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富永仲基  湯川秀樹・加藤周一の対談から [Book_review]

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ちくま文庫、1月新刊、加藤周一『三題噺』。本編は、詩仙堂志、狂雲森春雨、仲基後語の三章建て。

出版社案内。http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480426710/

65年出版の単行本の文庫化。「二人一休」と、湯川秀樹との対談「言に人あり」が加えてある。この対談は江戸期(吉宗の時代)の大阪の思想家、富永仲基をめぐって語り合ったものである。対談は1966年12月『図書』に初出。

加藤周一・湯川秀樹の、この対談は別の出版社の対談集にも収録されている。これまでに何度も読んだが、素晴らしい出来である。文庫版にして50頁。今回再読してまた新発見するところがあった。

富永仲基は大阪の正体がよく分からない学者だが、加上、という学問進歩の仕方、にかんする学説を立てた。三十歳で死んだ。湯川の父や、兄弟も中国文学者であり(小川環樹もそのひとり)、父は富永仲基ゆかりの懐徳堂に教えに行ったことがあるそうだ。

加上、とは、たとえば、ある概念についての学説A,B,C、D..が並立している場合、それぞれを吟味し、Bにサムシングを加えたものがC,それに別のサムシングを加えたものがD..というふうに、旧学説になにかを加えて新学説が出来上がる、という思想の時間的発展を捉えるという方法=仮説である。


これで、儒教仏教神道が並立する日本の思想史をとりあつかうことができる。。加藤が岩波の思想大系の仕事(編集委員)をやりだしたときに、(ということは文学史序説の切っ掛けになったということ)仲基を見出した。

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湯川が最後に、

「。。。仲基が考え出した加上、とか、「くせ」(<-無くて七癖、のくせ。日本人の思考態度日常生活における、くせ、である)の概念にしても、おそらく、ひじょうに高度な言語学みたいなものを体得しておったから、出てきたのじゃないか、そういう感じもするのですね。。。」

これに加藤が応じる:

加藤「『出定後語』のなかに、「言に三物あり」。ひとつは「言に人あり」。人によってことばは違う。これはまさに(湯川)先生のおっしゃったことで、同じことばでも、別の人がいえば、違うかも知れない。だから、その人の考え方とか体系というもののなかにはめ込んで考えないと、同じことをいったから同じ意味だと取っては、間違いだという。それから、時代が違えば、同じことばでも変わってくるし、別のことばでも同じことを意味することがありうるから、時代を考える。それから、三物の最後は類。これは語義の変遷の型の分類みたいなものです。そういう三つを考えたのです。」

湯川「なかなかいいところをやはり押さえていますね」

これで対談が終わるのだが。。和漢洋に通じた両碩学がかなでる二重奏を聴いているようであった。

対談中ふたりのやりとりは、たとえば、つぎのよう:

湯川「。。儒教というものは、人間哲学というべきか、社会哲学というべきか、どちらにせよ、いちばんもとの姿は、自然哲学でないわけですよ。つまり(論語にある)「怪力乱神を語らず」ということは、合理的だけども、怪力乱神を語らなければ、当時としてはもはや自然哲学はできない、今の人は、怪力乱神を語ることは神秘主義であって、それは自然科学に反するじゃないかと思うかもしれないけれども、昔にさかのぼれば事態はまったく逆なんであって、自然現象の原因は何だろうと考えた場合、簡単に合理的に割り切れるようになったのは、ずっとのちの話であって、はじめはどの民族でもやはり怪力乱神的なものを考えていた。そこから出発して、長い間にだんだんとそれが合理的な思想に変わってきたわけです。」

加藤「そのとおりでしょうね」

湯川「自然現象の原因について語ることを拒否すれば、自然哲学抜きの人間哲学、社会哲学になってしまう。そこから朱子は出てこない」

加藤「それから、「論語」には「死」を語らずともということもございますね。「生」さえわかっていないのに、なぜ「死」の話をするのか。今先生のおっしゃっている怪力乱神と死を除外するという「論語」の考え方は、現世的(此岸的)で、社会的(人間的)な考え方だといえるでしょう。当然、政治と倫理の問題になるわけですね。」


