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事故調査委員会の<想定外>  「失敗学」の失敗 [東日本大震災]

 要約: 
 シビアアクシデントが発生する前~平常時、であってもすでにこのような難問~致命的問題点、が山積しているシステム=原発を建設・設置しなければならない理由は何なのか。これを、畑村を含む調査委員会メンバーは自己納得した上で国民に説明してもらいたい。事故以後、のみが問題ではなく、事故の前=設計段階にすでに問題があった、さらに言えば、建設の前に問題点は指摘されていた、その問題点が意図的に国民から隠されていた、ということである。つまり、制度問題、国の意志決定問題からまず尋ねなければならない。誰が隠したのか。これに目をつぶれば、すなわち、事故は何度でも繰り返される、ということだ。畑村委員長には「失敗学」の基礎を再確認してもらいたい。畑村は「責任の追及がこの調査委員会の目的でない」と、述べている。追求はしなくても、あるいは告発などの法的措置を要求するのがこの委員会の目的ではあるまいが、問題点がどこにあったか、誰(個人名はよいとして、職位や、組織は特定せずにはおれないだろう)が責任を有するか、を、特定せずに何のための調査か。将来の巨大システムの安全性、や、そのシステムの要否を判定するために何の寄与もしないことになるのではないか。畑村「失敗学」の真価が問われる事態である。「失敗学」は巨大システムに通用するのかどうか、ということだ。家庭用電化製品、車、パソコン、ケータイ、およそどのような商品であれ(住宅さえも)、製造者に過失がなくても製造者責任が問われるのである。<失敗のもたらす災害の分析・評価>をないがしろにしたシステム製作は許されない。シビアアクシデントに至ったのは東電、官邸の<事故発生後の対応がまずかったから>という結論にしたいようだ。しかし、<人間の対応のマズサによってシビアアクシデントに至るようなシステムの存在を許すこと>がそもそも大問題ではないか、という問いかけを畑村たちは頭から回避~すなわち、<想定外>にしているのだ。原発は通常運転時であっても問題を有するシステムである、という問題を問おうとしない(設計から廃棄までのライフサイクル、として完結していない、すなわち、商品としての適格性が最初から欠落している、ということだ)。であれば、そのことを報告書の最初に<想定外>事項、として示すべきである。すなわち、本報告は原発の存在自体を疑わない、原発の存在は与件とする、と。調査委員会自体が犯している、暗黙のこの想定、あるいは、想定外、を畑村は自覚していないのではないか?これは悲喜劇である。あらゆることを疑う、という原則を回避した事故調査委員会に東電・政府を非難する資格があるか。「ガキんちょの仕事ね」ムスメは一言で片づけた。
 

 
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 平成23年12月26日付けで、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎)が、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告」を発表した。

ダウンロード可能
http://icanps.go.jp/post-1.html

 目 次
1 はじめに
2 事故の概要
3 事故発生後の政府諸機関の対応の問題点
(1)原子力災害現地対策本部の問題点
(2)原子力災害対策本部の問題点
(3)残された課題
4 福島第一原発における事故後の対応に関する問題点
(1)1 号機のIC の作動状態の誤認 
(2)3 号機代替注水に関する不手際 
(3)1 号機及び3 号機の原子炉建屋における爆発との関係 
5 被害の拡大を防止する対策の問題点
(1)初期モニタリングに関わる問題
(2)SPEEDI 活用上の問題点 
(3)住民避難の意思決定と現場の混乱をめぐる問題
(4)国民・国際社会への情報提供に関わる問題 
(5)その他の被害の拡大を防止する対策についての考察 
6 不適切であった事前の津波・シビアアクシデント対策 
(1)不適切であった津波・シビアアクシデント対策 
(2)東京電力の自然災害対策の問題点 
7 なぜ津波・シビアアクシデント対策は十分なものではなかったのか
8 原子力安全規制機関の在り方
9 小括 
10 おわりに  

