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ケータイのローテク化 [Welfare]

本日の毎日新聞社説。
携帯電話:「SIMロック」解除へ 競争促進狙い
http://mainichi.jp/select/biz/it/news/20100403k0000m020079000c.html
 内藤正光副総務相は2日、携帯電話端末を特定の通信会社でしか使えないようにする「SIM(シム)ロック」の解除を各社に要請することを明らかにした。消費者の利便性向上と携帯電話事業者間の競争促進などが狙い。携帯大手4社は要請に応じる構えだ。

 携帯電話には、電話番号などの利用者情報を記録した「SIMカード」が入っている。現在は契約した携帯電話事業者向けの端末でしか使えないよう規制(ロック)がかかっている。このロックが解除されれば、利用者は別の事業者向け端末にカードを差して使ったり、同じ端末に別のSIMカードを差して使ったりできるようになる。利用者にとっては、端末と通信会社の組み合わせの幅が広がるメリットがある。

 携帯電話各社は、多額の奨励金を販売店に支払って端末を売り、月々の通信料で回収する仕組みを作ってきた。簡単に別の会社に乗り換えられてしまうと、この仕組みが成り立たなくなるため、ロック解除に慎重だった。

 ところが、米アップル社が今月発売する新型端末「iPad(アイパッド)」など、複数の通信会社のカードを差し替えて利用できる製品が登場し、各社の姿勢も軟化してきた。2日に総務省で開かれたヒアリングでは、「販売から一定期間が経過すれば、お客様の意向に従うべきだ」(NTTドコモ)などの意見が出て、総務省がロック解除を努力義務として各事業者に要請することでまとまった。

 内藤副総務相は「今後発売される携帯電話端末については、原則SIMロックを解除してほしい」と求めている。総務省は早急に実施に向けた指針(ガイドライン)を策定し、販売後どの程度の期間でロック解除できるようにするかなどを定める方針。

 ただロックが解除されても、周波数帯が違う事業者間では乗り換えができず、現状ではメリットは限定的。また、乗り換えるとインターネット接続など事業者ごとに異なるサービスが使えなくなるなどの課題も残る。

 総務省は07年の報告書でSIMロックについて「原則解除が望ましい」とし、「端末市場の動向をみて結論は10年に得る」としていた。
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国際標準から離れた独自方式をこしらえてユーザの囲い込みを計ってきたケータイ会社、それを支援してきた郵政。

しかし、電話やメールなど光ケーブルネットさえあれば、いまやコストゼロ、の使用料金=無料、にしてもいいくらいのサービス。 (パソコンによるIT電話やメールがほとんど無料なのと同じ)
つまり。。通信は、水と同じ只同然の機能になってしまっているのに、バカ高い使用料を払わせて、暴利をむさぼってきた(接続サービスへの内部補填をやってきた)電話会社、ケータイ会社の年貢の納め時。

SIMロック解除。。というより、接続サービス(既存の電話会社はこれだけを提供)、と、昔で言う高度サービス(電話、メール、情報サービス)を分離する、ということ。。現状は、接続サービスと高度サービスを分離せずに郵政が認可した業者だけにケータイサービスを認めてきた。

パソコン一台もっていれば世界のどこに旅しても自由にメールと電話ができる時代であるのに、ニッポンのケータイだけが取り残された。

>競争促進狙い

競争促進。。というか。。ケータイのパソ化によるケータイサービス業者の参入拡大。。端末の解放(電話やパソと同じ)それにともなう、NTT、Auをはじめとする既存通信業者の凋落=回線貸し業者化、ということになる。
基地局(端末とのローカル接続)+国内長距離接続網に要する費用を分離して、妥当な経費をユーザに請求させるように郵政は業者を指導すべきである。現在、ケータイユーザが、ケータイ会社(認可による独占サービス)に支払っている料金の異常な高さに気付くべきだ。メールアドレスがいまや個人特定の基本IDになっている。メールサービス提供会社が多数あるのと同じく、固定電話、移動電話サービスの提供会社が多数あっても構わないではないか。通信インフラサービス(回線+基地局関連サービス)は無駄な投資を避けるため独占であってもかまわないが、電話、メール、情報、インターネット接続サービスは参入障壁を下げるべきである。

外国人看護士への支援  コミュニケーション能力獲得の課題 [Welfare]

