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『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』を読む  脱・原発は想定外の<独立>検証委員会 [東日本大震災]

                                120331_2010~01.jpg

目次 (検証委員会HP)
http://rebuildjpn.org/fukushima/report

口絵 福島第一原発の状況、施設配置図、構内の空撮写真、SPEEDIの試算データ、被災した病院の地図、ワーキンググループ会合のゲストと検証委員会、避難した住民の暮らし

福島原発事故独立検証委員会 北澤宏一 委員長メッセージ
「不幸な事故の背景を明らかにし安全な国を目指す教訓に」 …… 5 

船橋洋一 プログラム・ダイレクターからのメッセージ
——「真実、独立、世界」をモットーに …… 9 

プロローグ 証言—防護服姿の作業員はみな、顔面蒼白だった— …… 16

第1部 事故・被害の経緯 …… 21

  第1章 福島第一原子力発電所の被災直後からの対応 ……22
       第1節 福島第一原子力発電所 …… 22
       第2節 3月11日の対応 …… 23
       第3節 3月12日の対応 …… 25
       第4節 3月13日の対応 …… 28   
       第5節 3月14日の対応 …… 30
       第6節 3月15日の対応 …… 32
       第7節 3月16日以降の対応 …… 33
       第8節 事故後に行われた解析、その他の注目すべき事項 …… 34

  第2章 環境中に放出された放射性物質の影響とその対応 …… 44
       第1節 土壌および海水への影響 …… 45
       第2節 食品および水への影響と対応 …… 49
       第3節 環境修復と廃棄物の処理 …… 58
       第4節 低線量被曝 …… 62

第2部 原発事故への対応 …… 69

原子力施設の安全規制および法的枠組 …… 70

 第3章 官邸における原子力災害への対応 …… 74
      第1節 福島原発事故への官邸の初動対応 …… 74
      第2節 官邸による現場介入の評価 …… 94
      第3節 官邸の初動対応の背景と課題 …… 99
      第4節 事故からの教訓 …… 119

 第4章 リスクコミュニケーション …… 120
      第1節 原子力災害の影響に対する国民の不安 …… 120
      第2節 政府による危機時の情報発信 …… 121
      第3節 海外への情報発信 …… 129
      第4節 ソーシャルメディアの活用 …… 132
      第5節 事故からの教訓 …… 144

 第5章 現地における原子力災害への対応 …… 146
      第1節 オフサイトセンターにおける原子力災害への対応 …… 148 
      第2節 自衛隊・警察・消防における原子力災害への対応 …… 158
      第3節 SPEEDI …… 171
      第4節 避難指示 …… 187
      第5節 地方自治体における原子力災害への準備と実際の対応 …… 197

特別寄稿 原発事故の避難体験記
日本原子力産業協会参事 北村俊郎 …… 211

特別寄稿 原発周辺地域からの医療機関の緊急避難
m3.com編集長 橋本佳子 …… 220

      第6節 現地の被曝医療体制 …… 238

第3部 歴史的・構造的要因の分析 …… 245

 第6章 原子力安全のための技術的思想 …… 249
      第1節 ステークホルダーの責任と役割 …… 250
      第2節 原子力安全研究の歴史 …… 251
      第3節 設計想定事象(DBE)と、決定論的安全評価 …… 252
      第4節 DBEを大幅に超える事故と、確立論的安全評価 …… 253
      第5節 深層防護 …… 254
      第6節 設計・建設に関する検証 …… 256
      第7節 運転管理や保守に関する検討 …… 259
      第8節 アクシデント・マネジメントの準備に関する検討 …… 262

  第7章 福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題 …… 267
      第1節 原子力安全規制の役割と責任 …… 267
      第2節 津波に対する規制上の「備え」と福島原発事故 …… 268
      第3節 全交流電源喪失(SBO)に対する規制上の「備え」と福島原発事故 …… 276
      第4節 シビアアクシデントに対する規制上の「備え」と福島原発事故 …… 278
      第5節 複合原子力災害への「備え」と福島原発事故 …… 286
      第6節 問題の背景についての考察 …… 288

  第8章 安全規制のガバナンス …… 292
      第1節 概要 …… 292
      第2節 原子力行政の多元性 …… 294
      第3節 原子力安全・保安院 …… 303
      第4節 原子力安全委員会 …… 309
      第5節 東京電力 …… 312
      第6節 まとめ …… 320

  第9章 「安全神話」の社会的背景 …… 323
      第1節 2つの「原子力ムラ」と日本社会 …… 324
      第2節 中央の「原子力ムラ」 …… 325
      第3節 地方の「原子力ムラ」 …… 329
      第4節 「原子力ムラ」の外部 …… 332

第4部 グローバル・コンテクスト …… 335

  第10章 核セキュリティへのインプリケーション …… 337
      第1節 日本の核セキュリティ …… 338
      第2節 福島第一原子力発電所事故と核セキュリティ上の課題 …… 340
      第3節 核セキュリティをめぐる事故後の対応 …… 344

  第11章 原子力安全レジームの中の日本 …… 345 >
      第1節 国際的ピアレビューの発展 …… 347
      第2節 ピアレビューと日本の対応 …… 348 
      第3節 地震と津波への備え:IAEAの指針と評価 …… 352
      第4節 国際社会への情報提供のあり方について …… 354
      第5節 放射線防護のレジーム …… 357
      第6節 国際レジーム強化・改正をめぐる論議 …… 359
      第7節 事故からの教訓 …… 360

  第12章 原発事故対応をめぐる日米関係 …… 362
      第1節 国際協力の概要 …… 363  
      第2節 日米調整会合の設立と役割 …… 364
      第3節 ケーススタディ …… 373
      第4節 国際支援受け入れ態勢をめぐる論点 …… 378
      第5節 日米同盟は機能したのか …… 379