本書は中間報告である。最終報告は来年(24年)夏ごろ出版される予定らしい。
全文をプリントアウトすれば700ページになるようだ。 ざっとながめたところ、とりあえず、第一章と、第七章を読めば要点はわかる。(事故の対策とかに専門家以外は口を出せない)。そのなかだけでもこの報告書の問題点が見える。わたしは、第一章をプリントアウトして読んだ。20ページである。(第七章の結論が要約してある。これさえよめばこの調査委員会の限界がはっきりわかる)。

じっくりと読む時間がないのが残念だが、散発的に読んだコメントをメモ代わりに列記しておく(あるサイトへの投稿)。

#コメント1

目次を読むと、1章、と、7章が重要ですね。

しかし、今後の調査に待つところが多いため、なにも言っていない報告のようだ。事故の経緯、事故対応の経緯などたいした問題ではない。被害の拡大防止、など、この委員会に期待されている役割からははずれている。

したがって、この委員会の目的の確認:

>当委員会は、今回の事故の原因及び事故による被害の原因を究明するための調査・
検証を、国民の目線に立って開かれた中立的な立場から多角的に行い、被害の拡大防
止及び同種事故の再発防止等に関する政策提言を行うことを目的として、同年5 月24
日の閣議決定により設置された。
今回の事故に関する調査・検証は、事故の当事者である東京電力や、規制当局であ
る経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)等によっても行われてお
り、また、政府の原子力災害対策本部から、国際原子力機関(IAEA)に対し、2 度に
わたり日本国政府の報告書も提出されているが、当委員会は、これらとは別に、従来
の原子力行政から独立した立場で、技術的な問題のみならず制度的な問題も含めた包
括的な検討を行うことを任務としている。

これが問題。


再発防止、のなかに、原発の廃止、も含まれているかどうかを明言すべきだろう。

また、過去、原発推進は、最終的に裁判所判断でおこなわれた。過去の裁判に提出された反対側の証拠や裁判資料などそれに判決文、なども調査対象にすべきであ利、裁判批判を畏れてはならない。

###コメント2

問題は、
1 この報告や調査委員会の位置づけでしょう。政策に大きく影響するようだとはしごをはずされる可能性がある。つまり、無視。

2 メンバーには推進派が多くいる。彼らはフクシマ原発だけに調査を限定するようし向けるだろう。原発そのものに問題はない、フクシマの、東電の運営と設計に問題があった、それを考慮してみなおせばよい、原発推進に影響なし、とする方向で彼らは結論したいはず。それをうちやぶって、原発そのものに問題があるのであって、どのような安全策を講じても危険が多すぎるシステムは廃棄すべし、という意見は少数になる。最低限、少数意見も併記すべし(吉岡斉、ら)。
3 原発の危険は過去40年の反原発訴訟でさんざん原告が証拠と証言をおこなってきた。その貴重な資産をきちんと、評価しているのか、ということ。裁判に関わった人たちからの証言と主張も(もちろん、推進派の主張もだ)再度、聞くべきだろう。双方ともフクシマ事故のあとであらたな認識を重ねているだろうから。
4 いうまでもなく、原発はメーカや電力会社、それに政府(の一部)と意志決定に使われた専門家がかかわった。そして、反論を封じるのには地方政府やマスゴミが寄与した。国家の意志決定、政策決定のこのひずみの存在をこの調査委員会がどう評価するのか、ということ。原発は技術問題=安全問題だけではなく政治問題、産業問題でもある。政治と産業が、純粋の安全問題をゆがめてきた、これを認めるのかどうか、だ。

# コメント3

畑村(委員長)は、この報告作成にあたっては、畑村が仕切る、と報告書中でのべ、妥協無き報告であることを印象づけようとしている。畑村は機械設計の専門家(東京大学名誉教授)であり、失敗学会を主宰している。であれば、過去40年戦われてことごとく(原告=反原発側が)敗北してきた反原発裁判に無関心でいたはずはない。反原発派が提出した証言と証拠を読んだことがあるのか、おのれの原発に対する見方がフクシマ事故でどう変わったのか、過去の原発阻止裁判にたいしてどういう意見を表明してきたのか(あるいは無関心だったのか。フクシマ事故で初めて原発問題を知った?)、を知りたいものである。


