われるのに、佐藤や検察を含めた官僚のクビを、国民が簡単に切れないのは制度的欠陥である、と言わないのか。

お笑いなのは佐藤が
「。。サッカーにたとえていうなら、検察は社会の最後衛=ゴールキーパーである。それだから強制捜査権という「手を使う」ことが認められているのだ。しかしFW=政治家があまりにだらしないのでゴールキーパー=検察官が前衛になって、しかも「手を使う」のが過去数年間日本でおきている状況なのだ」
と言っていることだ。

ばかばかしい。サッカーで言うなら検察は、川渕チェアマンなのだ。ライブドアに関して言うなら、検察=チェアマンは東証や金融庁の証券監視委員会(=審判)にレッドカードを突きつけ、解職(退場)すべきなのだ。むろん、罪状は、東証や金融庁がおのれが上場を認めたライブドアに対してイエローカードを発出しなかったこと(プレーヤに対してイエローカードや口頭注意)、だ。サッカーの試合途中で、川渕チェアマンがしゃしゃり出て、この試合中止!おまえらに試合をする資格はない!などというのは、チェアマン自身の日頃の管理がずさんであった、というようなもんだ。観客は入場料返せ、というだろう。

佐藤はなぜ、検察や官僚に同情的なのか。佐藤は佐藤や検察を含めた官僚を絶対にあしざまに言わない。独房内で、美味いものを食べすぎ、本を読みすぎたか?マルクスが「官僚や税を見落とした」のは、官僚や、官僚が決定する税体系(あるいは最近の建築審査民営化政策)が、資本(家)の運動に、なんの障害にならぬ、むしろ、棹さす役割しか果たしていない、ということを見越していたからであり、カピタルの運動にとっては空気にしか過ぎない存在である(あるいはカーリングでいえば、資本の行く道を、せっせとお清め、お払いをしているのだ)、ということだ。佐藤を含む官僚らはみごとにこれを実践している。

2・26事件の青年将校あるいは革命家北一輝と、佐藤を含めた平成官僚どもを一緒くたにするな。


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