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立ちすくむケインズ学者 [Economics]

                              J.M. ケインズ

昨日から朝日新聞が 中身のないスカ記事ばかり(見出しだけはデカイ)、一面トップに打ち出している。インサイダー容疑。で、村上ファンド関連株が軒並みストップ安。

東証は恥ずかしくないのか?検察に踏み込まれなければ、悪徳ファンドを追放できないのか?できないのだろう。外資や証券会社などが違法スレスレをやり放題やっているのを許容してきたから何が正しく何がxなのかが分からなくなっている。一般投資家はたまったモンではない。

インサイダーかどうか、どういう売買をやったのか東証はつかんでいないのか?監督官庁はなにやってたん? そろいもそろってアンポンタン。

村上の側近には警察や証券出身の幹部が固めている、と。怪しいヤツばかりのそろい踏みってわけ。

本日6/3の朝日社説、タイトルは、「本当のことを知りたい」だと。なんのためにわれわれは新聞代を払っているんだ? 記者はなにをしていたの? 読者と一緒になって、ホントのことを知りたい、とノーテンキゆうてていいのか?(ならば、何も書かずに、ここを検索してください!と URLアドレスを示したら? ネットで毎朝、本日のリンク集を配信したらどう? NHKも同じ。要らない、のよ、もう。あんたたち)

##

最近の経済学部の学生は、
センセイ!手っ取り早く金を稼ぐにはどーしたらええんですか?と尋ねるそうだ。センセイは、猿からケ、を抜きなさい、と、ヒトコトアドバイス。

Monkey から k(け)を抜いてみな。 Money.

格差格差、といっているが、問題は、勤労者に対する所得移転の通年の絶対額が、l少なすぎることなのだ。何に対して少ないか?生命維持、つまり、人口維持=再生産、するだけの最低限がの賃金が通常の努力を払って働いても得られない、ということだ。安定的な人口維持、つまり、家族維持に必要な子供を産めない程度に少ない、ということだ。最低賃金制、という法律は確かにある。しかしこれは、終身雇用がくずれた現在で通用するものではない。中高年にいたるまでフリーターをやらせているツケが少子化や、若者にまで増えだした年間三万数千人の自殺者である()。企業は短期の利益をこれで出せるだろうが、長期には滅びへの道であることを悟るべき。つまり、国の崩壊。 

国民全体として、衣食住と教育と文化的生活を営み、将来のために再生するにたりる、安定的な経済環境、労働環境を 国が与えていない、ということ。それは国の責任でない、というのなら、さっさとその旨宣言し、相応の税金や公務員を削減し、それ以前に、文化的な生活の国民に対する保証を国の義務としている現憲法を変更しなければならない。

成果成果でしばりつけ、短期の成果が出ないと直ぐに配置転換、待遇改悪。職務能力はまったくみにつかず、労働者や家族の精神的安定も得られない。

「ケインズ以前のように、失業者を怠け者 idlemanとし、個人の責任とし、政策の対象外とする政治は復活しない」伊東光晴『現代に生きるケインズ』岩波新書

ケインズは 『自由放任の終焉』1926で次のように述べている:

「現代の最大の経済悪の多くは、危険と不確実と無知の所産である。富の甚だしい不平等が生ずるのは、境遇とか能力に恵まれている特定の個人が不確実性や無知につけ込んで利益を手に入れることができるからであり、また、同じ理由から、大きなビジネスも、たいていは当たるかはずれるかのようなものである。しかもこのような同じ諸要因が、労働者の失業や、あるいは合理的な事実上の破綻、効率と生産を損なう原因となっている。しかしその治療法は個人の手の届かないところにある」。

企業からの献金を求め、企業の利潤しか念頭にない政策のツケが現在のニッポンの惨状である。

ホリエモンには ITの技術はこれっぽっちもなかった。

伊東光晴の前記著書p41から。
「ケインズは経済効率を考える際に『技術的知識を必要とする』とも書いている。このことは、ある意味常識に過ぎない。企業の経営責任の任に当たる者は、当然優れた技術の合理的組み合わせ、競争各社の技術の状況、技術の発展の可能性と方向等にたえず注意を怠らない。しかし市場原理主義の経済学者で、技術的知識に関心を寄せている人はほとんどいない。いや、ほとんど何も知らないのである。

公益事業の料金の決定に際しても、現実の費用に切り込める技術的知識はほとんどの政策者にない」

NTTの債権問題。消費者から借り入れて自社の設備建設(ほんとかなあ?)に当てた金を、返さずに済む、という飛んでもないサギ。詐欺の額が多すぎると、見逃されるというモラルハザード。同じことをみんながやってイイのかい?そんなバカができるわけもない。独占事業としてNTT以外は参入を禁じられた規制産業だったのだ。規制を解いた時点、でこの債権は返却すべきもの、と計上しなければならないのに、その用意をしなかったし、国も学者も、そのような注意を喚起しなかった。そのツケを国民に背負わせているのだ。

ケインズは、経済学をmoral scienceと位置づけた。moral scienceであろうと、経験科学であろうと、眼前に減らない自殺者、減り続ける人口、の原因と対策を打ち出せねば、なにかが足りない、と見直すべきなのだ。経済現象は自然現象ではない。人間の労働が生み出す価値と価値分配と、その時間的な動向、期待、予測(投機)に起因する人為的現象である。そのメカニズムを定式化するのが経済学だ。その学問の最終成果物は現実的に取られる政策と、国民に授けられる厚生のレベルや指標によって厳密に測定、検証されるべきである。理論と、測定結果が一致しなければ、結果がまずいのではなく、理論もしくは政策がまずいのだ。

伊東の同書、結語:
「今日におけるケインズ再読の意味は何か。それは経済理論から政策まで多岐にわたる。しかし、そのいずれもが、現在の日本の金権主義的社会風潮への批判に連なっていることを忘れてはならない。ある者は法の隙間を利用し、ある者は違法を敢えてして、金を追及している。そのようなホモ・エコノミカスや株主主権のもとにグリーン・メイラー(会社を乗っ取るとおどして金銭をせしめる者)まがいの者を羨望視する風潮である。彼らの背後には、ケインズが『一般理論』の最後に書いたように「どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の知的奴隷であるのが普通である」ように、資源配分の合理性の名の下にホモ・エコノミカスを前提した経済学がある。これに反してアリストテレスがそうであったように、倫理学、道徳哲学を基礎に、それを実現する手段の学問としてのケインズ体系の真意は、こうした経済学への批判なのである」

たしかにケインズがいま生きていれば痛烈な警告や、真っ先に取るべき経済政策の一つや二つ、処方したかも知れない。しかし、現実、世界にいるのはぼんくら学者とぼんくら政策担当者だけ。学者は政府の奴隷となり果て、官僚の(つまりテメエラの同僚や、教え子だ)示す結論の与えられた審議会に陣笠委員として出席し、せっせとコヅカイ稼ぎに精を出す。伊東光晴はなにをしたか?月刊誌に論文を書いて政策批判をやったことを自慢しているだけである。

資本主義とは何か?資本主義世界のプレーヤ(企業と家計、銀行や取引所、市場調整監視機構としての政府具体的には経済官僚など)の、やっていいことと、やってはならないこと、やらねばならないこと、を明確に規定し、その遵守を監視し、警告し、違反した場合厳格に罰すること、はなんら、自由を阻害することではない。その逆である。規律と、保証のない、ただ権力のあるもののみもうかる仕組のなかでは主権者たる国民の安定した精神と生活は維持できないことはもちろん、資本主義自身をむしばむことになるのを、知るべきである。

アリストテレスもいいが彼の倫理学は、奴隷制を前提とした貴族倫理学にしかすぎない。現在の問題は現在の人間が解決しなければならない。解決できないのであれば、国外脱出のすすめ(どこへ逃げればいいの?)、あるいは「自殺の勧め」でも書いたらどうか?

明治の指導者はどんなにアホであっても、現在の政治屋官僚、学者ほどのテイタラクヲ、を示していなかったのではないか、と、つい馬鹿なため息の一つや二つ、出るってもんじゃござんせんか?すくなくとも、 ネーションをいかにmanage to surviveするか、という観念が日夜、脳裏を離れることの無かった政治家、思想家、時論家、宗教家、ジャーナリストが何人もいたはずである。 国民でさえ心配している、国家財政破綻をまったくおもい煩うこともなく、おのれの利権にしか眼中にない政治屋や官僚らは、時代が時代でありせば愛国者の手によって抹殺されていたろう。非国民、あるいは、国賊、として。 反テロリスト法案、共謀罪の成立にヤッキになる米国や日本の政治屋官僚の恐怖の根源もわかろうというもの。平和な、いい時代になったもんだ。


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滴水

もう一から十まで同意します。ただ自分が書きたいあるいは書くであろうことをスパッと書かれると、どういうのでしょう、なんとなく半畳入れたくなります(^^;)。
明治のリーダーたちは偉かったと思いますが、やはり「危機感の続く間」だったのではないか、と。
薄氷を踏むような「成果」(あえて「勝利」とは書きません)をあげた日露戦争までしか、その危機感は続かなかった。司馬史観なるものをほとんど評価しませんが、あの小説の題名には拍手したいと思います。「坂の上の雲」。
登り詰めたと思うと、この国のヒトのほとんどは「終わってしまう」んですね。身近なところでは「我が社」にゴロゴロその例がありますし、ここ何年かの状勢がそんな感じです。
ですから、「危機感」がかなり広範に、かつ深刻にならない限り、伊東(伊藤ではなかったと思う)光晴のようなヒトも、我々も「ダメだよ、バカだよ、タイヘンだよ」と言うに留まるのでしょう。
基本的に農耕民なのかもしれませんね。喰えてる間はオッケーなんですよ。
そうは言っても、コイズミに誑かされてしまう、この鈍感さには我慢がなりませんがね。
by 滴水 (2006-06-03 09:23) 

古井戸

ども。お久しぶりです。伊藤ー>伊東、でしたね。伊藤博文のオッチャンと勘違いかも。。

司馬史観なるものをほとんど評価。。。

わたしももちろん、しないけれども、せめて、史観に登場するオレキレキ
ほどの教養気位、はもったらどうか?ステップ1として。

だいぶ、目標を下げているのであります。やっぱり、この国のカタチ、がないとね。しゃくだが。
by 古井戸 (2006-06-03 09:40) 

滴水

> 史観に登場するオレキレキほどの教養気位、はもったらどうか?ステップ1として。
同感です。彼らは江戸時代末期の「武士」の空気を吸って、危機感の中で自分を鍛錬しましたからね。
”discipline”は大切なんでしょう。それができていないんですな、わたし自身を含めて。
教育基本法を語るとき、「教育勅語」までしか視程が及ばない。
はっきり言って教育勅語が育てた人々を見れば、あれじゃ足りない、ダメだって、分かるでしょうに。
(どうも話がドリフターズして来ちゃった^^;)
by 滴水 (2006-06-03 09:52) 