# コメント4

まず、「はじめに」、から7を全文掲げておく。わたしのコメントを青で挿入する


7 なぜ津波・シビアアクシデント対策は十分なものではなかったのか 【Ⅶ
章7】

① 自主保安の限界
東京電力が想定を超える津波に対する対策を盛り込むことができなかっ
たことは、自主保安の限界を示すものといえる。

② 規制関係機関の態勢の不十分さ
研究の深化のスピードや関連する知見の日進月歩状況に鑑みると、直ち
には結論の出ない学術的な議論等は学会等に任せ、指針・基準の策定・改
訂はその時々の採用可能な最新知見を取り上げて、速やかに進めていく必
要がある。そのためには、規制関係機関の態勢の充実が不可欠である。

③ 専門分化・分業の弊害
津波対策は、異なる分野の知識や技術を必要としており、異なる文化を
持った専門家・技術者集団が協働して問題解決に当たることが重要である。
専門分化の壁を超えた組織となり得るような仕組みを作ることが必要であ
る。

④ リスク情報提示の難しさ
より安全性を高めるための改良を加えようとすると、これまでやってき
た過去を否定することと受け取られてしまうというパラドックスが生じる。
絶対安全が存在しないことを認め、リスクと向き合って生きていくこと
は容易ではない。しかし、伝えることの難しいリスク情報を提示し、合理
的な選択を行うことができるような社会に近づく努力が必要である。


①から④まで読んで。
40年の歴史を持つ反原発裁判や反原発闘争に関わった人たちからすれば失笑するしかないだろう。

<より安全性を高めるための改良を加えようとすると、これまでやってき
た過去を否定することと受け取られてしまうというパラドックスが生じる>

過去の否定をパラドックス、というか?技術進歩、知見の進歩、と呼びたまえ。安全でない、ことがわかればそのシステムは設計段階で廃棄するのが科学者のつとめ、なのである。廃棄、は、進歩であり、パラドックスではない。リスクの評価が十分でない、と苦言を呈しているようだが、リスク評価は反原発派からいくらでも提出されているし、チェルノブイリ、という先例があったではないか。きみたち=調査委員会、は盲目なのか?(東電や政府やメーカが盲目なのはわかるとしても、調査委員会まで盲目になるのはいただけない)。まさか、調査委員会が<安全>を求めようとすると、電力会社の過去を否定することと受け取られてしまうというパラドクスが生じる、という意味じゃないだろう?。。なんだか、そんな気がしないでもナイ。「失敗」、こそ、進歩の足がかり、じゃないのかな?しかし、「失敗」の危惧を指摘されてもそれを見ようともしなかったのは、技術者、技術会社としての資質がない、ということではないのか。安全を旨とするpublic utilities の世界から退出を命ず!ということになるのではないか?




8 原子力安全規制機関の在り方 【Ⅵ章7、Ⅶ章8】
政府は、平成23 年8 月15 日、保安院を経済産業省から分離し、安全委員
会の機能も統合して、環境省の外局へと改組するなどの改革案を閣議決定し
た。当委員会は、政府に対し、以下の事項に留意しつつ、新組織の設置に向
けた検討を進めることを要望する。

① 独立性と透明性の確保
独立性と透明性を確保することが必要であり、自律的に機能できるため
に必要な権限・財源と人員を付与すると同時に、国民に対する原子力安全
についての説明責任を持たせることが必要である。

