SSブログ

仕分け人・中村桂子の意見に共感 [Politics]

                                       091204_1138~01.JPG
                                       仕分け人・中村桂子(毎日新聞)

中村桂子(事業仕分け人・JT生命誌研究館長)の意見@毎日新聞12月4日のインタビュー記事<<急接近>>に共感した。

ネットに記事が見あたらないのでここに引用する(全文)。

-事業仕分けで、科学技術予算にも大なたが振るわれました。
◆私は日本の予算作りのシステムを変えるきっかけにしたいと思って、悩んだ末に仕分け人を引き受けました。仕分け人の皆さんはよく勉強し、それぞれの専門や経験に基づいて発言していました。「素人が」とか「短時間で」という批判は、参加してみて当たっていないと感じました。

-科学者の仕分け人からの厳しい意見に驚きました。
◆継続中の事業を切ると問題が起きることは分かるので、複雑な思いはありました。しかし、ここで考え直すことが必要だと考えたのです。科学技術基本法施行(95年)以後、科学も技術も「科学技術」という言葉でひとくくりにした結果、短期的な成果を求めて限られた分野に莫大な予算が集中し、科学者は「役に立つ」という言い方で研究費を獲得するようになりました。真の継続性なしに、あたかも役に立つことができたかのように言い、必要なところにお金が回らず、無駄も増えました。この風潮を懸念している科学者は多いのです。大型プロジェクトに無駄がないとは決して言えません。

-ノーベル賞受賞者をはじめ批判もありますが。
◆科学技術の重要性を否定した仕分け人はいません。大事なのだから、もっと有効に限られたお金を使おうという努力です。そうそうたる学者や学長が、頭ごなしに「科学技術の大事さがわかっていない」とおっしゃる姿には違和感を覚えました。お金でなく、研究の魅力を語り、それへの共感を基本に、この国の学問を育てようという提案をしてほしかったです。

-仕分けの最中に、閣僚が「科学技術については政治判断する」と発言しました。
◆今回の判定がすべて正しいとは思いません。意見が分かれた場合、無理やり一つの結論をまとめたり、長期的に見て疑問に思う点もありました。全体を見て、再検討する機会が必要でしょう。しかし、透明性をもって専門家の意見を聞くことなく、政治判断だけで結論を変えたのでは、システムを変えたいと思って参加したのに、何のためだったのか分からなくなります。

-民主党は「コンクリートから人へ」と掲げていますが、今回、若手や女性の研究支援など人材育成の予算が削られました。
◆若手や女性の育成は大事です。競争しながらも皆が伸びていく環境を作らねばなりません。ただ、今はお金を渡すという形に偏りすぎています。女性支援の議論では、大学に託児所を作るなど働きやすくする点で異論はありません。しかし、女性の雇用を増やすために学会参加費までつけるというような事業もあり、そこは皆さん納得しませんでした。将来のポストへの不安が、若手研究者の頭の中の大部分を占めているような今の状況はかえていかなければいけません。自分たちの研究環境をよくするために最も必要なのは何か。注目が集まったこの機会に、問題解決に向けた発言をしてほしいです。

-事業仕分けで、科学界は変わりますか。
◆変わらなければ、参加したことを後悔します。あまり成果の出なかったある研究について、地方でNPO(非営利組織)を長くやっている仕分け人が「500億円もかけて、ただ反省するだけで済むのですか」と話した言葉を重く受けとめました。世界の情勢をきちんととらえ、無私の気持ちで研究のあり方を考える専門家の議論を踏まえて、必要なところに必要な予算がいくシステムをつくることが不可欠です。
(以上。全文引用)

学長だのノーベル賞受賞者だのの、<虚名>の圧力にビビッて方針をふらつかせる政治屋に比べてよほど毅然としているではないか。国家戦略室の長(あるいは首相)には、このような人がなるべきではないのか?