古井戸

政治学者の故(だよね)高坂が、Constitution は この国のカタチ(司馬の)とやくしたほうがいい、と言っていたそうです。

憲法以前、の 常識、に全く欠けるところがありますね。Common Senseなきところに 書き物としての法があってもしょうがない。
なんだか、一周も二周も 現代じゃなく、近代のグローバルスタンダードに遅れている、という気がします。
by 古井戸 (2006-06-03 10:06) 

古井戸

韓国には悪いが、明治維新当時の、 清国 -- 韓国、のモデルを、現在、
米国 -- ニッポン が再演している感じ。

すると、当時の、脱亜論、は 脱ニッポン論、になるのか?(もーすぐ、だね。世界が逃げ出す)

まあ、わたしもあと数十年で 脱<この世>だから、どーでもいい話だが。
by 古井戸 (2006-06-03 10:11) 

滴水

的確だ、さすが高坂正堯ですな。・・・中西輝政はその弟子だろうに、どうしてあんなバカなんだろ・・・。
基礎的な Common Sense を欠いている。そして(最近隠れたはやり言葉になっている?)principle なしに、あらゆることに手を出す。最悪ですね。
「再チャレンジ議連」なんか、まさに「オレは弥縫策しか考えられぬ」と宣言しているに等しいんですから、嗤っちゃいません?
by 滴水 (2006-06-03 10:20) 

滴水

古井戸先生に質問。
(自分のコメントに固着してのことで恥ずかしいんですが)
discipline
principle
のなかに”cipl”ってあるんですけど、これ、共通の「思想」、ありますか?

「清国-韓国(朝鮮と書くべきか、と)」=「米国-ニッポン」、どこかで使わせていただきます。
by 滴水 (2006-06-03 10:30) 

古井戸

> 中西輝政はその弟子だろうに、どうしてあんなバカなんだろ・・・。

顔が悪いからでしょう。というか、バカだから顔が悪くなったのか。
高坂がそれほどのもんか?とおもいますが。

高坂の↑のことばは、いま図書館から借りている。。

文明史のなかの明治憲法―この国のかたちと西洋体験 講談社選書メチエ
滝井 一博 (著)

のなかで著者が冒頭で引用しています。どうも、「憲法」というのを 誤解しているふし、がある、と。 この本、わりとおもしろいです。

ああ。。立花の『天皇と東大』を読まねば。。アタマ痛い。
by 古井戸 (2006-06-03 10:33) 

古井戸

discipline
principle

あると思います。cip = take だと。。ちょっと語源事典でしらべます。

dis-ciple の cip = capere 取る、略奪。 あるいは docere=teachと言う説も。
キリストの12弟子を 12 diciplesといいますね。

principle = prince <-- Prime + Capere = 最初に取る

。。で私の予想はかなり当たっておった(自己満足、いいます)。
by 古井戸 (2006-06-03 11:16) 

Kelso

はじめまして,
すごい知的な内容でびっくりしました.
いろいろと難しい議論がかかれていて,
基本的には,少子化,財政破綻,政治不信,学者批判
という世間一般にある議論というか,不満ということなのでしょうか.
バカな僕には,全体像が理解し切れませんでしたが,いくつか
気になった点をコメントさせてください.
もちろんブログの趣旨に沿わなければ削除してください.

「理論と、測定結果が一致しなければ、結果がまずいのではなく、理論もしくは政策がまずいのだ。」

もう一つありますね.「測定」自体にもたくさんの問題があります.
まずは指標の問題.GDPや物価ですら指標でしかありません.
GDPもその測り方が重要になりますし,国によっても若干定義や
作成方法が異なります.物価指数も,GDPデフレータを使うか,
CPIを使うかで双方ともにバイアスがある.
それにジニ係数やタイル指数,エントロピーも不平等の指標ですが,それぞれに特徴がある.
指標を使うことは,様々な特徴を一つの数字で表すわけですから,
これ自体を疑ってかかる必要もあります.
さらには,指標の元となる統計をどのように測るのかという問題もある.
サンプリングなのか?全数調査なのか?アンケートなのか?
サンプリング・バイアスはないのか?アンケートの質問表はどのようなものか?
などです.

また理論を統計から検証するのにも,統計学を利用します.
この際には統計的検定を用いることになりますが,これも積極的に
仮説を指示できるような検定ではありません.
たとえば有意水準を設定したときに,有意水準で統計的に有意に
帰無仮説を棄却する,とか棄却できないという表現になります.

いろいろと述べて見ましたが,社会科学は実証科学でして,
実験科学にはなりにくい学問です.そのため同じデータを同じ条件で再現するような
実験を行うことは現実的には不可能です.
(もちろん実験経済学という試みもあります.)
そのため,経済学はさまざまな理論に対して,あまり安定的な答えを
出せていない現状があります.

ここが一つ問題であると僕は思っていまして,
測定結果が悪いことに対して,いくつもの言い訳の余地が残されているんですね.
だから理論や政策を覆すよりも,なんとか結果がでるように
恣意的に試行錯誤する余地を残してしまう.
役所の書く白書などを見ても,まず結論ありきでデータを集めて
それを指示するグラフを表示する.
マスコミも似たようなもので,結論ありきで取材して,なんとかして
結論を指示するような証言や現象だけを編集して取り扱う.


それともう一つ,
「国民に授けられる厚生のレベルや指標によって厳密に測定、検証されるべきである」

についてです.
周知のように,経済学にはロールズやセンなどで有名な公共選択という議論があります.
これもまた指標になりますが,厚生として何を用いるべきかという議論です.
功利主義的な「最大多数の最大幸福」が良いのか,それとも
ロールズ基準が良いのかと言った問題です.
そういう意味で,様々な問題を含んでいるため,引用部分は一見もっともですが,
そう簡単に「されるべき」とは言えない問題だと思います.
by Kelso (2006-06-08 16:14) 

古井戸

大変知的なコメントを感謝します。

>基本的には,少子化,財政破綻,政治不信,学者批判、という世間一般にある議論というか,不満ということなのでしょうか.

中学高校生にも理解でき、世間一般にある通俗的な批判と考えて頂いて結構です。 ごますりにしても、「スゴイ知的な内容でビックリ」とおっしゃるのでビックリしました。

高尚な理論を持っているはずのアカデミやデータを持っているはずの政府や官僚には無視されている、問題ということですね。

>指標を使うことは,様々な特徴を一つの数字で表すわけですから,これ自体を疑ってかかる必要もあります.

疑うような指標なら最初から使わない方がいいわけで、要は指標の 特長と欠点を知っておけばいいのではないでしょうか?おけばいい、ではなく、指標が万全でないのは当然のことです。しかし、全く意味のない指標なら使わなければいいのです。 

私の言いたいのは、たとえば、わかりやすい自殺統計にしても自殺の定義は簡単ではない、ということと、自殺統計が意味のないものとはいえないことです。(担当役所によって数が異なる。警察 vs厚生省) しかし、どのような定義を使ったとしても、 10年間に全く減らないのは政策がまずい、ということです。
もちろん、まずくない、これでいいのだ、という意見もありえます。まずい、というのなら政策に反映しろ、ということ。数が減らないのなら、政策がまずい、ということです。 難しい議論ではありません。

> これもまた指標になりますが,厚生として何を用いるべきかという議論です.功利主義的な「最大多数の最大幸福」が良いのか,それともロールズ基準が良いのかと言った問題です.
そういう意味で,様々な問題を含んでいるため,引用部分は一見もっともですが,そう簡単に「されるべき」とは言えない問題だと思います.

何を用いるべきかというのは、専門家にお任せします。
どんな基準をとるかもおまかせします。

しかし、いったん、とるべき施策と、それを支える理論(もちろん、自然科学とは異なります。その時点で妥当と思われる政策科学のおしえる因果関係にのっっとった理論に基づいた、と言う意味。そういう経験的+理論的裏付けがないのに政策は立て得ません)
しかし、何を用いたにせよ、それを 厳密に測定すべきである、のは当然のことです。 「べき」(must)と、言えないような指標を測定したり、政策に反映できない、かつ、政策の結果が適当であったのか、そうでないのか判定できないようなことに金や人を使うのは無駄です。(判定したくないということはあり得ましょう)

もちろん、理論と政策に通じた専門家が日本にはいないらしい、というのは十分、同情に値することだとはおもいます。

●なにをやっても自殺は、減らない。
●少子化の傾向に有効な対策はない
●日本の借金は減らない、現状の借金額は妥当なものである。
こういう命題が正しい、ということを証明できたらそれはそれで大変な理論的貢献です。

なお、ブログに対するコメントを削除したことは一度もありませんし、削除するつもりもありません。その程度は、過去の記事と、コメントをみられればおわかりになります。(もちろん、社会常識に外れた発言は別ですが)
by 古井戸 (2006-06-08 18:03) 

Kelso

お返事ありがとうございます.少し長くなってしまいました.スペース節約のため,全ての文章を引用したわけではないため,もし引用の仕方で本来の意図と外れることがあれば,指摘してください.

>高尚な理論を持っているはずのアカデミやデータを持っているはずの政府や官僚には無視されている、問題ということですね。

政治家は知りませんが,学者も官僚も決して無視してはいないと思います.経済学だと財政については財政学が,少子化や自殺の問題については労働経済学がカバーしているところだと思いますが,アカデミも役所においても,無視せず分析しています.
ただし,有効な政策を提案できているかという問題,
また仮に有効な政策でも,実現可能なのかという問題,
さらにそれが政治過程を通じて実現できているかという問題
については,現状を見る限り,どの段階でもうまく言ってない感じですね.敢えて言えば,現在の若年階層にとって労働環境が厳しくなっていることが一因ですから,景気の回復が遠回りでありつつ,有効な対策に思えます.しかし景気対策は財源,公共投資の無駄遣いといった別の問題から,風当たりが強いですね.

指標については,全く意味の無い指標を使わないことには賛成です.もちろん使われている指標に意味が無いとはいっていなくて,今の自殺の問題についても数が減らないという事実は正しいと思います.ただし,役所やマスコミが提示した指標を鵜呑みにすることはできないという意味でコメントしました.
ただし,闇雲に「政策に反映しろ」という議論には賛成しかねます.役所というのは,やれやれと言われれば,「やっている」と答えるに足るだけのいくつものもっともらしい政策をやっているのが通例です.そうすることで,
「あれもやってます,これもやってます.」
と,言い訳をできてしまうんですね.これもいろいろなところから「やれ」と言われると
「その様にやっています.しかし効果がないんです」
という言い訳をするためにしているわけです.
財政の破綻を批判するからには,無意味な政策をさせることも抑制すべきであって,政策が駄目という議論だけでは,無意味な政策を増やすだけになってしまうでしょう.必要なのは,具体的に効果のある政策を提案することなんだと思います.そして,学者も役所も中には真剣に取り組んでいる人がいますが,それが難しいこともお分かりになると思います.しかしこういうのは言い訳でしかありませんね.といっても,僕は学者でも役人でもないので,代弁しているわけではないです.
思うに,有効な対策があるのに,その対策を行っていないのであれば批判の対象となると思います.
しかし,実際問題としは,何が有効な対策であるかすらわかってないのだと思います.その意味で,学者は「研究中」ということになり,役所や政治家は「取り組んでいることをアピールするだけ」になってしまうのではないでしょうか.

