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ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』上下(文藝春秋) The Coldest Winter by David Halberstam [Book_review]

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図書館にリクエストし、借りてきたのだが。。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163718101
。。読み始めた途端、すぐに本屋に走って買いそろえた。これは。。大岡昇平『レイテ戦記』には及ばぬがある面で凌駕している本である。

北朝鮮が38度線を越えて南の侵略を開始したのは1950年6月25日。3年間におよぶ朝鮮戦争こそは現在のニッポンをいまだに束縛している大事件であった。

明治以来のニッポンの半島政策の帰結であり、太平洋戦争・日中戦争の帰結であり、戦後の出発点であり、ニッポンの外交防衛政治のすべてをいまだに規制している。


であるのに、その全体像を、最新データをもとに描いた著作に一般人はなかなか触れることができない。そのような渇を癒してくれる著作である。ハルバースタムはいうまでもなく一昨年死んだ米国のリベラルなジャーナリスト。2007年4月23日交通事故死。亡くなったのは惜しみてあまりあるがこの著作は不完全なものではなく、彼がゲラに手を入れたあとの作品とのこと。最後にして最大の、とくにニッポンジンにとって、プレゼントとなった。

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訳者があとがきで書いているが、膨大なインタビューをもとに兵士はいかに戦ったか、にも力を入れている(しかしこれはレイテ戦記にはおよばない。著者大岡昇平は兵士であったのだから当然か。レイテ戦記の詳細さで書いていたらページは倍になるだろう。)。しかし朝鮮戦争で重要なのは、兵士個人の戦いではなく、金日成、トルーマン、マッカーサー、スターリン、毛沢東などの指導者、それに安保理(理事国)にどういう情報が与えられ、戦いの現状と各当事者の動静どう認識し、どう判断し、どう行動したか、それに、何を目標としているのか、に尽きるだろう。読者はこれを頭の中で再構成し、自分がその立場にいたらどう行動するか、得られた教訓を現在の、各自の領域で生かす、ということになる。政治と軍事は人間が、しかも少数の、決断に依存するところが極めて多い、ということを、『レイテ戦記』も、このColdest Winterも教えてくれる。

大岡昇平『レイテ戦記』はこう述べている。「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである」。しかし、武器も食糧も満足に与えず、投入した日本兵84,000人のうち実に95%、79,261人の戦死者をだしたレイテ島の惨めな敗北の責任を断じて兵士に取らせるわけにはいかない。これはあらかじめ敗北と分かっていた戦いであり、その責任は参謀本部にある。朝鮮戦争では米兵3万名の命が失われたが、マッカーサーが38度線を越えて北進しなければこれほどの死者は出なかった。38度線を越えた段階で中国軍の参加、つまり中米戦争となりうることはあらかじめ分かっていた。マッカーサー個人の妄念と名誉欲による進撃を阻止できなかった米政府と、北進を追認した安保理の責任は大きい(まるで、最近、どこかで見たような光景である)。

本書で印象的なのはマッカーサー、トルーマンをはじめとする米国の軍人・政治家や、金日成、李承晩などを描写し、人間とくに意志決定者達が危機においていかに振る舞ったか、逡巡したか、を眼前にいるかのごとく記述している。現在のニッポンの政治屋も必読ではないか。通常の歴史本では1~2行で済ませられるイベントをなぜ、この人間がそう決断したかを公式発言だけでなく、プライベートな発話や行動から描き出す。これこそジャーナリストの仕事である。 とりわけマッカーサーには7~9章を当てて両親の影響や、戦歴の分析を、金日成は第4章で詳述している。マッカーサー批判、トルーマン批判も厳しいがそれだけなら他の凡百の歴史家や著作家もやっている(大岡『レイテ戦記』もマッカーサー批判は厳しい)が、ここまで詳しい記述に接したのは初めてである。

マッカーサーを一躍有名にした唯一の成功した大作戦=仁川上陸、もハルバースタムに云わせれば単なる偶然。この偶然が導いた幸運が米国にとって地獄の一丁目、国連をも狂わせた。38度線を越え北進することを追認し、中国の参戦を招いた(イラク、アフガンとそっくり)。成功が必然か偶然かを評価し、指導者の力量を測るのが政治屋の任務だがいかんせん、ワシントンにはそのような力量の持ち主がいなかった(この程度の米国に敗れた日本、ともいえよう)。仁川の奇襲成功およびそれ以降のマッカーサー(国連軍)の作戦は、ニッポンの真珠湾以降の作戦とソックリである。ソ連の傀儡=金日成と、マッカーサーは、地力もないのにウンだけで勝負した指導者として好一対である。