中村桂子+仕分け人で検索すると重要な記事がヒットした。この記事には中村桂子さん自身が長文のコメントを寄せている。さらに驚いたことにこの記事は2年以上も前の投稿だった。http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50339835.html#comments
朝日新聞<私の視点>をめぐってのやりとりである。中村さんのコメント部分だけを全文引用する(中村さん、ご容赦を):

##
 「私の視点」への御意見ありがとうございました。細かなプロセスを書いていただきそこが問題と思いました。またいろいろお教え下さい。1200字しかないので、細かいことが書けなかったのですが、要は、“プロジェクト”は目的が明確であり(必要性)、しかも科学としての必然性があるものでなければいけないと思うということが言いたかったのです。

そもそもヒトゲノム解析は、1986年のダルベコによる“がんを知り、その知識を治療につなげるにはどうしても必要”という提案から始まりました。ですから解析が終った後にやるべきは、その成果を“がん研究”(これは予防、診断、治療を含む)につなげるにはどうするかというテーマになるわけです。そこで“遺伝子とがん”について徹底的に調べ・・・以降は新聞に書いたようになっています。この間のプロセスが透明で、科学として納得ができ、使うお金も妥当であり、プロジェクトとはこのように進めるべきものであるということを教えられるものになっています。科学として連続性があり、そこに関わっている人々がその分野について最もふさわしいと思われる専門家であり、その判断が開いた形で行なわれているからです。なぜ日本ではこれができないのか。私の最大の問いはこれです。

 もう一つ、米国と日本のプロジェクト推進の過程を見て感じるのは、米国ではこれだけ難しいテーマが解決可能だろうか、これだけの資金をかけてそれに見合う成果が出るだろうかという問いが常にあるということです。くじけそうになるけれど挑戦しなければならないという気持が見えるのです。一方日本の場合は“これで何でもできる”という言い方しかありません。たとえばオーダーメイド医療がそうです。途中のプロセスは何も見せずにSNIPsを解析すれば、すべての病気に個人対応ができるかのように言う。これは科学ではありません。米国が“がん研究”で示しているようなプロセスを考えなければ、研究ではないと思うのに、なぜ一流の研究者にそんなことができるのか。それが私のもう一つの問いです。

 以上二つ、プロジェクトと言えども“科学”であることを忘れないで欲しいと思うのです。大量のデータを出せば答が出るという意見があります。和田昭允先生がデータドリブン生物学だとおっしゃいます。確かに今の科学は大量のデータが必要です。これについても米国のプロジェクトの中に答が書いてあります。“どうしても大量のデータを出さなければならない。しかし、山のようにデータがあるだけでは意味がない。発がんのメカニズムがわかってもそれが治療につながらなければ価値がないのだ。” とにかく日本のプロジェクト関係者はこの米国のプロジェクトの立て方に学んで欲しいと思います。
中村桂子
Posted by 中村桂子 at 2007年05月24日 16:45
## 引用終わり



中村さんは現在73歳である(毎日の記事に年齢が載っていたので本人了承と考え、年齢を書く)。ご自身の属する領域(生物科学)を越えて日本のために、臆することなく意見を述べていることに共感する。今回のノーベル賞受賞者+学長のみっともない圧力団体的な言辞には若い科学技術者からも批判の声が(声なき声?)上がらないのが不思議である。長老支配が行き渡っているようである。中村さんは<この風潮を懸念している科学者は多いのです>とインタビュで述べているが、若手からも自由に意見を述べることができる体制になっていないとしたら大問題である。民主化がなされていない、という懸念である(つまり、「白い巨塔」システムがいまだに健在である、ということ。ノーベル賞受賞者=抵抗勢力の状況を目の当たりにするとサモアリナン、と納得する)。

