いったいどこに民主主義があるんですか? - 翁長知事夫人のメッセージ! [魂]

翁長がグアムの方に出張に行っておりますので代理という事で参りました。
なにぶん素人で、マイク前にすると上がってしまって、
うまくできるか本当に自信ないんですけど頑張って務めさせてもらいますので
よろしくお願いいたします。
結婚して36年目でしょうか、政治家の女房として33年目になりましたけど、いやぁ、しかし、志位委員長と同じ壇上でご挨拶する日が来るなんて本当に夢にも思いませんで、本当に光栄に存じております。どうかよろしくお願いいたします。
(会場拍手)
3年前の知事選挙、翁長が現職の方を相手に、本当に有難いことに10万票の差を持って挑戦をさせていただきました。正直、圧倒的だったと思っております、あの差で。ホッとしたんです、これでもう辺野古の問題は決着がつくんだと、名護市長がNOと言ってる、県知事もNOと言った人間が当選した。
何ですかこの3年間、
冗談じゃないですよね、皆さん。
政府は、しょっちゅう言う、
「何の問題もない」と。
どこにいったい民主主義があるんですか?
どこにあるの?
私たちの自治権は?
人権どこにあるんですか?
それが何ともない事なの?
冗談じゃないと3年間、怒り続けて参りました。
(会場拍手)
正直苦しいです。
夫がいつも苦しい顔をしているのを見るのは辛い、女房は。
本当ですよ、あんなに明るくて、いつもいろんなことがあっても家に帰ってくるときには玄関先でそう言った苦しいのをおいて、ただいまって笑って帰ってくる人が、この3年間、笑わないんですよね。
ちょっと時間があったらすぐ部屋にこもっていろんな法律の本ひも解いたり、しょっちゅう勉強して歩くの。言ったセリフが「こんだけ学生の頃勉強していたら俺は東大だった」って(会場笑)
いやー本当に必死に勉強しているんです、それなのに政府は言うことをコレッポチも耳を傾けてくれない、こんな苦しいこと、悔しいことはないです。

でも負けるわけにはいかないですよね、皆さん。
70年前の戦争で、私たちおじいおばあたちはもう命からがら、必死の思いで何とか生き延びて、私たちに命を継いでくれたんです。

両親と私たちの時代は米軍統治を経て、人権もなくて、憲法にも守られずに苦しい時代を過ごしました。

私たちは今もフェンスの中にいる・・・
その時代を何とかくぐり抜けて、やっと復帰して、やっとこれで憲法に守ってもらえると思ったら、政府はあの方達です。聞いてもくれない。
沖縄県民には人権がないと言わんばかりの方達が、あらん限りの権力を持って押さえつけようとしてる。
じゃぁ負けて諦めるのか、
どうですか皆さん、諦められますか?
(会場「諦めない!」)
そうです。
諦められないし、必ず私たちはおじいおばあがやったように必ずこらえて押し返して、
先の子供達にはもっといい沖縄を残したい。

(会場拍手「ナトンドー!(そうだ!)」)
頑張るしかないです私たちは。
心折れないで下さいよ、
大丈夫ですか?
頑張りましょうね!(拍手)
1つ、これは選挙です。
相手候補の方と稲嶺さん比べたら、Wスコアで勝っても本当におかしくないです。
当たり前、それが。
しかし相手候補には申し訳ないけど、稲嶺さんの相手は実は相手候補ではないです。国が政府があらん限りの力でもって抑えにかかってくるんです皆さん。
簡単じゃないです、これに打ち勝つのは。
私たちの心の中にちょっとでも「まあ何とか勝つでしょう」なんて気持ちがあったら結果は厳しいです。
心に刻んで、
みんなで必ずこの選挙を勝って、
私たちのこの闘いを必ず成就して、
私たちのこの気持ちを必ず日本政府に認めさせる、
沖縄の現状を国民に知ってもらう、
それしか私たちには道がありません。
頑張りましょうね。
必ず勝利を。
頑張りましょう、
最後まで。
どうかよろしくお願いします。

Exif_JPEG_PICTURE
荻上:まずは、当選おめでとうございます。今回の勝因、そして、勝ったとき、どんな県民の声を自分は受け止めることができたんだとお感じになりましたか?
翁長:そうですね。まあとにかく、0.6%という日本の面積、戦後、一貫して60年間、74パーセントのね、米軍専用施設をね、ずーと置いてきて、なおかつ海を埋め立てて、新しい基地を作るというわけですから、沖縄県民からするとね、こんな理不尽なことはないと思いますね。なおかつ、戦中、戦争中のこともありますし、人が亡くなったりね、そして戦後27年間、切り離されて、米軍の政権下に入って、あの時は高等弁務官が握っていて、知事なんていないですよ、あなた、若いから中々分かりにくいだろうけど、県会議員とも言いませんでしたね、立法委員と言っていたんですね。そういった中で、日本国憲法の適用もなくて、27年間過ぎてきて、さあ、復帰して、アメリカから解放されたと思ったら、基地という意味ではまったく解放されないですね。ずーっと置かれてきた。
そういうなかで、ぼくが訴えてきた日本の安全保障はね、日本国民全体で考えてくださいよと。役割分担してくださいよと、県民の切実な願いなんですよ。ところが、去年の東京要請行動でね、ぼくらは普天間の県外、国外、県内移設はやめてくれ。そして、オスプレイの整備は撤回してくれと。全県警に全市町村、全市町村議長がいって、一顧だにされないわけだから、46都道府県と沖縄は違うんじゃないのと。ほかの都道府県でね、これだけの政治家が動いていてね、何かでいやだといったらね、とてもとてもできる話じゃないのにね、沖縄だけそういう風にやられるのは県民は長い歴史の流れの中で、何も変わっていないなと感じて、今回のおそらく県民が、ぼくの市長、オール沖縄、そして、保革を乗り越えて、イデオロギーよりアイディンティティ。イデオロギーというのは「日米安保体制が賛成、反対」とかね、冷戦時代の「自由主義社会か共産主義社会か」というのがイデオロギーなの。
アイデンティティというのはね、ぼくら沖縄の政治家はね、沖縄の県民が安心安全で、将来の子供たちが安心安全で、そして、琉球王朝という独立だったときもあるわけですから、それの名残が首里城とか、今帰仁城跡、組踊、空手とかあるわけでね、そういった自分の文化、自分の故郷に誇りを持てるかどうか、自信と勇気が持てるようなもの、そういうものを残そうというのが沖縄の政治家なんですよ。だから、おまえ保守だろ、日米安保体制賛成だろうって、賛成は賛成でもいくらなんでも、0.6%に74%を置いておいてね、自分たちは何にも負担しない、そういう保守とは違います。日米安保だけがすべてだというのとは違う。沖縄は沖縄の、地方を守る私、保守のね、沖縄の保守だったと、という話をして違いますよ、と強調しているんですけどね。(以下略)