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レオニー  人生を貫く芸術 芸術をつらぬく人生 [Art]

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先週広島に所用があり戻った折の夕方、Sさんから電話があり、この映画の話になった。電話が終わった後、横で聴いていた弟が,是非その映画を観たい、という。千葉に戻った後、手持ちのDVDを送ってやった。その後、弟から電話があり、いま5回目を観ているところだ、という。朝から連続して観ていたらしい。このdvdを送ったとき、私も気に入っている映画なので見終わったら送り返してくれ、と伝えておいたのだがそれは撤回した。5回も連続して観てくれる者がDVDの所有者となるべきである。わたしはアマゾンで買い直す。2回、3回なら私も連続して観たことはあるが5回連続というのは過去経験がない。普通の映画なら5回連続で見るのは苦痛である。そうならないのは、この映画にパワーがあるからだ。つまり、監督の意志、と、それを伝える技術である。

この映画は母である詩人・編集者レオニーと、その子、彫刻家ノグチ・イサムの物語である。わたしは松井監督の著作を二冊読んだ。この映画の脚本は松井監督が書いたものだが、監督個人の母としての子としての人生経験が脚本に注がれていることは疑いない(母としての経験なしにこの映画を製作したい、とおもいつくことなどありえ...ない)。企画から10年で完成した映画だという。十分それだけの価値がある作品である。思い出すだけで感動が胸に渦巻く作品である。

私たち兄弟はこの10月、母を失った(享年95歳)。この映画のラストシーンで弟も泣いたであろう。衝撃的かつ神々しいラスト、よくこんなシーンを思いついたものである。だが、よく考えれば必然のシーンでもある。早くからこのシーンが念頭にあったにちがいない。それが映画企画製作のエンジンになった。。。


 

(追記) 松井さんを映画監督にしたのは(第一作『ユキエ』をみずから監督するよう、松井さんを説得した)新藤兼人である。我が故郷の偉人新藤兼人はわたしが誇るひとだが、松井さんを監督にしたことは新藤兼人の業績の一つといえる。

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(追記2)エミリー・モーティマー。レオニーを演じた、私の知らない英国役者である。よくぞこの俳優を発見した。俳優もシナリオを読み込み、レオニーになりきった。慈愛に満ち、威厳があり、勁き女性、母。このポスターからもそれは十分に伝わってくる。レオニーはこの映画のほとんど全シーンに登場する(出ずっぱりじゃ無いか、とおもうほど)。20代から60代まで自然に演ずるエミリー、われわれはエミリーとともに旅をするのだ。魂が乗り移り、イサムの母になりきっている。。映像に寄り添う音楽もすばらしい。何度見たかわからないこのdvd、冒頭に流れる音楽を聴いただけですぐに胸がいっぱいになる。「お母さん、話を聞かせてください。。」見事な導入部である。

レオニーは詩人である。詩集を出版したかどうか、は詩人の条件では無い。詩の魂をもって生きたかどうか、が詩人の条件なのである。生涯を通して、レオニーは詩人であった。ヨネとは不幸な別れをしたが、若き日、ヨネの詩の推敲に没頭しているレオニーがしたがってこの映画では最も美しいのである。芸術こそが人生をも導く。この映画は芸術礼賛の映画なのである。


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