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ケンゾー・タガワという男 [Book_review]

新潮社発行の雑誌「考える人」2010年春季号、特集・はじめて読む聖書、を取り寄せ、田川建三ロングインタビューを読む。

 

高校生の頃に洗礼、家族の影響もあって聖書研究の道を選んだ。。という若い頃。東大で西洋古典哲学を学ぶ。ドイツ留学を試みたが失敗(語学以外の原因)。知人のフランス人神父に「この者は博士論文を書くだけのフランス語能力がある」というウソ紹介状を書いてモライ、パリのストラスブール大学に留学(それまでドイツ語一本だったが、この留学でフランス語の方が楽になった)。新約聖書の権威、トロクメ教授について2年4ヶ月かけて博士論文を書く。この一部を日本語にしたのが『原始キリスト教史の一断面』。

 

日本に帰りICU助手(格下げ人事)。大学紛争の後、追放される。

 

2年間フランス語を教えて食いつないだ後、スイス人新約研究者(教授になった)に拾われゲッチンゲン大学(ドイツ)に。学術助手。2年間勤務。

 

フランス語にもどりたいな~、と思っていた頃、アフリカのザイール大学の教授にならないか、という誘いがあった。トロクメからの紹介。教え子がザイールに帰国して偉くなり、ザイール大学教授職をトロクメに照会してきたのだ。ザイール(現コンゴ)。

 

ザイールの生活は田川に大きく影響を与え、この生活があって初めて『イエスという男』が書けた、と言っている。プチブル・田川建三がほんとうの貧困を知った、という経験。それに帝国主義(=フランス)というものの実態(言語、など)。ローマ(ラテン語)と、ローマの支配地・ヘレニズム世界(ギリシャ語)の関係類推(支配の手段、と言語関係)に役だった。

 

(新約聖書研究者は、すべからく、最低5年のアフリカやアジアの貧困国生活を義務づけたらどーかね?貧困になれ、とも、病人になれ、ともいえぬ、から。凡庸な頭脳では、貧困の実態を体験する以外に新約聖書、ではなく、イエスのいた社会を追体験することはできまい。帝国主義も知らず、奴隷も植民地も知らず、大学、教会での研究・布教生活だけで新約聖書を語るのは無理ダス)

 

ザイールのあと、トロクメに呼ばれストラスブールで客員教授1年。そのあと、大阪女子大学でラテン語、ギリシャ語を教えて(78-99)、定年。現在、私塾で教えながら著作活動。

 

あとは省略。

 

イエス、と、ケンゾー・タガワとの差を考えた。

 

イエスはほとんど貧困といっていい家庭だろう。ケンゾー・タガワは誰が見てもブルジョア(プチブル)出身。若干の才能と根性はあったのだろうが、家産に支えられた研究生活といってヨイ。『イエスという男』初版を私は購入して読んだが、あとがきで田川はこの本の定価が高額になったこと(当時、3000円前後だったか)の言い訳をしていた。印刷などの諸作業を台湾?で行って値段を抑えた、と書いていたと記憶する。『書物としての新約聖書』は定価8000円、現在刊行中の『新約聖書、訳と註』はいずれも6000円前後だ。貧困層はとても購入する気になれない額である。イエスの言行録を必要とするのは生活の安定した新約聖書研究者であり彼らはイエスになろうとはツユほどもおもわない。貧困者はイエスを読む必要もない、イエスにナルのである。

 

研究・著述生活を終えたあと、ああ、オレってつっまんネェ仕事してきたのぅ。。と呟いてくたばって欲しい。

<...この世でもし誰かが祝福されるとすれば、貧困にあえぐ者を除いて誰が祝福されるというのか。この言葉には、そのようなイエスの思い、私の言葉で言えば逆説的反抗者としてのイエスの思いがこもっている。>(ケンゾー・タガワの発言、ロングインタビューから)

 

幸い 貧しき者


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