SSブログ

仕分けがあぶり出したもの [Politics]

                                ノーベル賞091127_2113~01001.JPG

産経ニュース(写真も):
ノーベル賞受賞者が首相に直談判…事業仕分け
http://www.sanspo.com/shakai/news/091127/sha0911270503006-n2.htm
 行政刷新会議の事業仕分けで科学技術予算に厳しい判定が相次いでいることをめぐり、野依良治理化学研究所理事長(71)ら6人のノーベル賞受賞者が26日、官邸で鳩山由紀夫首相(62)と会談し、配慮を求める要請文を手渡した。

要請文は「資源の乏しいわが国にとって科学技術の脆弱化は国家の衰退を意味する」などと指摘。仕分け作業後の刷新会議や来年度予算編成を念頭に「未来への投資である科学技術への格別の配慮」を求めた。

 会談で野依氏は「科学技術は厳しい国際競争に勝たなくてはいけない」と強調。小柴昌俊平成基礎科学財団理事長(83)は「科学研究は世界一でなければ意味がない。1番と2番では100倍以上、価値が違う」と訴えた。首相は「科学技術はしっかり支援する」と応じ、終了後「科学技術は資源のない国の重要な知的財産だ。受賞者の意見を参考に方向を考えたい」と述べた。

 会談には江崎玲於奈横浜薬科大学長(84)、利根川進理研脳科学総合研究センター長(70)、白川英樹筑波大名誉教授(73)、小林誠日本学術振興会理事(65)が同席した。
##

奇っ怪な情景を見た。仕分けの情景(これもかなり奇ッ怪であることは否定しないが)のことではない。仕分けで減額提示されたことに対して、ノーベル賞受賞者が圧力団体よろしく首相官邸に抗議にでかけた、その情景である。

どれほどの額が減額された(仕分けグループによる提案)のかといえば、

「 日本政府は次世代スーパーコンピューター、幹細胞研究など科学技術開発関連の来年度予算を今年より0.8%少ない1兆3667億円に策定、27年ぶりに関連分野の予算を減額した。しかしこれすらも再検討を通じて大幅に削減する動きを見せている。」

たったの0.8%である。これだけの減額に、ノーベル賞受賞者が雁首揃えて圧力団体の如く官邸におしかけるべきものか。

毎日新聞によれば、。。

「政府の行政刷新会議の事業仕分けで科学技術・学術関係の予算削減が相次いでいることについて、名古屋大学の浜口道成学長は25日の定例記者会見で、「明確な国家戦略もなく、効率というキーワードだけで一律にカットしている。赤字が解消しても日本は死んでしまう」と痛烈に批判した。 」

日本が死んでしまう、だと。これが<学長>の口にする日本語だろうか。土建屋の恐喝に等しい。前年獲得した予算額は既得権益、毎年、増えることはあっても断じて削減は認められぬ、という<定理>でもあるのか主張が、国の財政状況を考慮することなく、通用するとおもうほうがどうかしている。

そもそもこの連中は現在のニッポンの財政状況を知っているのだろうか。税収が来年度は30兆円前後に落ち込むという予測にかかわらず予算規模は現状で90兆になろうとしている。国債で予算不足分を補えば来年度の日本財政の赤字は900兆円に達する。これまで、この連中がニッポンの財政の危機的状況を正常化するにはどうすればいいか、という提言でもしたことがあるのか?ニッポンの政治外交状況(対米従属、主体性のない外交)になにか提言でもしたことがあるか?「日本が死んでしまう」ではなくとうの昔に死んでしまっている。死ぬのが心配である(あった)のなら、こうなる前に行政当局に諫言のひとつでも行ったことがあるのか?ニッポンの借金が1000兆円を越えようと、福祉予算がカットされようとこういう連中は無頓着であり、オノレ達の職業分野への配分が減ると途端に「国家が死ぬ」と騒ぎ出すのである。赤字国債を発行するな、とは死んでも言わない。いま、夕張市民がどういう状態にあるのかこの連中は知っているのだろうか?ニッポン国はとっくに夕張状態なのである。科学技術分野への予算減額はユルされぬ!と叫ぶ前に、ニッポンの財政状態を今後どうしたいのか、まず示すべきではないのか?

科学技術を担うのは大学、研究機関やメーカだけではない。その基礎に、ちゃんとした衣食住が施され、安心して教育・医療が受けられ、大人には職業が与えられ、幸福な家族を多数の国民が営める、という前提があっての科学技術でなければ意味はないのではないか?小柴昌俊に至っては「科学研究は世界一でなければ意味がない。1番と2番では100倍以上、価値が違う」と妄言を口にしている。ノーベル賞受賞者の口にするセリフではあっても、教養と節度を有する大人が口にするセリフではない。「ノーベル賞は1番にならないともらえない。おれらは受賞者である、ゆえにオレラはおまえらより100倍以上エライ」と言いたいのだろう。聞くに堪えない、臍が茶を沸かすセリフである。なんのための学問か、何のための誰のための科学技術か、という古い問いをこの老人達(ほとんどが国立大学出身、国立施設勤務者。すべての作業環境、生涯の俸給を税金でまかなってもらう人たちである)は、再度、自分に問いかける必要があるのではないか。 <世界一でなければ意味がない>ようなものに国税をつぎ込む必要はない。 個人の名誉欲を満たしたい、趣味の世界に遊びたい、という欲望は理解するがそれは自分の小遣いをつぎ込んで心ゆくまでやればよい。