② 緊急事態に迅速かつ適切に対応する組織力
災害発生時に迅速な活動が展開できるよう、平常時から防災計画の策定
や防災訓練等を実施しておくことのみならず、緊急事態において対応に当
たる責任者や関係機関に対して専門知識に基づく助言・指導ができる専門
能力や、組織が有するリソースを有効かつ効率的に機能させるマネジメン
ト能力の涵養が必要である。
また、責任を持って危機対処の任に当たることの自覚を強く持つととも
に、大規模災害に対応できるだけの体制を事前に整備し、関係省庁や関係
地方自治体と連携して関係組織全体で対応できる体制の整備も図った上、
その中での安全規制機関の役割も明確にしておく必要がある。

③ 国内外への災害情報の提供機関としての役割の自覚
情報提供の在り方の重要性を組織として深く自覚し、緊急時に適時適切
な情報提供を行い得るよう、平素から組織的に態勢を整備しておく必要が
ある。

④ 優秀な人材の確保と専門能力の向上
優れた専門能力を有する優秀な人材を確保できるような処遇条件の改善、
職員が長期的研修や実習を経験できる機会の拡大、原子力・放射線関係を
含む他の行政機関や研究機関との人事交流の実施など、職員の一貫性ある
キャリア形成を可能とするような人事運用・計画の検討が必要である。

⑤ 科学的知見蓄積と情報収集の努力
関連学会や専門ジャーナル(海外も含む。)、海外の規制機関等の動向を
絶えずフォローアップし、規制活動に資する知見を継続的に獲得していく
必要がある。また、その意味するところを理解し、組織的に共有と活用を
行うとともに、それを組織として継承・伝達していく必要がある。

9 小括 【Ⅶ章9】
これまでの調査で明らかになった諸事実からすると、この事故の発生及び
その後の対応について生じた問題の多くは、以下の三つが大きく影響してい
ると考えられる。

① 津波によるシビアアクシデント対策の欠如
東京電力は、今回のような津波によりシビアアクシデントが発生するこ
とを想定した上で、それに対する措置を講じるということをしなかったし、
規制関係機関も同様であった。
今回の津波のように、確率的にその発生頻度が低いと評価された事象で
あっても、発生した場合には被害規模が極めて大きくなると予想されるも
のについては、リスク認識を新たにし、それを無視することなく、必要な
対策を講じておくことが必要である。

② 複合災害という視点の欠如
原発事故が複合災害という形で発生することを想定していなかったこと
は、原子力発電所それ自体の安全とそれを取り巻く社会の安全の両面にお
いて、大きな問題であった。複合災害を想定した対応策の策定は、今後の
原子力発電所の安全を見直す上で重要なポイントとなる。

③ 全体像を見る視点の欠如
これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄で
あったことは否めない。そこには、「想定外」の津波が襲ってきたという特
異な事態だったのだから、対処しきれなかったという弁明では済まない、
原子力災害対策上の大きな問題があった。

以上から指摘できるのは、一旦事故が起きたなら、重大な被害を生じるお
それのある巨大システムの災害対策に関する基本的な考え方の枠組み(パラ
ダイム)の転換が、求められているということである。

ここまできても<巨大システムの災害対策に関する基本的な考え方の枠組み(パラダイム)の転換>としかいえないことに驚く。シビアアクシデントの評価が十分ではなかった、と畑村(委員会)は言いながら、その評価結果がどのようにシステム(原発)にフィードバックされるべきか、には一言も言及しない。福島やチェルノブイリをみれば、いったんシビアアクシデントが発生したら目の前に展開されているような羽目になるのである。このシビアアクシデントは畑村の用語をもじって言えば<本質危険>なのである。人間も誤りを起こすし、機械(プログラム)も誤りを起こすし事故も起こる。巨大システムであれば劣化も起こすし経年変化もあるし、設計ミスもゼロにはできない。エラーが起こっても重大事故~シビアアクシデントに至らないシステムでなければ設計段階で中止すべきである、というのは安全工学のイロハではないのか、畑村名誉教授。

