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ジョルジュ・アガンベンと藤波心 原発事故から何を学ぶか [東日本大震災]

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イタリアの哲学者Giorgio Agamben ジョルジョ・アガンベン(69歳、ローマ)が毎日新聞(ローマ支局、藤原記者)のインタビューに応じている(3月24日朝刊)。Key Person Interview

アガンベンの発言からいくつかを拾ってみる。

- 映画監督アンゲロプロスは、経済という独裁者が社会生活の細部まで入り込んでいると指摘したが、これに感銘を受けた。資本主義に支配されている現実をよく知る必要がある。 資本主義は経済思想というよりも一つの宗教だ。しかも、只の宗教ではなく、より強く、冷たく、非合理で、息の詰まる宗教だ。

- 要は、経済成長か、それによって失われる可能性のある人間性か、どちらを選ぶかだ。資本主義がみているのは世界の変容ではなく破壊だ。というのも、資本主義は「無限の成長」という考えで指揮を執るが、これは合理的に観てあり得ないし、愚かなことだからだ。

- (ギリシャ、イタリアの債務危機について) 一連の危機は今の資本主義世界の普通の状態に過ぎなかったと思い出されるだろう。今回の危機は(ギリシャ政府による)「クレジット」(信託)の操作から始まった。それまでクレジットは元値の10倍、15倍の値で売られていた。銀行はクレジット、つまり、人間の信用、進行を操り、ゲームを楽しんだ。宗教=資本主義=銀行=クレジット=信仰---というたとえは現実なのだ。銀行が世界を支配し、人々にクレジットを持たせ、それで払わせようとする。

- 格付け会社は国のクレジットまで作った。国家には本来、主権があるはずなのに、「財政」という言葉で第三者がそれを一方的に評価する。資本主義の非合理を示す特徴である。「人間性のアメリカ化」が生まれつつあるようにおもう。アメリカは歴史が浅く、過去と対峙しない国だ。そして資本主義という宗教の力がとても強い。問題は、過去を顧みない人間のあり方、つまり「アメリカ化」に意義があるのか、それこそが来るべき未来なのか、それとも別の道があるのかということだ。なぜなら、(未来への)扉を開くには、別の道がなくてはならないからだ。

(福島について)
- かなり大きな衝撃だった。ひどく心を乱した。日本についての私のイメージが変わった。広島・長崎を経験した日本がまさか50基以上も原発を持っていたとは知らなかった。被爆国日本が何故このような原発国になったというのは謎だ。

- 明るみに出たのは、資本主義を率いてきた人々の思慮の無さだ。それが国を破壊するということでさえ、日常のことのように思う感覚をもたらしたのだろう。

(原子力の平和利用、という言葉で自分たちを欺いてきた。。)
- そうだ。だが過ちだったのだ。そこにも、まさに資本主義宗教の非合理性が見える。国土がさほど大きくない国に50基もの原子炉を築いてきたという行為は、国を壊す危険を冒しているのだから。

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反原発団体の発言と行動には耳を閉ざしている毎日新聞社も、海外のワールドクラスの思想家の言うことには耳をかたぶけるか?耳

アガンベンより過激、直裁に藤波心は発言している。カラオケ
http://www.youtube.com/watch?v=gcobOWE3OLk

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サリンを撒いて十人殺した集団には軒並み死刑判決を下す国、原発建設阻止の訴えを半世紀に渡り退けてきた裁判所を有する国、放射性汚染物質をばらまいて国を滅ぼし、地球を汚染した集団に、死刑、逮捕、はおろか、強制捜査も行わない国。国家を破滅の危機に陥れた後も、ゴーマン発言を続ける汚染企業とこの企業と結託している労組。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31984


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