SSブログ

映画の教えるもの    許されざる者 偽りなき者 悪人  [Cinema]

昨日から今日にかけて3本のDVDを見た。

夕べ、『許されざる者』(日本製、リメーク版)。
今日、『偽りなき者』 と、『悪人』。

『悪人』の監督は李相日。許されざる者、と同一。悪人は秀作だが、許されざる者は凡作である。米国版『許されざる者』(これは文句なしに駄作)に引きずられたとしか思えない。 ...

偽りなき者。
これは幼児の嘘の犠牲に大人がなる。。という話だ。幼稚園の女の子が、男性職員(高学歴だが会社が倒産して失業。しかたなく幼稚園職員をつとめている。。)に性的虐待を受けた、と嘘をつく。男性は解雇されルと同時に地域から攻撃を受ける。信じてくれるのは長男だけ(妻とは離婚。長男と会っても電話してもならない、という裁定が下されている)。

問題なのは映画を見ている人はこの男性は無実である、と現実の生活では不可能な<客観的知識>を撮影レンズにより与えることである。これでは、男性の受ける地域からの嫌がらせや無理解があったとしても、これを根拠なきもの、と<安心して>観客が見ることが出来、映画のおもしろさを損なう。ちょうど、映画『それでも僕はやってない』の観客が主役は電車で痴漢などしていない、ということを前提として知っている(そのように映像が示している)のと同じこと。 黒澤『羅生門』的なおもしろさが全くない。いかに羅生門が映像的に画期的であるか、を示しているということにもなろう。 人間の世に客観的な真実も嘘も無い。あるのは噂に基づく主観だけである。

『悪人』は出会い系サイトで会った男女が殺人に巻き込まれ、逃避行を続ける話である。吉田修一原作。数年前評判になった新聞小説と映画だが。。わたしは無視していた。ふと気になって見たDVDがこれほどの傑作であるとは。。。我が人生のベストスリーに入れたい映画である。途中何度も泣かされた。殺人を犯した主役の存在感は薄いが(そういう映画評も多い)、存在感が強くては困るのである。現代社会が量産する貧困家庭と、倫理と正義の不在が産み出す殺人がどれほどの悪なのか、というのがテーマなのだ。 殺人は果たして個人の罪なのか。

『許されざる者』で見るべきは、北海道の景観のみ。 許されざる者、とは誰のことなのか? イーストウッド版ではラスト、<悪徳>保安官~ジーンハックマン(日本版では佐藤浩市)がイーストウッドに撃ち殺される前に「どうしてオレが死ななければならないのか?」と自問する。正当な疑問である(佐藤浩市も同じ台詞を吐いて良かった)。 許されざる者、とは、イーストウッド、渡辺謙が演じた<賞金稼ぎ>、である。

偽りなき者
http://www.youtube.com/watch?v=OXqX3YppNyI
許されざる者
http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/index.html 日本版
悪人
http://www.youtube.com/watch?v=lw-o2Pcivpk

娘も悪人を観たといっている。どういう出会いを人生でするかは分からない。この事件のような殺人事件に巡り会わないとも限らない。どうであっても、魂を込めた恋愛をして欲しいし人生を歩んで欲しいものである。

偽りなき者、悪人、。。。この2本は学校で生徒に必ず見せ、討論させるべき映画では無いだろうか。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。