いったいこのシステム(原発)は何のために存在するのか?考えたことがあるのか。そこから出発してもらいたい。高いリスクの存在を隠してまで、なぜ、このシステムを作らなければならないのか。リスク評価は、システムを実際に作る前におこなうのが常識。。。いやこんなことを名誉教授に大して申すの失礼だろう。 なにが、リスク評価の実施をこれまで阻止してきたのか。これくらいは、解明してもらわなければ調査委員会委員に、日当、お駄賃は払えないのではないか。烏合の衆ではないのだ。この程度のリスクは、その効用を考慮すれば忍ぶべきである、というのであればそのリスク~効用の計算過程を示してもらいたい。

反原発運動の弁護にかかわってきた弁護士・海渡雄一が掲げる原発の問題点を列記しておく。最低限これだけでも、どのように回答しようとしているのか述べてもらえないか?

以下引用。
当時、原子力開発について問題点として指摘されていたことを列挙してみよう。
● 潜在的な危険性があまりに大きく、重大事故は人々の健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす可能性がある。
● 被曝労働という命を削るような労働が、とりわけ下請け労働者に強いられ、労働そのものの中に差別的構造を内包している。
● 平常時であっても、一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害を引き起こす可能性がある。
● 放射能廃棄物の処分の見通しが立っていない。
● 核燃料サイクルの要とされるプルトニウムはあまりにも毒性が強く、またその利用は核兵器開発の拡散をもたらす。
● 原子力発電を進めるために、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われてしまう危険性がある。
(岩波新書、新刊『原発訴訟』 2011年/11月、海渡雄一著から)


シビアアクシデントが発生する前~平常時、であってもすでにこのような難問~致命的問題点、が山積しているシステムを設置しなければならない理由は何なのか。畑村を含む調査委員会メンバーは自己納得した上で国民に説明してもらいたい。事故が問題ではなく、事故の前=設計段階にすでに問題があった、さらに言えば、建設の前に問題点は指摘されていたその問題点が意図的に隠されていた、ということである。誰が隠したのか。これに目をつぶれば、すなわち、事故は何度でも繰り返される、ということだ。畑村委員長には「失敗学」の基礎を再確認してもらいたい。畑村は「責任の追及がこの調査委員会の目的でない」と、述べている。追求はしなくても、あるいは告発などの法的措置を加えるのがこの委員会の目的ではあるまいが、問題点がどこにあったか、誰(個人名はよいとして、職位や、組織は特定せずにはおれないだろう)が責任を有するか、を、特定しなくては、将来の巨大システムの安全性、や、そのシステムの要否を判定するために何の寄与もしないことになるのではないか。畑村「失敗学」の真価が問われる事態である。「失敗学」は巨大システムに通用するのかどうか、ということだ。家庭用電化製品、車、パソコン、ケータイ、およそどのような商品であれ(住宅さえも)、製造者に過失がなくても製造者責任が問われるのである。<失敗のもたらす災害の分析・評価>をないがしろにしたシステム製作は許されない。シビアアクシデントに至ったのは東電、官邸の<事故発生後の対応がまずかったから>という結論にしたいようだ。しかし、<人間の対応のマズサによってシビアアクシデントに至るようなシステムの存在を許すこと>が大問題ではないか、という問いかけを畑村たちは頭から回避~すなわち、<想定外>にしているのだ。原発は通常運転時であっても問題を有するシステムである、という問題を問おうとしない(ライフサイクル、として完了していない、すなわち、商品としての資格が欠落している、ということだ)。であれば、そのことを報告書の最初に<想定外>として示すべきである。原発の危険性・問題点は40年以上に及ぶ原発建設阻止裁判のなかで早くから指摘されてきた。そのなかで提出された証言・証拠から調査委員会はなにを学んだのか?<対応を誤らなければシビアアクシデントを防げた可能性がある>くらいなら、調査などせずとも誰にでも出せる安易な結論である。あらゆることを疑う、という原則を回避した事故調査委員会に東電・政府を非難する資格があるか。