  最終章 福島第一原発事故の教訓——復元力をめざして …… 381

 検証委員会委員メッセージ
  遠藤 哲也委員 福島事故が露呈した原子力発電の諸問題 …… 398
  但木 敬一委員 国は原発事故の責任を自ら認めるべきだ …… 399
  野中郁次郎委員 現実直視を欠いた政府の危機管理 …… 400
  藤井眞理子委員 危機における情報開示に大きな課題 …… 401
  山地 憲治委員 信頼の崩壊で危機を招いた事故対応 …… 402
  福島原発事故検証委員会ワーキンググループ・リスト …… 403

 資料 福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描
    (近藤駿介原子力委員長作成のいわゆる「最悪シナリオ」全文)


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400ページもの報告書。仕事の合間にざっと目を通した。
ひとことでいえば、期待はずれ。何が結論として言いたいか。

すでに311から1年も経過しており、日本の通常の読者は原発に関連した数々の出版物を眼にできる。それらに対してこの報告書は何かを追加しているのだろうか?

昨年末には政府事故調から報告書(中間報告)が出された。これも期待はずれだった。
「政府・事故調査委員会の<想定外>」 http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-1


何が問題なのか、を順不同に列記する。

1 原発運用と政策、非常対策に関連する機関団体へのインタビューを含む各種の情報源からの入手情報を元に構成されているのだが(政府事故調とあまりかわらない)、肝心の事業者である東京電力が調査への協力を拒絶している。これは報告書の作成に致命的である。

2 独立調査委員会のメンバーに原発を理解している技術者が全くいない。したがって、事故を起こした原発への立ち入りができない情況(激しい汚染のため)を考慮しても、事故原因やその後の復旧措置の内容は問題点に関する解説を読者に鮮明にするにはあきらかに力不足。説得力のある説明がない。原発<事故>を語る前にまず、原発、とは何か?を知らなければ話にならない。なぜ、原発が必要なのか?原発は本当に必要なのか、も、原発のライフサイクル= 設計、建設、運用、保守、廃炉、廃炉以後の使用済み燃料管理、すべてを視野に含まれなければならない。

3 本調査報告には文献情報が全く添付されていない。過去半世紀に発行された原発に関する書籍はおびただしい。このリストを詳細に記せば数十ページにもなろう。しかもそれを掲載する価値はあるのである(国民が原発のなんたるかを知るために、である)。 6章、7章で技術的問題点、と、原子力安全規制の問題点を検討している。これらは311以前から判明していたものであり、なぜ、これらが事前にとりいれられなかったのか、という問題と、この問題はほとんど全原発に共通するのであるから、全原発の根本的検討(廃炉も含めた)が必要ではないか、と考えるのが普通ではないか。フクイチで採用されているMark I型原子炉格納容器について
・地震に弱いのではないか
・容積が小さく、事故時に崩壊熱を閉じこめることができないのではないか
・蒸気が圧力制御プールへ流入する際の動加重によって、破損するのではないか
という問題点を指摘しているが、いずれに対しても、否定している。これは通説になっているのだろうか?という疑問がある。少なくとも、筆者名(おそらく専門家)と、証拠となる文献を示すべきであろう。この調査報告書で、読むに足のは冒頭に置かれた現場作業者の生の声、と、避難を経験した人物、病院から患者を避難させた体験者(橋本佳子『原発周辺地域からの医療機関の緊急避難』。中央集権的な体制作りは極力避けるべきだ、という。当然のことだ。全国自治体は独自に緊急時対策を作る用意、と能力があるか、ということだ。能力もないのに原発など誘致するな、ということ)の書いたレポートである(『特別寄稿』)。誰しも原発建屋には入っていないのであるから海外の専門家も発言資格がある。なぜ海外の専門家の声が収録されていないのだろうか。それに少数意見は存在しなかったのであろうか?本報告に対する国内外専門家や事故体験者からの意見やレビューを是非、ネットで公開してもらいたい。

さらに、吉岡斉他も指摘しているように地震・津波の影響を受けたのは福島第一発電所だけではない。東北の太平洋岸にある全原発は危機状態に陥ったのであり、とくに、福島第二発電所はフクイチ同様の危機一髪の事態が発生していた。大事故に至らなかったのは幸運でしかなかったのである。他の原発に対する詳細報告も必要ではないか。



4 3に関連して、本書には、過去の反・原発裁判に関する情報がゼロ、である。福島で起こった事故は突発的に起きたものでも予想外のものでもない。原発の立地に反対している多数の住民や彼らを支援した専門家(地震学者を含む)にとっては想定内のことであった。そのことがこの報告書からは一切伝わらない。裁判に提出された原告側の資料が公開されておれば、政府事故調や、この独立委員会の報告など不要なのである。本書は英訳の上、海外向けにネットに載せられるという(日本の読者を忘れていないか?なぜネットから無料でダウンロードできないのか。政府事故調の報告書・中間報告は無料ダウンロードできる)。現在の内容では、海外の読者もあきれるだろう。とくに専門家は。海外専門家は、福島で何が起こったかをとっくに承知しているのだ。日本では、原発が初めて建設された当初から住民の強力な反対運動や、裁判闘争があり、原告側は原発の危険を理論的に立証した数々の証拠を提出している。これを、世界の共有財産にしない手はないではないか。さらにこのことは、<本質危険>を有する原発の建設を支えてきたのは事業者や行政の他に、司法システム~裁判所であった、ということを明らかにする意味でも重要である。原発問題とは、発電所を構成するコンポーネントや動作の耐久度や精度の問題のみではなく、原子力発電を支える諸制度、制度をつくり維持する政府、国会、司法、さらに国民や専門家の意見を広範にくみ上げる意志決定システム(あるいはシステムの不在)の問題なのである。これは、原発だけに限らない民主主義の問題だ。


5 この報告書は原発の有する危険性を全く伝えていない。日本の電力会社が過去行ってきた事故隠し、トラブル隠しの歴史も伝えない。数々のトラブルは事故につながる要因分析に欠かせないのだがそれを事業者と監督機関(保安院と安全委員会)は隠してきた。日本には実質的に監督機関は存在しなかったのである。