マッカーサーを制御しきれなかったホワイトハウス。軍人が独走するとどうなるか、があきらかになる。全体主義国家=ソ連に担がれた軍人将軍を戴いた北朝鮮の不幸。 いまだに先に攻撃を仕掛けたのは南鮮である、と言いつづけている。しかし、戦中戦後の資料情報をいまだに公開しないニッポンが北朝鮮を嗤うことはできまい。


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この本には主題として書いていないが(しかし朝鮮半島と日本の関係など予備知識は最小限度書き込んである。プロローグ~第三章、この部分だけでも有用)、半世紀以上朝鮮を植民地として独立意識を奪い続け、戦後の国連(米ソ)の介入を招いた日本の、現在の半島分断に至らしめている責任は大きい。



< 『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』解説 >
ハルバースタム、最後にして最高の作品
山田侑平(やまだゆうへい 『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』訳者)http://www.bunshun.co.jp/jicho/0911yamada/index.htm

引用
本書はヴェトナム戦争報道でピュリッツァー賞を受賞し、アメリカのヴェトナムとの関わり合いを描いた名著『ベスト&ブライテスト』で知られるデイヴィッド・ハルバースタムにとっては二十一冊目、そして最後の著作である。十年がかりでまとめた草稿を何か月もかけて手直しし、最後の手を入れて完成させた五日後、カリフォルニアでの自動車事故で不慮の死を遂げたからである。二〇〇七年四月、著者七十三歳のときだった。
(略)
本書にはさまざまな人物が出てくる。トルーマン、マッカーサー、アチソン、リッジウェイ、スターリン、毛沢東、彭徳懐、金日成、李承晩――歴史の舞台で動くかれらの姿が目の前に浮かんでくる。なかでもマッカーサーは、全体を通じて誤算の張本人、兵士に苦しい戦いを強いた乱心の将軍として描かれている。ハルバースタムによると、マッカーサーは「年老いて、頑固で、敵を人種的に軽蔑しており、ワシントンの『チャイナ・ロビー』および敗北したばかりの蒋介石の国民党政権と提携していた。その戦略諜報は夢想家のまとめたものだった。主人であるはずの政治家に対する軽蔑は、合衆国最高指揮官たるトルーマン大統領に敬礼を拒むところまで達していた」(英『エコノミスト』二〇〇七年十月六日号)。そのかれは朝鮮戦争を指揮しながら朝鮮の地で一夜たりとも過ごしたことがなかった。中国軍の動きに関するものだけでなく、自分に不都合な情報は一切受けつけようとしなかった。アジア人を軽蔑しながら、アジア人の心をいちばん理解していると自負していた。そのようなマッカーサーには、それにふさわしい部下がいた。情報担当のチャールズ・ウィロビーや第十軍団司令官のネド・アーモンドなど、かれの取り巻きも、その人を目の前にみるかのごとくに活写されている。


しかし、本書を本当に価値あるものにしているのは、こうした指導者の政策や命令によって厳寒の朝鮮で戦うことになった末端の兵士たちひとりひとりの物語を丁寧に描いている点だ。ハルバースタムは朝鮮戦争の元兵士たちとのインタビューを重ね、司令部のデスクからではなく、塹壕(ざんごう)で戦い、待ち伏せ攻撃に遭いながら死を免れた兵士たちの視線から、多くの重要な戦闘を進行形で再現した。戦争とは姿のみえない相手とミサイルを撃ち合うことだと錯覚されがちであるが、本書のこうした記述は、戦争が抽象的な概念ではなく、本質的に人間と人間との殺し合いであることを再認識させてくれる。ハルバースタムはこの本のあと書きで「平凡な一般人の崇高さに敬意を払うことを大事にしてきた」という。ハイペリオン社のウィル・シュウォルビ編集長のいうように、ハルバースタムの本領の一つは「自分たちにはどうにもできない力によって恐ろしい状況に置かれ、信じられないようなことをするよう要求された普通の人々の生き方を観察する」ことだった。
##引用終わり