10 おわりに 【Ⅶ章10】
何かを計画、立案、実行するとき、想定なしにこれらを行うことはできな
い。しかし、同時に、想定以外のことがあり得ることを認識すべきである。
今回の事故は、我々に対して、「想定外」の事柄にどのように対応すべきかに
ついて重要な教訓を示している。
当委員会は、現在も、長期間にわたる避難生活を強いられ、放射能汚染に
よる被害に苦しみ、あるいは、被ばくによる健康への不安、空気・土壌・水
の汚染への不安、食の安全への不安を抱いている多くの人々がいることを銘
記しながら、更に調査・検証を続けていく。
####
 


2011年12月27日(火) 午後10時00分~10時49分
総合テレビ
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111227.html

原発事故 謎は解明されたのか
「絶対安全」をうたいながら、世界最悪レベルの放射能汚染を引き起こし、今なお多くの人々に避難生活を強いている福島第一原発事故。その原因と背景を半年以上にわたって探ってきた政府の事故調査・検証委員会が、12月26日中間報告を発表した。現地調査や数百人へのヒヤリングなどをもとにした全700ページ以上にわたる報告では、様々な問題点や疑問点の多くに関して、政府事故調としての調査結果と見解を示しているが、特に東京電力や政府機関の事後の対応について多くの問題点を指摘するなど、踏み込んだ内容になっている。NHKスペシャルでは、事故調委員長の畑村洋太郎氏と、委員の柳田邦男氏を急遽スタジオに迎え、事故調中間報告は一体何を明らかにし、国民の疑問にどこまで答えるものになっているのかを検証してゆく。


##

前記事を書いた直後にこの番組の放映が始まった。
見終わってどっと疲れが出た。
登場した調査委員長=畑村がニコニコしているからなおさらに。

終始番組では事故後の東電や政府の対応のまずさ、をあれこれ言い立てている。
(まず最初に言っておかねばならないが調査委員会は原発建屋内部を調査していないはずである。これは大きな限界だ。普通、民家に火事が発生しても、消化直後に消防、警察が調査を始める。消防警察が福島に入って調査したか?東電本社に警察・検察が捜査に入ったか?あるいは保安院が調査したか? それもやらずに、調査報告を出すのがそもそも無理なのである。と、まずこれを言っておきたい。万一メルトダウンが発生していなくても、津波がなくとも、地震で発電所は動作不能、二度と再開できない程度の損傷を受けたはずである。それを誰も確認していない)。

地震直後に発生した、照明、通信、測定系、制御系の途絶により所員はパニックになったに違いない。DC電源が動作不能になった場合のマニュアルがなかった、と畑村は言っていたが、かりにマニュアルがあったとしても緊急事態にマニュアルどおりに操作できるか、そのとおりに所内設備が機能するか、は疑わしい。真っ暗な中での作業である。おのれの命の安全さえ危ういのだ。炉の下で働いていた職員もいたらしいが、よく脱出できたものである。

まず、事故の起こった時間がもっとも幸運な時間帯であったことを忘れないほうがよい。もし、地震が真夜中に発生していたら、とおもうとぞっとする。

メルトダウンは地震から数時間後に起こっているのである。

畑村は、オフサイトセンター(建屋から二キロ離れている)がまったく機能しなくなったといっている。大地震がきたあとは、電気系で動作しているものはまず使用に耐えない、とおもったほうがよい。せいぜい自家発電あるいはバッテリーで所内の機器や照明を最低限動作させられるだけ、である。

通信がだめ(通信会社がダウン)、交通がだめ(道路が破壊)、測定器も動作停止(システムにとっては致命的である。手動動作さえままならない)したのだから制御もできない。

問題なのは、電気系(エネルギ供給)がストップしたことにより、大災害(メルトダウン)が発生する、というシステム構造なのである。地球上のどんなシステムでもこういうことはありえないのだ、原発以外は。たとえば、新幹線。たとえば、自動車工場。たとえば、火力発電所・水力発電所。あるいは、化学プラント。停電になったら大災害になる!つねに、エネルギを加えて冷却せねばならない、緊急停止も非常着陸も許されぬ苛烈なシステム、いかなる自然災害が発生しても、戦争になっても。。である。こんな危険なシステムはシステムと呼べないのである。。。ここまで報告書で踏み込む気はサラサラないらしい(安全な調査委員会である、少なくとも、電力会社、産業界、政府にとっては)。