6 311以後、一年が経過したが、独立検証委員会が有責とみとめている東電に対しては捜査機関の立ち入り検査も告訴もなされていない。告訴はおろか、国会は証人喚問さえしていない。昔のソ連や中国ならありえようが、民主主義国ではありえないことだ。このことに独立検証委員会は疑問さえ抱いていない。果たして調査する資格(常識)を有しているのだろうか?

p10に船橋洋一(プログラム・ディレクター)は次のように述べている。
「日中戦争にしても太平洋戦争にしても、戦後、政府はそれに関する調査報告をつくりませんでした。国会もその原因と背景と責任を調査し、検証することをしませんでした...」 
原発過酷事故については誰が調査すべきなのだ?昨年発足した政府・事故調は原発の責任者でもある政府が法律に基づかずに召集したものであり、たとえば東電が調査に応じなくてもこれを罰することはできない。この独立権小委員会でも同じことである。国会が法律に基づいて責任を疑われる東京電力や経産省・保安院と安全委員会を証人喚問すべきなのであり、捜査機関はこれらの企業や政府監督部門を強制捜査・告発すべきなのである。報告書はこのことを全く不問に付している。国政の諸機関が、法律に基づいて、やるべきことをやらないことも、事故の大きな原因なのである。

7 311の以前も、以後も、日本の原発(福島原発に限らない)で働いているのは電力会社の従業員(ほんの一握り)ではなく、下請け会社(一次下請けから、六次、七次まであるという)の従業員である。彼らは労災もなく待遇も劣悪である。原子力白書によれば、過去半世紀の作業員総被爆量のうち97%は下請け社員が受けている。311以後、廃炉作業が始まる数年先まで作業員の確保が十分足りるかが現在大問題になっている。このことを調査委員は知っているか?より問題なのは年間被爆量を管理しているため作業者は偽名を使っているものが多い、さらに、外国人作業者もいる(作業者不足のため、フィリピンなどでも募集している)。本報告でも述べている対テロ対策・セキュリティ管理どころではない。野田首相はこれを知ってか知らず、今月韓国で開催された、核セキュリティ会合に堂々と出席している。これは(日本の)原発が抱えた本質危険のひとつである。もちろん独立調査委員会は、作業者(下請け)へのインタビューなど行っていない。

8 海外メディア(英、米、独など)は事故発生後、現場の作業員へのインタビューを行って優れたドキュメンタリーを作成している。日本のメディアは見劣りがする。NHKも含めたメディアの劣悪品質=電力会社や政府への追随も、事故発生にいたらしめた大きな原因である。これも独立委員会の関心外のようである。




少し内容に立ち入ってみる。北澤宏一・委員長は次のように述べている(p7)。

「。。この調査中、政府の原子力安全関係の元高官や東京電力元経営陣は異口同音に「安全対策が不十分であることの問題意識は存在した。しかし、自分一人が流れに棹をさしても(流れに棹さす、の意味を取り違えている。古井戸)ことは変わらなかったであろう」と述べていました。じょじょに作り上げられた「安全神話」の舞台の上で、すべての関係者が「その場の空気を読んで、組織が困るかもしれないことは発言せず、流れに沿って行動する」態度をとるようになったということです。これは日本社会独特の特性であると解説する人もいます。しかし、もしも「空気を読む」ことが日本社会では不可避であるとすれば、そのような社会は原子力のようなリスクの高い大型で複雑な技術を安全に運営する資格はありません」

その言やよし。しかし、北澤さん。わたしの見るところ、独立調査委員会のメンバーも、安全神話の舞台の上にこれまでいたのではないか?さらに、この報告も、<原発を廃止しない>という政府や業界を意を汲んで作成されたのではないか?すべての調査委員が<流れに棹さして=「その場の空気を読んで、組織が困るかもしれないことは発言せず、流れに沿って行動する」態度>を取ったのではないか?本報告を読んだ後の、わたしの疑いである。

もしも「空気を読む」ことが独立委員会でも不可避であるとすれば、そのような委員会は原子力のようなリスクの高い大型で複雑な技術と安全を、根本から問い質す報告を作成する資格はありません。 半世紀に渡り、政府と業界の「空気を読み」続け、片っ端から反原発訴訟を退けてきた裁判所とどこがちがうのか。

第一部 事故・被害の経緯
新聞報道で日本の読者はすでによく知っていること。

第二部 原発事故への対応
とくに新しい情報はない。メディアや産業界、原発推進派の<流れに棹さして>官邸のアクションに厳しい評価をしている。特に、菅首相へのキャラクターに係わる断定を下している。週刊誌的に過ぎないか?菅首相の強いリーダーシップがなかったとしたら、事態はより悪くなっていたろう、と見るのはわたし一人ではないようだが。東電社長は、事故直後、全作業員を撤退させようとしたのである(まるで当事者意識がない。事業者免許を剥奪せよ!)。それを叱責してとどめることができたのは菅首相以外に誰がいるか。


第三部 歴史的・構造的要因の分析
第四部 グローバル・コンテクスト

第三部、第四部は分量は多いが、内容は311事故に関連するのではなく、311事故がなくても導出されうる内容である(しかし、311事故が発生しなければこんなことさえ、書こうとしないのであろう。そういう意味では、311事故の発生した価値はあったというべきか)。

p398~402に5名の委員の要約的メッセージが載っている。タイトルだけ記しておこう:

遠藤委員: 福島事故が露呈した原子力発電の諸問題
但木委員: 国は原発事故の責任を自ら認めるべきだ
野中委員: 現実直視を欠いた政府の危機管理
藤井委員: 危機における情報開示に大きな過大
山地委員: 信頼の崩壊で危機を招いた事故対応