翻訳には原本にない小見出しが付いている。これは100%有用というわけでもないが。。ノッペラボウの文章を読むよりは役立つ。ただ、残念ながら原本にはある索引がない。マッカーサー、トルーマン、金日成、毛沢東、あるいは、仁川、釜山。。など個別項目の記述を探すのに索引は必須である。ページ数が嵩むのなら、せめて、ネット上でいいから提供すべきではないか。

萩原遼『朝鮮戦争』(文春秋社、93年)や、チョット古いが戦争中の1952年に早くも刊行されたI・ストーン『秘史・朝鮮戦争 The Hidden History of the Korean War』(青木書店、66年)によれば、北朝鮮侵攻前から北では米国スパイが何百人も活動中であり、北からの侵攻計画は事前に承知だった、ということ。マッカーサーや政府も知っていて見逃したのは、<真珠湾攻撃は米国は知っていた>のを見逃した=陰謀なのか、北朝鮮の戦力を見くびっていたのか。本書にこれに関する記述はないようだ。陰謀であれば、真珠湾と同じく、大成功、といえよう。米国記者=ハルバースタムも意図的に詳述しなかったのか。

マッカーサーは司令長官の要件である現地に赴いての統率、をまったくしなかった(仁川作戦を除いて)。すべて東京(第一生命ビル=GHQ headquarters)からの命令である。驚いたのは、仁川奇襲作戦を東京記者クラブでは知らないもの無しだった、ということ。上巻p433
「通常、水陸両用作戦には意表をつく要素が決定的に重要である。しかし、この場合、妙なことにその要素は消えていた。東京では、何が、どこで、いつ起きるか、知らない者なしだった。戦争をめぐる一大センターだった東京記者クラブでは、作戦はすでに、<周知の作戦>のレッテルを張られていた」

米国民は「朝鮮半島で戦争勃発」、のニュースを聞いてあわてて、世界地図を広げ、朝鮮ってどこ?と、探し始めた。。という記述があった。ベトナムってどこ?アフガン、てどこ?フィリピンってどこ?イラクってどこ?ジャパンってどこ?

朝鮮戦争により戦後占領軍により進められた日本の民主化と非軍事化は一挙につぶれた。すなわち、マッカーサー指令によりレッドパージと、報道出版の検閲が復活した。朝鮮戦争の継続中に、ニッポンは単独講和に踏み切り、これは米国との軍事同盟(安保)と抱き合わせとなり、以後、ニッポンは再軍備を強要され、米国の軍事基地となって、途中、今日に及んでいる。

前世紀、いや、前々世紀末からの日本の執った朝鮮半島政策のありようによっては日本の歴史も大きく変わっていたはずである、と考えるのは繰り言であろうか?戦争を防止するのは結局のところ国民の民主化と、政府(および国連)による軍のコントロールの徹底に寄るところが大きい、とするならば、いまも同じ失敗による悲劇を世界のあちこちに見ている我々は、過去There & Then をなんども再点検し、彼は、彼らは、どう行動すべきであったかを我がこととして Here&Now 考えることは有意味である。

すなわち、もし、38度線で一旦事あれば、朝鮮(南と北)、ロシア、中国、米国、日本はどう行動するのか。各国&国連の政治的軍事的布置は当時と現在とでは支配層も次々世代に代替わりし、国力も大きく変わった(まず、当時、中国(共産党)はまだ国連未加入であり、もちろん、安保理常任国ではなかったが現在では軍事経済政治において大国になった。北朝鮮が現在では核保有国になった。日本は軍事政治面で米国の衛星国となっている。北朝鮮は当時、ソ連の傀儡であったが現在、中国ロシアとは一定の距離を保っている、とはいえ事あればこの関係は変わるだろう、等々)が、不変の側面もある(国境線も、軍事境界線も、地理気候条件は当然同じである)。北朝鮮の国内政治体制、それに日本との関係も当時とほとんど変わっていない。各国の政府と軍の指揮関係、各国&国連はどう動くか、の参照モデルに朝鮮戦争は現在でも十分なりうるとおもう。そう考えながら読むと興味尽きない本である。