個人的な意見を書けば,インセンティヴが重要だと思います.
自殺するような直接のインセンティヴもそうですが,そこまでにいたってしまう経過において当事者の行動に影響するようなインセンティヴ構造をきちんと分析する必要があると思います.そして,有効な政策とはそうしたインセンティヴに沿った政策であると考えます.
少子化問題についても同様です.
少子化とは反対の例になってしまいますが,途上国の開発政策としては人口の抑制が良く言われます.そして以前にコンドームを配るという政策が取られたことがあります.しかしこの政策は効果がありませんでした.コンドームが手に入らないから人口が増えているのではないからです.コンドームよりも子供を育てることの方がよほど高いわけで,そんな安いコンドームが買えないから子供が生まれてしまうということはありえなかったわけです.こうしたインセンティヴに沿わない政策は効果がないわけです.
そして,どのようなインセンティヴ構造があるのか,これを研究・解明してこそ政策に意味がでるのだと思います.ただし,当然ながらこうした分析は容易に答えが得られるものではなく,仮に研究結果があったとしても,コンセンサスを得られず,研究されていない印象を与えてしまうことはあるのだと思います.まあ,これも言い訳にしか聞こえませんね.

>何を用いるべきかというのは、専門家にお任せします。
>どんな基準をとるかもおまかせします。

どの指標を取るか,どの基準を取るか,むしろ,この点をきちんと議論することからスタートする必要があるのだと思います.こうしたナイーブな議論こそ本当は国民が参加していく問題なのではないでしょうか?



「べきである」というのは当然ですね.しかし言うのは簡単ですが,実現するのは難しい.世の中の問題の多くは,正しいことはわかっていても,実現するのが難しいから実現していないのでして,これを「べきである」で片付けてしまっては,あまり建設的とは言えないのではないでしょうか?
結果の判定も「政策のコスト・ベネフィット」をどのように測るのかという問題になります.そしてベネフィットを誰のベネフィットにするか,どれだけウェイトを付けるかという,公共選択の問題もある.そこに恣意性が入ればむしろ役所に言いように使われてしまうでしょう.あたかも金や人を使うのが無駄でないかのように利用されてしまうでしょう.専門化がどのように厳密にやろうとも,悪用されてしまっては終わりです.規範を述べるのは簡単ですが,それを実現させるシステムを制約条件付で実現するのは非常に難しいことですね.
こうすべきと言われれば,「金さえあれば実現できます」という答えになり,そりゃ金さえあれば,財政問題から何から,ほとんど全部解決してしまうでしょう.もちろん自殺の問題はナイーブですから,誤解を生まないようにフォローを入れておけば,金で解決するという意味ではなく,自殺を予防するようなパトロールや監視を増やすという強権的な手法にでればある程度の抑制は可能という意味で,解決するということです.

>もちろん、理論と政策に通じた専門家が日本にはいないらしい、というのは十分、同情に値することだとはおもいます。

本当にいないのであれば同情に値するところなのでしょうが,この場合は日本に住む人間としては,同情ではなくて,当事者として悲しむということになるでしょうか.そうはいっても,本当にいないとは思えません.しかしいたとしても,わかりやすいことしか興味を示さないマスコミは取り上げず,役所の言うことしか聞かない政治家には耳にも入らないかもしれません.

>●なにをやっても自殺は、減らない。
>●少子化の傾向に有効な対策はない
>●日本の借金は減らない、現状の借金額は妥当なものである。
>こういう命題が正しい、ということを証明できたらそれはそれで大変な理論的貢献です。

どの問題についても,強権的な政策を行えば,影響を与えることは可能でしょう.
問題なのは,財源も含めた政策の実現可能性,さらに政治的な実現可能性を考慮する必要があるということですよね.強行になんでもやって良ければ,政府も困ることは無いのでしょうが,たいていの問題は制約付で考える必要がありますね.
ちなみにすでに御存知かと思いますが,「ドーマー命題」という良く知られた命題があります.利子率を名目GDPの成長率が上まわれば、プライマリーバランスがどうであっても,国債の新規発行分と名目GDPとの比率はある一定の値に収束します。逆の場合は発散します。この命題に従えば,重要なのはプライマリーバランスの改善よりも、名目利子率と名目GDP成長率の大小関係ということになります.

>なお、ブログに対するコメントを削除したことは一度もありませんし、削除するつもりもありません。その程度は、過去の記事と、コメントをみられればおわかりになります。(もちろん、社会常識に外れた発言は別ですが)

削除された履歴を見ることはできないと思いますので,その程度であっても,わかりかねます.もちろん想像で判断することはできた思いますので,そこは僕の想像力の無さが出てしまいました.
by Kelso (2006-06-08 21:17) 

古井戸

このコメントを読んで、私の最初の記事の、何がご不満なのか見えてきませんね。あとで逐一反論したいと(わたしの能力でできるところは)とおもいますが。
日本の現状で何が問題か、ということですが、憲法とか教育基本法、共謀罪などは価値観により意見が大きく別れるから、私の個人的な意見として別記事で論じています。ここでは、少子化、自殺者、国の借金の指標について多少の誤差はあっても <少なすぎる><多すぎる>という意見の一致を見ている、とおもっています。( いいや、妥当である、というならそう主張する仕方はあるでしょうし、述べたように、納得できる主張であれば、貢献度大、です)。
で、異常な値である、とした場合、この傾向を<改善>する必要がある、ということです。国の借金は問題だ大きすぎて私の手に余るので(だから、ああしろこうしろ、と記事でも論じていません。しかし、専門家ならば こういう施策を採れば、今後借金は、どういうカーブを描いて減るだろう、としめせばいいわけでう。あるいはもうダメ、国はいずれ破綻する、というのであれば、その覚悟(IMF管理下にはいる、とか)を示さねばなりません。わたしは、ある日突発的に預金凍結、などのプランが発出され、管理経済になる、と考えています。悪夢ですが)を促さなければなりません(不可能です)。

少子化と自殺については、大いに関連しているとおもいます。記事で述べているように、富の偏在が有りすぎます。若年者から中年にいたるまで、所得が少なすぎると言うことです。一方でこの15年預金に対する利子はゼロ、です。銀行や一部の企業やサラ金がボロ儲けをし、若年から中年に預貯金も許さない、という現状で少子化が減るわけもないし、自殺が減るわけもない、とおもいます。何度も言っているように、差別化、というのはごまかし、であり、貧困化です問題は。賃金が低すぎるのです(フリーター化)。それで企業を潤したところで、景気が回復したとか、失業者率が減ったと言って喜んでいていいのか?ということです。あとでしっぺ返しが来るでしょう、と何度も記事に書いています。

ならば、 対抗策をだしてみよ、とおっしゃいますか?それは専門家と官僚の役割ではないですか。そのために給与を税金からもらっているのだから。マクロとしての指標の改善が見られない場合、それに対して抗議し、不満を述べるのは国民の義務だと思っています。それを冷やかしたりするのは言語道断だと、私は考えているから、今後も 不満記事を何度も掲載します。

>ただし,有効な政策を提案できているかという問題,
また仮に有効な政策でも,実現可能なのかという問題,
さらにそれが政治過程を通じて実現できているかという問題

これが努力の結果そうであるならば、国民も受け入れざるを得ません。あなたが最善の努力の結果である、とおっしゃるなら、それでオシマイです。つまり、耐えるしかないわけです(耐えろ、ということを国民に説得する必要があります。しかし、これまでの取ってきた政策に失敗はなかったのか、ということは記録しておくべきですね。子孫のために)。最悪、国の経済は崩壊する、IMFの管理下に入ることも考えて、いろんな準備をして起きなさい、と政府は言わなくても、国民は覚悟を決める必要があります。

つぎ。
>何を用いるべきかというのは、専門家にお任せします。
>どんな基準をとるかもおまかせします。

どの指標を取るか,どの基準を取るか,むしろ,この点をきちんと議論することからスタートする必要があるのだと思います.こうしたナイーブな議論こそ本当は国民が参加していく問題なのではないでしょうか?

なにをおっしゃりたいのかよく分かりません。 ナイーブ、ではなく、専門的、ということではありませんか?あるいは、既得利権層(企業、端的に言えば銀行など)からの所得移転を 意志決定機関がやりたがらない、ということではありませんか? 国民はおのおのの業種で働いているのであり、<政策決定>で飯を食っているものの責任(無責任、不作為)を国民のせいにするのは感心できません。

>どの問題についても,強権的な政策を行えば,影響を与えることは可能でしょう。

ならば、そういう強権的な方法をとればいいではないですか。もちろん、そういいう強権的な手段しか執るべき道はない、ということを納得する仕方で示せばいいのです。近い将来の破綻、よりはマシでしょう。(あるいは破綻のほうがまし、しばらく生活を楽しみたい、という異論もありえます)

いずれ、もっとひどい強権政策をとらなければならない、と国民は予感しつつあります。心配することはないでしょう。

強権的な方策でないと(たとえば、消費税、20%)、国の財政の将来は破綻する、というのであれば、学者や官庁エコノミスト、官僚等はその旨説明する必要があります。かつ、なぜそうなったかを報告する必要があります(日本ではなにごとにつけ 報告、というのが無いのです。たとえばイラクへの自衛隊派遣政策にともなう 収支決算、つまりバランスシートを公開する用意があるでしょうか?毎日自衛隊は何をやっているのかいないのか、を報告する義務が政府にはあります。マスコミや国民はこれを要求するのが当然とおもいます)。報告がなければ、詰まり過去の政策とその結果を示し、政策の想定した理論の妥当性を検証する必要があります(実験できないかわりに、実際の政策と結果から、理論の修正、次の政策の策定はできます)。

>,「ドーマー命題」という良く知られた命題があります

わたしは知りませんので、コメントできません。

> 削除された履歴を見ることはできないと思いますので,その程度であっても,わかりかねます.もちろん想像で判断することはできた思いますので,そこは僕の想像力の無さが出てしまいました.