内容は大同小異である。すくなくとも、原発の廃止、脱原発(菅首相の提起した)の道への言及はまったくない。世論がこれほど脱原発を支持しているのにおどろくべきものだ。いかにも<独立>委員会、というべきか。

委員の一人である野中郁次郎に期待したのだが。野中の著書(共著)『失敗の本質』は以前、熟読した本である。太平洋戦争(対米戦争)の敗因を分析し、個別の戦術(真珠湾、ミッドウェイ、マレー沖。。)の成否を問題にするのではなく、全体の戦略(事前の分析と、その結果として、対米戦争を起こす、という決定)が誤っていた、と説いていたと記憶する。全体戦略=エネルギーが必要、という目的に、原発を選択、という個別戦術は、正しかったのであろうか。かくも大きなエネルギーは本当に必要なのであろうか?際限のないエネルギを消費する資本主義社会、は、<宇宙線地球号>を存立させるために正当化しうるのか?文明論的立場で論じて欲しかった。廃炉後も、何千年以上も使用済み燃料を管理しなければならない、そういうシステムは企業にとっても国家にとってもペイするのか?野中=経営学はどう原発を正当化するのか。 今回の事故による住民に対する被害を完全に賠償するとすれば数百兆円を要するという。たかが、電力製造プラントに、なぜ一国の存亡に係わるシステムを採用せねばならぬのか。

最終章『福島第一原発事故の教訓 -- 復元力をめざして』(p381~p397)は力作、というより苦心の作文にみえる。 この最終章で要約された結論は「独立調査委員会」の設立時、暗黙的にできあがっていたのではないか、と私には思えた。

最終章は次の10節から構成される(原文に節番号はないがここでは引用の便を考えて番号を付けておく)。
(1) レベル7: 史上最大規模の原子力災害  p381
(2) 複合災害と並行連鎖原災   p381
(3) 事故は防げなかったのか   p383
(4) 人災 -- 「備え」なき原子力過酷事故  p383
(5) 絶対安全神話の罠    p385
(6) 安全規制ガバナンスの欠如   p387
(7) 「国策民営」のあいまいさ   p388
(8) セキュリティなき安全    p389
(9) 危機管理とリーダーシップ   p391
(10) 復元力(レジリエンス)   p397

本書のタイトルは『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』である。たしかに委員は政府から独立しているが、内容的にはむしろ政府(&産業界)の意向(原発存続)に沿っている。原発そのものが危険なのではない、危機管理(組織、コミュニケーション、政府と地元の防災対策など)がまずいのであり、それを修正すれば<安全に>原発を運用できる、という結論にしたい、これがこの独立委員会の当初の意図であると私は推測する。原発の存続は当然のことであり、脱原発とか原発廃絶などは<想定外>のことである、ということ。すなわち、政府・事故調となんらかわるところはない。民間(独立)事故調査委員会のインタビュイー(調査対象)も、調査を拒否した東電関係者が欠けるだけで政府事故調と重なっている。この夏に出版されるという政府・事故調の最終報告書とほとんど同じ内容になるのではないだろうか、と私は予測している(政府・事故調も、原発の存否を問うことは<想定外>にしているのだから。内容が同じになっては意味がない、政府・事故調は悩むのではないだろうか。私の邪推である)。

各節から興味深いところを引用してみる。( )内の番号は上記の節に対応する。
(1) レベル7: 史上最大規模の原子力災害
引用:「福島第一原発の事故とそれに対応する不十分な対応が、日本固有のガバナンスや危機管理の問題を反映していたことは間違いない。しかし、この事故は例外ではない。それは、世界のどこでも、いつでも起こりうる事故であり、被害である。」 

(3) 事故は防げなかったのか
引用:「危機の際、原発サイトでは、このような数々のヒューマン・エラーが起こったに違いない。IC(非常用復水器)の作動状況の確認は、そのうちもっとも重大なエラーだったかもしれない。この点は「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)が中間報告で綿密に解明している点であり、我々の報告書もその成果を取り入れている」

(4) 人災 -- 「備え」なき原子力過酷事故
引用:「長期にわたる全交流電源喪失は、送電線の復旧または非常用電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。非常用交流電源の信頼度が、系統構成又は運用により、十分高い場合においては、設計上全交流電源喪失を想定しなくてもよい」(軽水炉に関する原子力安全委員会の「安全設計審査指針」)「今回は、交流電源と直流電源の双方が長時間にわたって失われた結果として生じた事故である」
「SPEEDIもオフサイトセンター同様、結局は原発立地を維持し、住民の「安心」を買うための「見せ玉」にすぎなかったように見える。政府は、SPEEDI試算結果の情報を速やかに公開すべきであった」
SPEEDIあるいはそれに代わる測定システムが無くしてどうして住民に避難指示を発出することができるのか。公開しなかったのは<犯罪>である。国民は刑事告発せよ。しかし、SPEEDIを活用する事態、というのはすでに事態は重症であるということ。「人災」は311の半世紀も前から存在したのだ、ということになぜ民間・事故調は言及しないのか。
非常用ディーゼル発電機を2台並べて地下に据え付けたのは設計ミスとしても、メルトダウンに至った原因は(東電や政府が繰り返し述べているような)津波ではなく、地震による配管の断裂の疑いが濃い、という指摘がなされている(田中三彦「東電シミュレーション解析批判と、地震動による冷却剤喪失事故の可能性の検討」、雑誌・『科学』2011,9月号)。建屋への立ち入りが数年は不可能な現状では最終的な検査・確認ができるのはいつになるかわからないが、その設備自体のレジリエンス(!)確認もとれないのに他の原発の運用を再開、あるいは継続してよいものだろうか?これに関しては、政府・事故調も民間・事故調も口をつぐんでいる。というより、明らかに判断を政府に預けている。これでどこが調査委員会なのか。誰に向けて報告書を作成しているのか。


