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若松丈太郎 [Language]

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本日届いた本二冊は、いま、わたしにとって最も大切な十冊の本のうちの、二冊となった。若松丈太郎の第八詩集『北緯37度25分の風とカナリア』、それに若松丈太郎がこれまで刊行した八冊の詩集(第八詩集を除いて、入手は困難)と未刊詩集から抜粋した『詩選集130篇』である。
フクイチ事故を予見した、といわれる詩により若松丈太郎は有名になったが、この選集を読めば原発詩がなくても彼の詩がすばらしいことが分かる。


  若松の視点は、賢治がそうであるように、土俗的であると同時に宇宙的である。作品世界はけして彼が大部分の生活拠点としている福島や南相馬に閉じていない。自身も原発事故を追ってチェルノブイリに出向き、郷里の敬愛する作家・島尾敏雄を追って石垣島に旅する。詩人は数千キロ、数千年の時間を瞬時に移動する軽やかな時空の旅人なのである。わが芭蕉もそうであったように。。。

『選集』に、詩人論を詩人・石川逸子が書いている。石川逸子が聴いた、若松丈太郎の言葉からいくつか引用しておこう(p212〜213)。わたしはこれを読んで怒りに震えた。自分の無知に対する怒りでもある。




電力業界で公然と「東電さんは植民地があってうらやましい」と言っていることを、核災後に耳にし、「わたしたちが生きている土地にいま起きていることのすべてが理解できた」という若松丈太郎氏。


「なぜ『東北』というのか、自分たち自身がいうはずはない。『西南』と言わないのに、なぜ? 命名したのは『西南』のひとたち。近世から近代に遷るときに定まった呼び名です」


石川逸子は、若松の問いを重く重く都会人の一人として、私(石川)も受け止めねばならない、として次のように続ける。

「東京は福島から250キロ離れていますから安全です」とプレゼンし、ぼう大な被災者の今に続く苦難にそっぽを向いてオリンピック招致した現政権や東京都知事など論外と言うほかない。



日本はとんでもない国になったが、いや、明治から平成に至るまでとんでもない国であり続けたことが<核災>により暴露されたが、差別され続けている<東北>が宮沢賢治、啄木などにくわえて、昭和の若松丈太郎を生んだとすれば、東北それに若松丈太郎をわれわれは誇りとせねばならない。


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