性暴力と向き合わない日本社会ではなく、問題は、政権と向き合わないメディア [Tragedy]
本日の朝日新聞書評欄。斎藤美奈子(書評委員)が伊藤詩織著、ブラックボックスをとりあげている。警察に駆け込んだ伊藤詩織の訴えと証拠(ホテルのビデオカメラ、タクシー運転手の証言など)により、逮捕状まで用意されたが、執行の土壇場でなぜか取り下げられた。なぜ、逮捕状が取り下げられたか、が最大疑問であり、著者が訴えているポイントである。にかかわらず、斎藤美奈子はこの事実を真っ向からとりあげない。
書評の見出しは性暴力と向き合わない日本社会となっている。冗談じゃない。いま、日本の人々特に女性を中心に、性暴力を許さない風潮ができあがっているではないか。伊藤詩織強姦事件の最大のポイントは、強姦そのものより、政権が、政権ブレーンの強姦事件を隠蔽したことにある。むろん隠蔽を許したのは、メディアの政権への忖度である。(だれにたいして、何に対しても)忖度するメディアはメディアではない。この書評の見出しは性暴力と向き合わない日本社会ではなく、政権と向き合わないメディア、とすべきであった。これが伊藤詩織の一番いいたいことなのだ (見出しは朝日新聞読書欄編集部がつけたのか?書評子は見出しまで責任をもってほしい。読者はそのように見出しを読み替えるべきである。
斎藤美奈子よ。 朝日新聞記者が、この強姦事件、隠蔽事件を第一面(政権の関与)や、第三面(強姦事件)で追求しておれば、被害者・伊藤詩織が実名を公表したうえで、こんな本を書く必要などなかった、と、おもわないか? この本で批判されているのはメディアであり、この事件は、メディアの犯罪としても記憶されるべきなのである。
同じ書評欄で諸富徹(京大教授、経済学)がタックスヘイブンを追求したリチャードマーフィー著『ダーティシークレット』をとりあげている。問題の本質は、税金逃れという犯罪を追求し、壊滅させる武器は、情報の公開にほかならぬ、ということだ。情報の公開をするのは誰か? 大企業や資産家の代理人たる政府ではなく、正義を掲げて民衆への奉仕のためにはたらくメディアにほかならない。評者と著者は、情報公開こそが多国籍企業の租税回避に対する最も強力な牽制作用をもつ、と述べている。租税回避という犯罪であろうと、性暴力であろうと、正義に反する行為を、情報公開によって公民に知らしむるのが、メディアの役割ではないか。政府などに期待してはならない。
レイプ捜査もみ消し 疑惑の警察官僚は古賀氏排除でも暗躍
詩織さん準強姦事件「山口敬之」と「安倍総理」と「TBS」と「中村格氏」の知られざるトンデモナイ関係
http://健康法.jp/archives/30929
*
福島みずほさん / 「『総理』を書いたジャーナリストの準強姦事件を知っているか」(場内、騒然) http:// www.asy ura2.co m/17/se nkyo236 /msg/53 8.html
2017-11-19 09:10
nice!(0)