湯川や朝永がノーベル賞を受賞するのにいくら国家から予算を配分されたか、わたしは知らない。金を掛けた巨大設備がなければノーベル賞は取れぬか。ならば、金の有り余っている別の国の研究者に研究させ、一番になってもらえばいいではないか。他の国の他の研究者に一番にならせるのがそれほど悔しいか?世界的に金不足ならば科学研究を10年、50年、100年遅滞させればいいではないか。それが人類にとってどれほどの損失だというのか。何でも一番、他人より他国より早く(一番にならなければ不幸な生活を覚悟せねばならない)。。という脅迫観念と、一番が一番以外を収奪することを認める体制こそが妖しいのだ、ということにいつになったらこの老人達は気づくのか。あるいは弟子を引き連れて金持ち国に移住して研究を続行すればいいではないか。日本国憲法は海外移住の自由を認めている。それとも、科学技術で一番にならなければ不幸な生活を国民が強いられる。。というのか?であれば世界中の多数の人々は不幸を強いられる、ということがあらかじめ定められた運命ということになる。そこまで悟って、それでも一番になりたい、というのであればその意志は尊重しよう(その小児的思考を軽蔑するけれども)。

大学はなんのためにあるのか?科学技術はなんのためにやるのか?人類の幸福を最終目標とするのではないか?国家レベルで言えば最終的に国民の幸福を目標としない科学技術など意味はない。現在の厳しい税収をどう分配すれば日本国民が最大幸福を得られるか、という頭はこれらの人々には欠落している。ニッポンには貧困家庭・高齢者・失職者が多数存在し、将来に希望がもてず自殺する人々の数は減る気配がない。こういう状況を打開するには、科学技術予算をびた一文とも減らしてはならない、その理由はかくかくしかじか、という抗議なら聞く価値もあろう。このひとたちの言っているのは己等の領域へ金をヨコセ、関連メーカーに金を落として、人材を確保せよ、と言っているだけである。科学技術分野に仕事がなくなれば、転職して科学技術以外に職を求めればいいではないか。世の中の誰もが一度は考えていることである。<科学技術>をなにか特権とでも誤解しているのではないか。世間知らずな旧世代の<一番病>に若い世代が罹らぬよう、切に願う。

ノーベル賞は、創設者ノーベルの意図からすっかり離反し、ギョーカイ・ガッカイ団体の、ギョーカイ・ガッカイ人評価による、ギョウカイ・ガッカイのためのギョーカイ賞に成り下がってしまってから久しい。人類の幸福ではなく、特定の個人が受賞することを自己目的化した<科学技術>に、ビタ一文国民の税金を供出すべきではない、これが是であることをこの反面教師たちは問わず語りに国民に示したわけだ。そのダイナマイト級の蛮勇を讃えたい。

仕分けなど、まともな企業なら予算編成過程でどこでもやっている、こういうことさえ国家はやっていなかったのか、貧困家庭では十円百円の使い道にも気を配っている、今日明日の生活も脅かされている家族、高校中退を余儀なくされている若者のことなど眼中にない人間が「日本が滅びる」とたわけたことを言う、ニッポンとはこういう国であったのか、ということをあぶり出したこと、これは民主党主導の<仕分け>の成果である。



関連記事
スパコン開発で「ゴードン・ベル賞」 長崎大助教ら受賞 「国内最速」安価で実現
 長崎大工学部の浜田剛助教(35)のグループは26日、国内最速のスーパーコンピューターを開発し、米電気電子学会の「ゴードン・ベル賞」(価格性能部門)を受賞した、と発表した。同賞はスーパーコンピューター分野のノーベル賞といわれ、市販の画像処理装置(GPU)を使って安価に高速計算を実現したのが受賞理由。同部門の受賞は8年ぶりという。
 政府の新年度予算概算要求の事業仕分けでは、次世代スーパーコンピューター開発予算(267億円)が大幅削減とされたばかり。浜田助教は「高性能の計算機は重要だ」としながらも、巨費を投じた従来の開発方針について「素直にいいとは言えない。方向性が逆」と述べ、低価格化が可能との見方を示した。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(1) 

nice! 1

コメント 2

フロレスタン

TBいただきまして、ありがとうございます。当方の記事に言及リンクがないのでTB返しはしませんが、当該記事の固定URLをリンクしておきます。

なお、この記事本文中の<定理>という喩えは<公理>の方がよいのではないかと思います。定理は正しいことを客観的に証明する必要がありますが、公理は証明せずに大前提としますので。

by フロレスタン (2009-12-02 10:44) 

古井戸

ご指摘有り難うございます。定理、は違和感を感じながらそのままにしておきました。おなじことは<公理>についてもいえるので、ここではもっとも無難な<主張>に格下げしておきました。

世界の謎はどこまで行っても、「これですべて解き明かせた!」と言えるときはないでしょう。この連中の主張を認めると、人類は未来永劫、スパコンに膨大な投資を続けなくてはなりません(貧困に喘いでいる人をほうっておいて)。そんな馬鹿な!と、立ち止まる勇気を持ちたいものです。

タイムマシンで、ガリレオを呼び出し、この先人から「きみら、エー加減にしときいや!」と一喝してもらいたい。

ルソーは「学問は人類を進歩させたか?」というテーマの懸賞論文に応じて「いや、堕落させてしまった」と主張したが、「科学技術は人類を進歩させているだろうか?」という主張にも常に?を付すべきですね。科学者と言われている人々自身が。

市井三郎は『歴史の進歩とは何か』(1971年)で、<<科学的知識は人間歴史の進歩の必要条件である>>という命題の根拠を懐疑的に検討した。科学者と自己を規定するひとびとはつねにこの(永遠に証明されることがない)命題を疑ってみるべきでしょう。

by 古井戸 (2009-12-02 12:31) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

この広告は180日新規投稿のないブログに表示されます