(8) セキュリティなき安全
すでに述べたとおり、東電に限らず全国の原発で作業しているのは、人事管理も被爆管理も十分にされておらず、労災もない、したがって企業に対する忠誠心も危うい下請け作業員である。セキュリティだの安全だのは元々、電力会社、政府の念頭にはない。もちろん、国会議員も、メディア、それに、民間・事故調の委員は、だれがいったい原発で働いている、働いてきた(過去、半世紀)と思っているのだろうか。

(9)  危機管理とリーダーシップ
「。。。(東電)清水社長は、なぜ、真夜中に、官邸中枢の政治家に、何度も電話をかけるという異例の行動をとったのか。その点について、東京電力はこれまでに納得のいく説明をしていない。東電「撤退」に関する官邸の受け止め方が「誤解」だったとしても、清水社長はなぜ、あえて「誤解」を招くような言い方をしたのか。「全面撤退」を匂わすことにより、政府を全面的に介入させ、政府にげたを預けようとしたのだろうか。いや、12日未明の1号機のベントの遅れも、放射性物質放出の責任を逃れるべく、政府に強制命令を出させるためにあえて遅らせたのだろうか。我々は、これらの点を含め東電の危機対応の判断と意志決定を解明しようと努めたが、東京電力は我々の経営陣に対するインタビューを拒否した。これらの仮説は、今の段階では、憶測の域を出ない。これらの仮説のさらなる検証は、政府、国会の事故調査委員会にバトン・タッチせざるを得ない」

東電に対してやらなければならないのは<仮説の検証>でも調査でもなく、強制捜査、であり、告訴、である。認識を誤っている。調査の対象は、東電労組や電力労組、下請け会社も含まなければならない。

(10) 復元力(レジリエンス)
この報告書全体の末尾を飾る文章は次の通りである。
「東京電力福島第一原子力発電所事故と被害を検証し、教訓を引き出す作業は、これからも息長く続けていかなくてはならない。
 3.11を「原子力防災の日」とすることを提案したい。
 福島第一原発事故の教訓を思いだし、原子力の安全・セキュリティを確認し、事故への備えを点検し、真剣な訓練を実施する。政治指導者は、リーダーシップと危機管理の大切さを胸に刻む。

この事故を忘れてはならない。」

すくなくとも、事故の検証は福島第一原発が終息するまでは行えない。検証を終え、そして、安全が確認されるまでは、既存の原発の運転は停止すべきである、くらいは最低限、言うべきではないのか。安全確認もとれないのに、原発の運転を継続、再開するというのはキチガイ沙汰であるとしかおもえない。

民間・事故調が作成したのは、「原発そのものは安全である、危険なのは運用であり管理である」というすでに流通した神話を打ち壊すどころか、この神話を改訂した、第二の神話を作ろうとしている報告書でしかない、と、私には見える。つまり、政府・事故調と同じことをやっているのである。

もちろん、3.11は「脱・原発の日」にすべきなのである。




巻末に『福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描』が添付されている。作者は近藤駿介である。原発事故発生直後、住民の避難のためにSPEEDI予測図が公表されなかった、という問題が明らかになった。これは違法ではないか、と。このSPEEDI情報を有用性がないとして公開に反対し、官邸として避難範囲を広げないために情報公開を抑えていた人物が近藤駿介・原子力委員会委員長なのである。


この委員会は『福島原発事故独立検証委員会』と称しているが、わたしは、『原発事故独立検証委員会』とすべき、とおもう。原発事故の問題は福島第一原発で実際に起こった事故に限らず、この事故で明らかになったように、日本のすべての原発(停止していようといまいと)が潜在的に抱えている問題であることが明らかになったのであるから。たとえば、大飯原発。もし、地震、あるいは、ヒューマンエラーにより、大飯原発で同じ事故が発生したら、地元住民、福井、滋賀県、京都府、大阪府は、事故直後(昼間あるいは深夜)、いかなる対策を取るのか。いかなる避難放送を与え、どの経路により、どこに避難させるのか。SPEEDI情報の活用や、線量測定器は十分に確保して、事故後すぐに測定する体制は整っているのか?誰が測定をしどこで管理し、住民にフィードバックするのか。。その他その他。原発立地県、や市町村では今回の事故と対応を教訓として、対策を講じているのだろうか?

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最後に、わたしが原発問題に関しては第一人者と認識している吉岡斉の短い論文を紹介する。福島原発事故の要因をコンパクトにまとめたものであり、わたしが初めて読むまともな 福島事故原因論。 吉岡さんは政府事故調査委員会の委員である。私見ではこの吉岡論文をベースとして補強資料を添付すれば、400ページを費やさずとも、50ページで検証報告書は完成したろうし、明晰簡潔な事故原因論文として海外でも評価されるだろう。事故発生後の対策をああだこうだ、ああすればよかった、と論じてもほとんど意味はない。事故が発生する理由も情況もすべて事故ごとに異なるのだから。不完全な原発、と、原発の怖さを知らぬ人間たちが原発政策を推進したこと、それがすべてである。

pdfファイルをテキストにした。
http://www.psaj.org/html/resume2011autumn/jiyurondai1-1_resume.pdf

この内容は、吉岡『新版 原子力の社会史』2011の第8章「福島原発事故の衝撃」の一部なのだが、表現が少し違い、内容はより詳細である。

原因の(1)が上記書籍では、「(1)地震津波大国に原子力発電所を建設したこと」となっているが、この報告書では、

(1)発電手段として、原子力発電を選択したこと。

。。となっている。地震、津波があろうとなかろうと、本質危険をかかえた原発など作ってはならない、という強い主張となっている。事故は自然災害以外のヒューマンエラーによっても起こるのである。


##  pdfファイル、全文引用

日本平和学会2011年度秋期研究集会(10月29日,広島修道大学)
自由論題部会:核エネルギーの『平和的』利用を問う--ヒロシマからフクシマ


「フクシマ事故をなぜ防げなかったのか」
吉岡斉(九州大学大学院比較社会文化研究院)