たしかに、おっしゃるとおりでした。記憶の範囲で言えば、スパムコメントとスパムTBだけですね、削除しているのは(毎日の定例作業です)。 わたしは、自分の知見を高めようとは思っていますが恥をかくのは恐れていません。厳しいコメントがきて、それに納得すれば従います。読んでいてくださる読者が有ればその方々にとってもそれが有益な情報になるでしょう。

コメントありがとう御座いました
by 古井戸 (2006-06-08 23:27) 

古井戸

Kelso さんへ。

福沢諭吉に関する記事で平山さんからコメントをたくさんいただいたとき、本文記事にコメントをコピーして、読者の方から見やすくしました(このブログのコメントは目に触れにくいので)。もしご希望なら、長文になるかもしれないが、コメントとその応答をいつでも本文記事にコピーしますので、そう、おっしゃってください。
by 古井戸 (2006-06-08 23:33) 

Kelso

コメントありがとうございます.

取り扱うトピックがいくつかあり,僕の処理能力の至らなさから,
以下の内容が少し前後して,いまいちまとまりが悪くなってしまったかもしれません.
ちょっと言い訳になってしまい恐縮ですが,あらかじめお詫びして置きます.

問題を指摘しつつ,議論を進めて見ます.

最初の投稿ではないのですが,
「専門的なところは,おまかせ」と言ってしまうあたりに問題があると思います.
お任せできるんであれば,何も不満を述べなくとも,全部おまかせで良いと思ってしまうのです.
お任せできないから不満を述べているのではないでしょうか?

もちろん,僕自身も専門化ではありません.しかし,少なくともその分野についてなにか不満を述べる際には,ある程度は専門的な内容をフォローして,その上でどこが問題なのかを議論します.
財政についても,いろいろと調べておられるのかと思いましたが,ドーマーの基準は知らないとのことでした.もちろん僕にも知らないことはたくさんありますから,知らないこと自体は全く問題ではありません.
しかし,「わたしは知りませんので、コメントできません。
」とあるように,知らないことを調べる姿勢も感じられませんでした.
後者の方は問題があると考えます.このような形で不満を述べても建設的な議論はできないように思います.知りません,コメントできませんというのであれば,極端な場合には財政の問題もはじめからコメントしないということにもなりうるのではないでしょうか?

例えば,官僚が国の債務の説明責任として(悪く言えば言い訳として),仮に「ドーマーの命題」を持ち出したとき,
「専門化にお任せします.」
「知りません.」
と言ってしまっては,そもそも何に対して不満だったのか意味がわかりません.
「ただなんでもいいから,とにかく不満なんです」
と言っているように聞こえてしまいます.
官僚が専門化を利用して,言い訳を考えたときにも対応するには,僕らも専門化を利用して,それに対する姿勢を見せていく必要はあると考えます.


>あなたが最善の努力の結果である、とおっしゃるなら、それでオシマイです。つまり、耐えるしかないわけです(耐えろ、ということを国民に説得する必要があります。しかし、これまでの取ってきた政策に失敗はなかったのか、ということは記録しておくべきですね。子孫のために)。

例えば少子化問題について,1.どういった政策が有効で,2.そのうちどれが実現可能で,3.さらに政治的に実現可能かという点については,1すらわかっていないというのが現状だと思います.以前にも述べたように,社会科学は多くの場合,実験ができず,それこそ過去に無い事例については,公理系による理論的証明はできても,それが本当に有効かどうかを示すことすら不可能です.公理系による理論的な証明を信じるとすれば,有効な政策は考えられます.しかし,2の問題はともかく,3の問題については,政治過程です.少なくともルールに則って政策決定がなされている限り,有効で実現可能な政策が排除されたとしても,僕らは納得せざるを得ないのではないでしょうか.(もちろんその場合には,ルールそのものを議論する余地が出てきます.)

なんにしろ,あらゆる政策は少なからず国民の所得・資産の再分配を招きますから,国民に対して説明する義務があること,そしてそれを評価し,記録すべきという点については賛成致します.ただ,公的政策は必ずしも数値的に測ることができないケースが多く,それを評価する手法すら確立していない現状があると言う点と,さらには,手法が確立していないために,官僚にいいように利用されてしまっている点も念頭に置いておく必要があると思います.(耐震強度偽装問題についても,耐震強度を測る手法がさまざまあり,有限要素法などどういった測り方を採用するかによって,耐震強度が変わりうることが指摘されていて,偽装問題そのもの意味が問われかねない事態になっていますね.)

少し言い訳がましくなって,自分でも疑問に感じますが,社会科学の現状はいまだ謎だらけといったところなんだと思います.繰り返しですが,官僚にいいように利用されてしまいがちという点を指摘したいというのが僕の意図です.


また最初の投稿で,国民の厚生を厳密に測り,検証されるべきであるとしています.
しかし,どの問題について,誰の厚生をどれだけウェイト付けた厚生関数を用い,どの政策について評価するのか?といったことに何も述べられていません.
このような問題は,それぞれ定義の仕方によって,政策のインプリケーションが全く変わってくると考えます.
例えば,経済厚生をGDPが厳密に反映していると仮定すれば,
GDPを最大にする政策がもっとも望ましい政策というインプリケーションがでます.
また,低所得者層の所得にウェイトを置いた経済厚生を測る場合.
高齢者にウェイトを置く場合.若年層あるいはもっと若い子供世代にウェイトを置く場合.もっといえば将来世代までウェイトを置いた場合.
また,主婦(夫)の家事労働やボランティアなどの無償労働,森林資源や汚染などの環境など,市場で取引がなされないような財・サービスについてもも経済厚生に反映させた指標を用いた場合.

それぞれどのような経済厚生の指標を用いるかで,異なった政策インプリケーションがでることでしょう.このとき,どの指標を用いて,どの政策を評価すべきかを議論することが,政策を考える上で重要となってくることになります.
仮に,政府が考える経済厚生と,古井戸さんが考える経済厚生とが異なっているのであれば,話が合わないのは当然です.
その意味で,「国民の厚生を厳密に測り,検証されるべき」では
何の解決にもなりませんし,また「専門化にお任せ」してしまってはいけない問題だと思います.もちろん理論的なことはお任せするとしても,その仮定と結論に対する評価はそれこそ我々も参加すべきではないでしょうか.

公共選択の議論には「アローの不可能性定理」というものがあります.以下Wikipediaより引用
「社会選択(Social Choice)とは、「社会の状態」を選択肢として、その社会の構成員個々の選好関係(Preference Relation)から、その社会において合理的と考えられる選好関係、すなわち社会的選好(Social Preference)を決定することである。アローは、合理的であるための制約条件として、(1)パレート効率性、(2)個人の選好の自由、(3)選択の独立性、(4)非独裁性の4つを挙げ、これらの制約条件を満たす社会的選好は存在しない」
これをアローの不可能性定理と呼ぶのです.この定理だっていくつかの仮定のもとで成立するもので,そのまま受け入れることはできません.そのため,こうした仮定に対する批判が議論されています.理論的な議論は専門化だけでも良いですが,そこから得られるインプリケーションについては,僕らは知って,議論していく必要はあると考えます.

>ナイーブ、ではなく、専門的、ということではありませんか?あるいは、既得利権層(企業、端的に言えば銀行など)からの所得移転を 意志決定機関がやりたがらない、ということではありませんか? 国民はおのおのの業種で働いているのであり、<政策決定>で飯を食っているものの責任(無責任、不作為)を国民のせいにするのは感心できません。

専門的ではあります.しかし,先の点から,公共選択の問題はナイーブ(表現は適切ではないかもしれません)というか,我々が参加すべき問題だと考えます.
また,既得利権層(企業、端的に言えば銀行など)からの所得移転を 意志決定機関がやりたがらないという点については同意します.アメリカ人の大好きなConspiracy theoryじゃないですが,日本の政官財のつながりも,ある種のクローニー・キャピタリズムで,さらに企業同士も株を持ち合っているため,株主が必ずしも消費者ではなくなっていると思います.その意味で,既得権を維持するメカニズムが働いていると思います.
そうであるならば,余計に官僚には「お任せ」できないのではないでしょうか?彼らの既得権を維持することが,彼らの社会的厚生を高めることになっているからです.このまま,お任せでは,ただただ彼らの社会的厚生を高めるだけでしょう.そして,そのお任せできない官僚に向かって,「こうあるべき」と言い,あとは「お任せ」では,有効ではないのでしょう.古井戸さんの言葉を借りれば「やりたがらない」の一言で片付いてしますからです.
マスコミやメディアはセンセーショナルな情報に飛びつきがちです.政策決定者とその恩恵にあずかる既得権利層としては,国民がそういったセンセーショナルな事件にばかり,どんどん関心を持ってくれれば,返って彼らの身分は安泰です.もちろんこれを,国民のせいにしてしまうことはできません.マスコミ,メディアも既得権利層に入るケースが多々あるからです.そういう意味でも,僕らは「お任せ」せずに参加していく必要があると考えています.
ずっと以前から議論はなされていたのですが,最近になって「企業の社会的責任」というトピックが盛んに議論されるようになりました.雪印,狂牛病,鳥インフルエンザ,JR西日本の脱線事故などなど多くの企業の不正に伴った事件をきっかけに,消費者の企業対する見方が変わってきたことが一因のようです.企業のステークホルダーには,株主,経営者,労働者,債権者などがありますが,実は消費者も入っています.もし不買運動が進めば,企業にとって大きな痛手となるでしょう.そのため企業の社会的責任が注目されています.そしてここからわかることは,僕らは既得権に対して影響力を持つことができると同時に,僕らがきちんと行動することで,彼らの経済厚生に含まれることができるわけです.このように考えるとき,既得利権層がそれを「やりたがる」方向へ導くことができるかを考える必要があり,これを彼らに「お任せ」してしまうことは,とても危険なことだと考えます.


強権的な策を用いることが可能なのであれば,答えは簡単です.
おっしゃるように消費税をものすごく高くすることもありです.
また日本の場合,国債のほとんどは日本人が購入していますから,国の借金を棒引きにして,国債を紙切れにしてしまえばOKです.
あるいは,酷いインフレを起こして,債権者から債務者への富の再分配を起こすことでも,国借金の実質価値は目減りして,問題解決になります.
わざわざIMFがでてくる必要もないですし,IMFなんかがでてきたところで,今の小泉政権とやることは似たりよったりでしょう.むしろ特定の問題は解決しても,その他の状況を悪化させるだけでしょう.

上記のような強行策を取った場合には,国の借金の問題は解決しますが,景気に対する影響は最悪でしょう.そうなれば,失業も自殺も増え,さらに少子化の問題も悪化してしまうことでしょう.
もちろんこれらの問題も,先の投稿のように強行策として,例えば強制結婚制度,および3人子供を生まないと罰金政策とか,自殺したら家族に罰金制度とか,失業者を強制労働させるとか,強攻策をとれば(取ることが可能であれば)なんでもありです.
あるいは仮に所得あるいは資産の分配が少子化に影響していることを所与とすれば,農地改革のような形で強制的に資産を分配してしまうことで,少子化対策になります.
それは現実問題として可能でしょうか? これは古井戸さんも述べられているように不可能ですよね.