NHK総合の番組(関東地方):
特報首都圏「“ニッポン”で働きたい~インドネシア人看護師 2年目の試練~」
2009年11月27日(金) 午後7:30~午後7:58(28分)
--------------------------------番組の概要---------------------------------
日本で働くインドネシア人看護師。仕事内容や日本語の壁など、様々な問題が山積みのまま、今月第2陣が来日した。現場の実態から、受け入れ制度の課題解決の方策を探る。

2年目を迎えた、日本で働くインドネシア人看護師。日本での資格がないため、補助の仕事しか任されず、不満が募っている。また、国家試験にも日本語という高い壁が立ちはだかる。一方、受け入れた病院も、予想を上回る費用負担に困惑を隠せない。抜本的な制度改善が行われないなか、第2陣となるインドネシア人が来日した。現場の実態やアンケート結果を手がかりに、外国人看護師受け入れ制度について、課題解決の方策を探る。
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番組を見ての感想:

看護士不足解決のため東南アジアから人材を求め、日本で養成する仕組みがある。養成は個々の病院でやっているが問題がイロイロ発生している。最終目標は看護士の国家試験に合格することであるが(合格しないと看護士になれない)、そのまえに大きな問題として日本語の習得という障壁がある。あるNGOは日本に来る前にアジアの某市で1年半、日本語の特訓を行うらしい。看護士一人を養成するのに700万円を要するという。

日本語と、専門知識の双方を獲得するため病院で働いている修習生を番組では追っていた。ある修習生は現場の日本語をマスターするために看護婦のミーティングにも出席していた。しかし、彼女たちの話す言葉が皆目分からない。。。。当然である。放送で聞いたがこれは日本語とよべるシロモノではない。小学生の女の子のお喋り。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。言葉による正しい伝達能力を身につけることはいかなる職場であっても前提であるはずだ。病院でこれがおろそかになっているのではないか。専門語を覚えればいい、というだけのものではなかろう。

海外修習生のためにゆっくり、正しい日本語をしゃべれ、というのは厳しい注文なのだろうか?日本人同士であっても、文字化したらあるていど読める文章をすくなくとも勤務中はしゃべれないものか?外国人に手助けを求めなければニッポンのとくに高齢者医療は破綻する、というのは病院勤務者というよりニッポンジンとしての共通認識であるはずである。 職務上の会話は、つねに隣に外国人研修生が立っている、というつもりで「聞けば分かる」日本語をしゃべるよう自己を躾る必要がないか?

工場とかで働く海外労働者は多いと思うが健康と人命を与ることもある病院従事者はコミュニケーションが他より重要なはずである。これは院長の責任である。日本人同士だけでなく見習い修習生に対して恥ずかしくないコミュニケーション能力(日本語運用能力)を獲得したあとで、病院で働いてもらいたいものである。言葉についても、日本語だけでなくアジアの各国語や英語で伝えなければ伝わらない患者もそのうち出てこよう。この対策も取っておくべきではないか。日本語だけ!というような一国一言語主義は、アジア、欧米でも少なくなりつつあるのではないか。 さらに高齢者介護に海外からの介護士があたるのであれば、日本人患者とのコミュニケーション障壁問題は日本人患者に対しても一定の解決努力を要請をしなくてはなるまい。日本語以外の言語を解する患者であれば当然、世話を受けることができる介護士の範囲が広がる、という具合に。

東南アジアから日本に来ても語学や、教授内容が役に立たぬと、半年~1年で帰国する例も多いという。病院の共同施設として医療従事者のための語学研修を格安で行う(せめて後払い、とか)研修センターを各地に設立すべきではないか。教員や施設負担などが先行投資になるがこれは眼に見えぬ形で、必ずペイする投資である。

『産婆になりましょう』  助産・出産ビジネスにおける今どきのリスク・マネージメント [Welfare]

                              

 

『 妊婦検診を一度も受けず、産まれる直前に病院に駆け込む「飛び込み出産」が増えている、今年夏、奈良など各地で妊婦の搬送受け入れ拒否が発覚したが、病院側が断った理由の一つは「未受診」だった。 医師からは「妊婦としての自覚をもって」と悲鳴が上がっている。一方で、未受診には産科施設の集約化や格差拡大による経済苦なども背景にある。

(略)

 妊婦の救急搬送の受け入れ拒否の原因として、医師やNICU(新生児集中治療室)不足のほかに「未受診」があるといわれる。未受診に特徴的なのは、リスクの高さと出産費用の未払い問題である。 未受診だった理由で最も多かったのは「経済的な理由」で12人。41人のうち11人は出産費用を病院に支払わなかった。