キーワード:福島原発事故、過酷事故、東日本大震災、格納容器、全電源喪失、メルトダウン

1.フクシマ事故の衝撃
2011年3月11日に発生した東日本大震災の地震動と津波によって、東京電力福島第一原発が大事故を起こした(以下、フクシマ事故と呼ぶ)。そこでは核燃料を炉心に装荷して運転中だった3つの原子炉がすべて、炉心溶融(メルトダウン)から圧力容器破壊をへて格納容器破壊に至るというきわめて深刻な事態に陥った。また1~4号機の原子炉建屋に併設されている核燃料貯蔵プールも冷却水喪失の危機にさらされた。とくに4号機プールは大破した。なお5・6号機は無事だった。
この事故により大量の放射能が大気中に撒き散らされ、また汚染水として外部に放出された。この事故は世界の原子力民事利用において史上最悪クラスの事故となった。軍事利用分野も含めて考えれば1945年の広島・長崎の原爆災害には及ばないが、民事利用分野に限って言えば、放射能の放出量において1986年にソ連で起きたチェルノブイリ原発4号機事故に次ぐ大災害となった。この事故はチェルノブイリ事故と並んで、国際原子力事象評価尺度INESの上限であるレベル7に相当する。

この報告では、フクシマ事故をなぜ防げなかったかについて、過酷事故対策に重大な欠陥があったという立場にたって、主要な欠陥をリストアップする。地震発生前に周到な過酷事故対策を構築していれば、中小規模の事故の発生が防げなかったとしても、それが過酷事故に発展せずに済んだ可能性があるというのが筆者の見解である。事前に練り上げられていた過酷事故対策が、事故時の混乱などにより効果的に実施できなかったケースも、調べれば出てくる可能性があるが、ここでは取り上げない。

2.過酷事故対策の不備
過酷事故対策それが充実していれば、福島第一原発は過酷事故に至らなかった、とまで言うことはできないが、過酷事故に至る確率を低めることはできた。その不備については、以下の10項目が重要であると考えられる。ただしこれは包括的リストではなく、同等以上に重要な項目もありうる。


(1)発電手段として、原子力発電を選択したこと。
原子力発電では火力発電と異なり、大量の放射性物質をかかえている。しかも原子炉停止後も長期にわたって大量の発熱が続く。その熱を冷却によって除去できなければ核燃料の温度は際限なく上昇し、温度上昇にともなって発生するガスや溶融燃料そのものが原子炉を破壊する。そして大量の放射性物質が外部へ飛散する。東日本大震災では、福島第一原発から26キロメートル北方にある東北電力原町火力発電所(石炭火力2基を擁する)を地震動と津波が襲い、物理的には福島第一原発を凌駕する被害を及ぼした。津波の高さは福島第一の14メートルを上回る18メートルに達した。それにより原町火力発電所は全電源喪失状態に陥ったが、発電所外部に被害を及ぼすことはなかった。火力発電所は大災害に襲われても、発電所外部に被害を及ぼすことはほとんどない。それが原子力発電所との本質的な相違である。そのような危険施設を、種々の発電手段(石油、石炭、天然ガス、その他)の中から、あえて選択したことは、果して賢明であっただろうか。原子力発電所で過酷事故が起きた場合、莫大な損失を電力会社自身と、他の社会構成員(周辺住民など)にもたらす。世界最大級の巨大電力会社にとっても支払不可能な損失をもたらす可能性がある。また外部に与えた損害を賠償できない事態に陥る可能性がある。そのような発電手段をあえて選択する電力会社は無謀ではなかったのか。
また政府の関与も無視できない。

(2)1つのサイトに多数の原子炉を建設したこと。
フクシマ事故では、福島第一原発にある6基の原子炉のうち4基が大破した。多数の原子炉を同一サイトに設置することが、大きなリスク要因となることが、フクシマ事故によって明らかとなった。具体的には以下の2点が重要である。第1に、ある原子力発電所で1つの原子炉が大事故を起こせば、同じ原子力発電所にある他の原子炉にも影響が及び、全ての原子炉を一網打尽とする大事故となる可能性がある。フクシマ事故もあやうくそのような状況になるところだった。第2に、フクシマ事故では入れ代わり立ち代わり、危機に陥る原子炉があらわれたため、対処行動は混乱に陥り、対策は後手後手に回った。1970年代以降、新規立地地点の確保が困難となる中で、既設地点での増設に次ぐ増設を続けてきたことが裏目に出た。なお一カ所に多数の原子炉を建設することについては、安全上のリスクに加えて、電力安定供給上のリスクもある。

(3)人口密度の高い地震・津波大国に原子力発電所を建設したこと。
危険施設である原子力発電所を、地震・津波大国である日本に建設すること自体が、事前予防対策の観点からは大きな問題である。しかも、日本全国の中でも地震学的に最も危険な場所(世界的にも最も危険な場所)に、原発が建設されているケース(中部電力浜岡原子力発電所)がある。日本の地理的条件は、そうした地震・ 津波大国である点ばかりではなく、人口密度がきわめて高いという点においても、原子力発電に向いていない。

(4)安全性の劣る原子炉を導入し、また施設劣化対策が不十分だったこと。
軽水炉には加圧水型と沸騰水型の2種類があるが、沸騰水型の方が安全性が劣るという見方が有力である。にもかかわらず東京電力はなぜ沸騰水型を選んだのか。安全性以外の要因(従来からの企業間関係など)があるのではないか。またMark㈵型格納容器については、安全性に問題があるという見方が有力である(容積が小さいこと、構造が脆弱であること)。なぜそれを選択したのか。 さらに老朽化などによる原子炉施設の劣化対策は、果して十分だったのか。