強行策OKというのは,ある種の思考停止に思えます.現実問題として,多少の無理を含めたとしても実現可能なことについて解決策を探ることが大事だと考えます.
もちろん,最終手段として強行策は,せざるを得ないと思います.ただし,それは飽くまで最終手段であるべきで,それ以前にできることが何かを考えていく必要があると考えます.
by Kelso (2006-06-11 14:25) 

Kelso

数箇所で,
「専門家」と書くべきところが,
「専門化」となってしまいました.
読みにくくなり大変申し訳ありませんでした.
お詫びして訂正致します.
by Kelso (2006-06-11 14:27) 

古井戸

最初から順番に反論します。

1 「専門的なところは,おまかせ」と言ってしまうあたりに問題があると思います.

どう問題があるのでしょうか? ここで専門という意味は、餅は餅屋、という意味です。たとえば、耐震偽造の問題。震度7に耐えるようなビルにするにはこの梁では不十分だろう!と素人が言えますか? そういう問題ですよ。累進課税のカーブをこうすれば、あるいは消費税をこのようにあげていけば、赤字財政はこのように変化する、とかいう見通しのことです。これを国民のうち誰が計算、予測できると思っていらっしゃいますか?

また、ドーマー基準というコトバについて調べるのをさぼっている、とおっしゃいました。まず、私が貴方の立場なら、わたしが知らない(これはホントです)と言った時点で、これはこういう重要な指標なり定理である、と教えるでしょう。上のコメントでもまだ、その意味を明らかにされていない。それほどの重要語ならば国民のかなりの割合が知っていてもいいでしょう。たとえば、無作為に1万人選んでドーマー基準とは何かしっていますか?とインタビューしたとしましょう。何人が正解すると予想されていますか? わたしは、正解できるのはゼロ、だとおもいます。ネットで検索すれば出てくるのだろうが、私が聞いたことのない概念を 基準にするようなストーリをそそくさと立てられるわけもないでしょう(つまり、いま調べてもすぐに使えないだろう、ということ。付け焼き刃の議論をしてもしようがない。いちおうスティグリッツのマクロ経済学教科書の索引だけはみたけどもそういう用語はなかった。すごく一般的で学生ならだれでも知っているか、あるいは不要な用語、のどちらかでしょう)。

それはそうと、 あなたは誰を対象に議論していらっしゃるのでしょうか?わたしは自営業者ですが、自営業とかサラリーマン、あるいは教師とか公務員そのレベルの人間を対象にブログを書いています(つまり経済政策専門知識のない一般市民)。大学院の経済学コースあるいは専門分野の官僚たちに政策議論をふっかけているわけではありません。

少子化あるいは自殺者がおおいのは、貧困だからだろう?それは、端的にフリーターのような低賃金層を拡大しているからだろう、と言っているのです。

それにドーマー基準とか、アロー理論とか持ち出す必要がありますか(パレート最適なんて過去の遺物でしょう?)。この基準を知らないが為に起こりうる理論上の損失とはなんでしょうか?

> そうであるならば,余計に官僚には「お任せ」できないのではないでしょうか?彼らの既得権を維持することが,彼らの社会的厚生を高めることになっているからです.

ここまでは、一致するとして、ではこのさきどうするか、ということです。官僚に頼らないのはいいとして誰がやりますか?尻を叩いてでもゴマをすってでも働かせねばならないでしょう?給与をはらっているのだから。もちろん、総入れ替えというのはあるでしょう。海外から外務省、金融庁、。。。などの重要ポストを公募して就ける。ついでに大臣も。 やるべきだとおもいますが、法的整備がいるでしょう。

少子化に対する私の案は、たとえば、高校までの学費を無料にする、最低賃金を700円?から1000円にあげる、です。終身雇用制に対する優遇でもよい(フリーターというのは長期的に所得以外にも、企業の体力、長期的に衰えさせます。国内購買力もそのうち落ちます)。消費税もとくに衣食の基本的部分については抑える。これで生活の不安はなくなりあるいは、成人させるまでの教育費の心配もなくなり、少子化が改善に寄与すると思います。

どうやっても、少子化も改善しない(子どもは増えない)、自殺者も減らない、ということが理論的に証明できたら無駄な金はつぎこまないのが一番です。

企業の社会的責任のことをおっしゃっているが、一般的に言えば上記の労働者にたいする待遇改善(国民=家計、への所得移転増加)をやるのが真っ先の課題だと思います。

強権云々は対立点ではありませんから議論しません。

どこが対立点なのかよくわかりません。わたしが不満ばかり述べている、というのが不満としかおもえません。 不満はなんの社会的対策もとらず、「所得の多い物を恨まないようにしろ」といっていることえの不満です。さらに、素人に不満を述べさせ、専門家(存在するとして)が本来の政府批判、政策批判をやらず、陣笠審議会メンバとしてしか活動していない、ことへの不満です。

Kelsoさんは私の意見に対して不満のようだが、方向がちがっていやしませんか? 政策をお持ちならそれを述べればいいわけです。しかし、ある政策をとったあと、どういう経済行動を企業や家計が示すかを予測するにはかなりの経験とデータがいります。これを誰が今保有していますか?政府や研究機関を除いて。

不満はわかるがそれはどうやっても解決しないのだ、あきらめるしかない、ということを説得的に述べられれば、わたしとしても大助かり。こんなうっとうしい記事など書かずもっと楽しい記事を書きます(まあ、不満記事を書くのが一番、楽しい、というのもありますが)。

あまりシャープな反論になっていないのが気になるのだが、。。今日はこの辺で。
by 古井戸 (2006-06-11 15:18) 

古井戸

> 大学院の経済学コースあるいは専門分野の官僚たちに政策議論をふっかけているわけではありません。

とはいえ、私が何かの間違いで、マクロ政策かなにかの担当者ならば、やっている仕事を hpで公開し、国民にしらせるくらいのサービスはやるべきだ、とはおもいます。国民の理解できるコトバで。年度ごとに 政策がどの程度当たったか外れたかも示すでしょう。 経済白書にはそういうことを書いている、のではないでしょうか(読んだことはないが)。
by 古井戸 (2006-06-11 15:26) 

古井戸

Googleで
 ドーマー基準
 ドーマーの基準
を検索した。おのおの 4件ヒット。
しかも、定義ではなく、専門家の文章に定義は周知のこととして使ってある。

この程度の用語をしらないと議論できないのだろうか?Kelsoさんにドーマー基準とはなにか?なぜこの議論に重要か、を教えてもらいたい。
by 古井戸 (2006-06-11 15:32) 

古井戸

細切れになって申し訳ないが、銀行の利息この15年ほぼ、ゼロ。各種手数料の値上がりは激しい。それで、銀行の収益は史上最高である、と。サラ金の利息は今でも高いのにまだ高くしようと画策されている。

涙のような預金であっても利息はチャンと支払うべきじゃないの?と文句を言えば「儲かっているところを羨んではいけない」と回答する輩もいる。
by 古井戸 (2006-06-11 15:37) 

古井戸

ドーマー + 経済
で検索するとヒットする。ドーマーモデル、とかドーマー成長理論とか、さまざまな呼称があるらしい。

たとえば。。
http://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/f0a61b22fb032154fbbf6675755aacbd

「すなわちしばしば財政再建論議で話題になるプライマリーバランスの改善よりも財政危機を回避する際にきわめて重要なのは、名目利子率と名目GDP成長率の大小関係ということになる。この関係を「ドーマー命題」と呼んでいる。

 そしてどのような国債残高の初期水準からはじめても、利子率が成長率よりも大きいときは財政破綻に直面し、利子率が成長率よりも低ければ財政破綻の危機は訪れない。もちろん現在の日本はゼロ金利であり、長期国債の利回りも歴史上まれにみる低水準である(1~2%)。しかし他方で名目成長率はマイナスで推移している。つまり名目成長率よりも金利のほうが大きい事態が長期的に継続しているのが日本の現在の状況である。日本の名目公債残高/名目GDP比が90年代から今日まで増加トレンドを変更しないのは主にこの事情による。成長率の低下をもたらしているデフレが継続すれば、ドーマーの命題でいうところの財政破綻の危険性が高まっていくわけである。」

。。。脳味噌の快調なときに読まないとよくわからない。
by 古井戸 (2006-06-11 16:03) 

Kelso

ちょっと間が開いてしまいました.いっぱいお返事を頂きまして,ありがとうございますっ.じっくり考えて見ました.
すべてをフォローして整理するのは,僕の処理能力の限界を超えてしまいますので,僕の処理できる範囲で考えて見ました.


やはり専門的なことはお任せではいけません.お任せできるならば,そもそも論としてお任せしたんであるならば文句はないでしょう.また文句があるということは,すなわちお任せできないということなのでしょう?


>「耐震偽装,財政問題」これを国民のうち誰が計算、予測できると思っていらっしゃいますか?(「」部分はKelsoが追加)

僕も含めてほとんどができないと思います.
いくらなんでもそこまでは求められませんし,僕にもできないです.
そうはいっても,お任せできないから文句をいのでしょうが,それにもかかわらず,その後はやっぱりお任せというのは無責任なのではないかと思います.

専門知識については,詳細を知る必要は無いとも考えています.車社会で生活するのに車の構造の知識の詳細は必要ないわけです.しかし,基本的な車の性能だったり,構造上の問題点は知っておく必要があります.すぐに適当な例は思いつきませんが,たとえば,稚拙な例ですが「車はすぐに止まれない」とか「車が曲がる際の前輪と後輪の軌跡の違いなど」です.こうした現象は車の構造上の結果として現れる現象です.


ドーマー基準を持ち出したのは,次の引用を読んだためです.

>●なにをやっても自殺は、減らない。
>●少子化の傾向に有効な対策はない
>●日本の借金は減らない、現状の借金額は妥当なものである。
>こういう命題が正しい、ということを証明できたらそれはそれで大変な理論的貢献です。

と述べていることを前提として,財政についての問題を議論されているのであれば,それなりに調べていると思いますし,知らなければご自分で勉強されると期待したためです.
結果として幾つか調べられたようですので,これ以上ドーマー基準について議論することは無いと思います.一応ちょっとだけフォローしておくと,スティグリッツのマクロ経済学にでていない理由は,スティグリッツしか知りませんが,想像するに,大学学部テキストとしての難易度を考慮してだと思います.少なくとも「すごく一般的で学生ならだれでも知っているか、あるいは不要な用語、のどちらかでしょう」のどちらでも無いでしょう.マクロ経済学は近代経済学の基礎ですから,財政問題という応用分野については,有名なリカード・バローの中立命題ですらさらっと触れられる程度で終わっています.応用分野である財政学のテキストには場合によって掲載されていると思います.