およそ予算システムを組んでいる組織であれば、予算決定過程でさまざまなチェックが入るのは当然であり、大企業では数百万~以上、中小企業であれば数十万円以上、家庭であれば数千円~という風に最小単位はさまざまだろうが、組織の大方針に沿うのか、無駄はないか、を厳しくチェックし、プロジェクトの終了後も報告書で成果を問われる。国家の場合、使った予算の成果報告はきちんと為されているのか?まともな企業ならばどんな出張であっても出張報告を書いて成果を報告しなければならない。昨今の状況を見ると何十億円以上の公的資産=税金を使いながら何の報告もなく、プロジェクト管理者の責任はまったく問われないという杜撰な運用がはびこっているのではないか。業務仕分けで分かってきたのはこれまで国家予算編成過程で、まったくと言っていいほどチェックが入っていなかった、ということが明らかになったこと。1000兆円という巨額の累積赤字が目前、という状況も理由あってのことだった、と納得である。

将来が不安で子供を産むことができない、子供を産んでも保育園に入れられない。。という状況で<科学技術>その他に莫大な国家予算をつぎこむことがユルされるのか?昨日はオリンピックメダリストがスポーツ予算の削減方針(仕分けの結果)に対して抗議していた。開催地呼び込みのために東京都は50億円も使ったがこれを批判する声は小さい。いったい、100メートルを走るのに9秒を切った!8秒を切った!幅跳びで10メートル飛んだ!。。こんな記録争いはもう止めたらどうか?何の意味があるのか(貧困層をほったらかしにして)、という疑問を出そうものなら袋だたきにあいかねない。別の記事でも述べたが、日本の将来~人類の進歩とはなにか?を冷静に、50年、100年のレンジで考えるべきではないのか。

中村さんのインタビュ記事のすぐ下に<論説ノート>という記事があり『お寒い教室』というタイトルの短文で布施広(論説委員?)が、おとなしい学生に対する苛立ちをのべている:

「(暖房も効かない寒い教室で震えながら聴講している学生の状況を述べた後)しかし腹が立つのはそこ(劣悪な環境)ではない。寒いなら寒いと、なぜはっきり言わないのか。遠慮も忍耐も美徳の一種とはいえ、モノ言わぬ学生の増加は暖房費不足より問題だ。ある教授によると教場で質問する学生は「KY(空気が読めない)」と他の学生から白眼視される傾向もあるそうだ。(略) 質問のない「お寒い教室」は確実に増えているらしい」

米国に対して「冷戦終了から久しぅおます、軍備縮小しまひょ、思いやり予算そろそろオシマイにしまひょ、基地撤去いかがでひょ?」という提案・疑義さえ挟めぬ外務省、政府。60年の長きにわたる慢性の<長いモノに巻かれろ病>あるいは<属国病>は確実にマスゴミを経由して国民に浸透している。若者に感染せぬワケがない。既得権益を侵すな!とばかりに企業、企業とグルになった官僚・政治屋、学会のボス達が赤字国債を湯水のように乱発させる、その尻ぬぐいは若者がしなければならないのである。




仕分け人という思いもよらないものになって (中村桂子のブログ)
2009年12月1日
http://www.brh.co.jp/katari/hitokoto/
引用する:
##
。。。もう一つ、ムダという言葉は難しく、文化、教育、研究などはムダなしでは成り立ちませんから、社会がこれらをどう位置づけるかが大事になります。本来なら基本の基本から考えるのがよいにきまっています。けれどもこの国は、本質を問うても少しも動きません。これまでも本質を考えましょうと言ってきましたが、そんな声は無視でした。ですから個別を問うことをきっかけに、皆で考えるようになるといいなというのが今の気持です。ところが、実際はなかなかそうは行きそうもないというのが実感です。皆んな自分のことを考え、自分のところにお金が来ることを思う気持の方が強いようで、せっかくのきっかけだと思うのに、研究者全体でこの国の将来を考えましょうとはならず、お金を削減するのはけしからんと言う声だけなのです。誰も科学技術が不要だなどとは言ってはいません。しかし、ただ科学技術は大事だと大きな声で言えばよいわけではないでしょう。この際、本当に大事なことは何かを考えて社会に発信しなければ、決して研究者への高い評価は得られません。なぜ皆本質を考えようとしないのでしょう。ここで諦めたら意味がありません。他の分野もそうでしょうが、私の場合、「日本の科学技術政策が専門家の中でオープンに議論されるようになること」が目的ですので、そこにつながるような努力はしようと思っています。 「決して、また声の大きい人が勝ち、政治決着がなされるなどということのないようにして下さい」 。 行政刷新会議にこれだけはお願いしています。
##