ここを読みながら私は漢字の起源~白川静のことを考えていた。

孔子(の弟子達)は漢字を使って論語を書いている。孔子は、現世のことしか語らず、怪力乱神を語るのを拒否した、が、漢字自体の起源は、白川静のいうことを信ずれば呪術の時代、怪力乱神を語る時代に遡る。白川はさらに、孔子の生まれは不詳、おそらく巫女の私生児であると推論している。

富永仲基を高く評価したのは同じ大阪の学者(出身は東北だが)内藤湖南、それに比較思想史の中村元である。

20年前に古書店で買い求めた中村元「世界思想史」、途中で挫折したが、再挑戦してみようと、いう気になった。

湯川「。。。インドでは仏陀という人は、それまでの、一口にバラモン教といってよいのかどうか知りませんが、いろいろな神秘的な思想があって、その上に、富永仲基流にいえば、仏陀自身が加上したのですね。」

加藤「もちろん」

湯川「しかし、そのときにも、彼もいうているように、やはり幻というものが大事である。仏陀というのはおそるべき神通力をもっておって、知恵もある。また広大な慈悲心もある。その中で神通力というのがわれわれ現代人には一番わかりにくい。初期の仏教について知ろうとすると、そこでハタといきづまるわけですね。すると加上ということは、あなたがおっしゃったように、儒教などの場合のほうが、考えやすいような感じもしますね。ところが道教となりますと、加上説は成立しないですね。。。(略)」

加藤「。。。けっきょく日本歴史というものは、仏教の衝撃(一般に外来イデオロギーの衝撃)と、本来日本的な世界観とがたえずたたかう戦いの歴史だと思うんです。仏教をこっちが変えるか、つまり日本化するか、あるいは仏教によって日本人の精神構造の全体が変わっていくかという対決。けっきょく荒っぽい言い方ですけれども、日本側が勝って、仏教のほうが変わった、ということでしょう。儒教との対決でも、儒教のはじめは朱子学ですから、形而上学的な、また自然学的な大きな体系ですね。そういうものが日本人の精神的な構造、世界観を変えるかどうか。根本的には日本的なるものが、儒教を非朱子化してしまう。そのとき、もちろん原始儒教の古典の権威にも頼りますけれども、けっきょく朱子学から日本儒教を解放したのは、根本的には日本側の伝統的精神でしょう。。。。外来の体系的世界観を変えていく過程は、仏教の場合には、ひと言で言えば世俗化だと思う。それから儒教の場合には、非形而上学化だと思うんです」

この主題は加藤がこの対談直後から朝日ジャーナルに連載した日本文学史序説で力説しているところだ。

しかし、湯川も言っているように(あるいは、昨年放映されたNHK ETVの連続番組「朝鮮半島2000年の歴史」でも明らかにしたように)、日本に漢字が伝来したのは仏教の経典、としてであった。それまでは、無文字なのだ。教典は(鉄も)半島から帰化人が持ち運んだ。その帰化人がわれわれの祖先なのである。帰化人(つまり日本人)やその子孫が取り込まれるような、どのような、思想ないし日常的思考方法が日本列島に存在していたのだろうか?謎である。加藤(あるいは宣長)がいうところの伝統的日本の思考の型。

中村元の『古代思想』。「第五章 古代的思惟 -- 結語」の全文を少し長いが引用しておく(中村元選集第17巻、522頁~)。

「ウパニシャドの哲人と、イオーニア学派の哲学者たちとは、ほぼ同時代(西暦前七世紀)に現れている。それは何故か?相互の思想的影響があったかということになるが、はっきりとはわからない。ただ、この時代の顕著な一つの事実は、この時代でもインドでも、鉄器使用が急激に盛んになったということである。この時代以前にも鉄器は使われていたが、しかしこの時代になって急激にひろがったと考古学者は報告している。鉄という材料をとって、それに熱を加えていろいろな道具を作るということが、当時の人々の生活において直接に経験されるようになった。すると、世界原因は一つだけれども、それが異なって現れてくるという思惟が成立しやすくなる。そのためにギリシアでもインドでも同時代に、ただ一つの世界原因を追求する哲学的思索が現れたのだと考えられる。