>それにドーマー基準とか、アロー理論とか持ち出す必要がありますか(パレート最適なんて過去の遺物でしょう?)。この基準を知らないが為に起こりうる理論上の損失とはなんでしょうか?

理論上の損失を述べるのはそれこそ専門家の役割だと思いますので,専門家でない僕にはできかねることです.しかしたとえば公共選択の問題については,僕らが何がしかの社会選択について議論する上で,どのような社会的厚生関数を前提として議論しているかで,政策も違い,その政策判断も異なります.
もう一つ,これもはじめから述べていることですが,理論の問題,指数の理論や統計上の問題,さらには統計的検定の問題,さらには利用者の恣意性の問題と社会科学には,さまざまな問題が入り混じり,政策評価を行うのは非常に難しいと考えています.
特に問題だと思っていることは,以前にも述べましたが,官僚に理論・指標・評価手法を良いように恣意的に用いられてしまう問題です.専門家にお任せで,ただ文句だけを言っているのでは,官僚は
「政策はやってます,税金はつかってますが,こんなに効果があります.」
といくらでも,好きなように理由付けできてしまう現状があります.
白書などは,結論ありきでデータを探し,結論にそぐわないデータについては報告しないですから,全くもって良い例だと思います.だからこそ市民オンブズマンなどが必要といえるのではないでしょうか?もちろん彼らの中にも専門家が入っています.しかし専門家同士の会話というのは,お互いにうまくごまかすコツを知っているのか,いまいちきちんとした議論がなされているようには感じません.政策にかかわる専門家もまたモニターされるべきで,その意味で,僕らはある程度の知識を身に付けておく必要はあると思います.
テレビ,新聞などのマスコミの情報の多くは官僚の報道向け発表をそのまま伝えるだけ,あるいは適当に都合の良い専門家の意見を掲載するだけで終わりです.
当然ながら専門家でない僕らが全てを知っておくことなどできませんが,議論するトピックについてくらいは,少しでも学んでいきたいと思っています.(ちなみにパレート最適は決して過去の遺物ではありません.今でも日常生活において,認識しているかしていないかは別問題として,僕らが直感的に利用している最適概念の一つです.)

次数制限を越えてしまいました.
つづきます.
by Kelso (2006-06-16 22:49) 

Kelso

次の引用は,ちょっと先の引用と前後しますが,ご了承ください.

>それはそうと、 あなたは誰を対象に議論していらっしゃるのでしょうか?わたしは自営業者ですが、自営業とかサラリーマン、あるいは教師とか公務員そのレベルの人間を対象にブログを書いています(つまり経済政策専門知識のない一般市民)。大学院の経済学コースあるいは専門分野の官僚たちに政策議論をふっかけているわけではありません。


僕も定義すれば自営業者です.誰を対象にしようと,その対象者が議論を望むトピックについては,対象者も含めて,ある程度学ぶべきだと思います.特に経済学については,必ずしも直感とは異なった結論をもたらすケースがありえます.その意味で,何らかの議論をするためにはそれなりの知識を身に付ける,あるいはその姿勢くらいは必要だと考えています.

たとえば,古井戸さんの提案である

>少子化に対する私の案は、たとえば、高校までの学費を無料にする、最低賃金
を700円?から1000円にあげる、です。

についてです.学費の問題はおいておくとして,最低賃金についてです.経済学を学んでいれば必ず目にする議論になりますが,最低賃金制度は失業率を高めてしまう傾向があります.企業の労働需要は次のように決まります.投入する資本を一定として,労働だけを追加的に一単位投入するときに増える生産の増加分,これを労働の限界生産力と呼びます.この労働の限界生産力が実質賃金(=名目賃金÷物価水準)に等しくなるように,企業は労働需要を決定します.
実質賃金は,追加労働一単位の実質コスト.限界生産力は追加労働一単位の実質ベネフィット.コストがベネフィットを上回れば,労働需要を減らし,逆は逆.すなわち,両者が等しくなるところで,労働需要を決定することになります.

さて,最低賃金を引き上げたらばどうなるでしょう?
多くの若年層は,当然ながら未だ就業経験はなく,彼らの生産性はとても低い.特に最低賃金に近いあたりの層に至っては,さらに問題は大きくなります.そして若年層の労働の限界生産力が低いにもかかわらず,最低賃金が引きあがれば,特に若年層の失業が今にも増して悪化することになります.これでは子供を産む主体である若年層の貧困度合いが増すことになってしまうでしょう.実際アメリカにおいて10代の低賃金労働者層にこうした現象が見られたという事例があります.

もし,経済学のこの結論を知らず,政治家や官僚が適当な理屈をつけて政策として提言したらば,古井戸さんは文句を言わずに受け入れてしまうのでしょうか?もちろん,政策を行った結果は悪くなるため,政策が間違っていたという批判は可能ですし,それは修正していけば良いでしょう.しかしまだ問題はあります,何が原因で,どれだけ悪くなったのか判別が困難であるということです.景気?ニート?教育?メディア?政策?海外要因?労働市場の流動性?技能形成の補助が足りない?企業の人材育成が悪い?成果主義が悪い?この困難性を利用し,適当に問題回避を狙う官僚がいます.政策は妥当であったと言いつづけ,問題は別にあったといい続ける.

だから僕らはお任せできないと思います.マスコミ情報だけからの不満は説得的ではないし,建設的でもないというのが僕の主張です.
「不満はわかるがそれはどうやっても解決しないのだ、あきらめるしかない」といっているのではなく,不満が不満として成立しえてない個所が幾つかあると言っているんです.これが最初の投稿の要旨です.理論,測定,指標,統計,利用法,どこをとっても客観的に誰もが信頼しうる結果を導き出すのは困難である問題が多々ある.つまり「結果が悪い」「理論が悪い」「政策が悪い」とは「厳密には」判断が困難という問題があります.だから経済学者も日々精進しているわけですし,さらにいえば,経済政策は非常に強力に所得分配をもたらします.
さらに先に述べた問題から,その効果の特に長期的な影響についてはわかっていないことが多い.その意味で政策の提言には慎重になります.国民の選挙で選ばれたのではない学者の意見が,すこし消極的なものになるのは,メカニズムとして理解しえます.日銀の政策決定が,後手後手な消極的なものになりがちなのが良い例ですね.このあたりは言い訳という感じも否めませんね.

しかし,不満だけを述べたのでは,その不満をいいように利用されることにもなりかねません.きちんとした根拠を持ち,ここが悪いという不満を述べる必要があるでしょう.「結果が悪い⇒政策が悪い」という結論はそのままでは成立しないでしょう.なぜならば,その対偶である「政策が良い⇒結果が良い」という因果関係の成立にも問題が多々あるからです.まずは,その結果自体の良し悪しの判断を示すことが難しい.さらに他の条件を一定とすれば有効かもしれませんが,他の条件は必ずしも一定ではなく,無効にもなりうるし,場合によっては悪影響しかもたらさないこともあるでしょう.また先に述べたように,結果が良くなったことの主因が他の要因であり,政策とはまったく関係ないかもしれない.しかし判別できないという問題もあるというように,「結果が良い」という判定にすら問題が残っています.
まあ,たいていの役所は思いつく限りの政策はやっていますと言える程度にやっています.良い結果を持ってよい政策と判断するならば,景気回復期にはあらゆる政策はよくなりえますし,景気の悪化時期には,あらゆる政策が悪い政策になる.不満が余計に意味を持たないことになってしまうでしょう.


ちなみに企業の社会的責任と労働環境の改善については,全く同意見です.ただしある種のインサイダー・アウトサイダー問題があって,既に雇用されているインサイダーである中高年層の交渉力が高く,いつまでも居座っているために,新規に雇用されるべきアウトサイダーである若年層が,不遇の立場にあるという現状があります.その意味で,企業対労働者という対立軸も必ずしも正しくないと考えます.さらに言えば若年層の未就業による未経験化は,将来の経済成長に少なからぬ影響を与えることでしょう.同様な世代間対立は,財政,年金・健康保険などの社会保障にも関連します.景気の落ち込んでいる時期の若年層は,酷く運の悪い世代ということになりますね.企業対労働者の分配よりも,世代間の分配問題として捉えることがより重要となってくると思います.マスコミ議論では中高年世代の失業,フリーターは社会問題としてかなり同情的に扱われ,若年層の失業,フリーター,ニートについては社会問題とはしつつも,基本的には当事者の問題として少し厳しく扱われているきらいがあります.しかし実際には社会問題ですし,中高年世代の受取が多すぎることが,若年層への分配を減らしている現実がありますね.
ただし,あらゆる政策は所得の再配分をもたらしますので,注意が必要ですね.


最後にもう一つ,僕の議論をサポートする経済学の結果を紹介しましょう.
古井戸さんは,「貧困あるいは低所得が少子化の原因」とされています.
僕はこの仮説を棄却することができます.
ソローの経済成長モデルというのがあります.彼は経済成長に関する業績でノーベル経済学賞を取ったことで有名です.ソローモデルでは,微分方程式系で記述される経済の定常状態において,人口成長率と一人当たりGDPとの負の相関を理論的に示すことができます.さらに,理論だけではなく,現実の国際間のクロスセクション・データによって,人口成長率が高いほど一人当たりのGDPが高いことが観察され,データからも理論が指示されることになります.ただしこの理論は人口成長率は系の外から決まる外生変数として取り扱っており,そのため因果関係を示したものではなく,相関関係があることを示したことになります.この相関関係は実感にも合うもので,多くの途上国は人口過剰に悩んでいます.
また因果関係も直感的に良く知られています.人口成長率が低くなることが,所得の増加をもたらすのではないということ.そして所得の増加にともない,自然と人口成長率が低くなるということです.(ちなみに想像に難く無いと思いますが,因果関係を統計的に示すことは,非常に困難です.時系列解析の分析にグランジャーの因果性という分析がありますが,基本的に過去の変数による線形予測の貢献度で定義されたもので,人々の期待の変化などを考慮していないため,経済の因果関係を本質的に示しているとは言いがたいものです.)
このような理論からも統計からも指示される結論を,専門家にお任せでそのまま信じるならば,古井戸さんの仮説そのものが棄却されることになるでしょう.古井戸さんの立場を貫くならば,当初の議論の大前提が棄却されてしまうことになりますが,それでもお任せできますか?
それともやっぱりお任せできず,どこが間違ってるか考えてしまいますか?