中村桂子さんの記事からツラツラと。
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/12/post-db00.html

【現場報告】大学の未来像 ― 行政刷新会議「事業仕分け」
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/11/post-300/

ニッポンの借金時計
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm

仕分けがあぶり出したもの
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-11-27-1

nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(2) 

nice! 1

コメント 4

たつ

古井戸さま

ありがとうございます。
中村桂子さんのHPでこちらを知り、読みに来ました。
ごくろうさまでした。
おかげで、良いものをよませてもらいました。

学会や高名な学者が圧力団体と化してしまったのを残念に
見ていました。
野依さんこそ、歴史という法廷で裁かれるのを待つ立場ですね。
「金、カネ、かね」病から脱して、良い仕事をしたいものです。



by たつ (2009-12-11 19:27) 

古井戸

esaki、koshiba、noeがノーベル賞をもらっていなかった場合も、抗議に来たでしょうか。来るわけはないですね。減額ケシカラン、とおもうのなら、個人で抗議にくればいい。焼身自殺するとか。

ノーベル賞受賞者が団体でツルンで、押し寄せるのはニッポンジンらしくてオモロかったですね。

賞をステータス=権威=偉いんだ!と誤解している。

みのるほど
頭を垂れる
稲穂かな
by 古井戸 (2009-12-11 23:25) 

しゅう

研究やるにはお金は必要なんですね。
研究器具を一式揃えるのに数千万から数億円かかります。
小さなラボは本当に毎日苦しい思いをしております。
私は学生で誰にも文句は言えない立場にありますが。

2つ言わせて下さい。

①まずは、甘くだりをしている官僚を無くしてください。そういったあまくだりをいつまでも野放している文系人間が、専門外の理系分野の科学技術予算ばかり削ろうとするから周りが納得しないんです。

②研究の在り方に改革が必要です。お金が出せないなら、研究に要する手技技術を全体で向上させる取り組みを重点的に行ってほしいです。

苦しい思いをしている科学者はたくさんいます。
科学者が日本に魅力を感じさせるようなシステムを皆さんで考えてほしいと思います。

  


by しゅう (2010-04-27 11:31) 

古井戸

しゅうさんへ。
研究に金が掛かるのは理解しています。
しかし、金、とは他人の金です。カネを生み出すために国家があるのだ、とい言いたげな科学者(しかし、国家運営のことなど無頓着)が多すぎますね。まず、何のための誰のための研究なのか、を考えるべきです。金が湯水のようにあればできる研究は山ほどあるでしょう。それをやって業績=学会内部でしか評価されない論文を山のように書き上げ、おのれのプレステージをあげたところでどれほどのもんでしょうか?

偶然得た知見により、これを商品化し、利益を回収する、莫大な収益を得る、という資本主義システムにドップリつかった巨大科学を疑わざるを得ない。情報は誰の者か、知見は誰のものか?最初に知見を得た物がすべてを得る、という現在のシステムを疑いもしない、エライさん。こういうゆがんだ精神を生んだ大学をまず、立て直すべきじゃないでしょうか。

一研究者の付け加えた知見など、人類の過去の営々たる積み重ね(歴史資本)に比べればゴミのようなものです。

ジョンロックが今生きておれば、科学者や企業の業績とその成果の独占、には猛反対するでしょう。
by 古井戸 (2010-04-28 03:48) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 2

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。