(5)地震動・津波の想定が甘かったこと。
福島第一原発については、津波と地震動の想定が甘かった。とくに津波については想定上の最大波高はわずか5.7メートルであったが、実際には波高14メートルの津波が襲来した(敷地標高は10メートル)。地震動も想定を上回った。地震動と津波のダブルパンチにより原子炉施設は深刻な被害を被った。それぞれのもたらした作用について、詳細がわかるのは早くても数年後となろう。(政府の事故調査・検証委員会において、最も重要な検討事項となっている。) 福島県太平洋岸(浜通り)において、巨大地震と大津波が襲来する危険があることは以前から知られていた。他の立地点を選ぶこともできたのに、そのような立地点にあえて原発を建設したことの是非が問われる。また標高30メートルの大地をわざわざ削って、10メートルまで標高を落としたことの思慮不足が問われる。ディーゼル発電機が原子炉建屋ではなくタービン建屋の地下に置かれ、その冷却用の海水ポンプが無防備状態で置かれていたことも、安全対策として問題である。東日本大震災において、送電用の鉄塔をはじめとして多くの送電・変電・配電施設が損傷したが、そうした施設の安全基準において、原発が特別扱いされていなかった。こうしたリストは延々と追加していくことができる。

(6)長時間にわたる全電源喪失を想定しなかったこと。
原子炉施設全体での、長時間にわたる全電源喪失の対策が考えられていなかった。具体的には以下のような
諸点があげられる。手順書(マニュアル)がきわめて内容希薄であった。(短時間で電源が回復するというシナリオが前提となっていた。)非常用ディーゼル発電機の代替電源(電源車、ポンプ車など)の用意がなかった。緊急事態において冷却用に用いる淡水もわずかしか用意されていなかった。原子炉建屋内の原子炉上部に核燃料プールを設置し、そこに大量の使用済核燃料を貯め込むようなことも、全電源喪失のおそれを考慮すればあり得なかった。このリストも延々と追加していくことができる。

(7)格納容器破壊を想定しなかったこと
格納容器の破壊は当然ありうる。その可能性が高まったときの対策が考えられていて然るべきだった。しかしそれが不十分だった。たとえば手順書(マニュアル)に、ベントなどの緊急対策を実施することは、想定されていなかった。原子炉等の核施設の立地に際しては立地審査にパスしなければならないが、そのためには現実的にほとんど起こり得ないとされる「仮想事故」を起こしても、周辺住民がわずかな放射線被曝(2万人シーベルト以下)にとどまるという条件を満たさねばならない。それを満たすよう「仮想事故」の想定は甘いものとなり、それが起きても絶対に格納容器の破壊は起こり得ないという建前となっていた。もちろん実際には何が起こるかわからないので、電力会社は格納容器の破壊プロセスとその対策についてシミュレーションを実施し、それを踏まえた施設整備を行い、さらに手順書(マニュアル)を準備しておくべきだったが、それが行われていた形跡はない。なお格納容器破壊に対して「深層防護」対策がなされていないのは問題であるという指摘も傾聴に値する。(松野元『原子力防災』、創英社、2007年、26ページ)。

(8)推進行政と規制行政の同居が安全規制の甘さをもたらしたこと。
明確な因果関係をもって論証できるわけではないが、推進行政と規制行政の同居が、安全規制の甘さをもたらした背景的要因として重要であると考えられる。21世紀に入ってからは、推進行政は経済産業省の資源エネルギー庁が所轄し、規制行政は同じく経済産業省の原子力安全・保安院が所轄してきた。その上位に、内閣府の原子力委員会や原子力安全委員会が存在したが、それらが実権を行使することはなかった。資源エネルギー庁と原子力安全・保安院の関係は、後者が前者を厳しく監視するというものであるべきであるが、実際には両者が一体となって原子力施設立地活動を展開するなど、推進行政と規制行政との露骨な癒着が目立つものであった。それが安全規制の甘さをもたらしたことは否定できない。

(9)法律に定められた危機管理体制が絵空事だったこと。
緊急事態における政府主導の指揮系統が機能障害を起こした。そのため緊急事態応急対策が効果的に実施されなかった。1999年9月のJCOウラン加工工場臨界事故をうけて政府は同年、原子力災害特別措置法(原災法)を定めた。そこでは原子力緊急事態宣言を受けて首相官邸に設置される原子力災害対策本部(首相を本部長とする)が総司令部となり、そこが政府機関・地方行政機関・原子力事業者に指示を出すこととなっていた。また政府対策本部のサテライトとして原子力災害現地対策本部が、緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)内に置かれ、そこが現地における事故対処作業の指揮をとることが想定されていた。要するに東京の政府対策本部を頂点とする政府主導の指揮系統が構築され、迅速な事故対処がなされるものと想定されていた。この仕組みの中で、政府対策本部と現地対策本部の双方において、原子力安全委員会が専門的助言を行うこととなっていた。ところが実際の指揮系統は全く異なるものとなった。東京電力本店の主導権のもとに、東京電力福島第一発電所を前線司令部として、事故対処作業が進められることとなった。政府には大枠的な要請を東京電力に対して行う以上の権限はなく、実力もなかった。首相官邸、原子力安全委員会、原子力安全・保安院などの政府組織はみなそれぞれに、受動的な役割しか果たさなかった。 このように政府主導の指揮系統は、政府の実力不足のために機能せず、東京電力主導の事故対応がなされることとなった。これが原子力災害ではなく一般災害ならば、政府主導の対応も可能だったかも知れないが、そうではなかった。東京電力は巨大企業であるとはいえ、その動員能力は限られている。日本の原子力専門家をフル動員できる体制もない。東京電力および密接に関連する企業群が、全ての収束業務を実質的に担うこととなったのである。そのため収束活動が非常に緩慢なものとなった。さらに東京電力に実質的権限が与えられたために、原子炉炉心への海水注入が遅れたのではないかとの指摘もある。