 究極の原理を求めようとした点では、インドの哲人もギリシアの哲人も共通であった。ただしタレース、アナクシマンドロス、アナクシメネースなどの思弁は先駆的な科学的仮説とみなすべきものであり、これに反して、ウパニシャドの哲人には科学的仮説への志向は顕著ではない。他方、ギリシアの哲人が、究極的な原理を道徳的観念から切り離して考えていたのに、ウパニシャドの哲人は、究極的な原理を人生の安住の境地と見なしている。

 これに対してシナでは、鉄は戦国時代の初めにひろく使われるようになった。殷代には白銅を多く使っていたという。しかし、いずれにしても金属が変容して種々のかたちを示すということは、日常生活において熟知されていたにもかかわらず、もとのものやブラフマンを求める思惟が起こらなかったということは、シナ人が形而上的思弁を好まなかったためではなかろうか。シナでは哲学的思惟の興起というこの段階ははっきりとしていない。シナ人は哲学的思惟に弱かったから、ギリシアやインドの哲学的思惟に対応する段階はどうも出てこなかったようである。

 ひるがえって日本人の問題として考えてみるに、日本にはこのような哲学的思惟の成立に相当する段階がなかった。日本では古神道の民俗宗教の段階からいきなり普遍的世界宗教の段階に跳んでしまったのである。つまり飛躍したのである。この事情は東アジア、南アジアの大部分の諸民族や、また西洋のゲルマンの諸民族に共通に見られる思想史的現象である。

 それぞれの文化圏における思想と生活環境ないし社会生活との連関については改めて深く追求検討されねばならないが、ただ古代の異なった文化圏において文明が一応の発展爛熟の段階に到達したときに、どこでも共通の問題がそれぞれ異なった仕方において論ぜられたという思想史的事実はここに明確になったと言えるであろう。」

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さて、肝腎の本編であるが。

三章だての短篇集。それぞれ、石川丈山、一休和尚、富永仲基を主人公とする。石川丈山の出だしは、石川淳か、とおもわれる文体模擬?。一休は、谷崎潤一郎か?とおもわせる平仮名の多い長い長い文章。富永仲基の章は、仲基をめぐる弟、仲基の書籍を焚書処分にした奉行、三浦梅園、安藤昌益らと、加藤周一とおもわれる人物の対談。それほどおもしろくはなかったが、ガリレオやプラトンがその主張するところを架空対談によって著した、そのやり方でなければ伝えられないことがあるということは理解した。たとえば、加藤の一人語りによりこの章の内容を伝えようとすれば、遥かに入り組んだ日本語となる。読み手に与えるインパクトも薄まるであろう。

文庫化に伴って追加された湯川秀樹との対談、これは<富永仲基>の章にそっくり収まるのではないか、と。つまり、短篇中の加藤周一が、現代の物理学者&自然哲学者=湯川秀樹と対談した、という趣向で。17世紀の人物との架空対談と、現実のリアル対談とで構成されたコラボ。

 丸山真男の<古層>、加藤周一の土着的世界観
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-02-22
『語りおくこといくつか』  加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-10-03
加藤周一 1968年を語る   “言葉と戦車”ふたたび
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-15
追悼 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-12-14
生と死 加藤周一
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2006-08-24


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タツ

こんばんわ。

加藤周一さんの自選集が図書館にあって、そこに詩仙堂のことが書いてあったから、ちょっと見たのですが、宮本武蔵とか井伊直弼の女スパイとかの絡みはなかったので、読む気になりませんでした。

でも、古井戸さんが上にご紹介くださった本は、いろんな話題が絡んでいるみたいで、そそられます。近所の図書館にはまだ入ってないから、近いうちにジュンク堂に行って見ます。
千円札のおつりでオニギリを買える価格もウレシイ。文庫はこうでなくっちゃ。


by タツ (2010-01-30 20:05) 

古井戸

文庫本も最近は安くないですよ。再刊も多いから、昔の単行本のほうが安価に入手できることが多い。文庫はすぐに行方不明になるから、何冊も同じものを買うことになる。まあ、それが出版社の狙いだろうけど。

文庫本といえば、大佛次郎の「天皇の世紀」が、文春文庫になって再発売されだした。全12巻。わたしは朝日文庫版をもっているのですが、全17巻のうち、4巻くらい未購入あるいは紛失しており、歯抜けの部分がこれで補える、と一安心。
by 古井戸 (2010-02-06 13:20) 