健診費用は一回5千円~1万円、厚労省によると健診は14回程度が望ましく最低5回は必要とする。だが自治体の公費助成は平均2.8回にとどまる。

「国は妊娠・出産に関し最低必要な医療内容と費用を算出し、その部分は公費で手当をしてほしい」茨城県立医療大学の加納尚美教授(助産学)』

 

 以上、朝日新聞11月18日朝刊第一面記事  『検診せず出産、急増 たらい回しの一因/背景に経済苦』 から抜粋。

 

「病院 + たらい回し + 妊婦」で検索すると、「未受診」の母親に対するバッシングが盛んである。夫も妻もフリーターで、預金もわずか。このような夫婦の心配は赤ん坊の健康より、まず出産費用(30万円超)の工面では無かろうか。出産費用は保険対象外。大企業なら出産費用は手当てで支給されるが非正規労働者にはそういう手当は無かろう。まして、月一回の健診など考えもしないだろう。妻はいつから休業(無給となる)しようか。育児はどうしようか、育児に費用はどのくらいかかるのだろうか。。と、妊娠の喜びよりまず不安が先に立つのではないか。 現在の日本に、このような状況にある若い夫婦の多いことは容易に想像がつく。これを問題と感じない人間が政治や医療の分野に棲息していることがまず問題である。

 

奈良県の妊婦たらい回しを報じた産経新聞: http://www.geocities.jp/daruma002jmhs/syasetu-colom07.08.html

>奈良県の幹部は「かかりつけ医のいない妊婦の搬送は想定外だった。すぐに対策をとりたい」と話すが、トラブルや事故は予期せぬ中で発生するのが常である。早急に抜本的対策をとる必要があろう。

 

<かかりつけ医のいない妊婦の搬送は想定外>。。これは嘘である。かかりつけ医がいない妊婦という理由で拒否していたのである。

 

いったい新生児集中治療室など必要なのだろうか?そういう治療の必要な赤ん坊には死んでもらってよいから何億円もかかるNICUやそれに群がる医師はすぐに撤去、解雇し、その費用で多数の産婆技能(助産婦)を養成する必要があるのではないか。クルマのない夫婦にとっては、どんどん減っている病院と産婦人科に通院するだけでも大変である(病院の医師、もとい病院ビジネスマンあるいはエンジニア、はこういうことは考えもしないだろう)。

 

 昭和20年代に田舎で産まれた私や弟を産んだ母は毎月一度の健診などやっていない。死産した私の姉も含めて近所の佐々木さんという産婆さんを親父が呼びにいって世話になった。明治(それ以前)から昭和のある時期まで出産はすべて産婆さんが行っていたはずである。

 いったい、どこから、健診を行っていない駆け込みの妊婦はお断り、という回答が出てくるのだろうか? 私は宇宙の果ての話ではないか、と一瞬、わが眼と耳を疑う。世も末か。こういう病院は健診にもいけない夫婦に対し、せめてパンフレット『堕胎ノススメ』でも発行したらどう? 

 

 

救うべきは赤ん坊ではない。母親とその夫であり、彼らの日常の経済状態である。 健診や出産に掛かる費用を捻出できない二十代三十代の若く貧しい夫婦の存在を、労働賃金施策の拙さ、と感じない貧困国家ニッポンの官僚や経団連も、救われるべきか?哀れむべきか。

生活の苦しい妊婦は、妊婦検診などする必要はない。堂々と、緊急入院を要求しよう。

 

 

 

生児集中治療室などのハイテクで武装した大病院の医師たちは、健診をしていない、というそれだけの理由で産気づいた婦人の入院を拒否するのが今風のリスクマネジメントか? 1945年8月6日の夜、瓦礫の中、闇の中で産気づいた婦人から、なんの道具もなく身体一つで、赤子を取りだした後、絶命した産婆の爪の垢でも飲むがよかろう。

Let Us Be Midwives

http://heartfulllife.seesaa.net/archives/20070804-1.html

 

「産婆になりましょう」  ~生ましめんかな。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4193.html#more


患者から見たリハビリテーション医学の理念: 多田富雄の闘い [Welfare]

                                            



