加藤周一の受洗 加藤周一自選集第十巻(1999-2008)と加藤周一著作集第18巻 [Book_review]
と、
加藤周一著作集第18巻、平凡社、2010/9/15発行
を、図書館で借りて読んだ。双方とも編集者は鷲巣力。
いいたいことは二つある。
1 加藤周一のカトリック入信について
自選集第十巻の解説(13頁)のうち、7頁を費やして編集者は、丸山が死の直前受洗したこと、の理由を縷々説明している。加藤は、無神論者と己を規定していたが、(最)晩年になり、母と妹(ともにカソリック信者)のことを考えて、さらに、長年のカソリックに対する愛着から、カソリック信者として死んだ、という。
2008年8月14日深夜、加藤から鷲巣に次のような電話があったという(鷲巣力による要約である。おそらく長時間の電話の)。
「宇宙には果てがあり、その先がどうなっているかはだれにも分からない。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。私は無宗教者であるが、妥協主義でもあるし、懐疑主義でもあり、相対主義でもある。母はカトリックだったし、妹もカトリックである。葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。(私が無宗教ではーー鷲巣による補足)妹たちも困るだろうから、カトリックでいいと思う。私はもう「幽霊」なんです。でも化けて出たりはしませんよ」
この電話を鷲巣は
「加藤は死を覚悟し、そして、カトリックに入信するとその理由を明らかにした」と、私(鷲巣)は受けとめた。
。。と、理解し、上野毛教会に入信の意志を伝え、8月19日に加藤は受洗した。そして「ルカ」という洗礼名を与えられた。
以上のように経過を説明している。2008年12月5日に加藤は死ぬ(胃癌)。
鷲巣はつぎのように加藤を弁護する。p495
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加藤のカトリック入信という事実を、驚きをもって受けとめる人もすくなからずいるだろう。「羊の歌」あとがきには、「宗教は神仏のいずれも信ぜず」という立場を明らかにしているからである。「神仏を信じない」ということばに、生きる勇気を与えられた人も少なくないに違いない。それゆえに加藤の入信を「意外な行動」あるいは「変節」だと感じる人がいることも想像はつく。だが、私は「意外」だとも「変節」だとも思わない。加藤の行動に、むしろ加藤の一貫性と加藤の世界を感じる。加藤の「理の世界」と「情の世界(家族愛のことを指しているのだろうーー古井戸)」の接点に、あるいは、「公人としての加藤」と「私人としての加藤」の接点に、「カトリック入信」が用意されていたのである。 自選集p495
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加藤(および、加藤に寄り添う人)にとって、自分の思考はどのように変化しようとも、内的な一貫性(必然性)は、あるのは当然である(気でも狂わない限り)。しかし、「変節」と呼称しないまでも、神を信じない、と、言った人が、何年後かに神を信じる、と言い出せば、信条を変えたのだな、と普通の日本人なら思うのが当然ではないか。われわれは、生まれつきある信条や宗教を信じているのではない。あるとき、ある切っ掛けや条件で信じるようになるのである。その条件が解消あるいは変われば、思想や信条は変わって当然である。なぜ、晩年になるにしたがって、家族愛が大きく思考を占有するようになり、信条を変更することになった、と言わないのか。思想家(あるいは一般人にとって)信条の変更はただちに不名誉ということにはならない。いかなる信条を、いかなる理由で、変えたのか、を説明するのが公人の義務であるとわたしはおもう。できれば加藤自ら説明すべきであった。加藤は、己の信条を公にすることを職業とするひとだからである。加藤の家族(妹さん)は、このような加藤周一(兄)の入信の説明に満足しているのだろうか。加藤に近すぎる人(あるいは内在的理解力に富みすぎる人)を解説者に選んだのは加藤の不幸であった。
加藤の奥さん(矢島翠)は、最晩年加藤の病状が悪化するにつれ
「加藤周一が加藤周一でなくなっていく」
と嘆いたという。p488
わたしは、入信したこと、あるいは、入信の告白、打診の電話(鷲巣に対する)も、「加藤周一でなくなって」きたことの兆候か、とおもってしまう。加藤周一でなくなった後の加藤の公的および私的行動は無視してよい。 あるいは、加藤はもともと(若いときから)無神論者ではなかった。
2 自選集と著作集の重複について
平凡社の著作集は今回の18巻発行を持って第二期(第一期と合わせると全24巻)出版が終了した。これは、1997年までの著作しか収録していない。岩波版自選集は、第十巻が、亡くなる年=2008年までの著作を抜粋して収録している。鷲巣によれば、平凡社第三期著作集の刊行は未定だという。自選集、第9巻と第十巻は、1997年以後の著作のすべてを収録しているわけではなく、抜粋である。朝日新聞に毎月連載されていた夕陽妄語は著作集に、1996年までの全編が収録されている(21巻&22巻)。1997年以後の著作をすべて読みたい、という読者はどうすればよいのか?1997年以後の著作はそれ以前に比べて多くはなく、平凡社が著作集を刊行したとしてもほとんど、自選集9,10巻と重複し、岩波より後発で販売しても採算がとれるのか?出版社は読者のことを考えて企画して欲しいものである(自選集の発案・編集は加藤本人も係わっているのだから加藤の責任もある)。
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内容に触れなかったが、自選集、著作集とも晩年にいたるまで集中力のある文章。驚異的だと思う。(別の記事とする)
加藤周一自選集 岩波書店
http://www.kinokuniya.co.jp/nb/bw/special_products/katoh_shuichi/index.htm