ちなみに本筋からはそれますが,以前にのべたように,人口成長率そのものを低くするような政策はたいていの場合うまくいっていません.むしろ経済成長することで,自然に人口成長率が低くなっています.
またさらに本筋からは離れますが,中国の一人っ子政策は,長期的に見て,中国の社会制度にとんでもない危険をはらんでいると思います.それを中国が認識したとき,今度はどんな政策に打って出るのでしょうか?きっと世界中の中国人に,「帰って来いよ政策」とかするかもしれませんね.(笑)
by Kelso (2006-06-16 22:50) 

古井戸

>●なにをやっても自殺は、減らない。
>●少子化の傾向に有効な対策はない
>●日本の借金は減らない、現状の借金額は妥当なものである。
>こういう命題が正しい、ということを証明できたらそれはそれで大変な理論的貢献です。

>と述べていることを前提として,財政についての問題を議論されているのであれば,それなりに調べていると思いますし,知らなければご自分で勉強されると期待したためです.

私の行っていることを理解しておられないようです。意図的でしょうか?
車や建築など(いちおう概論は習っているので新聞程度の説明ならわかりますが)には興味おありでないと推測します。アクセルを踏まないのに急加速したり、運転中に車が外れたり、震度5で崩壊したりするような 製品を つくるな!というのになぜ専門知識がいりますか?

あなたは経済のある程度の専門知識を有しておられるようですが、
たとえば、イラク戦の収支バランスを示せますか?イラクで何の活動を行いそのために何人の兵を派遣し、それに費やした日本予算はいくら、であり、現地市民への経済的な効用はいくらであったか。 これを示すのは政府の責任です。予測と実際の値。 それを示せば、一般のひと、専門家、が、これは多い、少ない、と経済面から判断できます。 一級建築士とはいえ、耐震偽造、を見つけられるのはほんの一部とききます。 専門家が皆無であるなら誰もみやぶることはできない。 専門家を税金で育てるか、地震がこないのを祈るか、どちらかです。 

実際の生活についても、 お祈りの時代に入ったと思っています。

>結果として幾つか調べられたようですので,これ以上ドーマー基準について議論することは無いと思います.

いえ、あれでストップです。
これは習得するに足りない、つまり、実際の役に立たない理論と判断しました。 ニッポンの現状改善に 屁の役にも立たない、ということです。官僚だけが学べばよろしい。

>一応ちょっとだけフォローしておくと,スティグリッツのマクロ経済学にでていない理由は,スティグリッツしか知りませんが,想像するに,大学学部テキストとしての難易度を考慮してだと思います.少なくとも「すごく一般的で学生ならだれでも知っているか、あるいは不要な用語、のどちらかでしょう」のどちらでも無いでしょう.

それは簡単です。これは 経済学の教科書であり、 金融、あるいは国際金融の 教科書ではないからです。 機械概論 のテキストと 内燃機関 のテキストでは エンジンの記述の仕方はレベルが違います。

> マクロ経済学は近代経済学の基礎ですから,財政問題という応用分野については,有名なリカード・バローの中立命題ですらさらっと触れられる程度で終わっています.応用分野である財政学のテキストには場合によって掲載されていると思います.

なんのことかわかりません。
by 古井戸 (2006-06-23 08:48) 

古井戸

要領よく、コンパクトに反論なりコメントできる余裕がありません。私のコメントなどなんの効用もないとは分かっているが。忘れないうちに言っておくと最近、古書店で
宮澤喜一回顧録 岩波
小林慶一郎『逃避の代償』 日経
を入手しました。小林の最終章、「価値規範の問題」 自由と責任 では、なぜ日本では他国に比べて問題を先送りする傾向が強いのか、を説明している。こういう論点で議論する人はエコノミストには少ないとおもわれます。まだ精読していないのだが、現代思想、哲学、精神分析なども引用している。

##
経済的自由に対する近代ニッポンのコミットメントが重大な欠陥をもつ。。
##

これは 国家の体制(この国のかたち= constitution)の問題と思っています。

さて。。。本論に。

>それはそうと、 あなたは誰を対象に議論していらっしゃるのでしょうか?わたしは自営業者ですが、自営業とかサラリーマン、あるいは教師とか公務員そのレベルの人間を対象にブログを書いています(つまり経済政策専門知識のない一般市民)。大学院の経済学コースあるいは専門分野の官僚たちに政策議論をふっかけているわけではありません。

>僕も定義すれば自営業者です.誰を対象にしようと,その対象者が議論を望むトピックについては,対象者も含めて,ある程度学ぶべきだと思います.特に経済学については,必ずしも直感とは異なった結論をもたらすケースがありえます.その意味で,何らかの議論をするためにはそれなりの知識を身に付ける,あるいはその姿勢くらいは必要だと考えています.

ある程度は人により違うでしょうが、
たとえば憲法問題、イラクに兵を派遣するかどうか、銀行の利子はゼロでいいのかどうか、なぜ銀行手数料がドンドンあがるのか、銀行のボロ儲けは我慢ならん、なせ一般預金者(大口預金者でなく)に利益配分しないのか、こういう不満も、 勉強すれば、胡散霧消する、と言うことを期待されていますか?

>たとえば,古井戸さんの提案である

>少子化に対する私の案は、たとえば、高校までの学費を無料にする、最低賃金を700円?から1000円にあげる、です。

についてです.学費の問題はおいておくとして,最低賃金についてです.経済学を学んでいれば必ず目にする議論になりますが,最低賃金制度は失業率を高めてしまう傾向があります.企業の労働需要は次のように決まります.投入する資本を一定として,労働だけを追加的に一単位投入するときに増える生産の増加分,これを労働の限界生産力と呼びます.

机上の空論、だとおもいます。30年前の最低賃金を、あるいは、韓国の最低賃金制や、当時の労働規準法を現在そのまま適用すれば労働者は干上がります。 最低賃金を上げれば、企業がやっていけない、というのは一理あります。企業人がそれだけ努力して、いい製品をつくり、海外と国内の需要を満たす、という 創造的努力をしなくては。 努力、を 労働者だけに押しつけるような想定では、貧しい理論しか出てきません。経済学など上澄みであり、(つまり理論といわれるようなものではない)、経済活動を維持する裏付け、は労働者の価値創造努力、です。 維持できるのは人間の精神力がある、と期待するからです(モラルハザードに陥り、仕事する意欲が喪失すれば、経済というより国が崩壊です。だんだんその道を歩んでいる、とわたしはおもっている)。

>この労働の限界生産力が実質賃金(=名目賃金÷物価水準)に等しくなるように,企業は労働需要を決定します.
実質賃金は,追加労働一単位の実質コスト.限界生産力は追加労働一単位の実質ベネフィット.コストがベネフィットを上回れば,労働需要を減らし,逆は逆.すなわち,両者が等しくなるところで,労働需要を決定することになります.

さて,最低賃金を引き上げたらばどうなるでしょう?
多くの若年層は,当然ながら未だ就業経験はなく,彼らの生産性はとても低い.特に最低賃金に近いあたりの層に至っては,さらに問題は大きくなります.そして若年層の労働の限界生産力が低いにもかかわらず,最低賃金が引きあがれば,特に若年層の失業が今にも増して悪化することになります.これでは子供を産む主体である若年層の貧困度合いが増すことになってしまうでしょう.実際アメリカにおいて10代の低賃金労働者層にこうした現象が見られたという事例があります.

まったく単純思考だと思いますね。フリーターのことを考えたことがあるのでしょうか?現在のフリーターの生活はこのままでは一生続くのですよ。最低賃金制を押し上げて、同時に、付加価値をつけるような労働を増やすとうことですよ。いまの労働形態では、能力のある専門家が増えない。能力がないから低賃金でいいだろう?ということになります。 経済人ならそれでいいだろうが、国家設計者としてはまずいのでは? ということを言っています。(上記の小林もこういう議論をしてくれている、と期待している)。


>もし,経済学のこの結論を知らず,政治家や官僚が適当な理屈をつけて政策として提言したらば,古井戸さんは文句を言わずに受け入れてしまうのでしょうか?もちろん,政策を行った結果は悪くなるため,政策が間違っていたという批判は可能ですし,それは修正していけば良いでしょう.

それは、経済専門家、エコノミスト、マスゴミ(経済通の)の仕事だと言っています。 なんのためにこれらの人は存在するのでしょうか? 存在理由をチェックする必要があります。なんの物的成果物を生産しているわけではない。

>しかしまだ問題はあります,何が原因で,どれだけ悪くなったのか判別が困難であるということです.景気?ニート?教育?メディア?政策?海外要因?労働市場の流動性?技能形成の補助が足りない?企業の人材育成が悪い?成果主義が悪い?この困難性を利用し,適当に問題回避を狙う官僚がいます.政策は妥当であったと言いつづけ,問題は別にあったといい続ける.

> だから僕らはお任せできないと思います.マスコミ情報だけからの不満は説得的ではないし,建設的でもないというのが僕の主張です.

誤解されていますね。あなたは耐震偽造が起こった後、梁の太さと(耐剪断力) ビル荷重の間の関係式。。など勉強しましたか?あなたの理屈では素人でも批判したければ、構造設計の基礎くらい勉強しろ、ということになります。冗談だと思います。 それは専門家の仕事ですよ(そのためだけに、給料をもらっているのだから)。 与えられた仕事をやらないから問題が起こるのです。自動車修理工が、車検費用だけもらって、じっさいに車のチェックをしていなかったら事故が起こる可能性は高まりますし、それがばれたら犯罪になります。経済専門家には この手の 犯罪がない、ということです(なにをやっても 失敗、ということがない、そういう理論をつくるのが経済学。つまり、理論ではない、ということです)。

「不満はわかるがそれはどうやっても解決しないのだ、あきらめるしかない」といっているのではなく,不満が不満として成立しえてない個所が幾つかあると言っているんです.

利子がない、ことに不満を感じたり、フリーター同士が結婚して何人子供を産み、何人を大学に行かせることができるか住宅を持つことができるか、この程度なら 家庭生活コンサルタント ならば判定できるでしょう。「ああ、あきらめたほうがいいいでしょう、結婚は」 こうなるのがオチです。

>これが最初の投稿の要旨です.理論,測定,指標,統計,利用法,どこをとっても客観的に誰もが信頼しうる結果を導き出すのは困難である問題が多々ある.つまり「結果が悪い」「理論が悪い」「政策が悪い」とは「厳密には」判断が困難という問題があります.だから経済学者も日々精進しているわけですし,さらにいえば,経済政策は非常に強力に所得分配をもたらします.

もたらしうる、と言った方がよいでしょう。
望ましい所得配分に 現在なっている、とおもっていますか?
子供を二人産め(かろうじて人口減の増大を緩和する。。。)、どういう学歴をもたせ、どういう住宅に住める。。
 こういうモデルができますか?
そこまで考えて政策専門家といえます。
by 古井戸 (2006-06-23 09:55) 

古井戸

(長いので、2つに分けました。)


>さらに先に述べた問題から,その効果の特に長期的な影響についてはわかっていないことが多い.その意味で政策の提言には慎重になります.国民の選挙で選ばれたのではない学者の意見が,すこし消極的なものになるのは,メカニズムとして理解しえます.日銀の政策決定が,後手後手な消極的なものになりがちなのが良い例ですね.このあたりは言い訳という感じも否めませんね.

