占領は続くよいつまでも : 小学校唱歌(天皇家・官邸・防衛省・米占領軍・米大使館愛唱歌) [Tragedy]
占領は続くよいつまでも
野を越え山越え海越えて~
遙かな町まで米軍の
楽しい旅のため悠久に
(小学校唱歌) アメリカ民謡
+
日米安保が対等であるのであれば、日本軍も米国本土防衛の任務に就き、首都ワシントン上空に日本軍空域を設定、首都郊外に軍隊を常駐させ、空母をSF港に常駐させるべきだろう。憲法九条規定の対象外、被占領国の憲法、あってなきがごとし。本件、日本のメディアはもとより、憲法学者も自主規制に怠りはない。
+
(昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」)
+ ■ (参考) (通称)沖縄メッセージ (昭和天皇のマッカーサー元帥に宛てた「米軍による沖縄占領状態を長期間継続させることを依頼するメッセージ」) 1947年9月に、昭和天皇は米軍が沖縄や琉球列島のその他の島に米軍が占領状態を50年間より更にもっと長期間継続させることを希望する天皇の考えを示し、当時、天皇の御用掛であった寺崎英成が占領軍の政治顧問のシーボルトの事務所を訪れて考えを伝え、ワシントンのマッカーサー元帥にその内容を送ってもらうように依頼したものである。 その文章の記録が残されている。 しかし、1946年11月には日本国憲法が公布され、既に象徴天皇が確定し、天皇は政治的な権力を行使できない立場になっていたのであるが、それにも拘わらず、政府を通さずに、個人の利益のために直接アメリカ側に政策要望を出していたことになる。 ワシントンで公文章の公開となったものが沖縄県の公文書館にコピーとして保存されている。(注) その内容は次のようなものである。 筆者の意訳で概要説明する。 尚、この後に寺崎が10月3日にシーボルトに会った際に、シーボルトは、陸軍省の意見として、沖縄をアメリカが自由にするとし、国務省の意見は定まっていないことを伝えている内容が書かれている。 (「寺崎御用掛日記」(寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー著)文藝春秋 ) |
(シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた手紙の内容) 1947年9月22日 標題:将来の琉球列島に関する天皇の考え 国務長官宛 拝啓 私は、1947年9月20日付けのマッカーサー元帥に宛てた私の説明のコピーを同封致しております。そのコピーの内容は、 天皇のアドバイザーである寺崎が、彼の要望で私のオフィスを訪れてきて、彼と話した内容の要旨を記録したものです。 その内容は、日本の天皇は、沖縄や琉球列島のその他の島々へのアメリカ合衆国による軍事的占領を継続することを 希望しており、その要望は、疑うべくもなく、天皇自身にとって大いに利することになることに基づくものであるという ことがわかるのである。天皇は、また、これらの島々の米軍による占領の継続が、長期間の賃借契約の方式によること を思い描いている。天皇の意見によると、それによって、日本国民は、きっと、アメリカ合衆国には下心がないと納得 するようになり、アメリカ合衆国が軍事の目的のために占領することを喜んで受け容れることになるであろう。という ことである。 (シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた手紙に同封したメモ内容) 1947年9月20日 |
2017-12-11 14:34
nice!(0)