(10)防災計画が絵空事であったこと。
住民の避難・屋内退避・退去等に関する官邸の指示が遅れたばかりでなく、その指示内容が二転三転し、しかも指示の根拠が全く示されなかった。それが周辺住民や首都圏を含む近隣地域住民を困惑させ、無用の被曝をもたらした。半径20キロメートル圏内については地震の27時間後に避難指示が出されて以降、指示の変更はなかったが、その根拠は示されなかった。事故の発展プロセスについて具体的シナリオを描かなければ、このような避難半径を算出することはできないはずであるが、シナリオは今も秘密とされたままである。また自主避難要請というのは、世界の原子力災害対策でも前例のない方式である。住民は事故シナリオについて全く情報を与えられていないのであるから、自主的な判断を下すことができるはずがない。 原子力防災計画は都道府県ごとに立てられるが、防災対策を重点的に実施すべき地域(EPZ Emergency Planning Zone)の範囲として、原子炉から約8~10キロメートルと決められている。これは原子力安全委員会の防災指針のなかで定められているが、それは「余裕をもって設定した」ものであり、「EPZをさらに拡大したとしても、それによって得られる効果はわずかなものとなる」と書かれている。この極端に狭いEPZは、立地審査で使われる「仮想事故」、スリーマイル島事故(1979年)、JCOウラン加工工場事故(1999年)を踏まえて決められたもので、チェルノブイリ事故を考慮していなかった。チェルノブイリ級の事故は日本では起こり得ないという思い込みが前提にあった。緊急時計画区域EPZは半径50キロメートルで設定するのが妥当であった。なお、広域的な住民疎開などの事態も想定して、難民輸送・受入体制も含めて広域的に(たとえば関東地方、関西地方、九州地方などのブロック別)に防災計画を策定し、住民に周知させる必要があった。もちろん避難民の広域移動や、広域的なサポート体制の構築などを考えれば全国的な原子力防災計画の策定も必要であった。

3.原子力安全神話による自縄自縛
こうした危機管理対策における数々の機能障害の背景にあるのが、「原子力安全神話」に他ならない。この神話はもともと、立地地域住民の同意を獲得すると同時に、政府による立地審査をパスするために作り出された方便に過ぎなかった。しかしひとたび立地審査をパスすれば、電力会社はそれ以上の安全対策を余分のコストを費やして講ずる必要はない。こうして「原子力安全神話」が制度的に、原子力安全対策の上限を定めるものとして機能するようになった。いわば電力会社が自縄自縛状態に陥ったようなものである。もし立地審査をパスした原子炉施設について、追加の安全対策をほどこしたり、その必要性を力説したりすれば、その原子炉施設の安全性に不備があるというメッセージを社会に対して発信するため、それはタブーとなるのである。福島第一原発では負のイメージ形成を避けるという本末転倒の理由で、安全対策強化が見送られた可能性がある。もちろん電力会社のみならず全ての原子力関係者にとって、「原子力安全神話」を否定するような想定を公表することはタブーとなる。こうして全ての原子力関係者が「原子力安全神話」による自縄自縛状態に陥ったのである。それが今回の福島原発事故により露呈したと考えられる。そしてそれが原子力災害時の指揮系統の機能障害と相まって、福島原発事故をここまで深刻にしてしまったと考えられる。
以上。


((参考 1))
吉岡斉『新版 原子力の社会史 その日本的展開』(2011年10月新版、朝日新聞出版)の目次と、第八章の詳細目次は次の通り。英訳して海外に紹介するに足る内容である。

目次
第一章 日本の原子力開発利用の社会史をどうみるか
第二章 戦時研究から禁止・休眠の時代(一九三九~五三)
第三章 制度化と試行錯誤の時代(一九五四~六五)
第四章 テイクオフと諸問題噴出の時代(一九六六~七九)
第五章 安定成長と民営化の時代(一九八〇~九四)
第六章 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代(世紀末の曲がり角(一九九五~二〇〇〇)
第七章 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代(原子力立国への苦闘(二〇〇一~一〇))
第八章 福島原発事故の衝撃

##

第八章 福島原発事故の衝撃、の詳細目次
1 福島原発事故の発生
2 福島原発事故の拡大
3 福島原発事故による放射能放出
4 福島原発事故の国民生活への影響
5 世界のどこでも起こりうるチェルノブイリ級事故
6 危機発生予防対策の不備
 (1)地震津波大国に原子力発電所を建設したこと
 (2)一箇所に多数の原子炉を建設したこと
 (3)地震動・津波の想定が甘かったこと
 (4)圧力容器・格納容器破壊を想定しなかったこと
 (5)全電源喪失を想定しなかったこと
7 危機管理措置の失敗
 (1)政府主導の指揮系統の機能障害
 (2)東京電力の実力の範囲内での事故対応
 (3)圧力容器・格納容器破壊のあとの対策を考えなかったこと
 (4)住民被曝対策の機能障害
 (5)有効な防災計画がなかったこと
8 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
9 歴史的分水嶺としての福島原発事故

((参考 2))

反原発運動の弁護にかかわってきた弁護士・海渡雄一が掲げる、過去三十年の裁判のなかで原告側が指摘してきた、かつ、何一つ解決されていない原発の問題点を列記しておく。政府・事故調および民間・事故調のいずれもが無視している<原発の本質的問題点>である。

以下引用。p.ivから。

当時、原子力開発について問題点として指摘されていたことを列挙してみよう。
● 潜在的な危険性があまりに大きく、重大事故は人々の健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす可能性がある。
● 被曝労働という命を削るような労働が、とりわけ下請け労働者に強いられ、労働そのものの中に差別的構造を内包している。
● 平常時であっても、一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害を引き起こす可能性がある。
● 放射能廃棄物の処分の見通しが立っていない。
● 核燃料サイクルの要とされるプルトニウムはあまりにも毒性が強く、またその利用は核兵器開発の拡散をもたらす。
● 原子力発電を進めるために、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われてしまう危険性がある。
(岩波新書、新刊『原発訴訟』 2011年/11月、海渡雄一著)

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