追記:
書き残したことを箇条書きで。

1 冒頭で著者は滞在先のフロリダ州のある町の図書館を訪れた。ベトナム戦争関係の書籍は50冊あったが朝鮮戦争に関してはたったの5冊。米国において朝鮮戦争は思い出したくない、忘れられた(忘れたい)戦争である、と。日本はどちらの戦争も深く係わったし、このふたつの戦争から景気を回復させた<千載一遇>のイクサであった。私の近所の図書館を調べたが2:1くらいで朝鮮戦争関係の書籍がベトナム戦争関連書を上回っている。

2 また本書の第一章は、6月25日の北による38度線突破ではなく、10月からの朝鮮国連軍による北朝鮮(雲山)への進軍を描く。映画のシナリオのようである。本書には年表がついていないが、年表を脇において読まないと全体の流れが把握しにくい。

3 中心は米軍であるが、朝鮮国連軍は英国、豪州など多国籍軍が参加した。本書には書いていないが日本からも掃海艇が進駐軍の命令により出動し、日本人死者も出た。在日の韓国人も義勇兵として(数百人?)が参戦した。毛沢東は義勇軍として兵士を(300万人)送り込み、この戦争は実質的に米中戦争となった。

第三章「強国に挟まれた国」は朝鮮現代史を一筆書きで描いた章である。ここから引用してみる。p103:
「1945年の朝鮮は事実上、政治制度も固有の指導者層も存在しない国だった。赤軍が席巻した北では、ロシア人が早々にトップダウンで政治制度を押しつけた。金日成を指導者にしたのも同じ手口だった。南では生涯の大半を亡命生活で送った李承晩がアメリカの持ち駒で、嫌も応もなかった。李は当時、70歳。情熱的で自分本位、気分屋、強烈な民族主義者で愛国者、敵意に満ちた反共主義者で共産主義者に劣らぬ専制主義者だった。そう、熱心な民主主義者だったが、自分が自国の議会、官僚機構、その他すべての民主的機構を握っているかぎりにおいての話で、自分の意思に歯向かうことはだれにも許さなかった。日本とアメリカが李をつくったのだ。生涯にわたる裏切り、投獄、政治亡命、破約の数々が彼を変え、非情にした。李は祖国の厳しい近代史が野心的な若い政治家にきざんだ一つの典型だった。金日成も別の意味で同じ悲劇が残したもう一つの典型だった。」

たった10行で、当時の南北の指導者をさらりと活写するジャーナリストの<要約力>。多少の脚色はあったとしても読み物として飽きることがない。

4 I.F.Stoneの『秘史・朝鮮戦争』The Hidden History of the Korean Warは、ハルバースタムの著作が徹底した関係者取材によりいわば足で書いた本と言えるのに対し、新聞記事と公式発表のみを読み込んで、著者のテキスト解読力で書いた本である。ハルバースタムのこの本は朝鮮戦争から60年後に書かれたが、ストーンの著作はまだ戦争継続中に出版された(イラク戦争の内幕ものをいまから60年後に出版して誰が読むだろうか?)。ストーンは同書はしがき、で次のように述べている:
「。。。私はアメリカや国連の記録文書と、信頼すべき米英の新聞記事しか使わなかった。 (略) 私は本書が二つの目的に役立つと信ずる。それは冷戦の臨床研究である。また、戦争宣伝の研究であり、戦時に新聞と公式文書をいかに読むべきかの研究である。あからさまな嘘よりは、むしろ事実の一面を強調したり、省略したり、歪曲したりするのが戦争宣伝屋の手段である。本書は、読者が戦争宣伝屋の所産を検討する仕方、また自分で事実をふるいわける方法を学ぶのを助けるであろう。最後に、この本は、。。。朝鮮戦争の秘められた歴史である。もしテキストを綿密に調べ、さまざまの報告を照らし合わせれば、公式記録そのものの中に見出される事実なのである。 1952年3月15日 NYC」


余談:
私が小学生の頃、ラジヲのニュースから<李承晩ライン>や<拿捕>という言葉が連日のように流れていた時期があった。いま、Wiki<李承晩ライン>を検索してこういうものであったか、と知った次第。本書で描かれた李承晩なら、こういう政策を実施してもおかしくない、と納得した。
<李承晩ライン>@Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


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戦火のフンナム(興南)と住居を失った避難民   戦争孤児が南にも北にもあふれた


091128_0955~01001.JPG 休戦協定調印 1953年6月8日
写真:『秘史・朝鮮戦争』から

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