タツ

加藤周一『三題噺』(ちくま文庫)を、きょう、ようやく買ってきました。

じつは、タツは、京都から琵琶湖に抜ける山道の探検をしたことがあって、詩仙堂から瓜生山の狸谷山不動院に登って、滋賀里の崇福寺跡に出る道を歩いたことがあるのです。
京都近郊の山歩きをする人は知っていると思います。一部難しい道を通るので、地図には載りません。
信州の考古学者、藤森栄一の著『銅鐸』の冒頭に、彼と仲間が北白川から登って崇福寺跡に出たと書いてあるけど、詩仙堂から上るほうが近いです。

石川丈山を詩仙堂の位置に置いた京都所司代板倉が、浪人対策に文化防衛をやったんだなって、見えちゃうことがあって、しらけるの。
上の古井戸さんのご紹介を読むほうが、よほどおもしろい。

>白川はさらに、孔子の生まれは不詳、おそらく巫女の私生児であると推論している。

柿本人麻呂も、たぶん、巫女か尼僧の私生児。生まれたのは、666年、大津京の西北の崇福寺と推論します。

安いからって、買って損した。
加藤周一先生に、あの世から、なんか、言っていただきたいですね。
お前の本は、つまんねぇぞ。化けて出て来い。

by タツ (2010-02-07 20:06) 

時代錯誤

「富永仲基」に関した、加藤周一氏と湯川秀樹博士の対談は「学問の世界」という湯川博士の対談集に収録されていたかと?と思います。昭和41年が42年に私は読みましたので、もううる覚えですが、この対談で「富永仲基」を知りました。すでに「日本思想大系」は、いくらか発刊されていましたが、その中の仲基の原典は高校生には読みにくく、三浦梅園の「玄語」と同様に、16歳の青坊主には消化できた類の物ではありませんでした。しかし湯川博士の著作は、相当高級な内容なのですが、深い内容を、明晰な洞察で語られ、また、お書きに成られるので、この人は物凄い人であると感激した事を覚えています。ノーベル賞の頭というものは、こうなのかと思いましたね。加藤周一先生は、その一年後に岩波新書として出る事に成った「羊の歌」を、読み是もまた、優れた散文として、硬質な情緒の自伝として、明治大正昭和の内的歴史を描いておりました。
「懐徳堂」最高の英才として、其処に学びながら、仲基はそこを追放されます。彼の、時代を超えた合理精神が、懐徳堂の朱子学、儒教の価値観に合致しなかった為です。この異常なる英才は、その早熟さでも類を見ない。彼は12くらいで懐徳堂に入塾し、16か17で既に博識と分析で先学を凌駕し20で懐徳堂を追放されている。「出定後語」と「翁の文」が出版されるのは1745年でこの一年後に彼は死んでいる。享年31歳、パスカル級の天才だろうと思います。
by 時代錯誤 (2011-08-28 22:38) 

古井戸

日本思想大系の出版は70年からです。もっとも解説者や編集者の準備は随分前からでしょうが。仲基は73年。
思想大系もわたしは何巻か手持ちしているが(道元、親鸞、松蔭、。。)手も足も出ない。解説を読んだだけ。思想大系の解説だけをまとめて出版してくれれば有り難いのだが。寺田透は、道元上下巻の解説をまとめて出版している。

湯川秀樹の株は原発でだいぶ下がりましたね。原子力委員会のメンバーに選ばれたがおれは原発はワカラン、とノイローゼになり辞任した。湯川グループである武谷三男は安全問題の観点から原発に疑義、異議を称えたが建設に強硬な反対をしていない。本質危険をはらんだシステムである、と強硬に反論しておれば。。という気がする。

唐木順三は80年に『科学者の社会的責任についての覚え書』(筑摩書房)で湯川をこき下ろしたが、これは今読めば当たっています。

武谷三男著作集をまとめて読んだが、特に初期の『弁証法の諸問題』など、原爆や原発のあまりの無警戒の思考に驚き呆れた。
by 古井戸 (2011-08-30 15:48) 

古井戸

追記。
三浦梅園の「玄語」。。

梅園、仲基、親鸞、。。、岩波思想大系でなく、中央公論社の日本の名著には、口語訳があります。

とくに梅園の巻の解説は異常に詳しく圧倒されました。解説者はこれをもとに梅園論を出版した。
by 古井戸 (2011-08-30 15:51) 

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