雑誌現代思想11月号、特集=リハビリテーション、に
多田富雄が、8頁の文章を寄せている。普通の学者なら楽に書けるだろうが多田富雄は身体の自由がきかない。おそらく、不自由な手による長時間のワープロ打ち込み作業からなったとおもわれるこの原稿p34-41をわれわれは熟読すべきである:

「患者から見たリハビリテーション医学の理念」

文章はリハビリテーションの意味を説きあかしているが、原稿から漏れてくるのは、患者と家族を不幸のどん底に突き落とした診療報酬改定(今年の4月から実施)に対する激しい怒りと嘆きの声である。

この診療報酬改定についてここで述べる必要はあるまい。わたしは4月にブログ記事を書いたし、その後の状況はネットで検索すれば読み取ることができる。
http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-04-08
この記事の元になったのは多田富雄が朝日に寄せた一文である:http://blog.goo.ne.jp/pkcdelta/e/ff0c48b7a8331b4870f77771f3c4767c
その後の状況など↓。
http://my.reset.jp/~comcom/shinryo/tada.htm
http://craseed.net/
多田富雄の闘いはNHKスペシャルで放映された↓
http://www.nhk.or.jp/special/onair/051204.html

p40以降から引用する:

『この改定でリハビリを打ち切られた後、徐々に機能が低下し、寝たきりになってしまう人々がいる。しかし厚労省のアドバイザーになった「専門家」と「(リハビリ)学会」は患者を救おうとしない 』

わたし(古井戸)が最も衝撃を受けたのは次の文章である。尊敬する社会学者鶴見和子さん(鶴見俊輔さんの姉君)が不自由なお身体になられたのも知っていたし、このお二人の往復書簡も読んだ、というのに:

『犠牲者の第一号になったのが、不幸にも社会学者の鶴見和子さんであった。例にあげるのも痛ましくてはばかられるが、11年前に脳溢血で倒れられてからも、リハビリによって、自立して精力的に文筆活動をしていたが、今年になってリハビリ打ち切りが宣告された。回数が減らされた後、間もなく起きあがれなくなり、7月30日に亡くなった。その前に彼女が詠んだ歌に、

政人(まつりごとびと)いざ言(こと)とわん老人(おいびと)われ 生きぬく道のありやなしやと

寝たきりの予兆なるかな ベッドより 起きて上がることのできずなりたり

直接の死因は癌であっても、リハビリ打ち切りが死を早めたのは確かである。小泉さんがこの碩学を殺したと、私は思っている。病床で書いた「老人リハビリテーションの意味」というエッセイには、維持期のリハビリがどんなに生きるために必要かが、切々と語られている。そして今回の改定は、老人に対する死刑宣告だと、いつになく激しい口調で糾弾している。リハビリの「専門家」といわれた人はこの文を読んで欲しい。あなたの専門家意識が打ち砕かれることだろう。

もうこれ以上語るまい。このような老人を救うミッションが、リハビリ医療には厳然としてあるはずである。またそれを忘れた専門家意識が、鶴見さんの死を早めたことを糾弾されるであろう』

(略)

『再び言う。リハビリ科の医師には、苦しんで死に瀕している患者がいればそれを救うという、専門家としてのミッションがある。リハビリ医学会は、それを自ら放棄してしまったのだ。他の医学会や医師会の批判の目に気づかないのであろうか。自分たちの使命を最終的に護るのは、職業団体としての学会の務めである。今回の制度改訂に対して、関連学会、協会は全く態度を鮮明にしていない。むしろ厚労省に加担しているかに見える。これを直視し、謙虚に反省しなければ、学会員の信頼が得られまい。また他の学会からも軽蔑されることだろう。p41

問題が起こったときに、真っ先に声をあげるのは、関連学会の務めである。それを怠ると、必ず内部に亀裂ができる。このような社会問題と化した中での沈黙は、基礎医学の学会運営を長年やってきたものには、とうてい考えられぬことだ。私は患者としてばかりでなく、同じ医学の研究に携わるものとして、今後も追及を止めることはない。』

なにも付け加える言葉はない。
多田さんやおなじ境遇の患者、その患者の家族の嘆きと憤りを共有したいわれわれは、どのようにそれを表現すればいいのか?

多田富雄の闘いに関心をおもちのかたは、このブログ記事さらに、多田富雄の現代思想11月号の上記論文をお読みの上、友人、知人に広めてもらいたい。

多田富雄と、鶴見和子には往復書簡がある:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4894343401

メディアはどう伝えているか:
http://craseed.net/houdou.html


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