映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』が描いたもの
抜粋、引用する。赤字は引用者の追記。
連邦裁判所判示> ベトナム反戦運動が高揚するなかで、最後には連邦裁判所の判事が「合衆国建国の父は、憲法修正第一条をもって民主主義に必要不可欠である報道の自由を守った。報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するものである」と述べ、政府の訴えを却下した場面でフィナーレとなる。
日本にジャーナリズムはあるか?? >映画が問いかけるジャーナリズムとはなにかというテーマは、嘘(フェイク)が蔓延り、権力の腐敗堕落が著しい今日に新鮮な響きを持って訴えかけてくるものがある。権力者と飯を食べ、私的関係を切り結んだ結果、馴れ合いの世界で飼い慣らされて批判力を失い、ジャーナリストとしての矜持を投げ捨てていく輩は、スシローといわず、日本社会にも吐き捨てるほどいる。そして、米軍機が墜落しても「不時着」などと報道して、恥とも思っていないのが現実だ。
ジャーナリズムは社会の木鐸といわれ、権力を監視する砦として第四の権力ともいわれてきた。この信頼失墜が著しいなかで、改めてどうあるべきかを考えさせる作品といえる。ぬるま湯に浸って「守られる」報道の自由など、社会にとっては毒にも薬にもならないこと、それよりも社会のため、人間のために身体を張った報道こそが大衆世論を突き動かし、世の中をよりよい方向へと向かわせる原動力になることを痛感させる。恐れを知らぬジャーナリストの存在は、権力者にとって最大の脅威でなければならないはずだ。
映画に描かれていないこと。現在も米国の侵略は終わっていない> なお、作品のなかで機密を暴露するに至る関係者の思いの根底に流れているのは、肉弾になる米兵すなわちアメリカの若者の命に対して寄せられた愛情であった。それはベトナム戦争において米兵の戦死者は実に5万8220人にのぼり、自分たちの子弟の生命が軽んじられることへの怒りである。しかしここで同時に考えなければならないのは、ベトナム人民を含むその他の死者も100万人をこえたことである。あの戦争は、米兵だけでなく、それ以上のおびただしいアジア人民を殺害した戦争でもあった。アメリカ帝国主義の野望のために、自国民も多民族の生命をも野蛮に奪っていった戦争だったことを忘れてはならない。
*** 以上、引用終わり。
第二次大戦はポツダム宣言受諾の下に終了した。宣言には、平和が戻り次第、連合軍は撤退する、と明記している。連合国により<主権を回復>が宣言された後も、米軍の基地が日本の独立を実質的に阻害している。これはポツダム宣言の違反である。日本の米国傀儡政権(自由民主党)とくに岸信介、佐藤栄作は米政権との密約により米軍の日本支配に力を貸してきた。やがて訪れる日本破綻の責任は、いまだに日本の独立を許していない米国も取らなくてはならないであろう。オリバーストーン『スノーデン』で、横田基地に勤務していたスノーデンが従事していた仕事は、横田基地から常時ハッキングしている、通信網、大企業、政府組織、発電所、電力網にいつでも侵入可能とし、日本が日米同盟離脱する瞬間、コンピュータや施設を機能不全にする、という作業であった、と告白している。
報道の自由は、世界平和の必要条件であるが、十分条件ではない。
「日本は史上最後の植民地である」(チャルマーズジョンソン)
ひとならならうどくりつこくに。むかしベトナム、いまニッポン。
列島上空を無制限、無許可で飛び回れる米軍機@日米地位協定
新聞は政府の嘘を暴くために存在する。政府の嘘ならチョロいものだ。宗主国(米軍)の嘘を暴く、日米安保条約の嘘を暴く、天皇制の嘘を暴く。。という具合に進めないものか? それは無理よ。 日本国憲法を起草し、天皇を残せ、と命じたファウンディングファーザーズはGHQじゃもの(泣笑)。昭和天皇は沖縄を、米国の恒久的基地にするよう米政府に依頼した。昭和天皇と、天皇を訴追しなかった(極東軍事裁判)米政府の共存共栄は日本国民の不幸。