SSブログ

崩壊感覚 [東日本大震災]

2011年7月3日(日) 午後9時00分~9時49分
NHK総合テレビ

シリーズ原発危機 第2回
広がる放射能汚染

原発事故からまもなく4ヶ月。未だに事態収束の見通しがつかない中、原発から300キロメートル以上離れた静岡県でお茶から基準値以上の放射性物質が検出されるなど、福島県だけでなく、首都圏をふくめた広い地域で汚染への不安が広がっている。
そこで番組では、放出された放射性物質の量をもとにした拡散シミュレーションをもとに、汚染の実態を独自に調査、高いレベルの汚染地帯=ホットスポットが生まれるメカニズムを解明する。また、福島で行われている子供たちの被ばく量を減らすための取り組みや、食品の検査体制の課題を取材、東日本に広がってしまった放射性物質による汚染に、私たちは、どう立ち向かっていけばよいかを探っていく。

国家の体をなしていないニッポン。このことを国民に知らせている番組、といってよいか。NHKが5月に放映した番組に続いて(ニッポンの中央、地方の行政府はこの番組を観ているはずである)、行政が放射能汚染され続ける列島と住民になんの対策も提示しないし、専門家も政府に提言するでもなくほったらかし、ほんの一部の地区の汚染を粛々と測定している、という情況。

ETV 「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月」
 http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2011-05-17

 

311以後、福島原発からは放射能汚染物が気象条件(風、と雨)に基づいて列島に、あるいは地球をめぐって他の大陸に飛散し続けている。気象条件に県境も国境もありはしない。すでに関東でも高度の汚染にサラされている地域がある、ということが主として民間人の測定によりあきらかにされている。おどろくべきは行政府が全く無対応ということ。測定値はHPに掲げているのかもシレナイが、必要な対策、住民への指示を何ら示さない。現在のニッポンは戦争情況といってもよい。敵軍はいないが、核ミサイルが日本の某市に被弾したあと、中央・地方行政府はどういう対策を取るのだろうか?まったく無策ではないか、ということを十分に予想させる(核ミサイル被弾など、想定外のことなのだろうか。であれば有事対策の軍事予算など即刻削れ)。自衛隊を含め、である。津波後の死体捜し、瓦礫処理、で作業が終了したのか?放射能汚染との<戦争>はこれからが本番である。

関東の各市町村当局は測定グループを組織し、連日、市町村をくまなく巡って汚染度を調査する。これは当然のことではないか?誰かに言われなければやらないのか?測定装置(ガイガーカウンター)は政府が一括して買い上げ市町村当局に配布する、品不足であるなら、海外に緊急手配する。当然取るべき施策である(すでに、海外から測定装置が数万台日本に到着しているが政府は配布しようとしない、というウワサもある)。

汚染物を排出しているのはトーデン施設である。企業がまともな感覚をもっているのならば2万人の職員を営業地域=関東に配しているトーデンが、営業区域の汚染度の測定と住民あるいは行政府への周知を自主的に行うべきものだ。やろうとしないし、やれ、と指示もしない。

崩壊しているのは原発だけではない、ニッポンジンの倫理感覚である。

とくに<科学者>と呼ばれる人々の無倫理は目に余る。原発を積極的に推進しなければ無罪放免というわけではない。ノーベル賞狙い、論文評価対象の研究でなく、国民の生活を守る研究、知見から発する政府への提言をしなくて何のための科学か。科学者は何のために存在するのか。

チェルノブイリ事故では、発生後、1週間でソ連政府は石棺処理を決定し作業を開始した。バスを1000台以上急遽手配して住民を一斉に域外避難させた。事故の規模と程度はチェルノブイリよりはるかに低い、といわれる(ただし、今後の展開によってはどうなるかわからない。三基がメルトダウンを起こしているのだ)が、それは単なる偶然である。フクシマ事故がチェルノブイリ規模であった場合、日本政府はどういう対応を取ったか、を考えると寒くなる。ソ連政府に事故後の対策を強く提言したのはソ連科学者であるはずである。宇宙ステーションを何年も維持できる実力を持つ国(の科学者、と技術力)と、ノーベル賞狙いにうつつを抜かす国の差だろうか。

先進国で原発事故が起こったとしよう。公共放送みずから、ほんの一部地域の、しかも短期間の、汚染を調査し番組で結果を公表する。行政府になんの施策も要請しない。こういう国は日本だけだろう。昭和20年、原爆投下直後に日本人科学者が行った原爆調査とまったく同様の被災民の放置。あきれてしまう。

封印された原爆報告書
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2010-08-10

同日放映されたETV番組でも第五福竜丸で被曝した大石さんが訴えたのもこのことだ。第五福竜丸で水爆被曝した乗船員は、入院していた病院からある日突然追放された。。その日、政府は米国と水爆に関する責任問題を米国に対し追求しない、という政治決着を行ったのだ。戦争責任であれ、製造責任であれ、企業と政治屋、それに、学者、は何の責任も取らない。戦後、いや、戦中から一貫している日本の指導者、専門家のDNAである。

ETV
2011年7月3日(日) 夜10時
大江健三郎 大石又七
核をめぐる対話広島・長崎、ビキニ。
作家、大江健三郎は、核と日本人の問題を考え続けてきた。そして福島原発事故が起こったいま、大江は、核兵器の抑止力という幻想と原発の安全性という神話が重なり合って見えると語る。その大江の希望で、去る5月11日、東京夢の島に展示された第五福竜丸の船上で、一つの対談が行われた。相手は、大石又七。1954年3月1日、ビキニ沖をマグロ漁船、第五福竜丸で航行中にアメリカの水爆実験に遭遇、“死の灰”を浴びて被ばくした。当時、大石は二十歳の誕生日を迎えたばかりだった。周囲の偏見、無理解に耐え切れず、東京に出た大石は、クリーニング店を営み、ひっそりと暮らしてきた。第一子の死産、被ばくした仲間たちの相次ぐ癌死。大石は、核に対する恐怖を胸中に抱え込んだまま沈黙を続けた。その背景には、冷戦下の核配備競争と、それと1セットの形で進められた核の平和利用の推進という時代の潮流があった。 大石が、核について発言を始めたは、80年代になってからである。夢の島に捨てられていた第五福竜丸が「発見」され、そこを訪ねた時、何かが大石を動かした。以来、大石は、中高生たちに被爆体験を今日に至るまで語り続けてきた。大江は、大石が、日本人と核という問題に最も真摯(しんし)に向き合い続けてきた一人と考えている。
広島・長崎から66年、ビキニ事件から57年。その間、日本人は核被害をよく思想化し得なかったのではないか。そのことと福島原発事故はつながっているのではないか。番組では、初めて会う二人が、歩んできた時代、核と人間について語り合う。

 

 2011年7月3日(日) 午後9時00分~9時49分
NHK総合テレビ

シリーズ原発危機 第2回 広がる放射能汚染

原発事故からまもなく4ヶ月。未だに事態収束の見通しがつかない中、原発から300キロメートル以上離れた静岡県でお茶から基準値以上の放射性物質が検出されるなど、福島県だけでなく、首都圏をふくめた広い地域で汚染への不安が広がっている。
そこで番組では、放出された放射性物質の量をもとにした拡散シミュレーションをもとに、汚染の実態を独自に調査、高いレベルの汚染地帯=ホットスポットが生まれるメカニズムを解明する。また、福島で行われている子供たちの被ばく量を減らすための取り組みや、食品の検査体制の課題を取材、東日本に広がってしまった放射性物質による汚染に、私たちは、どう立ち向かっていけばよいかを探っていく。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。