畑村は著書『未曾有と想定外』のなかで、ある水力発電所の例を紹介している。その発電所は非常時、水門を閉めて脱出することになっているそうだが、水門の動作には電力は使わない(停電になる可能性があるからである)。ガソリンエンジン、もしくは手動により水門を閉めるらしい。福島ではディーゼル発電機が二台あったそうだが、津波で水没しなくても二台を並べておく、というのは危うい。

初動の指揮系統が乱れた、というが、道路も通信も使えない状況でどれほどスムーズな指揮が期待できようか。夜間の事故発生、あるいは台風、大雨と同期した事故発生を考えれば、原発の存在、というものの本質的な危険をこそ指摘すべきではないか。

柳田も畑村も、マニュアルどおりに事態が進まなくても、いまシステムでなにが発生しているかを理解し、最善手を取ることが必要である、といっている。そんなスーパーエンジニアを大量に養成できると思っているのだろうか。それでなくても、所内では被曝が日常的であり、働いているのは待遇の悪い下請け社員が大多数なのだ。

畑村はNHK職員の「メルトダウンは防げましたか」という質問に、その可能性はありました、という。照明がなくても目が見えるスーパーマン職員でもいないかぎり無理じゃないか?畑村はさらに、想定外の事態が発生した場合には「防災」ではなく「減災」を目指すべきだ、とも言った(東電はこれを聴いてホッとしたろう)。

いずれにしても緊急事態は地震だけによって起こるのではない。オペレーションミスによっても発生する。エネルギ供給がストップすれば、原発の場合、手動で制御する、ということは不可能だ(水力発電所の水門を手で閉める、というような決め手がない)。燃料の冷却を人間が手動で行うというのは無理なのである。 「フェールセーフ」という原理は、畑村・柳田の頭にはないらしい。

次の事故はまったく違った様相で起こるのだ。他の電力会社に対して原発を廃炉にしろ、とはこの調査委員会は言わないのか?マニュアル外の事態が夜間発生しても、何がいつ発生しても、事態の進行を見極め、最善手を打つことができるようなスーパーエンジニアを多数養成しなさい!そうして、シビアアクシデントが万一発生してもその賠償を国民に転嫁するのではなく、電力会社自身で負担しなさい。これが答えか?スーパーエンジニア養成スクール校長には是非、畑村洋太郎になってもらいたい。



「謎は解明されたか?」
最大の謎は、こんな地震国、津波国に54基も原発が存在することだ。解明してくれませんか、畑村・柳田先生。
批判を封殺して存立している原発文化という厚い岩盤(もしくは、砂上の楼閣)を掘り返すことのない調査委員会報告。
高齢者の多い委員たちには、末節を汚さぬよう祈るばかりである。


 
追記:
畑村委員長や委員は、原発を不要と考えているか、国民生活に必須、とかんがえているか、は調査委員会報告の前提でなければならないだろう。報告書の結論に大きな拘束をかける。畑村委員長は原発を廃棄するなど、トンデモない、という思考の持ち主におもわれる。であれば。。この報告書の結論も見えてくる。来夏までこの人たち=調査委員会メンバーに税金から活動費を払うのが無駄な気がするのだが。
引用:
T なるほど。 昨日、畑村洋太郎(トーダイ。失敗人、もとい失敗学)の新著『危険学』も借りてきたがこんなことを書いている:

「。。。東京電力も原子力安全・保安院、そして政府も津波で電源が全部落ちることなど、まったく想定していませんでした。(気付いていたのに)あえて目をつぶっていたわけでもなさそうです。「原子力は安全で便利だから」と自分たちも信じ、それを前提として運用していました。そして、私たち国民も、原発のおかげで安い電気を潤沢に使用でき、快適な生活を送ってきました。
 利便の裏には危険があることを考えないで、ただ享受するだけの生活を今後も続けることはできません。原発の危険をきちんと理解した上で共生していくのか、それがイヤなら、電力が安定して供給されないかもしれない不便な生活を選択するのか、生き方の選択を迫られているような気がしてなりません。。」
(畑村さん、あなたは、ドッチ選択したいの?)