> しかし,不満だけを述べたのでは,その不満をいいように利用されることにもなりかねません.

「だけ」とおっしゃるが、一般人が不満をのべてなぜいけないんでしょ?根本的に誤解されていますね。何度も繰り返しますが。
一般人は 仕事の成果物が売れなければ、倒産します。
いわゆる 政策屋、は 成果物(政策の失敗)があっても 給与はもらえます。
これが 根本原因ですよ。 官僚制とかアカデミシャンとかエコノミスト、とか、無能であっても 国民が税金で養わなければならない、という制度になっている。これも 悪の根源の ひとつ、です。(すべてではないが)。官僚制というのはある歴史的状況では必要であったが、見直しが必要です。

>きちんとした根拠を持ち,ここが悪いという不満を述べる必要があるでしょう.「結果が悪い⇒政策が悪い」という結論はそのままでは成立しないでしょう.なぜならば,その対偶である「政策が良い⇒結果が良い」という因果関係の成立にも問題が多々あるからです.

おかしくありませんか?おっしゃっていることが。理論的に。
「政策がよい ー> 結果がよい」
ではなく、 結果がよいのが 良い政策です。
 事後的にしか分かりません。善し悪しは。

良い政策(=良い結果を生む)である、と予測した -> 良い結果を生まなかった(=悪い政策であった)。

このとき、本当に良い政策である、という大部分のエコノミスト専門家が予測したのか?(そうではない、政治的都合で失敗すると分かっていながら立案施行した) ー> 失敗予測した専門家の言うとおり 失敗した

こういうのが大部分ではありませんか? であれば、失敗の多い専門家の勤務評定を厳格にし、一般人がそうであるように 降格、クビ、にすべきです。人間の仕事だからこういう 脅迫を与えないと真面目に仕事をしません。

>まずは,その結果自体の良し悪しの判断を示すことが難しい.さらに他の条件を一定とすれば有効かもしれませんが,他の条件は必ずしも一定ではなく,無効にもなりうるし,場合によっては悪影響しかもたらさないこともあるでしょう.また先に述べたように,結果が良くなったことの主因が他の要因であり,政策とはまったく関係ないかもしれない.しかし判別できないという問題もあるというように,「結果が良い」という判定にすら問題が残っています.

政策を立てるとき、その過程をすべて、国民にあきらかにし、
その結果がこうなれば、この政策は成功(予算を費やす価値がある)、そうならなければ失敗(わたしはクビ、降格)、です。。。。
こういう政策立案者は述べるべきです。 丁半いずれでも わたしは失敗しない、というのは政策ではありません。政策と呼べない政策が多いということ。
会社の、年度計画並みに厳しくチェックすべきです。

>まあ,たいていの役所は思いつく限りの政策はやっていますと言える程度にやっています.良い結果を持ってよい政策と判断するならば,景気回復期にはあらゆる政策はよくなりえますし,景気の悪化時期には,あらゆる政策が悪い政策になる.不満が余計に意味を持たないことになってしまうでしょう.

思いつく限り。。信用できませんね。どうしてそういえるのか。たとえば、夕張市の財政が破綻した。破綻候補は他にもたくさんある。 世界の誰が運営しても、地方も 中央も破綻する、というならば ニッポン沈没しても運命としてあきらめますが。 

> ちなみに企業の社会的責任と労働環境の改善については,全く同意見です.ただしある種のインサイダー・アウトサイダー問題があって,既に雇用されているインサイダーである中高年層の交渉力が高く,いつまでも居座っているために,新規に雇用されるべきアウトサイダーである若年層が,不遇の立場にあるという現状があります.その意味で,企業対労働者という対立軸も必ずしも正しくないと考えます.さらに言えば若年層の未就業による未経験化は,将来の経済成長に少なからぬ影響を与えることでしょう.同様な世代間対立は,財政,年金・健康保険などの社会保障にも関連します.景気の落ち込んでいる時期の若年層は,酷く運の悪い世代ということになりますね.企業対労働者の分配よりも,世代間の分配問題として捉えることがより重要となってくると思います.マスコミ議論では中高年世代の失業,フリーターは社会問題としてかなり同情的に扱われ,若年層の失業,フリーター,ニートについては社会問題とはしつつも,基本的には当事者の問題として少し厳しく扱われているきらいがあります.しかし実際には社会問題ですし,中高年世代の受取が多すぎることが,若年層への分配を減らしている現実がありますね.
ただし,あらゆる政策は所得の再配分をもたらしますので,注意が必要ですね.

一時的な凹みはやむを得ません。将来こうなるというプランを強烈に示せばそのための出費は了承するでしょう。 わたしには国を憂える政治家のひとりふたりもいないのが不思議でならない。 わたしは無能だが、生まれ変われば、吉田松陰とか近くは高橋亀吉とか。。国を憂える思想家とか政治家になっtげみたい。。。と夢見るときはあります。

>最後にもう一つ,僕の議論をサポートする経済学の結果を紹介しましょう.
古井戸さんは,「貧困あるいは低所得が少子化の原因」とされています.
僕はこの仮説を棄却することができます.

ソローの経済成長モデルというのがあります.彼は経済成長に関する業績でノーベル経済学賞を取ったことで有名です.ソローモデルでは,微分方程式系で記述される経済の定常状態において,人口成長率と一人当たりGDPとの負の相関を理論的に示すことができます.さらに,理論だけではなく,現実の国際間のクロスセクション・データによって,人口成長率が高いほど一人当たりのGDPが高いことが観察され,データからも理論が指示されることになります.ただしこの理論は人口成長率は系の外から決まる外生変数として取り扱っており,そのため因果関係を示したものではなく,相関関係があることを示したことになります.この相関関係は実感にも合うもので,多くの途上国は人口過剰に悩んでいます.


ソロー(理論)は 途上国に感謝すべき、ということになりましょう。

> また因果関係も直感的に良く知られています.人口成長率が低くなることが,所得の増加をもたらすのではないということ.そして所得の増加にともない,自然と人口成長率が低くなるということです.(ちなみに想像に難く無いと思いますが,因果関係を統計的に示すことは,非常に困難です.時系列解析の分析にグランジャーの因果性という分析がありますが,基本的に過去の変数による線形予測の貢献度で定義されたもので,人々の期待の変化などを考慮していないため,経済の因果関係を本質的に示しているとは言いがたいものです.)
このような理論からも統計からも指示される結論を,専門家にお任せでそのまま信じるならば,古井戸さんの仮説そのものが棄却されることになるでしょう.

仮説が棄却? 日常語では 政策が失敗か成功か、でしょう?
30年前のニッポン、インド、アフリカ、中国。。と現在の状況は違います。高校卒業するまで学費と衣食住を すべて国費でまかなう、としても子供は増えませんか?
この仮説を棄却して頂ければわたしも上記の提案を撤回し、国のしかるべき所にメール致します。

>古井戸さんの立場を貫くならば,当初の議論の大前提が棄却されてしまうことになりますが,それでもお任せできますか?
それともやっぱりお任せできず,どこが間違ってるか考えてしまいますか?

つごうのいい議論をしないでくださいね。 政策はまかせるが、その立案過程と、なにをもって失敗、成功と定義するか、失敗した場合どういう責任をとるか、をパッケージにして示せばお任せします。 
これに、あなたも、ご同意になると思います。

>ちなみに本筋からはそれますが,以前にのべたように,人口成長率そのものを低くするような政策はたいていの場合うまくいっていません.むしろ経済成長することで,自然に人口成長率が低くなっています.

人口の増減は 文化問題(つまり人の心の問題)です。経済要因、だけではきまりません(幼児死亡率が非常に高いとおもわれる 石器時代の大昔から人口を維持できたのは、経済の問題ではない、ことを示しています)。思想信条信仰の自由な時代に、人口を維持できる、という保証は元々ありません。(全員総自殺、ということもありえるでしょう。ある教団がやったように。あるいは、前回の大戦でそうやったように)。

> またさらに本筋からは離れますが,中国の一人っ子政策は,長期的に見て,中国の社会制度にとんでもない危険をはらんでいると思います.それを中国が認識したとき,今度はどんな政策に打って出るのでしょうか?きっと世界中の中国人に,「帰って来いよ政策」とかするかもしれませんね.(笑)

中国は政策により、ニッポン(それ以上に韓国)は だまっていても 一人っ子(家庭)政策がとられています。 ニッポンの優秀性かあるいは愚劣性か。
by 古井戸 (2006-06-23 09:55) 

Kelso

理論を提示すると,

>これは習得するに足りない、つまり、実際の役に立たない理論と判断しました。 ニッポンの現状改善に 屁の役にも立たない、ということです。

や,

>机上の空論

と述べられる.しかし実際のケーススタディーまで存在するものを机上の空論と述べるのはいかがなものでしょうか.

とりあえず,根本的なところを理解されていないようです.
わかったことは,

これは読むに足りない、つまり、実際の役に立たない理論と判断しました。 ニッポンの現状改善に 屁の役にも立たない、ということです。
by Kelso (2006-06-24 13:10) 

Kelso

最後の2行,ちょっと間違えました.

これは習得するに足りない、つまり、実際の役に立たないものと判断しました。 ニッポンの現状改善に 屁の役にも立たない、ということです。
by Kelso (2006-06-24 13:11) 

古井戸

Kelsoさんへ。

言葉が乱暴になって、大変失礼しました。

わたしが、理解していない、のは、そのとおりかもしれない。
しかし、いま論じているのは、
目的: 少子化の改善(もちろん、現状より高い出生率を 善、としている)や自殺率の改善(少ないのを善としている)、国の借金の改善(少ないのを善)を定め、それに有効な政策を 立案し、実施することです。その結果が予想通りであれば政策は成功、そうでなければ失敗。

それにどのような理論やデータを用いるかは政策立案者の責任です。

これはどのような理論やプログラムを使用して、法定耐震強度に耐える建物を建てるか、と同じ問題です。

こういう理論があるああいう理論がある、という理論に私(あるいは一般人)が興味を示さないことを難じてもしようがありません。あなたが、建築の構造式に興味を示さないのと同じことです。 その政策立案や 設計に 対してそもそも税金を払ったり、対価を支払っているのだから、その成果物を出せない 政策立案者や 建築家には お引き取りを願いたい、と私は言っている。 

あなたはしたがって、 いや、ちゃんと政策は予定通りの効果をあげている、その目的は xx (少子化、自殺率、借金)であり、そのとおりの成果を上げているおっしゃればよいのです。 あるいは 誰がやっても これらの難題は解決が困難である、とおっしゃればソレでおしましです。 わたしは、誰にも解決できない問題を取り上げて難じている、ということになります。
by 古井戸 (2006-06-25 18:11) 

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