加藤周一著作集 平凡社
http://heibonshatoday.blogspot.com/2010/08/24.html
家族愛(というより、母と妹への愛)ゆえに、入信したという説明は、なぜ、若いときに入信しなかったのか、死の間際に駆け込み的に入信せざるを得ないいかなる理由があったのか、を説明していない。
編集者=鷲巣力もこれを気にする読者のため次のような解説を行っている。
自選集p493
「。。「わたしはもう幽霊なんです」という(加藤の)ことばで表現しようとしたことは、すでに私は死んでしまったのだ、ということだろう。だれが死んだのか。思想家、作家としての加藤、いわば「公人としての加藤」に違いない。「公人としての加藤」は死んでもなお「私人としての加藤」は死んではいない。「私人としての加藤」は、母を想い、妹に心をかけて、カトリックに入信する。とはいっても「私人としての行動」と「公人としての行動」はそう簡単に切り離されるものではない。」
この文章の後、二頁の説明(弁明)をおこなって、次のような結論を導き出す。
。。(『羊の歌』にある「宗教は神仏のいずれも信ぜず」という立場にもかかわらず、)
「加藤の行動に、むしろ加藤の一貫性と加藤の世界を感じる。加藤の「理の世界」と「情の世界」の接点に、あるいは「公人としての加藤」と「私人としての加藤」の接点に、「カトリック入信」が用意されていたのである」
私の理解では鷲巣氏は気の回しすぎ。
鷲巣>
「わたしはもう幽霊なんです」という(加藤の)ことばで表現しようとしたことは、すでに私は死んでしまったのだ、ということだろう。だれが死んだのか。思想家、作家としての加藤、いわば「公人としての加藤」に違いない。
ここで止めておくべき、と私は思う。すなわち、入信は、公人としての加藤が100%死んだあとの行動である、と。しかし、鷲巣氏はこのあと、公的な死、と、私的な死を分離して、2頁にわたって独自の解釈をくり広げる。加藤周一がみずからを幽霊、と言ったとき、公人として死んだが、私人としては死んでいない、という解釈は正しいのか?そうではなく、私人としても公人としても死んだ、と加藤は述べているとおもう。そうでもしなければ(幽霊にならなければ)入信などという行動はとれるものではない、と。信仰告白を、死後行うのでなく(そういう手続は用意されていない。。)、先回りして地上で行った。。
直前に死が迫れば、思想信条にかんする、地上の、あらゆる制約から解放される。いや、これは解放というより絶望の表現ではないのか?「加藤周一が加藤周一でなくなった」
矢島さんが一番の加藤理解者だとおもう。矢島さんはどうおもっておられるのか?上記の解釈は矢島氏も了解しているのだろうか?
将来、加藤周一伝があらわれるとき明らかになるのだろうが。
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重要、とわたしがおもうのは、自選集解説(by鷲巣)によれば、加藤周一自ら入信する、との意思表示はなく、鷲巣との電話の後、鷲巣氏が(この電話は)入信の意思表示だと理解して、教会にその手続を取った、ということ。
なぜ、24時間生活を共にしている奥さんを差し置いてこのようなことが編集者にできるのか、という疑問が湧く。むろん奥さんの了承は得ているのだろうし、加藤周一も洗礼を受けたのだから、加藤の意志に反してということはありえないだろうが。一体、当時、加藤周一はどのような状態(精神、体力)だったのだろうか。入信のような重大な決定であれば、身の回りの面倒を見ている(以上の存在の)配偶者に意思を表示しておくのが当然とわたしはおもうのだが(加藤周一に入信の意志があれば、矢島氏にとおの昔に知らせており、その手続も依頼していたはず)。
鷲巣が伝えている、矢島氏「加藤周一が加藤周一でなくなっていく」という嘆き、が現実味を帯びる。
はやく矢島翠さんに加藤周一論を書いていただきたいですね。
by sheepsong55 (2011-03-09 22:22)
中野重治じゃないが、『加藤周一 -- その側面』、というくらいのものじゃないでしょうか、彼女が書くとすれば。
NHKの特集、加藤周一末期のインタビューで自宅にカメラが入ったときの、加藤に付きそう矢島翠のはにかんだような、慈愛に満ちた笑顔と姿が忘れられません。
by 古井戸 (2011-03-10 10:04)
はじめまして。検索から辿り着きました。
「加藤周一が加藤周一でなくなっていく」にあまりセンセーショナルな反応をしない方がよいのではないかと思います。
生前、よく笑って魅力的な人が重体で元気が無くなれば、普通に嘆いて言う言葉ではないでしょうか。
それと入信ですが、加藤さんは死んでも神なんざ信じていないと思います。
しかし、生前からヒントは我々にくれていた。1997年ごろでしたか富永仲基の芝居の脚本でも本居宣長が自分の墓に仏教式と神道式があるのを、加藤式解答では万が一死んでから極楽浄土が存在したときのために一応声を掛けておく。宣長は万が一のために声をかけておいた。信じる信じないは別として、商人出身の実際的な計算高さから。
しかし加藤さんがカソリックに声をかけておいたのは商人の計算からではなくて、また信仰心からでもなくて、やはり著作からにじみでてくる、カソリックだった母親への愛情からではないでしょうか。
その肉親への愛情ゆえということでしょう。その選んだ道に従った。
かもがわ出版「語りおくこといくつか」講演集Ⅳ
P81
2006年1/7
「私は仏教徒でもキリスト教徒でもない。特別の宗教的信念に燃えていることがない、あるいは信者になりたいと思っているかもしれないけれども、信者ではない現代の日本人の一人ということになります」
「信者になりたいと思っているかもしれないけれど」信仰心はない。
その肉親への愛情ゆえ、その選んだ道に従った。ただそれだけのことで騒ぐ必要はないと思います。
by モンテ・ヤマサキ (2012-07-30 17:27)