電力会社や政府は、危険や日常的に発生している事故、日常的に原発下請け労働者が被曝している事実を国民に知らせる義務を怠ってきた、とか、自然エネルギに切り替える政策を立て、節電設計に配慮した製品開発を支援し、国家の政策を国民投票により選択できる民主的意志決定システムの早期確立が求められています、とは口が裂けても言いそうにないね、この人は。

畑村は「本質危険」と「本質安全」という概念(?)を立てている:

本質危険:製品・機械・設備などが本来的に持っている危険、高エネルギーを伴う施設、大量の高放射性物質を有している施設、重要社会インフラ、巨大システム、複雑システムなど。

本質安全:センサなどの制御系に頼ることなく(機能安全ともいう、古井戸)、製品・機械・設備そのものの働きを、どんなときでも安全な方向に動くようにすることで、安全を確保すること。

この<本質安全>はいい加減な概念だと思うよ。これでは、ジャンボ旅客機や、新幹線、巨大ダム、石油プラント、水力火力発電所などと、原発の差異が隠されてしまう。水力火力発電所はたとえ、全建物が破壊されたとしても中にいた作業員は死亡するかも知れないが(極めて稀)、付近に被害を与えることはない。311の直後、千葉県市原市では化学プラントが火災になり一週間以上燃え続けたが死者は出ていないし、住宅は隔離されているから他への延焼もなかった。火災は織り込み済みの事故なのだ。火災が起きても破壊されても(テロやミサイルで)、火力発電所は安全だから東京湾岸にいくつも建てられている。新幹線や旅客機も事故(テロなどで)があれば最悪数百人の死者と、機体車体の損害は受け、住宅地域に墜落した場合もそれに倍する被害は受けるかもしれないがその地域を越えて被害が出ることはないし被害は数年を越えて残らない(すくなくとも原発からの放射能漏れ、使用済み燃料に必要な実質恒久的な放射能管理の問題は起きない)。したがって、最悪の損害と賠償額は限定される。しかし、原発の場合に一旦事故があれば補償額は数兆円(~数十兆円、年間国家予算規模)に被害が及び、人体への放射能被害は何十年も残る。さらに根本問題として使用済み燃料は何万年も後々の世代が管理しなければならない。これは非倫理的であり、本質危険、というより、システム不完全、つまり、完成未然として製造まかりならぬシステムなんだよ。意図的あるいは災害により破壊されたら(したら)、地球規模の汚染源に変貌するシステムなどは設計時点で封印するのがまともな技術者の発想なんだよ。 技術者でない開沼のほうが技術屋あがりの畑村よりこの辺の事情が分かっている、というのがおかしい。東大もと暗しとはこのこと。
   (ブログ記事、「娘との対話」、から。http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2011-10-03
>本質危険:製品・機械・設備などが本来的に持っている危険、高エネルギーを伴う施設、大量の高放射性物質を有している施設、重要社会インフラ、巨大システム、複雑システムなど。

この「本質危険」と、原発の<危険>は格段に差があり、同一カテゴリにに区分するのは誤りである。外部からのエネルギ供給が途絶えるとメルトダウン(単なる火災とかではない。火災は燃料が尽きれば数日~数ヶ月で収まる。放射物の場合は数十年数百年経過しないと終息しない)に至る、という種類の危険は原発のほかに地上にあるのだろうか?台風、地震、津波のような自然災害なら防止のしようがないが、原発は、人工物である。なぜこのような人工的な危険物を置かなければならないか、ということだ。

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